●青春とセーラー服の文化社会論・第1節
Culture of middy blouse and skirt in Japan

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 元来、セーラー服は水兵のユニフォームのことを指すのですが、私達の身近なところでは中学・高校の女子生徒が着用する学生服が真っ先に思い浮かべられます。特に日本においては、セーラー服=女子中高生の制服というイメージが強いです。

 セーラー服そのものは、別に女子中高生だけのものではありません。例えば、20歳の女子大生がセーラー服を着て悪いわけではありません。中には、セーラー服のよく似合う女子大生もいるでしょう。しかし、実際にその女子大生がセーラー服姿で大学のキャンパスを歩いたとすれば、非常に強い違和感を呼び起こすことは間違いありません。やはり、セーラー服は高校生まで、遅くとも18歳までしか着られない期間限定の制服として認知されているからです。


 
修学旅行でのひとコマ
(提供:古賀リエさん・中央)
 
 
 一般に、制服は警官・看護婦・スチュワーデスなどの例に見られるように、その職務的役割を服装によって内外に示す機能を持っています。学生服の機能も、生徒の身分を内外に示すという意味で基本的には同じです。しかし、学生服以外の制服で、ある特定の年代だけにしか着用されないというものはありません。警官はもちろん、看護婦やスチュワーデスの制服も、別に着用するための年齢制限があるわけではありません。唯一、学生服だけが限られた数年の間しか着用されないという特徴を持っています。

 中学・高校で制服を着て過ごす時期は、そのまま思春期の時期と重なります。特に、青春時代の思い出は制服とともにあるといっても過言ではありません。小さな子供たちにとって、中学・高校の制服は間もなく自分にも訪れる青春を予感させる、あこがれの存在です。現役の中・高生にとっては、まさに現在進行形の青春を制服とともに過ごします。卒業したら、制服はそれぞれの学園生活の回想と結びつき、追憶とともに思い出されるようになります。

 卒業アルバムの中の制服。修学旅行の思い出。文化祭、体育祭、音楽会。あの日、あの時、あの場所で起こったこと・・・。制服は、青春時代のいろいろな出来事とともに記憶され、それらの記憶とともに懐かしく思い出されます。

 ひろく愛唱されている『幼なじみ』の歌には、昔はよく一緒に遊んだ幼なじみがセーラー服の似合う年頃になって、ドキドキしてしまう場面が登場します。男性にとって、異性を恋の対象として意識しはじめた青春の目覚めは、常に制服のまぶしさとともにありました。初恋を歌った歌は数限りなくありますが、女性にとっても、恋の思い出の多くは制服の胸の内に刻み込まれているものです。

 松田聖子の『制服』や松任谷由美の『最後の春休み』にも、学園時代の回想と結びついた制服が歌われています。セーラー服を着るのは卒業式で最後なのね、もうこれからは、たまに電車の中で会っても、もう制服ではない、思い出だけしか呼び起こせないという切なさが胸を打ちます。

 ところで、学校の制服、すなわち学生服は、別にセーラー服だけに限りません。男子には詰め襟の学ランがありますし、いわゆるブレザータイプの制服は男女とも広く普及しています。しかし、学ランは応援団などで大学生になっても着用されますし、ブレザータイプの制服もしかりです。実際、制服のある一部の大学ではいずれもブレザータイプが採用されています。

 けれども、セーラー服を大学生以上が着る機会はもうありません。セーラー服は、私立小学生など一部の例外を除けば、中学・高校の間しか着られない制服です。年齢でいえば13〜18歳までの少女にしか着られません。この認識が広まっているからこそ、女子大生がセーラー服を着ると、たとえどんなに似合うとしても違和感を引き起こしてしまうのです。すなわち、セーラー服はもともと期間限定的な学生服の中でも、着用可能な年齢が最も限定された特徴をもつ制服であると言えます。

 その限定的性格ゆえ、セーラー服は学生服を代表する存在になり得ます。それは、中学・高校時代の思い出と象徴的に結びつきます。セーラー服は、現役の生徒はもちろん、あらゆる人々にとって青春時代のシンボル的存在なのです。
ポイント

●セーラー服は、もともと海軍の水兵服であるが、日本では女子生徒の制服というイメージが強い。

●制服としてのセーラー服は、非常に限られた期間しか着ることが出来ない。

●その期間は、いわゆる思春期と一致し、青春時代の記憶にそのまま重なる。

●よって、セーラー服は青春時代の象徴としてのイメージが定着している。
 






 セーラー服の歴史は、1628年にイギリス海軍で初めてセーラー服と呼ばれるものが登場した頃にまでさかのぼります。現代にも通じるセーラー服は、1857年にイギリス海軍が水兵服として制定したデザインであるとされ、そのデザインは各国の海軍でも採り入れられました。日本でも、1872年の海軍服制によって水火夫の常服として定められて以来、今日の海上自衛隊に至るまで採用されています。(1)

 水兵服以外でセーラー服が本格的に取り入れられたのは、18世紀末のイギリス海軍幼年学校であるとされています。しかし、海軍好きのイギリス人は、その頃までにはセーラー服を好んで子供にも着せるようになったので、子供の普段着としても広く着用されるようになりました。この流れは、19世紀から20世紀にかけてヨーロッパ諸国やアメリカ合衆国へも広まっていくことになります。なお、各国とも、男子は下が半ズボン、女子にはスカートが組み合わされていました。(2)

 とはいえ、最もセーラー服が流行したのは、やはり発祥の地であるイギリスでした。その頃にイギリスで出版された青少年向けの本の挿絵の多くには、セーラー服姿の子供たちが描かれています。実際、それは当時の子供達の最も標準的な服装であり、海辺はもちろんのこと内陸部でも至る所で見ることが出来たといわれます。夏は白の、冬はネイビーブルーのセーラー服を着たイギリスの子供たちは、都会・田舎・本国・海外を問わず、世界中で見ることが出来ました。(3)

 このように、セーラー服が広がった時期は、イギリスが世界の海に君臨していた時期と一致していました。当時のイギリスは世界一の海軍国であり、水兵服としてのセーラー服も各国の海軍が倣っていました。また、普段着としてアレンジされた子供向けのセーラー服も、イギリスを中心に広まっていきました。それは、海軍力によって世界中に植民地を築いて繁栄したイギリスの国力を反映するものでもありました。

 第二次世界大戦が終わり、各地の植民地が独立を果たしてイギリスの海軍力および支配力も低化すると、それとともにセーラー服の人気も低下していきました。けれども、日本においては、むしろ戦後に女子生徒の制服として大衆的な普及をみることになります。


日本における系譜
 さて、明治維新によって近代化の道を歩み始めた日本は、西洋から多くの技術・制度を取りいれようとしていました。同様に、教育制度も西洋を模範として整備されていきました。特に、学校教育は西洋の軍隊教育が模範とされたので、規律を重んじる関係から制服制度が導入されました。

 明治初期の学生は、昔ながらの着物に袴という服装でしたが、1879年に学習院が海軍士官の制服を元に紺色の立ち襟の上衣にズボンというスタイルを制服と定めました。これが、男子学生の最初の制服であると言われます。現在まで続いている黒地の詰め襟の制服、いわゆる学ランは、1884年に京都師範学校(現在の京都大学)が考案・採用したのが元祖とされています。以後、詰め襟は、男子学生の標準的な制服として全国に広がって行きました。(4)

 女子の制服は、1875年に開設された東京女子師範学校(現在のお茶の水女子大学)で最初に定められました。それは、紺と浅黄色の袴に校章入りのかんざしというものでした。しかし、当時は男子がつけるべきものとされた袴を女子がつけるのはあまり歓迎されず、10年後には「鹿鳴館スタイル」といわれるワンピース式に変更されました。(5)

 学生服としてのセーラー服が初めて登場したのは1921年のことでした。福岡女学院のエリザベス・リー校長が、体操の時にも動きやすいようにと、過去に自分が着ていたセーラー服をモデルにデザインしました。それは、セーラースタイルの衿を持つミディ・ブラウスにスカーフ、スカートを合わせた、現在にも通じるセーラー服の原型ともいうべきものでした。以後、セーラー服は都市の高等女学校を中心に採用され、全国的に女学生の制服として急速に広まっていきました。(6)

 第二次世界大戦の前後、セーラー服は一時下火になりました。戦争による制服統制により、上衣こそそのままでしたがスカートは紺がすりのもんぺにとって代わられました。敗戦直後、セーラー服は軍国主義と結びつけられて排斥する動きさえあったとも言われています。

 戦後の1947年、学校教育法が制定されて新制の六・三・三・四教育制度が定められました。最大の特徴は、義務教育年限を6年から9年に延長し、複雑に分岐していた小学校卒業後の学校体系を単一化して、3年の新制中学校制度が創出されたことでした。これは、教育の機会均等を徹底させ、小学校を卒業した男女すべての者が単一の学校制度のもとで学ぶという大衆的性格を備え、戦後の教育改革の理念をそのまま体現するものでした。(7)

 新制中学校の多くで、女子生徒の制服としてセーラー服が採用されました。それは、単に戦前からのセーラー服が復活したというだけではなく、大衆化した新制中学校と同様、セーラー服もまた大衆化することを意味しました。また、高等学校の多くでも同様に採用されたため、セーラー服に袖を通すことの出来る女子生徒の数は戦前と比べて飛躍的に増加し、ここに女子生徒の間でセーラー服は完全に定着することとなりました。

 1980年代以降、私立学校を中心にブレザースタイルの制服へのモデルチェンジが進み、セーラー服を採用する学校は減少しています。しかし、セーラー服は今なお制服の代名詞として大きな位置を占めています。


(1)『大衆文化辞典』432P
(2)(3)アリソン・リュリー 木村和枝訳『衣服の記号論』47P
(4)(5)(6)毎日新聞 新教育の森(石川彩,1999)を参照
(7)『新教育学大事典』 第6巻570P

ポイント

●セーラー服は、子供の普段着としても、男女を問わずイギリスを中心に広く着用されていた。

●日本では、女学校の制服として、大正時代にセーラー服が採り入れられた。

●セーラー服は戦前から普及していたが、戦後の新制中学・高校のもとで大衆化した。 

●近年、セーラー服を採用する学校は減少傾向にあるが、なお制服の代名詞としての位置を占める。
 






 日本において、セーラー服は一部の私立小学生を除けば、中学・高校の女子生徒だけが着用するものというイメージが確立しています。別に男子がセーラー服(+ズボン)を着ても悪くはないのですが、街頭でセーラー服の男子を見る機会はまずありません。普段着として男子・女子ともにセーラー服が着用されてきた歴史をもつ欧米各国とは異なり、日本ではもっぱら女子生徒の制服として普及・発展してきたからであると思われます。

 セーラー服の下はズボンでも良いし、否、本来はズボンなのですが、日本ではセーラー服とスカートはほとんどセットになっています。海上自衛隊で採用されているセーラー服は当然ズボンと組み合わされていますが、自衛隊の存在感が日本では非常に薄く、街中でセーラー服(+ズボン)の自衛隊員を見かけることは非常に少ないです。それが、ますますセーラー服=スカートとセット=女子生徒というイメージに拍車をかけているのかもしれません。

 セーラー服は、思春期世代の少女にとても良く似合います。欧米人の少女が日本のセーラー服を着てもイマイチしっくりこないのですが、それは、日本のセーラー服は日本の少女が着たときに最も似合うようにデザインされているからです。

 特に、セーラーカラーの上衣と組み合わされるひだスカート(ファッション用語でいうプリーツスカート)は、少女らしさを引き立てるシルエットを実に巧みに作り出します。ひだスカートは、よほど可愛らしさを引き立てる要素なのか、標準服と呼ばれる制服やブレザースタイルの制服のスカートにも受け継がれており、ひだスカートを採用しない女子の制服はないと言っても過言ではないほどです。これも、元をたどればセーラー服との組み合わせが非常にマッチしたからであると言うことが出来そうです。

 セーラー服は、上衣だけでも可愛らしさを醸し出します。戦争中の女学生はスカートの代わりにもんぺをはきましたが、セーラーカラーの上衣が懸命に女学生らしさを主張していました。また、下衣として組み合わされるひだスカートは、標準服やブレザータイプの制服にもよく合います。上下のセットはもちろん、別々にしても似合うというのは、セーラー服がいかに少女らしさを引き立てるデザインとして優れていたかを物語っています。

 セーラー服は、少女時代に特有の「可愛らしさ」を引き立てます。それゆえ、多くの少女が自分もセーラー服を着てみたいとあこがれます。例えば、○○高校のセーラー服を着てみたいとあこがれて受験する女子中学生は少なくありません。一般に、詰め襟の学生服が着たくて学校を選ぶ男子生徒は希な部類に入りますが、セーラー服を着たくて学校を選ぶ女子生徒は大勢います。

 あるブレザータイプの制服を着ている高校で、自分が着てみたい制服は何かというアンケートをとったところ、圧倒的な人気を得たのはセーラー服で、ダントツのトップでした。(1) セーラーカラーを出してカーディガンを着込むスタイルはしばしば羨望の的となりますし、中学・高校ともセーラー服に縁がなかった女性は、セーラー服に強い憧憬をもつそうです。(2) 多くの少女にとって、セーラー服はあこがれの的であり、実際に着るかどうかは別にしても、セーラー服は少女の間で一度は袖を通してみたい制服として支持されているようです。

 また、普段セーラー服を着ていない生徒が文化祭などの機会でセーラー服を着ると、いつもと違う「可愛らしさ」を発見し、普段よりも女学生らしい自分を意識して振る舞ったそうです。それは、「初めてセーラー服を着た私はとても嬉しかった。そして、その服を着ていると、歩くときも座るときも普段よりもずっと『女学生である自分』を自覚して行動することに気付いたのです。」と言わしめるほどの体験であったといいます。(4) 服装は意識と行動を規定するという機能もありますが、セーラー服はまさに女学生にふさわしい意識と行動を規定させます。それは、セーラー服が女学生としての「可愛らしさ」を表現する服装として受け止められているからであろうと思われます。

 もちろん、その「可愛らしさ」は在学中の限られた期間にしか適用されません。それゆえ、セーラー服は青春時代の「若さ」と「可能性」を表現する服装としても受け止められます。あるニュース番組で、キャスターから「この10年間で得たものは?」という質問をされた女性アナウンサーは、得たものとして「経験」を挙げました。そして「この10年間で失ったものは?」の質問には「セーラー服の似合う若さ」であると答えました。(5) ここで、わざわざセーラー服という枕詞がついたことが注目されます。すなわち、10年間と引き替えにして経験を積んだということであり、セーラー服が引き合いに出されたのは、それが経験と引き替えに失ってしまった「若さ」「可能性」を表現する服装として受け止められているからであろうと思われます。

 まとめると、セーラー服は単なる女子生徒の制服という枠組みにとどまらず、「可愛らしさ」や「若さ」「可能性」といった思春期特有のイメージ表現する代名詞的なシンボルとして社会的に位置づけられていると言うことが出来ます。



ワード98の広告



甲子園ポスター



甲子園ポスターの連貼り(新宿駅で)


 その意味を考察するための例として、ここではメディア上に登場するセーラー服、特に広告(コマーシャル)媒体で採用されるセーラー服に着目してみましょう。

 各種の広告には思春期世代の少女が頻繁に登場しますが、その多くは制服を着ており、しかも高い確率でセーラー服を着ていることに気付きます。さらに、その広告が清涼飲料やお菓子・ニキビの薬など、主に思春期世代をターゲットとした分野ならまだしも、セーラー服を登場させる必然性など少しもない電機・金融・運輸、はては強壮剤から日本茶・納豆にいたる業種の広告にかぎって、セーラー服をまとった少女を多く登場させているのは不思議な感じさえします。

 けれども、セーラー服には「可愛らしさ」のシンボルとしての意味が付与されていると解釈すれば、これをうまく説明することが出来ます。要するに、商品の宣伝に花を添えるには「可愛らしさ」を演出するセーラー服が手っ取り早いのです。セーラー服を着た少女の可憐な「可愛らしさ」で注意をひき、商品のイメージとリンクさせて購入意欲を刺激させようと目論んでいるわけです。興味深いことに、その影響は外資系の企業にまで及んでいます。(=写真左) はっきりいってワープロソフトとセーラー服の女子高生とは何の脈略もありませんが、両者を組み合わせることによってワープロソフトのイメージと認知度が高まり、購買行動に結びつくことを期待しているのでしょう。

 ある電機メーカーは、毎年夏になると高校野球の応援ポスターを作ってキャンペーンを展開しますが(=写真中・右)、ポスターに登場するのは決まって女子高生です。さらに、歴代の女子高生の多くはセーラー服を着て登場しています。今年のモデルも、撮影段階ではセーラー服以外の制服でも撮影していたのに、実際にポスターになったのはセーラー服の方だけだったそうです。(6) そもそも、なぜ高校野球の応援ポスターに球児ではなく女子高生が、それもセーラー服を着た女子高生が登場しなければならないか不思議に思えなくもありません。

 けれども、セーラー服には「若さ」「可能性」のシンボルとしての意味も付与されていると解釈すれば、これをうまく説明することが出来ます。高校野球は、まさに「若さ」と「可能性」そのものだからです。高校球児を登場させるよりも、セーラー服の女子高生をモデルにした方が、高校野球を応援するというテーマにぴったりくるのです。だからこそ、この応援ポスターはすっかり定着し、長年にわたって同じパターンで続いているのでしょう。

 このように、セーラー服は単なる女子生徒の制服という意味合いを超えて、「可愛らしさ」を演出し「若さ」「可能性」といった思春期特有の様々なイメージと結びついていることが分かります。それは、特に日本において、セーラー服は思春期世代の少女によく似合う普遍的なデザイン性をもち、それが代名詞的なシンボルとして社会的に位置づけられる特性をも兼ね備えていたからだということが出来ると思います。


(1)金子さとみ『高校生活ってなんだ』高文研,1990 P73より 
このアンケートでは1位のセーラー服には46%の支持が集まり、2位のブレザースタイルの29%を大きく引き離しました。
(2)石川 彩記者談。1999年3月13日毎日新聞記事より
(3)酒井順子『ど制服』朝日新聞社,1999 P49より
(4)1999年1月4日テレビ朝日ニュースステーションより
(5)『CM NOW』玄光社,1999夏号より

ポイント

●日本のセーラー服は、日本の思春期世代の少女に最もよく似合うようにデザインされている。

●そのデザインは「可愛らしさ」を引き立たせる。少女自身も可愛いと思う。着たいと思う。実際に似合う。

●セーラー服は、「若さ」「可能性」というイメージとも結びつけられる。

●それゆえ、セーラー服は「可愛らしさ」や「若さ」「可能性」の代名詞的なシンボルとして社会的に位置づけられる。
 






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