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My Neighbors The Yamadas

2018/04/06 更新
 


悼 高畑勲氏 逝去

2018年4月6日付の報道によりますと、高畑勲氏が東京都内の病院で逝去されました。82歳でした。
高畑勲氏は東大卒業後の東映動画(現・東映アニメーション)に入社、そこで宮崎駿氏と出会い、アニメ制作会社を移籍しながら、1970年代には世界名作劇場『アルプスの少女ハイジ』『母をたずねて三千里』『赤毛のアン』などを生み出しました。1985年にはスタジオジブリの設立に参加、多くの作品の監督やプロデューサーを務め、『火垂るの墓』『おもひでぽろぽろ』『平成狸合戦ぽんぽこ』『ホーホケキョとなりの山田くん』『かぐや姫の物語』などの作品を世界に送り届けてきました。東小金井村塾も主催し、若手演出家を養成するための活動も行っていました。
通夜、葬儀は近日中に営まれるとのことです。

高畑勲監督の思い出
子供の頃、世界名作劇場の『母をたずねて三千里』が好きでした。再放送だったと思いますが、幾つかのシーンが強烈に印象に残っていて、当時の記憶とともに甦ってきます。地球儀を回して、ここからここまで旅をしたのか、とか確認しながら見ていました。地理が大好きで、世界地理の本の表紙がもげるまで愛読し、世界地図を空で描いて得意がっていた小学生でしたが、地理好きになるきっかけが『母をたずねて三千里』であったことは間違いありません。
高畑勲氏が『母をたずねて三千里』の監督を務められていたことを知ったのは、ずっと後のことです。さらにそのずっと後、DVDを借りてあらためて見直した時がまた衝撃で、高畑勲氏の演出力のすごさに打ちのめされた記憶があります。(ありきたり過ぎてアレですが、第40話「かがやくイタリアの星一つ」は自分の中では最高峰だと思っています。)いつか子供にも見て欲しいと思っているシリーズです。
『ホーホケキョ なりの山田くん』は、興行的には成功とは言えなかったかもしれませんが、お気に入りの作品の一つです。初日舞台挨拶での写真撮影も時に禁止されていなくて、今から思えば大らかな時代だったと思います。『かぐや姫の物語』も、アニメーション表現において、間違いなく歴史に残る作品になると思っています。そのラストシーンのような形で高畑勲氏が天国に召されていったのかと思うと、また見直したくなってきます。
高畑勲氏が100歳の時に新作が発表されたらいいな、と思っていました。構想中だった新作のラフコンテとか発見されないかな、とか空想してしまいます。
ご冥福をお祈りします。(2018/04/06)

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2000年10月13日、金曜ロードショーで「となりの山田くん」が放映されました。視聴率は9.9%でした。



●「となりの山田くん」基礎データ
(1999/07/09更新)
●あらすじの概要&解説
(1999/11/04更新)
●「となりの山田くん」試写会&トピック
(1999/09/12更新)
● 「となりの山田くん」公開初日レポート
(1999/07/18更新)
●「となりの山田くん」のテーマを考える
(1999/07/23更新)
●「となりの山田くん」の家族と時代性
(1999/07/29更新)
●日本の「家族」とは何か
(2000/10/20更新)
●原作漫画と「となりの山田くん」
(1999/07/12更新)
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