アメリカ上陸作戦 ★★☆
(The Russions Are Comming × 2)

1966 US
監督:ノーマン・ジュイソン
出演:カール・ライナー、アラン・アーキン、エバ・マリー・セイント、ブライアン・キース



<一口プロット解説>
アメリカ東部のある島にアラン・アーキン達の乗った潜水艦が座礁し島に上陸するが、島民は皆ロシアが攻め込んできたと思ってしまう。
<入間洋のコメント>
 「アメリカ上陸作戦」が製作された頃は、勿論東西冷戦たけなわではあったが、キューバミサイル危機とベトナム戦争の泥沼化という2つの大きな出来事に挟まれた谷間の時期でもあり、アメリカにとっては現実レベルでの1つの苦難が回避され次の苦難に見舞われる迄のいわば大嵐の間の小康状態とも言うべき時期でもあった。「アメリカ上陸作戦」は、そのような世相を反映してか、ソビエトの潜水艦が突如アメリカの漁村に出現し、潜水艦の乗組員と村人達が狭い島の中で対峙し合うという東西冷戦の縮図のようなストーリーが展開されるが、カール・ライナー、アラン・アーキンがそれぞれアメリカ側とソビエト側のメインキャラクターに扮しているということからも直ちに推察出来るように、コメディとして語られるところが妄想度の高いこの時期の他の作品、たとえば「影なき狙撃者」(1962)、「未知への飛行」(1964)、「博士の異常な愛情」(1964)などとは異なるところである。従って、「アメリカ上陸作戦」は、これらの偏執狂的な誇大妄想の産物とは趣がやや異なるが、それでもそのような題材がコメディとして扱われている事実そのものがこの時代の特異性を物語っている。

 では、「アメリカ上陸作戦」という作品が持つ時代的な特異性とは如何なるものであろうか。次にそれについて考察してみよう。この映画のラストシーンでは、あわや第三次世界大戦を勃発させるかという一触即発の危機状況の中で、ソビエトの潜水艦の乗組員と村人達が教会の屋根に宙吊りになった坊やを救出する為に、或いは座礁したソビエトの潜水艦がアメリカ空軍の牽制を逃れて外洋に脱出する為に一致協力する様が描かれている。ここには、冷戦などしていないで米ソ友好的に協力しようではないかというメッセージが子供でも分かる程ストレート且つあからさまに込められているが、しかしながら現在の目から見ればある種のナイーブさがそこには感ぜられると言う方が正しい。何故そのような印象があるかというと、キューバミサイル危機当時にあってすら、米ソが友好的に協力すべきであることは最初から子供でも分かっていたことであり、アメリカであろうがソビエトであろうが第三次世界大戦を自ら好んで始めたいと考えていたとすればそれでは子供の戦争ごっこと同じであり、現実には米ソの両方或いはそのどちらかに平和共存という概念が単純に欠けていたが故にそのような危機的なイベントが出来したわけではなかったはずだからである。つまり、そのようなイベントは、当事者のどちらも欲していなかったとしても、逃れられない状況の連鎖という陥穽に陥ることにより、第三者の介入がなければどうにも脱出出来ない袋小路に迷い込むことによっても発生し得るのであり、一度でもそのようなデッドロック状況が発生するとどちらも後へは引けなくなるのである。ミレニアムイアーに「13デイズ」(2000)という文字通りキューバミサイル危機の13日間を描いた素晴らしい作品があったが、ソビエト崩壊後10年近くを経て製作され、むしろドキュメンタリー的色彩の濃いこの作品においては、「米ソ友好的に協力しようではないか」などというようなメッセージがそこに織り込まれているわけでもなければ、そのようなメッセージが米ソ両当事者の間で確認共有されたが故にキューバ危機が回避されたなどということが示唆されているわけでもない。これに対して、東西冷戦たけなわではあるがキューバミサイル危機という現実的な危機が過ぎ去った過渡期に製作された映画は、「博士の異常な愛情」や「未知への飛行」のような恐ろしく誇大妄想を膨らませた映画になるか、「アメリカ上陸作戦」のようにナイーブにも見えかねないメッセージを含む映画になるかのいずれかであった。殊に「アメリカ上陸作戦」という作品はコメディというジャンルに属する作品であるにも関わらず当時の時代状況が色濃く反映されている点がことさら興味深いことは前述した通りである。

 さて、前節で「逃れられない状況の連鎖という陥穽に陥ることにより、第三者の介入がなければどうにも脱出出来ない袋小路に迷い込む」と述べたが、「アメリカ上陸作戦」にはそのことが見事に示唆されているシーンがある。それは、ロシア潜水艦の艦長と、警察署長(ブライアン・キース)を始めとする村人達が、片や大砲を、片やライフル銃を構えて対峙するシーンであり、コメディであるにも関わらずこのシーンでは、一体結末はどうなるのかという手に汗握る緊張感がいやが上にも高まる。実を言えば、ロシアの艦長も村の警察署長も第三次世界大戦を始めたいなどとは思っていないにも関わらず、それまでの誤解的な状況(ロシアの潜水艦は好奇心旺盛な艦長がアメリカ見たさに岸に近付きすぎて誤って座礁しただけであるにも関わらず、村人達は皆ロシアが攻めてきたと思い込んでしまう)が好むと好まざるとに関わりなくそのようなシチュエーションを招来してしまう。それでは、何がその危機を救うかというと、そのようなシチュエーションとは全く関係のない一人の坊やである。象徴的なのは、この坊やは潜水艦の乗組員と村人達が対峙する様子を町の教会の鐘楼の上から見物していて屋根の庇にすべり落ちてしまうことである。すなわち、高みの見物をしゃれ込んでいたこの坊や只一人が、危機的な状況の当事者ではなく第三者的立場にあったことになる。この坊やを救助する為に潜水艦の乗組員と村人達が一致団結することにより、それまでの一触即発の危機状況が嘘のように解消されるが、子供の頃テレビでこのシーンを見た時には随分と都合が良いなと思ったことを覚えている。しかし、現在ではこのシーンは物事の本質が見事に浮き彫りにされたシーンであると見なしている。何故ならば、当事者の力のみでは解決出来ない八方塞がりなシチュエーションとは、えてして当事者とは全く関係のない第三者が介入するか、或いは全く関係のない事象が半ば偶発的に発生し問題の焦点がずれることにより簡単に解決され得ることがこのシーンによって明瞭に示されているからである。同じことは、日常生活にも当て嵌まる。たとえば、ある問題に関して対立する関係者同士の間で、意地と意地が衝突してどうにも解決出来ないような状況下にあって、当面の問題とは直接関係のない問題が発生すると、新たに発生した問題の方が以前の問題よりも大きかろうが小さかろうが、全てが良い方向に流れることがしばしばある。また、そのようなことを意識的或いは無意識的に心得ている人は、逆にそのようなトリックを巧妙に利用する。たとえば、実際にはどうでも良いと考えていることに強硬に反対し八方塞がりな状況を自ら作り出しておいて、自分が本当に重要だと考えていることをそのような状況下でさりげなく提示し、コトを自分の有利な方向に導こうとするようなトリックのことである。英語には「red herring」という言い方があるが、恐らく読者にも思いあたるフシがあるのではなかろうか。

 そのようなストーリー展開を持つ「アメリカ上陸作戦」を見ていると、映画の内容自体は大きく異なるが、個人的には何故か本書でも紹介予定のマンキーウイッツの傑作映画「探偵スルース」(1972)を思い出す。登場人物がたった二人しかいない「探偵スルース」においては、「アメリカ上陸作戦」と同様な状況が、誤解ではなく相手を屈服させようとする意図的なパワープレイを通じて発生する。しかし「アメリカ上陸作戦」では偶然のイベントによって最終的には危機的状況が回避されるのとは異なり、「探偵スルース」では最後にマイケル・ケイン演ずるマイロがローレンス・オリビエ演ずるアンドリューに銃で撃たれるという悲劇的な結末を迎える。米ソ二超大国による冷戦が何故危険かということが、図らずもこの「探偵スルース」という映画から透けて見えるが、それは単に互いが互いを屈服させようとするマイロとアンドリューのパワープレイが東西冷戦の縮図であるとするならば、「探偵スルース」の悲劇的な結末は東西冷戦の悲惨な結末の必然性をも予言するという意味においてのみでなく、登場人物が二人しかいない、すなわち調停者として介在する第三者が存在し得ないという状況から発生する純然たる帰結、すなわち当事者双方の誇大妄想の無際限な暴走を終結させることが出来るのは、文字通り当事者のどちらか或は双方が抹殺されることにおいてでしかないという恐るべき且つ実に単純な帰結が明瞭に示唆されているからでもある。

 話を「アメリカ上陸作戦」に戻すと、いずれにしてもこの作品は当時の米ソ超大国の対立が一見するとコメディとして戯画化されて描写されているようにも見えるが、くだんの平和共存メッセージなどあながちカリカチュアであるとは言い切れない側面があり、この映画を製作したスタッフだけが当時の時代風潮を免れ第三者的立場から当時の政治状況の客観的な戯画化を行うことが出来たと考えることには無理があることは言うまでもない。むしろこの映画そのものも妄想が妄想を呼んでいた当時の時代風潮の産物の1つであると捉える方が実情に適っている。すなわち、この作品自体が歴史の生き証人であるということである。

※当レビューは、「ITエンジニアの目で見た映画文化史」として一旦書籍化された内容により再更新した為、他の多くのレビューとは異なり「だ、である」調で書かれています。

2001/05/19 by 雷小僧
(2008/10/17 revised by Hiroshi Iruma)
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