戦略大作戦 ★★☆
(Kelly's Heroes)

1970 US
監督:ブライアン・G・ハットン
出演:クリント・イーストウッド、テリー・サバラス、ドナルド・サザーランド、キャロル・オコナー

奥より:ドナルド・サザーランド、クリント・イーストウッド、テリー・サバラス

今回は、戦争映画の体裁を装った2本のブライアン・G・ハットン監督のアクション映画を取り挙げました。もう1本は、「荒鷲の要塞」です。「荒鷲の要塞」が極めてヨーロピアンな感覚に満ちているのとは対照的に、「戦略大作戦」は極めてアメリカンな感覚に満ちた作品です。ジャンル面では同類項であっても、片や極めてヨーロピアン、片や極めてアメリカンというように雰囲気の全く異なる二本の作品を矢継ぎばやに監督するとは、なかなかやるではないかと拍手を送りたくなりますが、ブライアン・G・ハットンのその他のフィルモグラフィーはということになると、エリザベス・テイラー主演の「ある愛のすべて」(1971)やフランク・シナトラ&フェイ・ダナウエイ主演の「First Deadly Sin」(1980)のようなソープオペラの凡作しか思い浮かばないのにはいささかがっかりさせられます。それはそれとして、「荒鷲の要塞」同様、「戦略大作戦」のストーリーは途方もなく非現実的です。何しろ、第二次世界大戦中のヨーロッパ戦線を舞台として、連合軍のいかれた連中が、敵の前線の背後に忍び込んで、銀行の大金庫に眠る金塊を奪取しようとするのです。クリント・イーストウッドを除く他のメインキャスト全員がヨーロッパ出身者であった「荒鷲の要塞」とは全く対照的に、「戦略大作戦」のキャストは専らアメリカの俳優さん達で占められています。しかも、クリント・イーストウッド、テリー・サバラス、ドナルド・サザーランド、キャロル・オコナーなど、いずれも極めてアメリカンなカラーの濃い俳優さん達ばかりです。そもそも、「戦略大作戦」のストーリーは、アメリカンジョークそのものであり、暗くシリアスな「荒鷲の要塞」と比べると余計に軽佻浮薄な明るいイメージが際立ちます。クリント・イーストウッド、テリー・サバラス、ドナルド・サザーランドの三人が、マカロニウエスタンよろしくドイツのタイガー戦車と向き合うシーン(上掲画像参照)はその際たるものですが、そのようなアメリカンジョークは、大小様々作品中のあちこちに無数に散りばめられています。というよりも、唯一地雷源のシーンを除けば、あとは戦争映画であるというよりもほとんどコメディ的ですらあります。ということで、「戦略大作戦」は同時期に同じブライアン・G・ハットンによって監督された「荒鷲の要塞」とペアで鑑賞すると、その対比によって興味が倍増すること請け合いです。尚、「ミニミニ大作戦」(1969)のレビューで、1970年前後の泥棒映画を見るにあたって、泥棒が最終的に成功するか否かに注目すると極めて興味深いと述べましたが、「戦略大作戦」も一種の泥棒映画であり、その意味では、文句無しに泥棒が成功する稀有の例であると見なせます。しかしながら、であるからといって、「戦略大作戦」を現代的にモラルが完全に捨象された作品であると考えるならば、それは早計でしょう。なぜならば、敵の前線の背後で行われた泥棒は、少なくともモラル的見地から見れば必ずしも泥棒とは見なせないのではないかと疑うべきだからです。作中のある登場人物が「敵の前線の背後での泥棒とは完全犯罪だ」と述べますが、その点に関連してこのセリフには極めて興味深いものがあります。というのも、一般に完全犯罪といえば、証拠を全く残さずに実行された現実的にはほとんど有り得ない犯罪を指しますが、敵の前線の背後で泥棒を働こうが泥棒の証拠は後にいくらでも残るはずであり、ドイツ軍には勿論のこと、連合軍にすら、泥棒の事実がばれて捕まれば処罰の対象になることは免れないはずだからです。従って、この登場人物の思考プロセスを分析すると、
1.敵の前線の背後で泥棒を働いても自身のモラル観に抵触することはない。
2.自身のモラル観に抵触しなければ少なくとも自分にとってはそれは犯罪ではない。
3.自分にとって犯罪でなければ、少なくとも自分にとって犯罪者として捕まることは有り得ない。
4.従って、それは完全犯罪である。
、とならざるを得ないはずです。ということで、総括すると、「戦略大作戦」は、エンターテインメント性に富んだ極めて愉快な娯楽映画であると評せます。


2003/11/29 by 雷小僧
(2008/11/12 revised by Hiroshi Iruma)
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