愛欲と戦場 ★☆☆
(Battle Cry)

1955 US
監督:ラオール・ウォルシュ
出演:バン・ヘフリン、アルド・レイ、ナンシー・オルソンドロシー・マローン

左:ナンシー・オルソン、右:バン・ヘフリン

「愛欲と戦場」という何やらスケベ心をくすぐるような邦題が付けられていますが、検閲花盛りの50年代に製作された映画が、現代のオーディエンスの果てしなきスケベ心を満足させるような作品であろうはずがありません。実際のところ、原題は「Battle Cry」であり、「戦場の雄叫び」といったところが妥当でしょう。しかしながら、実はこの作品、そのような原題から考えても相当に変わったところがあり、基本的には太平洋戦争を題材とする戦争映画でありながら、150分の上映時間中ラスト10分ほどを除くと、戦闘シーンはほとんど存在しません。しかも、冒頭のタイトルクレジットでは、アカデミー賞にもノミネートされたマックス・スタイナーの恐ろしく威勢のいいマーチが流され、いかにもド派手な戦闘シーンが連続する映画ではなかろうかとオーディエンスに期待を抱かせるにも関わらずです。ところが、待てど暮らせど、ド派手な戦闘シーンはおろか銃弾一発発射されるシーンすらなく、それらしき徴候がようやく現れるのは、開始後90分が過ぎてからです。このシーンでは、太平洋戦争の最大の激戦地の一つといわれたガダルカナル上陸作戦が描かれているにも関わらず、ここでもし待ちに待ったド派手な戦闘シーンが見られるぞと思ったとすれば、オーディエンスは見事に肩透かしを食わされることになります。というのも、日本軍の空爆シーンが僅かながら描写されたあと、すぐにナレーションに切り替わってガダルカナル上陸作戦のシーンはそれでおしまいになるからです。その後また、30分以上戦闘シーンはなく、そろそろジエンドになろうかという時分になってようやく戦争映画らしい展開になります。しかも、当作品の極めつけの肩透かしシーンは、血気にはやったオーディエンスが待ちに待ったこの最後の戦闘シーンに関係するものなのです。そこでは、主要登場人物の一人である若い兵士ダニー(タブ・ハンター)の眼前で砲弾が炸裂し、彼はもうどりうって地面に倒れ、その直後に彼が死ぬところを夢に見たガールフレンドのキャシー(モナ・フリーマン)が悲鳴をあげてベッドから起き上がるシーンが挿入されます。通常の戦争映画でそのようなシーケンスが提示されれば、オーディエンスは、間違いなくその人物は死んだものと見なすのが普通です。それは、検閲が厳しかった50年代、ラブシーンの直後に波がざんぶりこするシーンが挿入されれば、それが象徴的に何を意味するかは、誰にとっても明らかであったのと同じことです。ところが何と!「愛欲と戦場」は、故郷のボルティモアに帰ったダニーが、キャシーと抱き合うシーンでジエンドになるのです(因みに、モナ・フリーマンは実際にボルティモア出身のようですね)。これには、思わず「あんた死んだんとちゃうんか?」と呟きながら首を傾げざるを得ず、要するにこれは一種の戦争映画のお約束破りだと見なせます。このように、「愛欲と戦場」は、ある意味で人を食ったところのある戦争映画だと見なせますが、それでは150分もの上映時間をかけていったいそこに何が描かれているかというと、メインは、若い兵士とその恋人という3組のカップルが織り成すヒューマンドラマなのです。従って、「愛と死」のテーマを彷彿とさせるような「愛欲と戦場」という相当にケッタイな邦題が付けられているというわけです。3組のカップルとは、アンディ(アルド・レイ)+パット(ナンシー・オルソン)、ダニー(タブ・ハンター)+キャシー(モナ・フリーマン)&エレン(ドロシー・マローン)、マリオン(ジョン・ラプトン)+レイ(アン・フランシス)ですが、最も大きな焦点は、最初のカップル、すなわちアンディ+パットに置かれています。これら3組のカップルを横の関係とすると、もう1つの焦点はハイポケッツとあだ名される司令官(バン・ヘフリン)とこれら3人の若い新米兵士達との間にある縦の関係にあり、この縦の関係と横の関係の間の相克は、これまたアンディ+パットのカップルとハイポケッツとの間に最も明瞭に示されています。要するに「愛欲と戦場」は、一見すると戦争映画であるように見えながら、またあらゆる面で戦争映画であるような装いを保ちながら、内実は人間関係に焦点が当てられた作品なのです。従って、ここまで便宜上、「愛欲と戦場」は戦争映画であるかのように述べましたが、実際にはドラマ映画であると見なすべきだというのが個人的な見解であり、原タイトルと冒頭の威勢のいい音楽につられて戦争映画であると思って見ていると、必ずやフラストレーションを溜める結果になるはずです。そのように考えてみると、前述したような戦争映画のお約束を破る側面が多々見られるという理由で、「特攻大作戦」(1967)のレビューで述べた戦争映画やヒーロー映画の脱神話化作用をこの作品に求めることは決してできません。というのも、監督のラオール・ウォルシュが大ベテランであったことは勿論のこととして、「愛欲と戦場」をヒューマンドラマであると見なせば、脱神話化作用などという斬新な要素などどこにも見出されず、モラル面ではむしろ伝統的な語法に従っているとさえ見なせるからです。たとえば、ダニーは、サンディエゴで知り合った行きずりの女(とは少し言い過ぎですが)エレンとは最後にきっぱりと手を切り、また前述の通り戦死したかと思われたのに、最後は恋人(というよりも既に奥さんになっています)と抱き合ってハッピーエンドで終わります。アンディは、パットと目出度く結婚してハッピーな生活を求めて軍隊からとんずらしようとしますが、結局軍隊に戻ります。司令官ハイポケッツの最期を見届けるのも彼であり、また負傷しながらも最後はパットの住むニュージーランドに戻ってハッピーエンドを迎えます。3組のカップルの内唯一ハッピーエンドを迎えることがないのは、マリオン+レイですが(マリオンは、ハイポケッツを除く主要登場人物の内で唯一戦死します)、このカップルは前半わずかに登場するだけあり、オーディエンスとしても彼らの存在は一番先に忘れているはずです。ということで、「愛欲と戦場」は、基本的に戦争映画とドラマ映画が交錯するジャンル混淆映画であると見なせますが、前述の通り本質的にはドラマ映画であると見なすべき作品であると個人的には考えています。


2009/02/14 by Hiroshi Iruma
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