兄弟はみな勇敢だった ★☆☆
(All the Brothers Were Valiant)

1953 US
監督:リチャード・ソープ
出演:ロバート・テイラー、スチュアート・グレンジャー、アン・ブライス、キーナン・ウィン

左:ロバート・テイラー、右:スチュワート・グレンジャー

正直言えばストーリー自体に関して取りたてて見るべきものがある映画ではありません。また正常なプロットの流れの中にスチュワート・グレンジャーが過去を思い起こすフラッシュバックシーンがかなり長い時間挿入されますが、これがどうも全体のバランスを欠いているような印象が少なくとも個人的にはあります。失われた真珠を回収すべきかどうかを巡ってのトラブルが、クライマックスに至るトリガーとなりますが、どのようないきさつでスチュワート・グレンジャーの手から真珠が失われていったかがそのフラッシュバックシーンで延々と語られるのです。確かに真珠は高価であるには違いありませんが、しかしながらこの映画を見ているオーディエンスの観点からすれば、あまりにもチンケなことを説明する為に延々とフラッシュバックシーンが続くように見えてしまうのです(勿論、一番最初にこの映画を見る際にはプロット展開が分かってはいないので、むしろ???という印象を強く受けると言った方が良いかもしれません)。そもそも海洋冒険物語というスケールの大きさに比べて、ストーリー展開のダイナミズムを構成する要因が1袋の真珠を巡ってのいさかいであるということ自体オフバランスな印象があります。そのような理由により、ストーリー構成に関してはどうしてもイマイチな印象が残ってしまわざるを得ない作品ですが、やはりこの作品にも50年代に全盛を誇った活劇映画のスピリットを感じ取れることは否定できません。むしろ、当時の活劇映画は、プロットがイマイチでも、それなりに見られる作品に仕上がっていた証拠になるとすら言えるかもしれません。50年代(それも殊に前半)と言えば、頻繁に海洋活劇やアジア、アフリカなどのエキゾチックな背景を舞台とした冒険映画が量産されていた時代ですが、カラー映画が本格化しつつあったのがこの時代であったことがその理由の1つとして挙げられるように考えています。というのも、当時はカラー映画という新規なメディア自体が一つの新鮮なアドベンチャーであると見なされていて、それと大航海時代やそれに続く冒険や活気に満ちた時代の様子との間に構造的な相同性が見出されたが故に、映画の舞台としてもそのような背景が頻繁に利用されていたのではないかと考えられるからです。そのような言い方をするとかなり突拍子もなく聞こえるかもしれませんが、個人的には結構本気でそう考えています。それに対して、「大いなる勇者」(1972)のレビューでも書いたように、同じ冒険映画でも70年代になると日常生活から脱したサバイバル活動を描くことによって個人の内面的な体験を語ることに焦点が置かれる傾向が強くなり、冒険映画であるにも関わらず或る意味で映画自体が内向的な様相を呈するようになります。従ってそれらの映画においては、ロケーション自体に関しても必ずしもエキゾチックな舞台が選択される絶対的な必要性はなく、たとえば「大いなる勇者」や「アドベンチャー・ファミリー」(1976)のようにアメリカ国内が舞台であっても構わないことになります。世界史上で言えば、大航海時代やそれに続く発見や冒険或いは開拓の時代が終わりを告げ、世界中のどこを探しても未知な土地が見出されなくなってしまったが故に、冒険に対する純粋な熱意も冷め、植民地支配などのパワーポリティクスが前面に突出し始めた時代にも喩えられるでしょう。「兄弟はみな勇敢だった」は、熱意も冷めぬ50年代初期に製作された作品であり、確かにエキゾチックな舞台を背景とした活気を感じ取ることが出来ます。エキゾティックとは言えどもMGMのバックロットで製作された映画のエキゾティック性などは、いわばチープなまがいものに過ぎないと批判するのはいとも簡単ですが、バックロットで製作されたか否かはこの際は大きな問題ではないのですね。というのも、殊に現在と比べればテクノロジーの大きな限界があった当時は、そもそも映画である以上多かれ少なかれチープなまがいものであらざるを得ない側面があったからであり、むしろそれを製作しようとする動機の方が重要だったからです。その動機が、まさにカラー映画という新しいメディアに対する冒険的な熱意そのものであったのではないかという点がこのレビューで主張したいことなのです。ここまであまり作品自体に触れてはこなかったので、最後にそれについて簡単に述べておくと、ロバート・テイラーとスチュワート・グレンジャーの兄弟とはなかなか興味深いものがあります。というのも前者は寡黙で内向的な印象を与える俳優さんであるのに対し(この人、瞑想でもするかのように黒目の位置がいつも曖昧であるような気がします)、後者は饒舌で外向的な印象を与える俳優さんであり、対照的な二人のパーソナリティがうまく反映されているからです。またいくらなんでも野郎ばかりが乗り組んだ捕鯨船に、てめーの嫁さんを同行させるのは信じ難い愚行に見えますが、その嫁さんを演ずるカワイコちゃんタイプのアン・ブライスが、コントラストが効いて実にフレッシュです。


2004/11/20 by 雷小僧
(2008/10/06 revised by Hiroshi Iruma)
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