SVA東京市民ネットワークNEWS LETTER「里程標」第8号

海から繋がるASIA

「東南アジア青年の船」に参加して

滝沢直子

第4回

ステージに上がる。スポットライトが眩しくて、客席は全然見えない。そして伴奏が始まる。歌い始めたとき、何だか分からないけれど鳥肌が立った。さっきまで文句を言っていた人が、一生懸命歌っているのを感じる。何か一つのところに向かって、皆が歌っていた。終わったとき、とても嬉しくて、皆で喜び合った。やっと終わったことが嬉しかった。
席に戻ってからシンタに感想を聞くと、「日本語だったからどういう意味なのか分からなくて。」と言われてしまった。一応最初にどういう内容なのかは英語で説明してあったけれども、まあそれもそうだ。「でも皆が一生懸命歌っていることはよく分かったよ。」それは私にとってとても嬉しい言葉だった。
パーティー終了後、参加者たちの間でディスコに行こう、という話が出た。シンタは行きたがったが、お父さんは頑として首を振らない。涙を流している彼女を心配する私に、彼は片言の英語で言った。「行きたい気持ちは分かる。だけどここのディスコは健康的な遊び場ではないんだ。女の子たちが遊ぶのにふさわしい場所じゃない。だから娘を行かせることはできないし、あなたたちも同じだ。分かってもらえますか。うるさい親だと思われるかもしれないが。」「もちろん分かります。ディスコには行きません。それよりゆっくりと皆で食事でもしましょう。」お父さんの言い方は、私を素直にそう言わせていた。シンタもいつしか笑顔に戻り、私たちはおいしい食事を楽しんだ。
「テリマカシ ウントゥック スムワンヤ バパ、イブ」(お父さん、お母さん、本当にいろいろありがとう)船が港を出る前に、私はヌンキーから教えてもらったインドネシア語でお礼を言った。二人は何度も頷いて、シンタの目からは涙が流れている。私も胸が、そして目の奥が熱く痛くなった。やがて船に戻る時間がきて、お父さんとお母さんの瞳が赤く潤んでいるのを見たときには、すでに私も頬を流れるものを感じていた。
少しづつ小さくなる三人の姿に、手を振り続けた。温かい家族と過ごした3日間、とても幸せだった。いつかまた会えるのだろうか。それとも思い出として、いつまでも私の中にしまわれているのだろうか。
そんなことを思っている間にも船はぐんぐんと岸から離れ、次の寄港地であるシンガポールへと向かっていた。


第3回最終回里程標内容SVA東京市民ネットワーク