ナバロンの要塞 ★★☆
(The Guns of Navarone)

1961 UK
監督:J・リー・トンプソン
出演:グレゴリー・ペック、アンソニー・クイン、デビッド・ニブン、スタンリー・ベイカー

左から:ジェームズ・ダーレン、ジア・スカラ、デビッド・ニブン、グレゴリー・ペック

アリステア・マクリーンの冒険小説の映画化で、第2次世界大戦中の地中海が舞台であるとはいえ、戦争映画というよりもどちらかと云えばアクション映画であるようにも見えます。その見方が正しいか否かについては、これから明確にします。難航不落の要塞を攻略するストーリーはマクリーンが得意とするところであり、同じくマクリーン原作の映画化「荒鷲の要塞」(1969)なども同工異曲の作品であると見なせるでしょう。但し、1960年代の初頭に公開された「ナバロンの要塞」には、1960年代も終わりに公開された「荒鷲の要塞」とは決定的に異なる点が1つあります。それは、いみじくも監督のJ・リー・トンプソン自身がDVDバージョンの音声解説で述べているように、「ナバロンの要塞」には「moral issue」すなわちモラル的な脚色がシナリオにふんだんに盛り込まれていて、ストーリーの進行が、単に敵であるドイツ軍との交戦シーンによってのみではなく、仲間同士の間でのモラル的対立を通しても脚色されている点です。たとえば、スタブロ(アンソニー・クイン)の奥さんの死に責任のあるマロリー(グレゴリー・ペック)は、ドイツ軍の要塞を破壊する目的を共有する点においてはスタブロと同士であっても、内面的には互いにモラル的な対立状況にあります。或いは、重症を負ったフランクリン(アンソニー・クエイル)にマロリーが意図的に偽情報を教え、彼がドイツ軍の捕虜になった場合には敵に偽情報を掴ませようとしたことを知ったミラー(デビッド・ニブン)が烈火の如く怒るシーン、女レジスタンス闘士アンナ(ジア・スカラ)が実はドイツ軍に内通していることが分かり、彼女の扱いを巡ってマロリーやミラー達が言い争うシーンなどにもモラル的な脚色が如実に見出せます。既にアリステア・マクリーンの原作に、そのようなモラル的な脚色が含まれていたか否かは原作を読んでいないので分かりませんが、いずれにせよ前述の通り、映画版の中ではそれが1つの大きなストーリー上のポイントとして組み込まれていることには間違いがありません。モラル的な色彩の濃い宗教映画が大流行していた50年代の風潮をいまだに残していた60年代初頭に公開された作品としては、モラル的な脚色が見受けられるのはむしろ当然のことなのです。「荒鷲の要塞」とストーリー内容にはそれ程大差があるとは思えないにも関わらず、見終わった後の印象として、両者の間には大きな違いがあることに気付くはずです。それは、「ナバロンの要塞」ではストーリー中に「生きるべきか死ぬべきか」に関わるモラル的な脚色がふんだんに散りばめられているのに対し、「荒鷲の要塞」ではそれが皆無であり、まるで現代のアクション映画のように主人公グループが敵をバッタバッタなぎ倒していく様が最初から最後まで描かれていることに起因するように思われます。とはいえ、たとえ今日のアクション映画を見慣れているとアクションシーンに物足りなさを覚えたとしても、「ナバロンの要塞」は、初期のボンド映画と共に現代的なアクション映画の萌芽的な原型を宿しているとも見なせるのです。というのも、確かにストーリー進行という面では、当時のモラル観に色濃く影響された脚色が加えられていたとしても、ひとたび戦闘シーンになると、ビジュアルに凝ったド派手なアクションが繰り広げられるからです。そもそも、「ナバロンの要塞」以前に戦争をアクション的に扱った戦争映画作品は、少なくとも個人的には思い浮かびません。それどころか、戦争映画以外のジャンルであっても、ギャング映画や冒険活劇或いは西部劇は遥か昔から存在していたとしても、「ナバロンの要塞」ほどピュアなアクションシーンが見られる作品はほとんど思い浮かびません。その意味では、「ナバロンの要塞」は、古い側面もあり新しい側面もある過渡的な作品であったと考えられます。言い換えると、ストーリー進行ではモラル的な脚色が施されたドラマが重視され、個々のシーンではビジュアル面が強調されるアクションが重視されるという二重構造を「ナバロンの要塞」は有しています。一方的にアクションが展開される現代のアクション映画は勿論のこと、1960年代の末に公開された「荒鷲の要塞」ですらそのような二重構造は持っておらず、それらの作品においては、アクションシーンを見せる目的でストーリーが語られ、ほとんどアクションシーンの傀儡としてしか機能していないストーリーにモラル的な価値観が刻印されることはないのです。或る意味で、アクションシーンとはビジュアルプレゼンテーションを優先させることを意味しますが、映画は本来ビジュアルなメディアであるとはいえども、「ナバロンの要塞」が公開されるまではアクションそのものが映画のプレゼンテーションの大きな要素を占め得るとはあまり考えられていなかったような印象を個人的には持っています。いずれにしても1960年代の10年間を通して考え方は大きく変わり、そのような変化の嚆矢となったのが「ナバロンの要塞」及びそれに続くボンドシリーズであったというのが小生自慢の説です。それが真ならば、現在ではハリウッドの専売特許のように見なされているアクション映画のルーツは、実はイギリス映画にあったということになり、なかなか興味深いものがあります。この点に関しては、「タイトル別に見る戦後30年間の米英映画の変遷」の「8.アクション映画のルーツはイギリス映画?《007は殺しの番号》」でも述べましたのでそちらもご参考下さい。ということで、結論的に云えば、「ナバロンの要塞」は純粋な「戦争映画」でもなく、また純粋な「アクション映画」でもなく、いわば「戦争アクション映画」とも呼べる混合ジャンルの最初の作品であると考えられます。「戦争映画」というジャンルには、モラルドラマ的側面が含まれるのが一般的であり、二重構造の一方の極としてモラル要素重視側面を持つが故に「ナバロンの要塞」は戦争映画であり、且つ二重構造の他方の極にモラル面とはかけ離れたピュアな戦闘シーンが展開されるアクション要素重視側面を持つが故に「ナバロンの要塞」はアクション映画であり、それと同時にその二側面が混合され「戦争アクション映画」でもあるのです。監督のJ・リー・トンプソンは70年代以後チャールズ・ブロンソンの専属監督のようになり、どうも???と思わざるを得ない作品が多くなりますが、「ナバロンの要塞」監督当時は最も油が乗っていた時期であり、彼の代表作の1つをここに見ることができます。


2004/06/20 by 雷小僧
(2008/10/15 revised by Hiroshi Iruma)
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