ピンク・パンサー2 ★☆☆
(The Return of the Pink Panther)

1975 UK
監督:ブレイク・エドワーズ
出演:ピーター・セラーズ、クリストファー・プラマー、ハーバート・ロム、キャサリン・シェル

左:ピーター・セラーズ、右:バート・クォーク

正直言えば実は私めは有名なピンク・パンサーシリーズのファンというわけではありません。というのも、このシリーズはほとんどスラップスティックに近いコメディだからであり、聴覚派の私めとしてはピーター・セラーズの基本的にはアクションによるギャグが最初から最後まで続くのはイマイチうーーん!という気がしてしまうからです。たとえば、この「ピンク・パンサー2」では、ケイトー(バート・クォーク)との例のスラップスティックなモック格闘シーンが3、4回程挿入されていますが(上掲画像参照)、1回で十分ではないかと言いたくなるのですね。セラーズのアクションギャグは、常にオーディエンスの期待するタイミングをわざとはずすことによって醸し出される可笑しさをベースとするギャグなので或る意味で断続的且つストップモーション的な印象を与え、言ってみれば本質的にはサイレント映画時代のギャグに近いのではないかという印象があります。と言いながら正直に告白するとサイレント映画などただの一本見たことはありませんが、感覚的にそうではないのかなと思わせるということです。さてさて、では何故この作品を取り上げたかと言うと、それはここ1年近くフランス語の勉強のために読み続けてきたヴィクトル・ユゴーの「レ・ミゼラブル」(日本語タイトルは「ああ無情」でしたっけ?)を読んでいてハタと気がついたことがあったからです。フランス語ペーパーバックで2巻2000ページくらいある大著で、有名な作品ながら最後まで読んだ人は必ずしも多くはないのでしょうね(私めはようやく最後の4分の1を残すところまで読み進んだところですが、この本のおかげでかなりフランス語の読解力が向上しました!)。ではこの「レ・ミゼラブル」とピンク・パンサーシリーズがどう関係するかというと、「レ・ミゼラブル」で執拗に主人公のジャン・バルジャンを追いかけるジャベール刑事の持つキャラクターがどうやらフランス人刑事の元型的イメージ或いは一種のステレオタイプになっていて、現代の小説や映画(殊にフランスから見れば外国にあたるイギリスやアメリカの作品)に出てくるフランス人刑事達は多かれ少なかれそのバリエーションなのではないかということに気がついたのです。ではジャベール刑事はどのようなキャラクターを持っているのでしょうか。現在までに読んだ部分から判断すると、彼はタフで情け容赦ないけれども実はそのような硬派的な外見は個人的なエゴに対する執着に由来するのでは決してなく、職務に忠実であり且つ徹底的に誠実であることから由来するのであり、いわゆる潔癖症的とも言えるような性格を持っています。要するに全く融通が効かない人物ではありながら、しかしその徹底的な誠実さ故に後光すらさすという複雑なキャラクター、いやむしろ二心を持つことが絶対にないという意味では徹底的に単純なキャラクターというイメージがそこには存在します。勿論ジャベール程ではなかったとしても、最近話題になった映画の中でも似たようなパーソナリティを持つフランス人警部が登場したのを皆さんも覚えているはずです。それは、「ダ・ヴィンチ・コード」(2006)でジャン・レノが演じているファシュ警部です。実は映画自体は早くもうろ覚えであり、もしかするとファシュ警部≒ジャベールという印象はダン・ブラウンの原作を読んだ時のものかもしれません。いずれにしてもFache警部とはフランス語のfacher(怒らせる、se facherで怒る)を連想させる名前であり、原作者のダン・ブラウンは明らかに故意にそのような名前を付けたのだろうと推測されます。しかしながら「ダ・ヴィンチ・コード」のファシュ警部は良いとして、謹厳実直なジャベール警部とピーター・セラーズ演ずるハチャメチャなクルーゾー警部(因みにクルーゾー警部はイギリス人のピーター・セラーズが演じていますが、名前からも分かるように勿論フランス人という設定です)では全くキャラクターが異なるではないかという疑問が湧くのは当然でしょう。しかし私めはそれでもクルーゾー警部は、ジャベールのパロディ的なバリエーションではないかとふと思いついたので実はこのレビューを書いているというわけです。まず黙って立っている時のピーター・セラーズ演ずるクルーゾー刑事を見ているとむしろ表情に乏しく、強面の俳優たとえばリノ・バンチュラのような雰囲気すら漂わせている時があります。リノ・バンチュラはイタリア出身ではあれどもフランス映画への出演が多く、ジャン・ギャバンなどとギャング映画などでいかにもタフな人物を演じていたはずですが(何故「はずですが」などといういい加減な表現になっているかと言うと、フランス映画は最近見ていないからですね)、私めの好きな70年代のホラー映画「The Medusa Touch」(1977)ではまさにジャベール的に謹厳実直でタフなフランス人警部をイギリス映画で演じていました。またクルーゾー警部も職務に忠実であろうとする点ではまさしくジャベール顔負けなのですね。むしろその職務への忠実さが次々と脱線を呼ぶが故にそこに可笑しさが生じるわけです。そもそももしクルーゾー警部が職務など適当にやっておけなどと考えているような怠慢な刑事だという前提があったとしたなら、彼のギャグは状況的に全く面白くなくなってしまうはずです。いい加減どころではなく本人はいたって真面目に職務を遂行しようとしているにも関わらず常に状況との齟齬からケッタイな結果を招来してしまうところがミソなのです。「ピンク・パンサー2」の冒頭などは典型的で、銀行強盗が背後で発生しているにも関わらず浮浪者を尋問することに熱中していてそれに全く気が付かないわけです。ピンク・パンサーシリーズは70年代後半に3本製作されていますが、70年代の代表的な刑事もの映画というと「フレンチ・コネクション」(1971)とダーティハリーシリーズがありますが、クルーゾー警部は彼とコンテンポラリーなポパイ刑事やダーティハリーよりは遥かにジャベールに近いというのが個人的な見解です。何故ならばポパイ刑事やダーティハリーは職務に忠実どころか常に一匹狼として行動して組織を無視しエゴの肥大度が無限大であるのに対し、クルーゾー警部とジャベールは警察組織に対しては常に忠実であろうとしているのであり(クルーゾー警部は上司のドレフュス警部(ハーバート・ロム)を別に馬鹿にしているわけではなく、むしろ彼の行動がいちいち気に入らない(何せクルーゾーに比べればかのフン族のアッティラですら赤十字のボランティアに過ぎないのですね)上司のドレフフュス警部の方が一人で勝手にトチ狂っていくわけです)、またクルーゾー警部の失敗はエゴの強さの故からではなく常に状況との齟齬から発生するのであり、ジャベールもクルーゾーも決してエゴが肥大化しているわけではなくむしろその反対であると言えます。またベクトルは全く逆であるとは言えども、傍から見ればジャベールもクルーゾー警部もエキセントリックという点では似通っています。但しこの点に関してはポパイ刑事やダーティハリーにも当て嵌まることであり、まあエキセントリックでない普通の人々が主人公として登場するのは1980年代まで待たなければならなかったということかもしれません。さてここまでは、ピンクパンサーシリーズ一般というかクルーゾー警部に関しての話がメインでしたが、最後に「ピンク・パンサー2」という個別の作品に関して付け加えておきます。実は特に意味があって他のシリーズ作品ではなくこの作品を選択したというわけではなく、ただ単にDVDでは現在のところこのタイトルしか所有していないからです。個人的にはハーバート・ロム演ずるドレフュス警部がトチ狂い過ぎてストーリーの本筋にまで大きな介入をするようになる70年代以後の作品よりも60年代の「暗闇でドッキリ」(1964)のような作品の方がどちらかというと好きですね(誤解のないように付け加えておくと独自なパーソナリティを持つハーバート・ロムという俳優さん自体は非常に気に入っています)。また「ピンク・パンサー2」は、有名な宝石泥棒が濡れ衣を着せられ実は犯人はギャルであったという展開と南欧が舞台(もしかしてアラブあたりの国という設定かもしれませんが雰囲気は南欧ですね)という点でややヒチコックの「泥棒成金」(1955)に似たところがあり、「レ・ミゼラブル」のジャベールのパロディに加えてヒチコックのパロディかという気さえします。因みに「泥棒成金」の原題は「To Catch a Thief」ですが、「ピンク・パンサー2」の中である人物が「Set a thief to catch a thief」というセリフを吐く箇所があり、もしかすると「毒をもって毒を制す」というような意味を持つそのような慣用的な表現があるのかもしれませんが、個人的にはこれは「泥棒成金」に言及してパロっているのではないかと勝手に思っています。


2007/01/13 by Hiroshi Iruma
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