酒とバラの日々 ★★☆
(The Days of Wine and Roses)

1963 US
監督:ブレイク・エドワーズ
出演:ジャック・レモン、リー・レミック、チャールズ・ビックフォード、ジャック・クラグマン

左:リー・レミック、右:ジャック・レモン

ブレイク・エドワーズと言えば、ジュリー・アンドリュースの旦那であることは別としても、「ピンク・パンサー」シリーズ等のコメディで知られていることは言わずもがなです。しかし彼は何故か、「ティファニーで朝食を」(1961)の後、「ピンク・パンサー」シリーズを撮るまで2本のシリアスな映画を監督しています。どちらにも他のブレーク・エドワース作品には出演していない(と思います)リー・レミックがメインキャラクターの一人として登場しますが、一本は「追跡」(1962)というスリラーであり、もう一本がこの「酒とバラの日々」です。前者はまあそこそこのスリラー映画で確か最近リメイクが登場したのではないかと思いますが、どちらにしてもあまり知られた作品ではないのに対し、「酒とバラの日々」はヘンリー・マンシーニのオスカー主題歌のおかげも幾分あるでしょうが今日に至るまでポピュラーな作品であり見た人も多いのではないかと思われます。因みにマンシーニは既に「ティファニーで朝食を」の「ムーン・リバー」などで名声を博していたわけですが、後期の彼の作品に比べれば「酒とバラの日々」の主題歌はオスカーを受賞したとはいえまだ初期の作品かなという印象はあります。但し、彼独自のヘンリー・マンシーンall overというムードに充ちた曲であることは言うまでもないところであり、マンシーニファンには堪えられないでしょう。さて映画そのものに関してですが、この映画はアルコール中毒がテーマになっています。アル中映画と言えば、レイ・ミランドのオスカーパフォーマンスが光ったビリー・ワイルダーの「失われた週末」(1945)が一番手に挙がりますが、恐らく二番手はこの「酒とバラの日々」ということになるでしょう。しかしその「失われた週末」を含め他のアル中映画とこの作品には1つ大きな違いがあります。それは、「酒とバラの日々」では夫婦揃ってアル中になってしまう様子が描かれており、アル中という一種の病的状況が共生的な増幅作用によって加速的に進行していく様子が見事に捉えられている点です。従って実はこの映画の悲劇性は、アル中の進行によって人格が壊れていくところにメインのポイントがあるわけではなく、この共生的な関係を打ち破らない限りアル中地獄からは決して抜けられない、従って場合によってはその為にはアル中とは直接関係のないたとえば純粋な愛情などをも同時に切捨てなければならないという峻厳さが描かれている点にあります。後半、ジャック・レモン演ずるジョーは何とかアルコールという魔手から逃れることに成功するかに見えますが、リー・レミック演ずる奥さんへの憐憫という感情にほだされてついついまたアルコールに手を出さざるを得なくなるのですね。すなわち、アル中の克服とは単に個人の意志力の問題であるばかりではなく、この映画が描くような共生的な関係の中ではアル中には直接関係のない家族であるとか愛情であるとかそのような一切合財のものすべてがアル中という1つのベクトルの中に巻き込まれてしまい、アル中とはまるで関係のないところにも風穴を開けなければそこから逃れ去ることが出来なくなるというアル中の持つがん細胞のような浸透効果の恐ろしさが示唆されている点が極めて社会学的でもあり、またこの作品が他のアル中作品に勝る点でもあります。その意味では、この映画のラストシーンはこの作品のテーマが見事に凝縮されていると言えるでしょう。何故ならば、リー・レミック演ずる奥さんが一人で帰っていくラストシーンでは、ジャック・レモン演ずるジョーがアル中を克服する硬い意思を持っていることが示されているという点ではハッピーエンドでありながら、その決心はアル中を克服することが出来ない奥さんに対する愛情を全う出来ないことを同時に意味するが故に悲劇でもあるからです。つまり、アル中とは単なる個人の意思の問題のみに還元され得るものではないということが、このラストシーンでは見事に示されているということです。ジャック・レモン演ずるジョーはAlcoholics Anonymous(略してAAともいいます)という団体(実在の団体です)の助けを借りてアル中からの更正を図ろうとしますが、「愛しのシバよ帰れ」(1952)のレビューでも述べたように、AAの基本的な考え方は、自分はアルコールに関して無力であり自らの生活がそれによって破綻してしまったことを認めること、また自分自身よりも大きな力が自分達を元の正常な状態に戻すことが出来るということを信ずることであるそうです。つまり、自己破綻してしまったことを自ら受け入れ、また自分のみでは解決出来ない状況も同様な状況に置かれた人々との経験の共有や協調関係を通して解決可能であるという信念を抱く人々との一種の共生的関係を維持することによってアル中を克服しようというのがAAの主旨であることになります。要するにジャック・レモン演ずるジョーとリー・レミック演ずる奥さんの共生関係からはネガティブなフィードバックによりマイナス効果の核分裂のような増殖がもたらされる結果になったのに対し、AAが実践する共生関係とはポジティブなフィードバックによりマイナス効果をその干渉作用を通じて削減していくことがその目的であったと言えるでしょう。それから、この映画を見ていて目を惹いたシーンとして、リー・レミック演ずる奥さんが孤独を癒す為に酒を片手にいかにもどうでも良さそうなTV番組を見ているシーンが挙げられます。しかも一度だけではなく二度あります。アメリカではどうであったかは分かりませんが、60年代はテレビとはいわば一家団欒の象徴であったような記憶があり、年代を考えてみるとテレビに対するこのような扱いは例外的ではないかという印象があります。つまり70年代以後に突出するアトム化された個人というテーマが、リー・レミックがテレビを見ているシーンで極めて効果的に表現されていますが、孤独を表わす象徴的手段としてテレビという小道具が用いられている点が当時にあっては極めて新奇であったのではないかということです。まあ尤もテレビとは一家団欒の象徴であったからこそ、リー・レミック演ずる奥さんはそこに救済を求めようとしたということかもしれませんね。いずれにしても、「酒とバラの日々」はアル中のケーススタディ社会学とも言えそうな内容を持った作品であり、この点では最も優れたアル中映画だと言えるように思われます。1つだけ気になるのは、ジャック・レモンが、殊に前半はコメディでのジャック・レモンを連想させるようないかにもジャック・レモンというアドリブ的パフォーマンスに走ることで(また殺虫剤を撒きすぎてアパート中にゴキブリを蹴散らせ住民が怒って騒ぐシーンなどはコメディとしても傑作ですね)、それによってどうにもコメディ的な印象を与えてしまうところがあり、たとえば本来悲劇的なシーンであるはずの温室で彼が暴れまくるシーンもどこかコミックに見えてしまうことです。この映画でオスカーにノミネートされているとは言え、ジャック・レモンはこの映画に出演するまではほとんどコメディか或いはコメディではなくともコメディ的要素をどこかに有している映画にしか出演していなかったので(この映画の後は別ですが)、殊に当時のオーディエンスに対しては意外な印象を与えたはずです。まあ思い切った配役をしたものです。いずれにしても、主演のジャック・レモンも、監督のブレイク・エドワーズも、音楽担当のヘンリー・マンシーニも各々の分野で皆ライトな印象を与える人達ですが、その彼らが集まってアル中というヘビーでシリアスなテーマを持つ作品を製作したことはそれだけでも特筆に値するでしょう。


2006/07/16 by Hiroshi Iruma
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