暴走機関車 ★★★
(Runaway Train)

1985 US
監督:アンドレイ・コンチャロフスキー
出演:ジョン・ボイト、エリック・ロバーツ、レベッカ・デモーネイ、ケネス・マクミラン

左:ジョン・ボイト、中:エリック・ロバーツ、右:レベッカ・デモーネイ

私目は鉄道ファンなので機関車が登場する映画はただそれだけの理由で気に入ってしまう傾向がありますが、この映画にはそれ以上の素晴らしさがあります。まず何と言っても、この映画に登場する機関車の重量感です。機関車程メカニカルな重量感を感じさせるオブジェクトは他にはあまりないと言ってもよく、たとえば単純な重量で言えば航空機や船舶より機関車など遥かに大きさも小さいし重量も軽いわけですが、重量感というのは重量とは全く違うのですね。すなわち重量感とは、人間の感覚に訴えかける重さのイメージということを意味するわけであり、その意味から言えば空を飛ぶ航空機のイメージは実際の重量とは関係なく飛翔する軽さのイメージがあるわけであり、また船舶はそのサイズに関係なく波浪に弄ばれる木の葉のイメージがあるわけです。これに対し大気や水面のような不安定な媒体ではなく地面という堅牢な足場を基盤として疾駆する機関車は、スピード感が増せば増す程重量感が際立つという、飛行機のイメージとはまさに反比例の関係にあるようなイメージがあるわけです。

このような機関車の現象学とでもいうべき特徴をうまく捉えた映画としてすぐに思い浮かぶのが、ジョン・フランケインハイマーの「大列車作戦」(1964)と、この原案・黒沢明、監督・アンドレイ・コンチャロフスキーの「暴走機関車」です。実を言うとこの作品は映画に対する興味が薄れていた80年代に劇場で見た数少ない映画の内の1本なのですが、その時も随分と迫力のある映画だなと感じたことを覚えています。その迫力とは、まさに機関車というメカが象徴するような重量感が、映画全体から伝わってくるということから由来するわけです。しかしながら、必ずしも機関車を登場させれば必然的に迫力がある映画になるかというと勿論そうではなく、映画全体の構成が機関車の持つ重量感を際立たせるような構成でなければ全く意味がないわけです。たとえば、アラスカを舞台としたほとんどモノトーンな画像が機関車の持つ重量感をより際立たせる(もしこの映画がカラフルなフロリダを舞台としていたならばコメディにしかならないでしょうね)というようにして、映画全体のトーンが統一されていなければ全くチグハグになってしまうわけです。そのような統一感の醸出がこの映画は実に巧みなのですね。

その点を明瞭にする為に、機関車が疾走するシーンがふんだんにある映画で「暴走機関車」とは対極にある映画を挙げてみましょう。それは70年代に製作された「大陸横断超特急」(1976)であり、基本的にはこの映画はジーン・ワイルダーが主演するコメディ映画です。「暴走機関車」に登場する機関車とは異なり、「大陸横断超特急」に登場する機関車は、機関車自体朱色に塗装されている上、客車の車体がジュラルミンであり、要するにイメージ自体が実に軽い印象を与えます。それは「大陸横断超特急」がコメディであるからであり、映画全体のトーンが重量感ではなく軽量感で統一されているが故に機関車自体のイメージもそれにマッチしたものとなっているからです。この傾向は、機関車が暴走してシカゴ中央駅に突っ込むラストシーンまで一貫して保たれていると言えるでしょう。このラストシーンは迫力があるとはいえども、やはりコメディの中の1シーンであり、乗り上げた機関車がシカゴ中央駅のコンコースに鎮座してジーン・ワイルダーに笑っているようだと言われてしまうのは、終始一貫してこの映画はライトウエイトなコメディだよと言っているようなものなのです。

ということで再び「暴走機関車」の戻りますが、「大陸横断超特急」におけるコメディ的な軽快感の統一性と良い対象をなすのが「暴走機関車」でのヘビードラマ的な重量感の統一性であり、その意味においてもこの作品の全体として一貫性のあるハンドリングは素晴らしく、それはジョン・ボイトが機関車の屋根に仁王立ち(ではないかな?)になって吹雪の中に消えていくラストシーンまで圧倒的なパワーを持って展開されるわけです。ところで、私目はどちらかというと会話主体の映画を好む傾向があるわけですが、その点に関していうとこの作品はそのような要望を充たすことが出来るような映画ではないのですね。というのも、ジョン・ボイトとエリック・ロバーツ演ずるメインキャラクターは、刑務所を脱走した無法者達であるという設定なので、彼らの交す会話というのはソフィスティケートされた会話などとは全くの対極にあるようなものであるからです。しかしこの映画に関してはそれは全く関係ないと言っても良いかもしれません。何故ならばこの作品は、会話を聞く必要性などそれ程ないと言っても構わない程に、ビジュアルな側面と疾走する機関車が生み出すサウンド等の自然音(機関車の音が自然音と言えるのかは良く分かりませんが、要するに人間の声以外の音という意味です)がストーリー展開の大きな要素を構成しているからです。しかしながら、勿論このことはこの映画にはヒューマンドラマがないという意味では決してなく、通常の会話を主体としたドラマ構成を通じてではなく、暴走する機関車の圧倒的な重量感を背景としてむしろ寡黙にヒューマンドラマが際立されるような構成になっているということです。この映画は現在でもしばしば見ますが、何度見ても、どのような結末になるかが分かっていても毎度毎度その素晴らしい緊張感と重量感に圧倒されます。

ということで80年代の映画の中で最も好きな映画の1つがこの「暴走機関車」です。会話主体の映画を好む私目がこのタイプの映画を好きな映画として挙げることは極めて稀ですが、この作品はまさにわざわざ取り上げるに値する作品であると言えます。最後に付け加えますと、「ゆりかごを揺らす手」(1992)でアンビバレントな印象を残しているレベッカ・デモーネイが出演していますが、彼女の青い目は実に印象的です。この作品では機関車助手という役どころなのでメイク自体そもそもあまり魅力のあるように見せないメイクになっているわけですが、やはり彼女の目は良いですね。最近余り見かけないのが寂しいところです。


2004/11/27 by 雷小僧
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