愛しのシバよ帰れ ★★☆
(Come Back Little Sheba)

1952 US
監督:ダニエル・マン
出演:バート・ランカスター、シャーリー・ブース、テリー・ムーア、リチャード・ジャッケル

左:バート・ランカスター、右:シャーリー・ブース

アルコール中毒をテーマとした映画としては、有名どころでは「失われた週末」(1945)や「酒とバラの日々」(1962)等を思い出すことが出来ますが、「愛しのシバよ帰れ」もその範疇に入る映画です。しかしながら、この「愛しのシバよ帰れ」が前二者と異なるところは、「失われた週末」がレイ・ミランドの、「酒とバラの日々」がジャック・レモン(及びリー・レミック)のパフォーマンスに依拠したかなり演劇的な色彩の濃い作品であったのに対し、「愛しのシバよ帰れ」はより現実感のある作品であることです。確かに、ブロードウエイ俳優であったシャーリー・ブースが映画に初出演して見事にオスカーに輝いているとはいえ、シャーリー・ブースはバート・ランカスター演ずる旦那がアル中を克服しようとするのを傍で見守る奥さん役を演じているのであり、「失われた週末」でのレイ・ミランドのようにtour de forceアル中パフォーマンスでオスカーを受賞したというわけではありません。また先日買ったDVDバージョンの「ダイヤルMを廻せ!」(1954)の特典の中で、ピーター・ボグダノビッチが、「失われた週末」でのレイ・ミランドは確かにオスカーを受賞したけれども今から見るとやややり過ぎ(over the top)の感があると評しているように、レイ・ミランドのいかにもオスカー狙いのアル中パフォーマンスには現実感よりも演劇性の方が遥かに際立っているように見えるのに対し、髪はぼさぼさで小太りのシャーリー・ブースは、オーディエンスに現実味を感じさせるキャラクターを演じています。また、それ以上に驚きなのがアル中を克服しようとする旦那を演じているバート・ランカスターであり、当時はアクションスターのイメージ(但し今日のアクション映画と50年代初頭のアクション映画では質が全く異なるので、たとえばブルース・ウィリスやアーノルド・シュワルツネッガーと彼を比べても何の意味もありませんが)が強かったはずのバート・ランカスターには全く似合わない役を演じているように見えます。しかしながら、それがかえって結果的には良かったのかもしれません。というのも、レイ・ミランドやジャック・レモンが演技派であることを自ら任ずるような俳優さんであったのに対し、バート・ランカスターには特にそのような傾向があったわけではなく、必要以上の演劇性が前面に突出することがなかったからです。それが、バート・ランカスターとシャーリー・ブースという誰がどう見ても不似合いなカップルが、最初から最後まで見かけほど不自然には見えない、というよりもむしろ自然に見える要因であるとも考えられます。話は変わりますが、この作品の中で、バート・ランカスターはAA(Alcoholics Anonymous)という団体に入会します。これに類する団体は日本では聞いたことがありませんが(実際はあるのかもしれません)、勿論この組織はアメリカにある実在の団体であり、要するにアルコール中毒者の更正団体です。他の映画でも時折、多くのメンバーが集まる集会で「私は3年間アルコールには全く手を触れませんでした」などと発表するシーンや、アル中を病んでいた過去の自分がどのような状態にあったかを赤裸々に告白するシーンを見かけますが、あれがそうです。AAの基本的な考え方は、自分はアルコールに関して無力であり、自らの生活がその無力さによって破綻してしまった事実を真摯に認めること、また自分よりも大きな力が自分を元の正常な状態に戻してくれるであろうことを信ずること、であるそうです。後者には何やら宗教的な響きが聞き取れるかもしれませんが、その意味するところは、まず第一に自分自身のプライドを捨て去らない限り、アル中からの真の回復はあり得ないということです。また、自分がアルコール中毒患者であることを真に認識しない限り、禁酒を誓って実行していても、やがて様々な外的な理由により結局その誓いを破って再び同じサイクルを繰り返すことになり、いつまでもこの地獄の循環から抜けられないということです。何故ならば、飲酒の理由が自分自身の内にあるのではなく、何か外的な理由によると考えている間は、全ての責任は自分にではなく周囲の環境にあり、そのような誘惑環境に対して自分は必死に抵抗して勇敢にも禁酒という困難な努力を行っているのだと考えがちになるが故に、禁酒の期間が長くなればなる程、外的な誘惑に抗し切れなくなってしまうからです。この「愛しのシバよ帰れ」でも、そのような様子が見事に描かれていて、折角丸一年禁酒を続けAAの集会でも表彰された主人公も、ほんの些細なことで(下宿人のテリー・ムーア演ずる可愛らしい女子大生がプレイボーイと付合っているのが気に入らないのですね)、再びアルコールに手を出してしまうのです。「愛しのシバよ帰れ」のバート・ランカスターのごとく、ほんの些細なことで折角続けてきた禁酒の誓いを破ってしまうことについては、いやなことは酒を飲んで忘れたいなどというようなありきたりな説明では説明仕切れないメカニズムが存在するようにも思われますが、自分はアルコール中毒者であり、アルコールに手をつけざるを得ないのは周りの状況が自分をそうさせるからではなく、それが自分の持って生まれた「さが」である為であるのを全く自覚していないことにその大きな原因があることが、アルコール中毒に関するプロ集団AA(設立者の一人は自身元アル中であったそうです)の見解を見ていているとよく分かります。この映画の良さは、「失われた週末」や「酒とバラの日々」のような演劇的な仕方ではなく、かくしてより現実感のあるパースペクティブからアルコール中毒というテーマを見ている点にあります。最後に付け加えておくと、タイトルにある「愛しのシバ」とは、シャーリー・ブースがかつて飼っていていつのまにか失踪してしまった愛犬のことですが、この映画のテーマとは直接的には何の関係もないのですね。確かに旦那が最後にアル中の再発から立ち直った時に、その妻である彼女も自分の愛犬が失踪したことを事実として認める発言をするので、バート・ランカスターのアル中からの回復が今回はモノホンであることが、愛犬への言及によって象徴されている、つまり過去の自分との決別が象徴されていると考えられるかもしれません。なかなか面白いタイトルの付け方です。


2004/10/16 by 雷小僧
(2008/10/06 revised by Hiroshi Iruma)
ホーム:http://www.asahi-net.or.jp/~hj7h-tkhs/jap_actress.htm
メール::hj7h-tkhs@asahi-net.or.jp