戦艦デファイアント号の反乱 ★★☆
(Damn the Defiant!)

1962 UK
監督:ルイス・ギルバート
出演:アレック・ギネス、ダーク・ボガード、アンソニー・クエイル、モーリス・デンハム

左:アレック・ギネス、右:ダーク・ボガード

かつてボードシュミレーションボードゲームが巷で流行していた頃、老舗アバロンヒル社から、帆船同士の戦闘の細かな戦術が巧妙に再現された「帆船の戦い」というボードゲームが販売されていました。蒸気船出現以後の海上戦闘とそれ以前の帆船同士の海上戦闘とでは、様相が全く異なり、前者が良くも悪くも砲撃力による叩き合いになるのに対し、後者においては風向、風力、潮流などの自然要因が船の動きに大きな影響を及ぼす為、考慮せねばならない要素は現代の海上戦闘よりも遥かに多岐に渡り、それを計算に入れて組み立てられた戦術は極めて複雑になりがちでした。そのような帆船の戦いを扱った映画ということになると実はそれ程多くはない、というよりも真にこれぞ帆船映画と呼べる作品はほとんど存在しないのが実情であり、確かに海賊映画などのアクション映画や歴史劇で帆船が登場することは少なからずあるとはいえ、アクションや史劇ジャンルにおいては、帆船そのものに焦点が置かれているとはとても言えず、帆船の戦術や帆船上の乗組員の生活などが微に入り細を穿って描かれることはまずありませんでした。そのような状況の中で、帆船映画と呼べそうな作品として、最近では「マスター・アンド・コマンダー」(2003)というピーター・ウイアーのなかなか良く出来た作品がようやく現れましたが、それ以前ということになると、ここに取り上げる「戦艦デファイアント号の叛乱」あたりまで溯らねばならないように思われます。両作品とも、ほぼ全篇に渡って帆船上に舞台が設定され、乗組員の「帆船ライフ」が映像から伝わってくる点では共通しており、実を云えば、「戦艦デファイアント号の叛乱」について思い起したのも「マスター・アンド・コマンダー」を見ながらのことです。但し、帆船の戦術という側面においては、両作品とも、アバロンヒル社の「帆船の戦い」によって再現されていたほどの緻密さはなく、殊に「戦艦デファイアント号の叛乱」に関して云えば、海上戦闘シーンは、同じルイス・ギルバートが監督した「ビスマルク号を撃沈せよ!」(1960)のイギリス艦隊とビスマルクの砲撃戦シーンとほとんど瓜二つであり、不満が大きく残らざるを得ないのが残念なところです。殊にギルバートの2監督作品の間で、砲撃音として全く同じ効果音が使用されているように思われ、「ビスマルク号を撃沈せよ!」を見たことがある人はどうしてもそちらのシーンが頭に浮かばざるを得ず、第二次世界大戦の超弩級戦艦同士の砲撃戦の音響効果と帆船同士の砲撃戦の音響効果が同一であるのにはさすがに興醒めです。しかしながら、音響効果については別としても、シミュレーションゲームと違って映画においてはテンポも重要であり、アクションを交えない戦術的な帆船の動きを長々と描写していたのでは、アバロンヒル社の「帆船の戦い」に血道を挙げるような一部の熱狂的な帆船戦闘ファン以外のオーディエンスは必ずや寝てしまうであろうことを考えれば或る意味で仕方がないかもしれません。ところで、60年代初頭に公開された「戦艦デファイアント号の叛乱」が最新作「マスター・アンド・コマンダー」と大きく異なるのが、後者が現代の作品であるだけにアクションに主眼が置かれているのに対し、前者では海戦というアクションシーンを背景としてむしろモラル的な観点に主眼が置かれていることです。タイトルが示す通り、「戦艦デファイアント号の叛乱」は帆船上で起きる叛乱(mutiny)が1つのテーマであり、その意味では「ケイン号の叛乱」(1954)など、舞台が軍艦上に設定される作品が持つ1つの傾向と軌を一にすると考えられます。また、「戦艦デファイアント号の叛乱」では、ヒューマンな船長(アレック・ギネス)とサディスティックな副長(ダーク・ボガード)との間のモラリスティックな反目に焦点があてられており、このような艦長と副長の間に発生するモラル的反目は、潜水艦映画を含めた海戦映画の伝統的なテーマでもありました。たとえば、「深く静かに潜航せよ」(1958)での艦長(クラーク・ゲーブル)と副長(バート・ランカスター)との反目や、比較的最近では「クリムゾン・タイド」(1995)での艦長(ジーン・ハックマン)と副長(デンゼル・ワシントン)の反目などが挙げられます。船舶という閉鎖的な環境の下では秩序の維持が最重要視されねばならず、それが行き過ぎると「叛乱」や「艦長と副長の間に生まれるモラル的な反目」というテーマに転ずるというところが、海戦映画ジャンルの1つの伝統になっているようです。要するに、皆が精密機械のように上からの秩序に従い、ボスの言う事に誰一人疑問を抱かないというのでは、管理社会批判が意図されているのでない限り、とても映画のストーリーにはならないということでしょう。そのような面において、「戦艦デファイアント号の叛乱」は典型的に60年代初頭に公開された作品であり、アレック・ギネス演ずる船長とダーク・ボガード演ずる副長の明快に過ぎるコントラストは典型的に古典的であるのに対し、「マスター・アンド・コマンダー」における船長(ラッセル・クロウ)と必ずしも副長ではないけれども彼の次に重要なキャラクターである船医(ポール・ベタニー)との関係がフレンドリーなタームで語られているのは、実際の敵味方の関係以上にモラル面での敵味方関係を輻湊させストーリーを複雑にする面倒は省略し、「敵は敵、味方は味方」の要領で、より単純にストーリーを語ろうとする現代的なアクション映画の持つ志向が前面化されているからであるように思われます。従って、モラルなどという泥臭い話は敬遠したい向きには、ビジュルアル面では当然遥かに優る「マスター・アンド・コマンダー」が、また、複雑な人間関係を基盤にしたドラマを見たい向きには、アレック・ギネス、ダーク・ボガード、アンソニー・クエイルなどの相応しいキャストが揃った「戦艦デファイアント号の叛乱」がお薦めです。勿論、両方見ても損はないはずです。蛇足ですが、「戦艦デファイアント号の叛乱」の主人公達の乗る帆船の名前が「Defiant(反抗的な)」であるのは、あまりにも出来すぎた話ですね。


2004/08/07 by 雷小僧
(2008/10/19 revised by Hiroshi Iruma)
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