わたしは女優志願 ★☆☆
(I Ought to Be in Pictures)

1982 US
監督:ハーバート・ロス
出演:ウォルター・マッソー、ダイナ・マノフ、アン・マーグレット、ランス・ゲスト

左:ダイナ・マノフ、右:ウォルター・マッソー

ニール・サイモンものですが、彼の戯曲に基いた映画の中では最もエモーショナルなサイドに傾いた映画であると言っても良いでしょう。カリフォルニアに住む父親(ウォルター・マッソー)のところに16年間顔も見たこともなかった自分の娘が突如やって来るところから始まる父娘の感情的な相克がテーマの映画であり、いつものサイモンの社会風刺を含めた辛辣さよりもドラマ的側面の方が勝っている珍しい作品であると言えます。けれども全くいつものサイモン調が見られないかというとそういうわけでもなく、会話廻しの独特さは明らかに彼のものであるし、ウォルター・マッソーとダイナ・マノフの両キャラクター共にコミカルな側面を持ち合わせていて、随所にサイモン調の笑いを誘ってくれます。それにしても、この二人のパフォーマンスが素晴らしいですね。こういう言わば泣き笑いの演技は結構難しいはずで、この映画を見ていてもウォルター・マッソーという人はそのような難役もなんなくこなしてしまうのだなということ、及びワイルダーのような監督さんが彼を重宝した理由がよく分かるような気がします。それから他の映画ではあまり顔を見たことはないのですが、ダイナ・マノフもマッソーに劣らぬパフォーマンスを見せていて感心させられます。まあそのような主演二人の好演は別としても、サイモンものと言えども70年代80年代を過ぎると視点がこのような家族問題に移動してしまったのかなと思わせてくれる映画です。これに関して少し付け加えておきますと、勿論60年代70年代にも夫婦が主要登場人物であるようなサイモンものの作品はあります。けれども家族問題ということになると、親子が関係して始めてそうであると言えるのですね。すなわち夫婦というのはある意味で契約的な関係であり、それだけでは血の繋がりを意味しないからです。70年代は少し怪しくなってくるのですが60年代以前は親子関係というものはある意味で当為であったわけであり、あまり親子関係の当為そのものがテーマになることはなかったわけです。またたとえそれが問題になっていたとしてもそれは親子関係の当為そのものが問題になっていたわけではなく、むしろそれを前提としてその上での相克がテーマになっていたのにすぎないわけです。これに対して、70年代以降の映画にしばしば見られる親子関係の問題というものは、親子関係自体を一から形成し直す必要があるような種類の問題なのです。これにはこの映画の主演の一人であるダイナ・マノフも出演していた「普通の人々」(1980)のようなバリエーションもあって、夫婦関係の問題が親子関係の問題によって浮彫りになり家族が破綻分解してしまうというようなパターンもありました(そもそもそういう作品がアカデミー作品賞を取ること自体が時代の様相を見事に物語っていると言えるかもしれません)。核家族化さらにはその核すらの崩壊(マッソーは奥さんや娘と別れ、それぞれがもう一度(別の相手と)家族を形成することなく暮らしている)が70年代を過ぎると顕著化してくるわけですが、サイモンの戯曲もその流れと無縁では有り得ないということでしょう。まあサイモンものを見ていても時代の流れがよく分かるということでしょうか。尚、この映画でマッソーは自分の別れた奥さんのことをブランチと呼んでいるのですが、ご存知の方も多いと思いますがこれは同じサイモンものの傑作映画化「おかしな二人」(1968)のシチュエーションと同様なのでこの映画の後日談なのかなという気も一瞬するのですが、この映画ではマッソーはオスカーとは呼ばれていないようなのである程度意識はしていたとしてもこれはたまたまなのでしょうね。


2001/11/23 by 雷小僧
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