ヴァイキング ★★☆
(The Vikings)

1958 US
監督:リチャード・フライシャー
出演:カーク・ダグラス、トニー・カーティス、アーネスト・ボーグナイン、ジャネット・リー
左:トニー・カーティス、右:カーク・ダグラス

食い意地の張った輩であれば「バイキング」と聞いただけで、パブロフの犬のごとくよだれものの気分になるのではないでしょうか。実は、この意味における「バイキング」という言い方は恐らく和製英語であるように思われ海外では通用しないはずです。それはさておき、ここで云う「ヴァイキング」とはヴァイキングであって、食い意地の張った輩がそれを聞いてよだれものの気分になる和製英語のバイキングでは勿論ありません。そこでこのレビューでは、この映画にも登場し活躍する北欧の海の民族について語る時はバイキングではなくヴァイキングと記すことにします。そのヴァイキングには、ひたすら野蛮で暴力的でしかない未開の海賊達というようなイメージが一般には流布しているかもしれませんが、実際に各地で簒奪を繰り広げていたという意味においてはそれが全く誤っているわけではなかったとしても、実は彼らはそれと同時に広大な地域における活動を通して一種の国際的なネットワークを形成する契機となり、従って歴史を動かす1つの大きなモーメンタムになっていたという点では単に野蛮人として切り捨てることの出来ない存在だったのですね。ヴァイキングによるイギリスやフランスの国土簒奪は、死蔵されていた教会財産等を広域的なネットワークに再還流させることになったが故にワールドシステムという見地に立てばプラス効果をもたらしたなどというような論旨の議論をどこかで見かけた記憶すらあります。さすがにそれは大袈裟な見解であったとしても、北の民族ヴァイキングの活動は、実は東はロシアからイスラム諸国にかけて、西は後述するように北アメリカ、南はシシリーなどの地中海地域まで及んでいたということは、荒正人氏の「ヴァイキング」(中公新書)に詳しく書かれています(因みに荒正人氏は文芸評論家ではないのかと思っていましたが、Wikipediaによれば北欧文学にも詳しいということで、このような本を書いたのでしょう、また英文学者の荒このみ氏は彼の娘であるということを初めて知りました)。まあそもそも1066年のヘースティングスの戦いによるノルマンコンケストは、遥か遠方の極東に位置する我ら日本の高校生ですら知らなければ落第当確である程世界史的にエポックメーキングな事件であったわけですね。その意味ではヴァイキングは、確かに海をベースとしたか陸をベースとしたかに関して相違があるとはいえ、モンゴルと似たような側面があったと云えるかもしれません。というのも、モンゴルも同様に、東は極東の中国、西はヨーロッパ、南はイスラムと多正面作戦を展開して周辺諸国を恐怖のどん底に陥れつつ領土拡張にこれ務めたと同時に、それによって形成された一大帝国が東と西を結ぶ巨大な1つのワールドシステムを形成したという意味では実は歴史的に1つの大きなエポックメーキングな役割を担っていたからです。モンゴルのこのような側面については、杉山正明氏の「モンゴル帝国の興亡(上・下)」(講談社現代新書)が実に分りやすく面白いので是非参照して下さい。ヴァイキングの話に戻りますが、前述したようにヴァイキングは実はコロンブスが発見するよりも500年も前に既にアメリカ大陸に到達していたことは近年ではそれらしき証拠も挙がり比較的よく知られるようになった話です(私めがガキンチョの頃はなかったと思いますが、最近では教科書にもそのような記述が記載されるようになったそうですね)。伝説では一番乗りはレイフ・エリクソンという名前の人だったそうです(そのような名前の俳優さんがいましたが、この英雄の名に肖ったのでしょうか?)。ヴァイキング達は、アイスランドを経てグリーンランドにまで植民していた時期がありましたが、実はグリーンランドまで行ってしまえば、バフィン島をはさんでアメリカ大陸が目と鼻の先にあることは、地球儀や世界地図(メルカトル図法では駄目かもしれませんが)を見れば一目瞭然であり、わざわざそこまでやって来てアメリカ大陸まで行かなかったとすればむしろその方が不思議であると云ってもそれ程大袈裟ではないように思われます。まあそもそもアメリカの原住民は、遥か大昔にベーリング海峡部分が陸続きであった頃アジアから渡って来たのであり、アメリカ大陸はコロンブスが初めて発見したという言説は単に西洋人の偏見に基いたものに過ぎないということは、現在では西洋人自身ですら余程の白人至上主義者でない限り認識していることでもありますが、その事実を除いたとしてもコロンブスは一番乗りではなかったということです。因みに更に付け加えておけば、実はコロンブスの出帆の数年前に嵐で西インド諸島までたまたま流され奇跡的に生還したある漁師だか水夫が既に存在し、コロンブスはその彼から既に情報を得ていたので西方へ向けての出帆に確信を持っていたのだというような噂話まであったようです。それが真実であればコロンブスは三重の意味において一番乗りではなかったことになりますが、噂話は無視するとしてもそれでは何故コロンブスの名声がそれによって少しも減退することがなかったのでしょうか。確かにヴァイキングの新大陸到達のケースにおいては、歴史的継続性が全くなかったという歴史学上の大きなマイナスポイントがありますが、いずれにせよ一番は一番です。恐らくは、その当時のヴァイキングはキリスト教徒化されておらず、映画でもカーク・ダグラス、トニー・カーティス、アーネスト・ボーグナイン達によって演じられるヴァイキング達によって何度もその名が唱えられるオーディンという異教の神を信ずる野蛮な異教徒であると見なされているが故に、その彼らによる発見は「doesn't count」とされているという面もあるのではないでしょうか。ヴァイキング達が徐々にキリスト教化されるにつれて歴史からその勇名が消されていくのであり、そのようなキリスト教による浄化作用が彼らの全盛時の偉業にも及ぼされているということでしょうか。いずれにしても、かくして世界を股にかけて活躍したヴァイキング達を描いたのがその名も「ヴァイキング」という作品です。この作品が製作された1950年代はご存知の通り大作歴史劇がエンターテインメント作品として数多く製作されていた時期であるとは云え、歴史劇とは云えどもたとえばローマ時代やエリザベス朝時代(つい最近も先代エリザベス女王を主人公とした作品が公開されていましたね)などの映画化の対象とされやすい時代がある一方で、ヴァイキングが活躍した中世に関してはファンタジー映画やウォルター・スコット原作のロマンス作品などの完全なるフィクション作品を除けばほとんど存在しないのが実情です。著名な作品としてはレコンキスタ時代のイベリア半島を舞台とした「エル・シド」(1961)が挙げられるくらいではないでしょうか。その意味でも「ヴァイキング」はなかなかに貴重な作品です。しかもこの作品が素晴らしいのは、ノルウェーのフィヨルドで現地ロケされ、リアルなビジュアルイメージが可能な限り追求されていることです。それにつけてもカラー撮影の名手ジャック・カーディフがフォトグラフィーを担当しているようであり、彼のカラー映像は折り紙つきです。またDVDの特典におけるリチャード・フライシャー自身の弁によれば、ヴァイキングの乗る船の建造などに関して時代考証がかなり正確に行なわれたそうであり、そのような点からもリアルさの追求が重視されていたことが理解できます。余談ですが、ヴァイキング達が船で凱旋帰国した時、水面と平行に固定されたいくつものオールの上をピョンピョンと飛び跳ねるシーンがありますが、これは史実だそうで、既に1000年近く一度も実践されていなかった習慣をここで再現するのは実に爽快であったとフライシャーは映像特典の中で語っています。その気持ちは良く分かるような気がしますね。いずれにせよ、折角ヴァイキングという題材が扱われながらもスタジオ撮影に終始すれば、他の冒険活劇と見た目にもそれ程変わらない結果に終わるであろうことは目に見えていますが、この作品では現地ロケ及び精密な時代考証により、いかにもヴァイキングが活躍した時代であるような雰囲気が巧みに醸成されており、「one of them」の平凡な作品に堕してしまう陥穽から免れています。とはいえ、ストーリー展開という見地から見た場合には、「腹黒い領主」、「裏切り」、「無理強いされた政略結婚」、「お姫様の監禁」、「ライバル間でのお姫様の奪合い」などのむしろ馴染みのロマンス的プロットが繰り広げられており、従って総体的には、ビジュアル面においてはリアリズムが確保されながらも、それと同時にナラティブ面においてはロマンスという伝統的な語りの要素に由来するエンターテインメント性が失われていないバランス感覚の良さがこの作品の最大の特徴として挙げられるでしょう。さすがは、リチャード・フライシャーと言うべきかもしれませんね。しかしながら、さすがに「ベン・ハー」(1959)や「エル・シド」のような大作エンターテインメントが意図されていたわけではなかったが為のご予算の都合の故からか、戦闘時などの戸外での群衆シーンにやや迫力を欠くところがあるのも確かです。それでも、同じ群衆シーンであっても、ヴァイキング達が戦勝を祝って飲み食いする屋内シーンなどは、逆に空間が最初から限定されていることもあってか雰囲気満点であり、それらしき迫真性に充ちているのはさすがと云うべきかもしれません。ところでかなり余談気味になりますが、この作品で語られるストーリーの前提の1つとして、地球が丸いことを知らなかったヴァイキング達は、霧に巻かれて世界の果ての絶壁に到達し、そこから奈落の底に落ちることを極度に恐れているということが挙げられ、そのことは冒頭のアニメーションによるイントロダクションでも強調されています。ただ個人的には、これには少々疑問があります。というのも、地球が丸いことを知らなければそもそもこの世に果てがあることなど認知上の問題にすらならなかったのではないかと考えられるからです。つまり地球が丸いことを知っているからこそ、この世が限られているという限界性に関する考え方が生じるのではないかということです。そのような考え方を持たないヴァイキング達が恐れることといえば、それは世界の果てに屹立する絶壁に到達することではなく、むしろどこにも到達しないことなのではないかという気が個人的にはしますね。目標の地になかなか到達せず不安に駆られて暴動寸前に至ったコロンブスの部下達の心理状況もこれと同様で、いつか世界の果てからこぼれ落ちてしまうことを恐れたというよりも行けども行けども結局はどこにも到達しないことを恐れたと見なす方が自然なのではないでしょうか(但しコロンブス自身に関して云えば、地球が丸いという信念を持っていたからこそアジアに達することを目的として西方に向けて旅立ったことになるわけですが)。昔の人々はこの世のどこかに絶壁があってそこから奈落の底に落ちると思い込んでいたなどと言われたりしますが、それは地球が丸いことを知った後世の人々の過去の人々に対する逆投影に過ぎないのではないかという気がしますが、さて、実際のところはどうなのでしょうか。まあ、実際には地球が丸いことは遥かいにしえのギリシア人には既に知られていたことは高校で習った通りであり、中世の神学ドグマがそのような明察を曇らせて人類史の中に大きな知の断絶を生じせしめてしまったということにもそもそもの問題があるのでしょう。少し脱線が長くなりましたが、前述した荒正人氏が著書「ヴァイキング」の中で興味深いことを述べているのでそれについて最後に引用しましょう。彼は「ヴァイキング的精神」という同書の最後の章で第二次大戦時におけるノルウェーすなわちヴァイキングの末裔達のエピソードを紹介し、「リューカン(ノルウェー南部の山間)の発電所では、ドイツが重水をつくり、原始爆弾の製造を始めようとしていた。それを探知し、爆破のために潜入したレジスタンス部隊の活躍は、スターリングラードの戦闘にも匹敵する劇的場面であった。かれらのなかに、ヴァイキングの精神が生きていなかったとはいえまい。」と述べています。実は私めが興味深いと思ったのは書かれている内容そのものについてではありません。そもそも書かれている内容自体はあまりにも主観的に過ぎる一般化であり、一般向けの新書ではなく専門家向けの学術書であれば恐らく書かれなかったであろうとも見なせます(そのような印象は「ヴァイキング的精神」という1つの章全体に関してありますが)。何故ならば、そのような例外的な英雄行為を挙げるのであれば、ヴァイキングの末裔ならずともどんな民族であれ最低でもいくつかの例を列挙することができるはずであり、またナチ支配下のノルウェーを同様に対象とするならば売国奴の意味で安物の英和辞典にすら「quisling」として一般名詞化され記載されている程悪名高いクヴィスリングのようなへつらい政治家もいたのであり、悪い例を捨象して良い例ばかりを抽出すれば都合のよい主張は様々に可能だからです。そうではなく興味深いと思ったのは、レジスタンスによるナチの重水工場破壊のストーリーに関しては先日レビューした「テレマークの要塞」(1965)によって取り上げられており、その中でレジスタンスに協力する主人公の科学者を演じていたのが、「ヴァイキング」でヴァイキングのリーダーを演じているカーク・ダグラスでもあるからです。すなわち、このあたりの符牒がなかなか興味深かったというわけです。どうやらカーク・ダグラスには、北欧的な精悍さがあるということなのでしょうね。彼はロシア人移民の子と聞いていたので、一瞬もしかすると彼は荒正人氏のいう4つのヴァイキングの進行ルートの内の1つ「東方ルート」によりロシアに進出したヴァイキング達の末裔なのではと思いましたが、Ephraim Katzの「The Film Encyclopedia」(HaperPerenial)をちょっと調べてみると「Russian Jewish peasant immigrants」とあるのでユダヤ系でした。それでも彼の精悍な顔付きからすれば、ヴァイキングの末裔と呼ばれても何の不思議もないのも確かなところでしょう。ということで、前述したようにロマンス系アクション歴史劇というナラティブ面でのエンターテインメント性と同時に、ビジュアル面でのリアルさも合わせ持ち、殊に主人公を演ずるカーク・ダグラスがピタリと役に嵌っているのがこの「ヴァイキング」という作品であり、テーマ的な希少性とも相俟って貴重な作品になっていると評価できるでしょう。また、音楽も雰囲気にあっていることを最後に付け加えておきましょう。尚、この作品はカーク・ダグラスが創設した独立プロダクションが製作に関与していますが、50年代を通じてのスタジオシステムの崩壊により、この頃から俳優が製作を兼ねるケースもボチボチ目立ち始めるようになりました。


2008/03/15 by Hiroshi Iruma
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