SVA東京市民ネットワークNEWS LETTER「里程標」第5号

海から繋がるASIA

「東南アジア青年の船」に参加して

滝沢直子

第1回

 不安がなかった訳ではなかった。“船”なんて、せいぜいフェリーで瀬戸内海を渡ったとか、東京湾をクルーズしたとか、東南アジアで手漕ぎの小舟に乗ったりとか、その程度しか経験がなかった。だから太平洋の上で約1ヶ月半もの間過ごすなんて、現実的に想像することはとうてい出来なかったのだけど・・・
 1995年9月28日、私は東京・晴海埠頭に停泊する大型客船「にっぽんまる」の中にいた。その期間だけ「東南アジア青年の船」と名付けられた船は、これから日本人青年(なんだかレトロなひびき・)42人(だったと思う)を乗せて、太平洋を航り、ブルネイへ向かおうとしているのだ。いつもなら海外へ出かけるときは、すごく気分が高揚する私も、今回は何だかいつもと違う。家族や親しい友人が見送りに来てくれて、ひととおり船を案内した後は、向こうは陸に戻り、私は岸を離れてゆく。たくさんの見送りの人たちの中からやっと彼らを見付けたと思ったら、もう船は動き始めていた。意外なほどのスピードで岸との間隔が広がっていくのと同時に、手を振る彼らがどんどん小さくなっていく。こういうのを感傷というのだろうか。
 船から眺める昼間の東京はやっぱり都会で、レインボーブリッジや東京タワーをバックに他の参加者たちと写真を取り合い、しばらくの間心地よい風に吹かれ、目を細め、そしてやがて船の中へと戻っていく。
 キャビン(客室)は3人部屋になっている。2段ベッドが1つと反対側に1つのベッド、クローゼット、チェスト、それに小さなシャワールーム。一人暮らしのワンルームくらいの大きさなので、3人で暮らすには決して広いとは言えないけれど、(絶対に開くことはない)出窓から、揺れる海面を眺めるのはなかなかいい感じだし、何よりブルネイにつくまでの数日間を共に過ごすルームメイトたちが気が合いそうなので、私はすっかり気をよくしていた。
 それに、船の揺れは恐れていたのとは違い、ほとんど気にならない程度である。出航の30分前から船酔いの薬を飲んで、今か今かとドキドキしていたが、何てことはなさそうだ。

(つづく)


「東南アジア青年の船」?

 総務庁の行う青少年国際交流事業の一つで、アセアン各国と日本との間の共同声明に基づき、昭和49年度から始まりました。
 アセアン6カ国(ブルネイ、インドネシア、シンガポール、タイ、マレーシア、フィリピン)の青年約270名と日本人青年約45名が、約1ヶ月半の間船内で共同生活をしながらアセアン各国及び日本を訪問する、というのがプログラムの概要です。
 船内では、総務庁の決めたプログラムに基づいて、ディスカッション、クラブ活動、各国紹介、パーティーなどが行われます。また各寄港地では2泊3日程度のホームステイが体験できるほか、施設見学、地元青年との交流などが組み込まれています。
 昨年9月末から11月末にかけて行われた第22回プログラムでは、昨年7月にアセアンに加盟したベトナムから、オブザーバーとして8名の参加がありました。今年の第23回ではベトナムも正式にこのプログラムに参加する予定で、寄港地にもベトナムが新たに加わることになりそうです。


第2回里程標内容SVA東京市民ネットワーク