象気功


気功入門


タントウコウ2


さて、タントウコウの続きを書くわけである。

えーとなんだっけ、ああ、そうだ、まあ、とにかく、「遅筋」と「速筋」についてである。


「遅筋」は「赤筋」、「速筋」は「白筋」とも呼ばれるのである。

「遅筋」はミトコンドリアが多く、酸素を取り入れて持続的な収縮能力のある筋肉であり、「速筋」はミトコンドリアが少なくピルビン酸による瞬発的な収縮能力のある筋肉である。


まあ、その中でも細かくわけると、遅筋に近い速筋や遅筋に近い遅筋もあるわけでありますが、そのへんはまあ置いといて、この「遅筋」と「速筋」の筋繊維の割合は人によって割合がちがっていて、その比率は生まれつきで一生変わらないそうである。

例えば短距離走者に向いている人は「速筋」の量が多く、マラソンに向いている人は「遅筋」の量が多いてなことであるつーことである。


しかし、これはどちらもそれぞれに適合した筋力増加の付加をかけてやれば、筋繊維の量の割合はは変わらないが、それなりに一本一本の筋繊維が太くなって筋力の割合は変わるわけである。

ううむ、わかりにくいな。

まあ、鍛え方によってどーにかなるということである。


それでね、骨格筋に多い「速筋」は筋繊維が太く、瞬発力があるが、筋繊維の量に比べて毛細血管の量が少ないので、すぐ栄養切れして持続力がないのである。

それに比べて骨格筋はもとより、深層筋つまりインナーマッスルを主に構成する「遅筋」は身体の姿勢や立ち続けるという人間や動物の基本的な生命維持のための筋肉なので、すぐ疲弊しては困るので筋肉の質や構造も違うが、速筋に比較して持続力維持に必要な酸素供給などの栄養供給のための毛細血管の量が格段に多いのである。


この「毛細血管の量が格段に多い」ということが最重要であるのである。

気とは何か?」の章でも解説しているのであるが、人間の場合気は主に毛細血管を血液が通るときの波動なわけである。


そのことに、紀元前のヨーガの皆さんも、気功の皆さんも経験から気が付いていたので、早く動くよりも、同じ格好ですこーし付加をかけたり、あちこちストレッチしたりしてじーっとしてるか、あるいはものすごくゆーっくりと動くということをメソッドとして考案して、それがいろいろあーでもないこーでもないと進化して現在のスポーツのストレッチのもとになったハタ・ヨーガや気功のタントウコウや大極拳の動きなんかにつながって来たわけである。


そーゆーことで、タントウコウで足や身体にすこーしの付加をかけてじーっとしていると、「遅筋」の毛細血管が開いて血流が増えて気がどんどん発生してくるわけである。

気が発生するとそれにともなって体中の毛細血管が開いてますます気が発生するわけである。


気が発生することにより、気道の気は増加し、気道内の圧力が高まり、気道がさらに育つわけである。

その氣が手から発して、全身の氣道をさらに、開くのである。


ううむ、なんてすばらしい解説だろうか。

「象気功を読んだら目からうろこが落ちた」というご意見がものすごくたくさんきておりますが、あたしでさえ自分で書いてて目からうろこもすのこもかずのこもきのこものこのこ元気の子って昔スーパーの八百屋でラジカセがよくわめいてたよなーううむああ人生はどんどん進行して光陰なんとかってほんとだよなーというぐらい落ちるのである。


気功を大勢の医者や科学者があれこれ研究、実験してもなにがなんだかわけのわからないことしか書いてない中国医学界の気功関係のレポートよりも、あたしの行き当たりばったりのてきとーな口からでまかせの解説の方がどーみても真理に近いのであるから、もうこれは神の領域に達しているとしか考えられないのである。


ううむ、すごいな、言うにことかいて真理に神の領域だ。

しかし、神の領域に達してるのになんで女にもてないんだろう。

こんなことで神の領域に達しなくてもいいから、青少年には有害だと怒られるので、とても言えないあのナニをナニしてナニするイロんなことで神の領域に達したいもんであるのである。


ううむ、だめだこれ、そのうち直そう。

それから、手に風船を持つ感覚とゆーのは、手の指はそれぞれ、腎、肝、脾、肺、心、の五行に通じているわけなので、五臓六腑、つまり内臓を刺激して、その毛細血管も開くわけである。


こうして「遅筋」を根気よく鍛えて、「気の道」を太くすると、それが格闘技において、常識では考えられない力を発揮したりする場合もあるのである。

まあ、語弊はあるが、毛細血管イコール氣道と考えてもいいくらいであるので、毛細血管の多い遅筋は気の宝庫でもあるといえるわけである。


厳密に言えば毛細血管と気道は別の存在であるが、しろーとさんはそのように解釈した方がわかりやすいのである。

その遅筋を鍛えるあるいは使うことによる、その「過程」で気道としての毛細血管が育ち、気が作られることにより、氣道内の圧力が高まり、気の力ともいうべき力が発揮されるようになるのである。


更には発勁により、同様の、気を養生する武術を修行して気がわかる相手を飛ばすこともできるようになるてな場合もあるのである。

まあ、たとえば「意拳」やその流れを組む日本の「大気拳」、それから、気功法としても代表的な中国拳法の「太極拳」などは、タントウコウやゆっくり動く型の練習の気功法が中心で、その修行は動かないか、もしくはとんでもなくゆっくり歩行したり動いたりするのである。


長い経験から気の養生に関しての「遅筋」の重要性がわかっていた先人達は、この「遅筋」を鍛えることを格闘技においても中心としたわけである。

これはもちろん格闘技としての基礎的な筋力養成も含めてのことであるので、気功的には、骨格筋・深層筋も含めての遅筋にテンションをかけることにより、血行を促進し氣を養生し、その結果として「気道を育てる」ということが眼目である。


話をもとにもどして、「速筋」は加齢とともにどんどん減少してしまうのであるが、「遅筋」は「速筋」ほどは減少しないそうである。

つまり生まれつき「速筋」と「遅筋」の筋繊維の割合は同じで、トレーニング等で変わることはないということであるが、その人なりにその割合が加齢とともに変化はするわけである。


年を取るとともに「速筋」が少なくなって「遅筋」ばかりになるので、ご存知の通り老人になると、どなたも動作が緩慢になるわけである。

速く動こうにも、速く動くもとの「速筋」がものすごく少なくなっているので動くに動けないのである。


しかし、姿勢を制御する「遅筋」はほとんと減らないのでこのことを利用して気を養生すれば、気道の状態、つまり気の能力に関しては若者より老人である太極拳の老師大師の方が、推手で強いということになってしまうこともあるわけである。


つまり、ここまでお読みいただいたことで、太極拳・気功法などのゆっくりとした動きの基本が、骨格筋・深層筋に存在する、毛細血管の多い「遅筋」を鍛えるあるいは使う「過程」で「気道を育てる」ことにあるということをご理解いただきたいわけである。


しかし、勘違いしてはいけないのは、筋肉を鍛えて氣が出るなら、ボティビルや重量挙げの選手は残らず気功の大達人となるわけであるが、そんな人は一人もいないのは御存知の通りである。

中国武術や太極拳などの基礎的な筋力としての筋肉を鍛錬する「経過」において、気道が育ち、発する氣の量が多くなるということであり、筋肉を鍛えることや筋肥大が目的ではないということである。


筋肉の量と氣の量が比例しないのはいうまでもないことである。

それに加えて、呼吸法による毛細血管の拡張と丹田の意識による小腸の毛細血管の拡張を加えて、この三本柱で気功法が成り立っているわけである。

ううむ、なかなかいいな。

さて、それでは次は血管を開くもうひとつの方法のスワイショウである。

続く。


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