SVA東京市民ネットワークNEWS LETTER「里程標」第6号

海から繋がるASIA

「東南アジア青年の船」に参加して

滝沢直子

第2回

 ブルネイへの船旅で何が辛かったって、それは“練習”である(船もよく揺れたけど…)総務庁主催、「青年」たちの国際交流と相互理解を目的としたプログラムだけあって、参加者は皆何らかの‘義務’を負っていた。というのは、船の中でのプログラムの一つに「各国紹介」、つまりそれぞれの国の参加者が自分たちの国の伝統芸能や文化についてパフォームするというものがあったからである。

 私の役目は「日本舞踊」だった。単純に、着物で楚々とおどる雰囲気が私向きかな(…)と感じて選択してしまったが、日本舞踊の何たるかも知らない私が‘特訓’なしにおどれるわけがなかった。正直に告白すれば、着物もひとりでは着られなかった。けっして甘く見てたわけではないけれど、基本的な動きの難しさは見た目の想像をはるかに超えている。ましてやブランコでさえ気分の悪くなる私にとって、ふらふらと船の揺れに足を取られながらの練習は、今思い出しても「うっ」となりそうなほど辛い試練であった。 

 さて、連載が途中で終わってしまうことを防ぐため、話を進めます。ブルネイで私たちを待ち受けていたのは、思いのほか静かで美しい海と、アセアンの国から集まってきた見た目も性格も様々なひとたちだった。各国から飛行機でブルネイに集まってきた彼らは、たくさんの荷物と笑顔をつれて船にやってきた。既に船内生活に慣れている日本人青年たちは、荷物運びを手伝いながら、しかし注意深く新しい仲間たちを観察している。好みの女の子を見つけると爽やかな表情で“Hi!”なんて声を掛けている男の子たちもいたけれど、皆最も気になるのは「このうちの誰が自分のルームメイトか」ってことだった。日本人同士3人での生活はここで終わり、新しい、日本人以外のルームメイトとの生活が始まるからだ。

 名前や国籍については既に知らされている。私の場合はタイ人のWasanaaと、マレーシア人のSofia。ラッキーなことに二人とも私と同い年だけど、どんな性格の子なんだろう。どきどきしていた。最初に見つかったのはWasanaaの方だった。大きな瞳、ぽってりした唇、黒くて長い髪がチャーミングな彼女は、「私のニックネームはAuiだから。」と言った。「ウイ?」聞こえたままを繰り返したら、発音を直された。疲れているらしく気怠そうな仕草をしながらも、小動物のようなかわいらしさを持った彼女のことを、私はすっかり気に入ってしまった。Sofiaがやってきたのはだいぶ後で、時間が押していたのでかなり焦っているようだった。イスラム教徒であり白いベールを被った彼女は、同い年でありながら、お母さんのように温かく優しそうな声と表情を持つ、落ちついた雰囲気のひとであった。

 このように、2人に対しての私の第一印象はすごく良かったわけだけど、実際生活が始まってみてどうだったかといえば、本当に良かった。本当に三者三様な私たちだったけど、過度に相手に対して神経質になったり干渉することはけしてなく、とても居ごごちのいい部屋だった。

 さて(話は変わって)、ブルネイに到着した私たちは早速公式行事などのプログラムをこなし、念願のホームステイへと向かう。大きな体育館のような場所でホストファミリーとの対面が待っているのだ。番号札を頼りに自分の椅子を捜すと、既に先客が3人いた。同じ家庭で共にステイする予定のホームステイメイトたちである。フィリピン人のマルー、インドネシア人のバンバン、タイ人のジロー、そして日本人の私、という4人は、ホストファミリーの車でステイ先へと向かった。広い駐車場に車が止まり、そこからは足の長いすのこのような長い長い橋、というか道を渡ってうちへと向かう。そう、つまりそこは有名なウォータービレッジだったのだ。おそるおそる歩いているそのすのこの下にあるのは水、ここは海へとつながる中海のような場所なのである。

 日本人にとって、水の上に建つ木造の家々の様子は、もしかしたらスラムのように感じられるかもしれない。しかし家の中は外見よりはるかに近代的だ。オーディオ設備はもちろんのこと、電子レンジにレーザーディスクカラオケまで備えている。応接間の美しく磨かれた床、格調のある木製の家具に溜息をついていると、なんとこの家のお父さんは木彫り職人であった。

 しかし何より驚いたのは、このお父さんに16人も子供がいたことだ。お母さんはというと、別に何人もいるわけでない(つまり1人)。核家族化が進む日本で育った私にとって、子供たちが皆きょうだいだというのはどうにも信じがたいことであった。

 子供、といってもうち何人かは既に結婚してうちを出ており、私たちの直接のホストになってくれたのは16歳から25歳くらいの、年の近いキュートな女の子たちだった。ブルネイ定番観光コースであろうと思われるモスクや国立博物館等にいくと、そこにはほぼ確実に船の仲間たちがやはり連れてこられていて、この街、というか国の狭さを実感させられる。夜は国営遊園地である「ジュラドンパーク」にいくと、やはり皆やってきていた。ここは宗教上ディスコやバーといった夜のエンターテイメントを許されていないこの国の人々にとって、唯一ともいえる遊び場であり、デートコースであるらしい。夕方から深夜まで開園していて入場無料、乗り放題というだけあって、若い子たちが大勢やってきている。皆結構おしゃれで、男の子だとちょっとヒップホップ入っていたり、女の子はベールなんてつけない、さらさらのロングヘアをなびかせて、ピタTや胸元の開いたカットソーにサングラス、ボトムにはジーンズをばしっと着こなしている。

 皆何となく暇を持て余しているようにも見えるけど、どこかおっとりしている。アメリカンカルチャーに強い影響を受けてはいても、すさんだところがないのは、やはり彼らが豊かだからなのだろうか。公立学校は無料、税金なし、仕事もあるし、食べ物の心配や将来の心配をほとんど考えなくてすむ彼ら。

 この国の豊かさを一番実感したのは、帰る日の朝、スピードボートに乗って「にっぽんまる」を見に行ったときであった。うちを出て港へと向かう途中、両岸には緑濃いマングローブが生い茂り、朝の光をきらきらと映す海は果てしなく美しかった。そういえば男の子が海に沈む夕日を見ながら言っていたっけ。

 …海の上に住み続ける僕らに、なぜ陸に住まないのかと問うひとたちがいる。だけど僕らは好きでここに住んでいるんだ。おなかが空けば潜って魚を捕ればいいし、それに何よりあの夕日をみてよ。僕はこの風景が大好きなんだ。こんな素晴らしい生活をどうして捨てられると思う?

 世界一お金持ちの王様。石油に天然ガス。つるつる、きらきらしたモスク。整然とした街並み。ごちゃごちゃしたアジアが好きな人たちは、この街をつまらないと言うだろうか。だけどそれだけじゃない。夜中に大音響で、しかも屋外でカラオケを歌いまくっても誰も文句を言わない。最新の電器製品を取り入れながらも、トイレは昔ながらの“水洗”(つまり紙を使用しない方式)、シャワーは“水”(つまりお湯は出ない)浴び、食事はスプーンやフォークがなければ手を使う。ここのひとたちは、ただ新しいものを取り入れればいいとは思っていないようだ。自分たちのもともとのやり方や生活を大切にしている。

 アジアにいるという心地よさの一方で感じたのは、ステレオタイプでないアジアの多様さだった。そしていま、日本で原稿を書いているうちに、またあの空気を感じたくなる。余裕のない毎日の中にいると、あんなに近くに感じていたひとたちが遠くなっていくように思われてならないのだ。ファミリーにもらったブルネイの民族衣装、至る所で撮りまっくった写真の数々は、私がそこにいたこと、その物的証拠のはず。船が港を出るとき、涙は出なかった。だって、またいつでも会えるように思ったから。きっとまた来ると思った。手紙も書けないほど余裕のない生活のことなんて、すっかり忘れていた。
 
 船はブルネイからインドネシアへと向かう。

(つづく)


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