野望の系列 ★★★
(Advice & Consent)

1962 US
監督:オットー・プレミンジャー
出演:ヘンリー・フォンダ、チャールズ・ロートン、ウォルター・ピジョン、ジーン・ティアニー

後列左:チャールズ・ロートン、前列左:ウォルター・ピジョン、前列右:ポール・フォード

 アメリカでは結構人気がある一方で日本ではほとんど人気がないジャンルの映画がある。1つは法廷もの映画であり、あちらではコメディにすらちょっとした裁判シーンが挿入されていることすらある。シリアスな作品になるとほぼ全編が裁判シーンであることもあり、こうなると日本人には付いていけなくなる。もう1つは政治の内幕もので、あちらでは殊に大統領や大統領選などをテーマとする映画が多く、文字通り「アメリカン・プレジデント」(1995)などというアメリカ大統領を主人公としたロマンティックコメディすら存在する。ロマンティックコメディではなくとも日本国首相を主人公とした映画が国内で製作されるとはほとんど考えられないが、アメリカでは政治家たる大統領が、映画のテーマや主人公としても結構人気がある。但し、このことは両国の歴史的背景の相違が影響しているようにも思われ、アメリカにおける大統領の位置には日本国首相のそれにはない政治を越えた象徴的価値が付着していると考えるべきだろう。面白いことにアメリカで受けて日本では受けないこの2つのジャンル、すなわち法廷ものと政治の内幕もの(殊に大統領に関するもの)は2つの両極を為している。片や法廷という制度は文化人類学者のエドワード・ホール流に言えば極めてコンテクスト度の低い制度であり、いわば明文化された規範に則って全ての事象が処理される外在的な論理に依拠した制度である。それに対してアメリカの象徴としての大統領という存在には、たとえば自由、民主主義、独立等の表面には見えない極めて多様な象徴的且つ内在的な価値が付着している。多くの人種や民族のるつぼであるアメリカには、何らかの統合的な象徴が必要とされるが、大統領という存在が最も強力な統合の象徴であると見なされているのは、そのような諸々の内在的な価値が有するパワーがそれに不可避的に結びついているからであろう。それに対して、日本はそもそもほぼ単一民族国家であり文化自体も極めて単一であるが故に、もともと文化全体に象徴的価値が広範囲に分散内在化されている為、アメリカのように明文的に様々な規約を定めたり、或いは統合の象徴たる少数のシンボルに集約したりする必要はそれ程ない。このような文化的相違が法廷もの映画や政治もの映画に対する両国の注目度の相違を生み出してきたのではなかろうかというのが個人的な見解である。

 前置きはこれくらいにして「野望の系列」(1962)を紹介しよう。個人的にはオットー・プレミンジャーの最後の傑作であると考えているこの作品は、重厚な政治内幕もの映画である。議員パーティシーンでは実際に当時の議員も多数出演しているようであり、これはオットー・プレミンジャーの名声のなせる技であったのだろう。舞台裏のエゲツない駆引きと、法廷ものを思わせる議会での答弁がメインとなる映画で、表と裏を両方見せて政治的な腐敗を鋭く描くが、それにしてもよくこれだけ集めたと思わせる個性的な俳優達が演ずる政治家達が、脅し、透かし、二枚舌を駆使して互いに影響力を行使しようとするストーリー展開は、現実の政治がこれでは非常に困るが映画の素材としては最高である。個性的な俳優の中でもとりわけ際立っているのが、いつものオーバーアクティング気味の演技を惜し気もなく披露し妖怪のように嫌らしい議員を憎々しく演ずるチャールズ・ロートン(因みにこれが彼の最後の作品である)と、それとは対照的に一見紳士的に見えるが老練さも合わせ持ちこの種の映画にはピタリとはまるウォルター・ピジョンである。他にも、良心的な副大統領を演ずるリュー・エアーズ、用心棒を引き連れてチンピラのように振舞う若手議員を演ずるジョージ・グリザード、いつものように独特のスピーチパターンが素晴らしいポール・フォード、ホモセクシャルであったことをネタに脅迫されて自殺する諮問委員長を演ずるドン・マレー(彼にはモンローと共演した「バス停留所」(1956)における不器用なカウボーイのイメージが焼き付いているが、実はこの映画やデルバート・マンが監督した「The Bachelor Party」(1957)を見ても分かる通りセンシティブな人物を演じても一流であった) 、このような政治映画に出演していても性懲りもなく独身貴族を演じているピーター・ローフォード、大統領を演ずるフランチョット・トーン、ヘンリー・フォンダ演ずる国務長官候補の過去を暴く証人として議会に召喚されながら彼にあっさりと逆襲されて弱々しく去っていくバージェス・メレディス及び紅一点のジーン・ティアニー等これ以上ない役者が揃っている。但し筆者が見た限りでは名優ヘンリー・フォンダはそれ程目立ってはいない。いずれにしても、これだけのキャラクターが交錯する重厚な政治ドラマが面白くないはずがなく、政治映画としては「オール・ザ・キングスメン」(1949)等の方が有名かもしれないが、個人的にはキャラクターインタラクションが多彩な「野望の系列」に軍配を挙げる。

※当レビューは、「ITエンジニアの目で見た映画文化史」として一旦書籍化された内容により再更新した為、他の多くのレビューとは異なり「だ、である」調で書かれています。


2001/12/24 by 雷小僧
(2008/10/20 revised by Hiroshi Iruma)
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