探偵物語 ★★★
(Detective Story)

1951 US
監督:ウイリアム・ワイラー
出演:カーク・ダグラス、エリノア・パーカー、ウイリアム・ベンディックス、リー・グラント
左:カーク・ダグラス、右:ウイリアム・ベンディックス

誰でしょうか、「Detective Story」という原題を「探偵物語」という邦題に訳した人は。間違いなく映画を見ることなしにつけましたね。改めて指摘するまでもなくdetectiveという英単語には、探偵という意味と刑事という意味がありますが、この映画のカーク・ダグラス演ずる主人公は後者を演じています。それとも、1950年当時は刑事のことを日本語でも探偵と呼ぶことがあったのでしょうか?まあそんなことはないでしょうね。明らかに原題を付けた人は映画を見ずにその代わりに英和辞典をひいて一番最初に見つかった項目をこの作品の邦題にしてしまったようです。最近の映画の邦題もひどいけれども、昔もこういうとんでもない代物があったということです。半世紀以上が過ぎた今日でも日本ではこの映画はこの間違ったタイトルで言及されるわけであり、50年前にこの邦題をつけた人は今頃ことの重大さに打ち震えているかもしれませんね、草葉の陰からかもしれませんが。さて、実は私め「刑事(The Detective)」(1968)のレビューで(さすがにこちらはdetectiveを刑事と訳しています、当たり前か)、「探偵物語」という邦題をつけた御仁に負けず劣らずお気楽にも「ギャング映画や探偵映画は星の数ほどあれ、警察官(刑事)を主人公にした映画はそれ程なかったように思われます」などと書いていますが、実はフィルムノワール系の映画には時折「Bad Cop」すなわち堕落した刑事が主人公であるような作品が存在しました。「探偵物語」は必ずしもフィルムノワールに分類される作品ではありませんが、しかしやはりこの「Bad Cop」テーマの変奏曲が奏でられる作品の1つです。カーク・ダグラス演ずる主人公はむしろ通常の意味すなわち堕落したという意味での「Bad Cop」とは正反対であるにも関わらず、やはり彼が演じているのは「Bad Cop」なのですね。むしろ彼はあらゆる堕落が許せない刑事であり、全ての犯罪者を心の底から嫌悪していて、何しろすべての犯罪者を電気椅子に送って自分でそのスイッチを押したいなどと公言して憚らない程なのです。つまり彼は言わばモラル感の塊でありながら、実は彼の抱いているモラルとは全く個人的なモラルであり公共性が全くないモラルなのです。この映画が面白さは、カーク・ダグラス演ずるキャラクターが、一見すると正義感溢れしかも極めて効率的に仕事をこなすというように、現代のエリート社員の模範のような存在でありながら、実は彼自身と彼が嫌う犯罪者の差異がいったいどれくらいあるのかという点を、とある警察署のたった1日を描くことにより極めてクリアにオーディエンスの心の中に喚起する点にあります。舞台もほとんど警察署の事務所内から離れるところがなく、構成的にはほとんど舞台劇であると言っても大きな間違いはないでしょう。カーク・サグラス演ずる刑事を見ていると、1970年代に出現した一種のアンチヒーロー的刑事達、すなわち「フレンチ・コネクション」(1971)でのジーン・ハックマン演ずるポパイ刑事やクリント・イーストウッド演ずるダーティ・ハリーを髣髴させるところがあります。しかしながら、大袈裟な言い方をすると、これらの映画の背景には、刑事が行使するパワーの正当性とはいったいどこに存在するのかという大きな哲学的或いは政治哲学的問題が見え隠れしているのも事実です。別にこれは刑事でなくとも国家権力と言い換えても良いでしょう。ミシェル・フーコーであったか忘れましたが、現代の法の歴史は、いかにして偶然的な要因から法の正当性の寄って経つ基盤根拠を解放するかにその大きな目標があったと述べていますが(たとえばかつては征服者による征服という歴史的一回的な事実によって支配/被支配の関係を律する法の正当性が根拠付けられることがしばしばであったのですね)、この映画において何故カーク・ダグラス演ずる刑事の振舞いが彼自身は正義であると思っているにも関わらず、我々オーディエンスをも含めた他の誰もの目からも正義であるようには明らかに見えないかと言うと、勿論容疑者を殴ったり蹴ったりする粗暴性或いは全く情状酌量の余地を認めない冷酷さという彼の持つ非人間的なパーソナリティにも起因することは確かですが、それ以上に問題なのは彼が行使する暴力、冷酷さの拠って立つ根拠が彼が刑事であるという単なる私的な偶然性にしか依拠していないという点にもあります。つまり犯罪者に対する憎しみという個人的な感情が彼の行使する法の最大の根拠となっているのであり、それでは古代や中世の被征服者を騙すことは出来ても、意識的であるにしろ無意識的であるにしろ近代の法思想の感化を受けた現代人を騙すことは出来ないわけです。そのような点が明瞭に示されているのがこの作品であり、ワイラーの作品としてはマイナーな部類に入りますが、正直言って個人的には彼の代表作の1つである「ローマの休日」(1953)などよりも内容的には余程興味深いものがあります(勿論「ローマの休日」が駄作であると言っているわけではありませんので悪しからず)。付け加えておくと、サポート役にもなかなか興味深いものがあり、彼の妻を演ずるエリノア・パーカーはここではまあそこそこですが(因みにこの作品でオスカー主演女優賞にノミネートされています)、彼の相棒を演ずるウイリアム・ベンディックスと半分クレイジーな強盗を演ずるジョセフ・ワイズマン(後に007シリーズでスペクターの親玉を演ずることになります)が興味深いですね。またリー・グラントのデビュー作でもありオスカー(助演女優賞)にもノミネートされていますが、この直後に例の赤狩りのターゲットの一人としてブラックリストに載せられてしまうことになります。面白いことに(などと言ってはいけないのかもしれませんが)、リー・グラントがその犠牲者の一人であった赤狩りもまた、言わばこの映画のカーク・ダグラス演ずる刑事と同じように、一種の憎悪から生まれた私的な法を一方的にパブリックなドメインで通用させようとした例だと言えるでしょう。つまり「探偵物語」という映画には、1つの時代性が反映されていたとも言えるかもしれません。


2006/05/27 by Hiroshi Iruma
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