ウエストワールド ★★☆
(Westworld)

1973 US
監督:マイケル・クライトン
出演:ユル・ブリナー、リチャード・ベンジャミン、ジェームズ・ブローリン、ビクトリア・ショー



<一口プロット解説>
リチャード・ベンジャミンとジェームズ・ブローリンは、新しく開業したコンピュータによって管理されるアミューズメントパークに出かけるが、突然コンピュータが制御不能になり、アトラクションの1つであるロボットガンマンのユル・ブリナーに執拗に追いかけられることになる。
<雷小僧のコメント>
言うまでもなく、あの「ジュラシック・パーク」等のベストセラー作家マイケル・クライトンが監督したSF映画ですね。クライトンは、70年代にいくつか映画の監督をしていて、「ウエストワールド」の他にも「コーマ」(1978)、「大列車強盗」(1979)、「ルッカー」(1981)等があります。殊に「コーマ」はロビン・クックが原作とあって、この医者あがりの二人の作家のコンビは強力でした。私目は、クライトンとクックの小説が出ると必ず読むことにしていて、たとえば「ジュラシック・パーク」(1993)にしろ「ロストワールド」(1997)にしろ映画よりも先に原作を読んでしまっていて、映画を見た時にはどうも今一のような気がしたものです。
さてこの「ウエストワールド」ですが、まずアイデアがなかなか斬新なのですね。以前別のレビューでも書いたのですが、1970年を過ぎるとSF映画というのは何やら管理社会批判的な側面が色濃く出てくるのですが、「ウエストワールド」にもその側面があります。但し、この映画は管理社会そのものではなく、コンピュータによってコントロールされているアミューズメントパークが突然制御不能になるというような、要するにテクノクラシー批判的な要素が強いと言えます。これは、たとえば先程挙げた「コーマ」や「ルッカー」或はクライトン自身が監督したわけではありませんが「ジュラシック・パーク」にも見られるテーマです。殊に「ジュラシック・パーク」は、舞台がアミューズメントパークなので、まずこの「ウエストワールド」の延長線上にあると言っても間違いのないところでしょう。しかしまあ私目はこの映画が公開された頃から映画というものを見始めたわけですが、今程アミューズメントパークが話題にはなっていなかったはずの70年代初頭では、この映画は実に斬新で奇抜なイメージを与えたものでした。
それから、前段でも述べたようにこの映画ではコンピュータによって制御されたアミューズメントパークが舞台になっています。私目があちらの映画を見て驚くのは、そんな頃にコンピュータがそれ程普及していたとは到底思えないような時代に製作された映画にコンピュータがさも当たり前のように登場してくることです。たとえば、先日スペンサー・トレイシーとキャサリン・ヘップバーンが主演していた「Desk Set」(1957)という映画を見たのですが、既にこの50年代も半ばの映画にコンピュータが登場します。それも飾りとしてではなくて、このコメディ映画の重要なアセットとして出てくるのですね。スペンサー・トレイシーはキャサリン・ヘップバーンの働く会社にコンピュータを導入しようとするのですが、ヘップバーン達はコンピュータの導入で自分達の職がなくなるのではないかと恐れてあれやこれやと邪魔をするというようなストーリーであり、早くも50年代の半ばにそういうことがトピックになっていたのです。また別のところでレビューした「浮気の計算書」(1962)では、競馬のシンジケートを操るウォルター・マッソーはユニバックを使って組織を牛耳っているのですね。翻って「ウエストワールド」について考えてみると、この映画が製作されたのは既に70年代も半ばなのですが、この頃私目は何をしていたかというと四則演算とせいぜい平方根くらいしかないかなり大き目の電子計算機(と言っていたような気がします。電卓というのには少し大きかった。)を親父が持ち帰ってきて、うーーーんすごいと感心していた頃であったように思います。勿論パソコンというものがまだなかった頃なので家庭内にはコンピュータが浸透していなかったとしても、この頃迄には企業レベルではコンピュータの普及はある程度進んでいたのかもしれません。けれども、映画自体のテーマとして扱うにはある程度の人口への膾炙が必要であるわけであり、当時ガキンチョであったということもあるのかもしれませんが私目には随分と斬新な映画であったように思います。まあ、「ジュラシック・パーク」のような映画が90年代になっても大受けしたことを考えてみれば、この時点で似たようなテーマを扱っていたこの「ウエストワールド」が当時斬新に思えたとしても何の不思議もないかもしれませんね。
ところでこの映画の見物の1つは、冷酷無比なロボットガンマンを演じるユル・ブリナーでしょう。コンピュータが正常に作動していた頃に撃ち殺された相手であるリチャード・ベンジャミンを執拗に追いかける様は(ロボットなので撃ち殺されても修理がきくのです)、私目がよく見る悪夢とそっくりです。きっと誰でもロボットブリナーのような悪漢に逃げても逃げても着実に追って来られるというような夢を見たことがあるのではないかと思いますが、まさにそのイメージがピッタリでしょう。また最後のシーンが凄い。火に焼かれて真っ黒の骨というか配線だけになりながら尚執拗にベンジャミンを追いかけようとする根性は並大抵のものではないでしょう。きっとターミネーターシリーズはこの映画からインスピレーションを得たのではないでしょうか。対するリチャード・ベンジャミンは、どちらかというとパンチ力に欠ける俳優さんなので、余計にブリナーのカリスマ性が際立っているように思います。というわけで、この映画が製作されて早くも四半世紀が過ぎたのかという印象があるのですが、今見ても或はコンピュータが家庭内にも浸透した今見てこそ非常に面白く且つコワイ映画なのではないでしょうか。バーチャル何とかと言うようなコンピュータによる疑似体験というテーマは90年代を過ぎると盛んになってくるわけですが、早くもここにその原型を見ることが出来ると言っても過言ではないでしょう。1つだけ難くせをつけさせて頂きますと、ところどころ論理的に矛盾した箇所が散見されますね。たとえば、ビジター同士で同士討ちをしないように体温を関知して人間に向けては発砲することが出来ないように銃に細工をしてあるのならば、ロボットが持っている銃に関してはそのような細工がされていないというのは可笑しな話ではないでしょうか。すなわち、ユル・ブリナーがジェームズ・ブローリンを撃ち殺すことは出来ないのでは?それとも、ロボットと同じように銃のメカニズムまで狂ったということなのでしょうか?また、中世の館で剣を持ったビジター同士が果たし合いになったらどうなるのでしょう?などと言っていると映画が楽しめなくなってしまいますのでこのくらいにしておきましょう。

2000/11/05 by 雷小僧
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