黒い絨毯 ★☆☆
(The Naked Jungle)

1954 US
監督:バイロン・ハスキン
出演:チャールトン・ヘストン、エリノア・パーカー、エイブラハム・ソファー、ウイリアム・コンラッド

左:チャールトン・ヘストン、右:エリノア・パーカー

以前から不思議に思っていたことの1つに、生命が豊穣に繁茂するジャングルは、同時に1つのカオス(混沌)でもあるのはこれいかにというものがありました。何故不思議であるかというと、通常は生命の存在には秩序(order)が前提とされるように思われるからです。すなわち、「宇宙の熱的死=混沌」とは全く逆のプロセスが、「生命=秩序」というプロセスなのではないかというイメージがあるからです。たとえば、家の中を掃除しないままにしておくと、だんだんだんだん家の中が乱雑になり、果ては確実に混沌状態に陥りますが、掃除をせずに家の中がどんどんどんどん片付いていったなどという無精者が泣いて喜ぶような展開には絶対にならないことは、熱力学第2法則を持ち出さなくとも経験的に誰でも知っているはずです(特に小生は、って何のこっちゃ?)。家の中が片付くのは、「生命=秩序」の具現者たる人間が掃除という行為を通じて自己の持つ秩序化能力を環境にも適用し、自己の周囲にある外的世界を半ば内的であると同時に半ば外的な世界として、すなわち自己の内的世界に呼応したものとして外界を再構成するからです。さすれば何故生命の権化ではずのジャングルは、かくも混沌としているのでしょうか。ここには、生命の持つ大きなアポリアが存在するように思われますが、「黒い絨毯」という映画を見ているとまたぞろこの疑問がムクムクと湧いてきます。後述するように、この作品のダイアローグは時に意図されてはいないはずにも関わらず笑いを誘うような代物が続出しますが、1つだけ感心させられたセリフがあって、それはチャールトン・ヘストンの吐く「The jungle is corrosive. It swallows up everything.(ジャングルは全てを腐食させ、全てを飲み込む)」というセリフです。何故豊穣な生命を育むジャングルが、同時に全てを腐食させるのでしょうか。そういえば荒俣博氏であったか、新宿の戸山にジャングルのような状態と化した区画があり、都会の中でさえ暫く放っておくとジャングルのごときカオスが知らず知らずと出現し周囲を侵食し始めるというような弁をどこかで述べていました。まさにその通りなのですね。ジャングルという生命力に満ちた摩訶不思議な存在は、同時に、生命が成就した最高の成果であると少なくとも人間様が信じ切っている人間文化を、こともなげに破壊してしまうことが可能です。この映画の主題はまさにそこにあると個人的には考えており、数限りない生命の集合たる軍隊蟻の大群すなわち黒い絨毯が、人間文化を含めたその他全ての生命を一瞬にして飲み込み尽くす様がこの映画には描かれているのです。見過ごされやすいけれども重要なポイントとして、チャールトン・ヘストン演ずる主人公は、ジャングルの真只中に農場を切り開くと同時に、周囲に住む未開民族を、文明化された生活が可能な段階までレベルアップさせたことを誇りに思っている点が挙げられます。すなわちこの作品では、「未開=混沌」から「文明=秩序」へのレベルアップという主人公が体現するベクトルに対して、それを嘲笑うかのように全てを混沌に戻してしまう軍隊蟻の行進が対置されており、皮肉なことにその軍隊蟻も実は生命そのものなのです。少しオーバーな言い方をすると、ここには底知れぬ生命の逆説が見え隠れしているとも見なせますが、むしろこのことを逆説であると捉えるのは人間だけかもしれませんね。このような見方でこの作品を見ていると哲学的思弁に誘われ、なかなか興味深いものがあります。難を云えば、どうもチャールトン・ヘストン演ずる主人公が、殊に前半はあまりにもコチコチに見え、時にダイアローグが恐ろしく場違いな印象があり、本来意図されていない笑いを誘う箇所がかなりあります。場違いと言えば、飾り立てたドレスを着てジャングルの真っ只中に現れるエリノア・パーカー演ずるメールオーダーブライド(メールオーダーブライドとはDVDのパッケージに記されているのでそのように書きましたが、映画中では「marriage by proxy」というような言い方がされているので、要するに第三者を仲介した結婚であって本人同士は全くこれまで一度も会ったことがないことが示されています)もこれ以上有り得ない程、場違いに見えます。が、まあこれについては、エリノア・パーカーとチャールトン・ヘストンの対比が前半のストーリー進行のポイントになっていることに鑑みて、大目に見ることにしましょう。製作ジョージ・パル、監督バイロン・ハスキンと云えば、「宇宙戦争」(1953)と全く同じコンビですが、人間が営々と築いてきた文化文明を、人間には理解不能な生命体が飲み尽くすという主題が扱われている点で、明らかに両者には共通点があります。実はひょっとすると彼らは揃ってマゾヒストだったなどということはないでしょうね?


2005/02/26 by 雷小僧
(2008/10/07 revised by Hiroshi Iruma)
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