青春物語 ★★☆
(Peyton Place)

1957 US
監督:マーク・ロブソン
出演:ラナ・ターナーホープ・ラング、ダイアン・バーシ、リー・フィリップス、アーサー・ケネディ



<一口プロット解説>
ペイトンプレイスという小さな町で発生するドラマを描く。
<雷小僧のコメント>
この「青春物語」という日本語タイトルは、あまり適当ではありませんね。恐らくこの頃のヒット作「愛情物語」(1956)を意識してつけられたのかもしれませんが、どうも若者達を描いたサーフィン映画或は森田健作的映画というような印象を与えてあまり好ましくないように思えます。確かに主要登場人物としてホープ・ラング、ダイアン・バーシ、ラス・タンブリンというような若者達が含まれてはいますが、この女流作家グレイス・メタリアスの小説に基いた映画の焦点は、若者達ではなくむしろ若者達を受け入れる側の大人達或は共同体そのものにあると考えられるからです。
他のレビューでも何回も書いているので繰返しになってしまうのですが、1950年代のドラマ映画というのは、この「青春物語」のように個人や家族のミクロレベルと、国家であるとか巨大企業であるとかのマクロレベルの中間レベルをなす共同体レベルにスポットライトが当たっていることが非常に多いということに注意する必要があるように思われます。たとえば比較的現在でも取り上げられる映画としては、ジョシュア・ローガンが監督してウイリアム・ホールデンが主演していた「ピクニック」(1956)が挙げられます。この映画は確かにウイリアム・ホールデンとキム・ノバクのラブ・ストーリーであることに間違いはないのですが、背景にはあのピクニックシーンに紛れもなく表れているように共同体的なテクスチャーが常に存在しているのですね。最後は、ノバクもその共同体から逃れてホールデンの後を追っていくので結局は個人主義的なストーリーではないかと思われるかもしれませんが、今日の映画ではその逃げ去るべき共同体そのものが最初から抜落ちているわけであって、この点において全然違うわけです。だからタイトルも「ピクニック」(原題も同様)であって、決してたとえば「ある愛の物語」ではないわけです。
さて「青春物語」に戻りますが、この映画が共同体レベルの映画であるということは、その舞台となるペイトンプレイス(これがこの映画の原題です)という地方の小さな町(実際はメーン州のカムデンという町で撮影されたようです)の様子からもすぐに分かります。この映画の99パーセントのシーンは、なにやら桃源郷のように小さくまとまって且つ美しいこの町の中で進行するのですが、いかにも周囲から隔絶された地方のある共同体が舞台であることが分かります。それから学校がこの映画の主要な舞台の1つとなっていることがあります。学校と言っても、昨今の映画のように個々の生徒達を個々に扱うのが目的なのではなくて、共同体の一結節点として学校が機能している様子が描写されているという意味においてであり、たとえばヒューマン先生対頭カチカチPTA(この図式は生徒個々が問題になっているわけではないように思えるかもしれませんが、発想的には実は非常に個人主義的なオリジンから発生していると考えてもよいように思います。尚、誤解を避ける為に付け加えておきますと、こういうあり方のどちらかが正しくどちらかが間違っているとここで言いたいわけでは全くありません)等というような学校が舞台になった昨今の映画やTVドラマにありがちな図式とは全く無縁なのですね。
こういうように小さくそして堅固に纏まった共同体という1つの閉じられたシステムに対して、唯一軍隊に若者達が徴兵されるという形とリー・フィリップス演じるハイスクールの先生が新任でやって来るという形でのみ、外界からの干渉があるに過ぎません。それから、そういう小さく自閉的に纏まった共同体の中にダイアン・バーシを始めとする若者達はだんだんと収まりきらなくなってしまう様子も描かれており、たとえばダイアン・バーシは、自分の母親ラナ・ターナーの告白から自分がいわば私生児であることを知って大都会のニューヨークへ去っていくし、ラス・タンブリンはパラシュート部隊に志願してまでもこの町から去っていくわけです。そういう外と内からの干渉及び変動に対して、共同体側が如何にその秩序安寧を保てるか或は保てないかが、この映画の一つの焦点になっているわけです。そのクライマックスは、自分の義理の父親に暴行されて最後にはアーサー・ケネディ演じるこの暴君を殺してしまうホープ・ラングの裁判シーンであり、町の人が総動員で出席するこの裁判は、ホープ・ラングが有罪であるか無罪であるかを決定する裁判であるというよりは、共同体としてこの事件をどう位置づけし取扱ったらいいのかという態度を決定する裁判であると言っても過言ではないと思います。この映画には実は「青春の旅情」(1961)という続編があり、ラナ・ターナーの役をエリノア・パーカー、ホープ・ラングの役をチューズデイ・ウエルド、ダイアン・バーシの役をキャロル・リンレイがそれぞれ演じています。この続編の方は駄作であると一般に言われているようですが、私目はそうは思っていなくて、こういう共同体的な態度決定のプロセスがこの続編ではより一層よく分かり、少なくともこの頃のドラマの焦点がどこにあったかをより明瞭に示しているという点においてはオリジナルの「青春物語」に優るとも劣らない映画であると考えています。
ということで、この「青春物語」という映画は、この頃のドラマというものがどういう性格を帯びていたかがよく分かる一遍だと言えるのですが、そういう点を除いたとしても今からでも見る価値は十分にあると思います。まず風景が兎に角美しいのですね。たとえば、同じアメリカでもロッキー山脈であるとかアリゾナ辺りの砂漠だとかいった人を寄せ付けない自然とは異なり、ペイトンプレイスという小さな町をまさに毛布のように包み込む自然の描写が実に素晴らしいと言えます。この映画がカラー撮影されていることはこの映画にとって大きなプラスでしょうね。それからフランツ・ワックスマンの音楽がこの風景とマッチして実にビューティフルです。最後に挙げなければならないのは、豪華なキャストがそれぞれ見事な演技を披露していることです。今まで挙げなかった名前として、ホープ・ラングのいつも困惑している母親を演じるベティ・フィールド、それから自らの名声やキャリアを捨ててまで最後の裁判で真相を語るロイド・ノーランを付け加えることが出来るでしょう。この映画からラナ・ターナーがアカデミー主演女優賞、アーサー・ケネディとラス・タンブリンが助演男優賞、ダイアン・バーシとホープ・ラングが助演女優賞にノミネートされているという事実からもそのあたりは分かると思います。また、最優秀作品賞、最優秀監督賞等にもノミネートされています。機会があれば是非一度は見て下さい。

2000/07/23 by 雷小僧
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