日曜日にはTVを消せ 目録


鳥山拡のカメラマン論
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「日曜日にはТVを消せ」第2号 1974年12月発行
 "シナリオ”1月号  p.30 
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  (前略)

 ここで先にふれておいた同時代の苦みの影を記録したカメラの目を書いておかなければならない。
 その一作品が,昭和49年度芸術祭参加の『夢の島少女』(NHK10月15日放送)である。このカメラマンが葛城哲郎であった。同じ佐々木昭一郎演出の作品のうち,『さすらい』(昭和46年),『マザー』(昭和45年)も,葛城カメラマンとの共同作業で成立している。龍村作品『海鳴り』も彼との共同作業であった。『海鳴り』をみているうちに,さらに数年前のNHKの作品がオーバーラップしてきた。調べてみると『和賀郡和賀町−一九六七年夏』(NHK,企画構成・工藤敏樹)で,このカメラマンがまた葛城哲郎であった。
 同一カメラマンの作風が,イメージ上似かよってくるのは自然なこととしても,こうして並べてみると,共同作業とはいえ,年代順に,共同作業者もろとも,時代の影をうつしていく結果になっていたことがよく判る。
 『和賀郡和賀町』は,モザイク風に記録されたこの町の”いま”であった。『海鳴り』では,町が海辺の町に移り,さらに伝説・さつが添加される。『海鳴り』の一シーン,警官隊との衝突で,火のつけられたビラにカメラが近づき不思議な,としかいいようのない浮上感覚をうつしとる。この火の浮上感は,『夢の島少女』にも姿を表す。
 火が燃えている。カメラが近づいていく。じっとみつめる主人公の顔。こうした表現方法が,従来のテレビ文法にかなっていれば,問題はない。『和賀郡和賀町』は,その点,構成が平均値に近づいていた。『マザー』『さすらい』もそうであった。しかし『海鳴り』『夢の島少女』となると,そうはいかない。
 従来の平面軸の座標からは,この二作品の構成は理解不可能に近いにちがいない。『夢の島少女』を,理解できない,芸術派の作品と批評することは,おそらく最も安易な姿勢なのである。『夢の島少女』は,昭和49年のテレビ・ドラマ状況に対する,一つの批判であり,つきつけられた批評でもある。存在自身がすべてを語る。これは”愛”についての”現代”そのものなのである。
 しかも,暗転の時代に,位置する,不幸な時期に生まれべくして生れた宿命を背負っている。
 暗転の時代に,理解不可能という,つまりわかりにくいという点は,ここにあげた一連の作品を葬った批評は,ここに記録されたイメージと音によって,昭和50年代には確実に裏切られていくに違いない。
 ローラー化,平均値化は,いってみれば,何も表現し得ない代表名詞であり,機能をもっている点を思い知るべきである。
 もし,ローラー化,平均値化が,テレビの特質とかいう,”無署名性”の理論をもって裏打ちされるなら,葛城哲郎のもつカメラの目によってといいなおしてもいい。
 無機物のカメラは,無署名をあっさり通過して,時代をうつしとっているのである。無論,そのイメージを全面的に信じる信じないの,そんな技術的,表面的な問題ではなく,とらえての上である。

   日曜日にはTVを消せ 第2号


   連載  第3回  第4号より 


鳥山拡の『日本テレビドラマ史』より
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映人社 1986年9月25日発行
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  昭和四六年(一九七一年)

 この年、『四季・ユートピアノ』(昭和五五年)で後にエミー賞、イタリア賞の両賞を受賞することになる佐々木昭一郎脚本・演出の『さすらい』 (NHK)が出る。
 のんびり、いつものデンでテレビの前に坐っていた私は、小さなブラウン管に吸い込まれるような衝撃を受けた。『さすらい』が私と佐々木昭一郎作品の最初のめぐりあいである。
 その後、『音と沈黙の幻想』(昭和四八年)というラジオ・ドラマのレコードを演劇評論家の大島勉と一緒に監修してコロムビアから出した時に、佐々木昭一郎と出会った。この七枚組のレコードに、彼のラジオ・ドラマ『都会の二つの顔』(昭和三八年)が収められている。

 ちなみに他の作品は、秋元松代脚本の『常陸坊海尊』(昭和三五年、朝日放送)、三好十郎脚本『捨吉』(昭和三三年、NHK)、井上ひさし脚本『ツキアイきれない』(昭和三九年、NHK)などである。井上ひさしの『ツキアイきれない』は後の『吉里吉里人』の原形である。
 私は、放送批評の場合のめぐりあいはまず作品があって、それから本人と出会うのが、一番理想的 だと思っている。あるいは極端なことをいえば本人と出会わなくてもいいとさえ思う。そういったこ とで、私はレコードの仕事で彼と会い、それから『マザー』(昭和四四年)を見た結果になった。
 次は私が最初に書いた『さすらい』論を省略して引用する。放送と同時代のものである。この作品 は芸術祭大賞を受賞するが、この文章を書いた時はその発表以前であった。
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     「さすらい」−最もテレビ的なるもの

  『さすらい』は「映画」サイドからも、「テレビ」サイドからも、方法論を考えさせずにはおかない一篇である。
 企画演出の佐々木昭一郎は、昭和三五年NHK入局、『都会の二つの顔』(昭和三八年ラジオ・テレ ビ記者会賞。昭和三九年芸術祭奨励賞受賞)、『コメット・イケヤ』(昭和四一年イタリア賞受賞)、『おはようインディア』(昭和四一年芸術祭賞受賞)などの作品を手がけている。
 一九七〇年の作品『マザー』(一九七一年度モンテカルロ国際テレビ祭最高言受賞)も『さすらい』 と同じ方法論、脚本のない作品で、出演者は非職業俳優を採用し、即興的作法で、孤独な少年の、空想の世界の肉親のイメージを追い求めていた。
  『さすらい』の設定は、十五年間、空想だけに生きてきた主人公、非職業俳優、安仁ひろしが「企画演出」の設定するいくつかの状況のなかで「さすらう」というドラマである。空想から現実への転化を、『さすらい』の導入は、そのまま見せる。
 (1)第一のシイクェンスは、絵の好きな安仁ひろし君が都会のペンキ屋に就職するくだりである。社長室での相談シーンから『さすらいのキャシー』(BBC)を連想するが、このタッチは以後のシイ クェンスにはない。ここで一寸「さすらい」の日本語題について、『さすらいのキャシー』 の原題は、"Cathey Come Home"、アントニオーニの『さすらい』は"Il Grido"(叫び)で、これを「さすらい」と創造した点は、曖昧模糊とした日本語のニュアンスを最大限に生かしたタイトルだと思う。
 『さすらいのキャシー』について、二人のイギリス人の評価をひいてみる。一人はBBCのプロデューサー・ディレクターのノーマン・スワローの「現場からのテレビ番組論」(大谷堅志郎訳)
 ―「この論議のためのもっとも著名な例は、というのもそれが最良の番組だったからだが、現時点でのロンドンの住宅困窮をとりあげた『さすらいのキャシー』である。実際この作品は疑いもなく“プレイ”であった。人物たちは仮空のものだし、俳優によって演じられたのである。それを書くにあたって拠り所としたドキュメンタリー的証拠がきわめて明確で抗いがたいものであるため、それは同時にプレイをも大きく越えていたのである。キャシーの運命は数千の本当のキャシーの運命なのである」(傍点筆者。本ページでは茶文字)
 さらにもう一人、映画批評家のロジャー・マンベルは「ニュー・シネマ・イン・ブリテン」(一九六九)で、「テレビジョンは一九六〇年代のイギリス映画にとって、新しいタレントのおもな源泉になった」とし、具体例として『さすらいのキャシー』などをあげ、「フリー・スタイルのカメラ技術」と「スクリーンと観客の間の関係を変化させる即興的フォーム」を指摘している。さらに脚本のジェレミイ・サンドフォ^ドを高く評価した。「フリー・スタイルのカメラ技術」と「即興的フォーム」 は、両者に共通する要素であるばかりか、問題となる「即興性」は、アントニオーニやフェリーニの作品にも存在する特徴である。
 しかし、佐々木作品には、異質な何かが存在している。それは、フラッシュ・バックのようにして挿入される、「函館の施設」のイメージそのものの、みずみずしさであり、下宿への道で出会う赤いワンピースの「少女」の実在感ともいうべきものか。この第一のシイクェンスは、全篇を通じて、最もドラマ的なまとまりを示している。ペンキ屋でいっしょに働くギターと歌のうまい友川かずき君との件は、「ささやき」的セリフをもち象徴とアクテュアリティの、奇妙に入り混じったイメージで、 さすらう若者の息づきが、力強く伝わってくる。特にドア・ボーイに転職する友川君の実存感は、主人公に設定した安仁君のあり方を変える力点をもっており、彼の影を探してさすらう安仁君の、象徴的なイメージ(公園のシーン)が、危ないバランスをかろうじて保っている結果になった。つまり、 雨の降りしきる公園の安仁ひろし君のイメージは、前に述べた傍点部分を「それを撮影するにあたって拠り所としたドキュメンタリー的設定」と書きなおしてみるとよく判る。あえてドキュメンタリー的設定といわないまでも、イタリアのコンメディア・デルラルテの設定、さらに数々の古典的演劇作品も、はじめは設定があり、観客の前で練りあげられ、現在読めるような「脚本」に定着したのではなかったか。
 もちろん、佐々木作品の脚本のない、ストーリィのない特徴は、いわゆる文字で書かれた、従来の「テレビ脚本」はないのだと解釈できる。したがって、『さすらい』の1篇は、新しい側面で、テレビドラマの脚本のあり方を考えさせられる。設定がある以上、構成があり、即興性を重要視するとはいえ、これらを総合してみると、設定構成は、むしろ、ドキュメンタリー作品の脚本にちかい。その意味で、テレビドラマのための「脚本」は考えなおさねばならない。(ちなみにフェリーニもアントニオーニもシナリオを書き、自作演出の場合も、他者であるシナリオ・ライターの存在を認めている)
 しかし、この第一のシイクェンスで示したドラマとしてのイメージの実在感は、文字によってまず書かれたテレビドラマのそれをはるかに越えていた。
 (2)第二のシイクェンスは、さすらう安仁ひろし君がサーカス団の人々と触れ合うくだりである。
 組織された大道芸、消えゆくサーカス団−このイメージは、即興というよりは、設定のあり方を感じさせる。ペンキ屋という職場で、職を変えるさすらいとは、また違った「さすらい」の典型であるからだ。フェリーニの『道』、ベルイマンの『道化師の夜』(曲馬団が社会の“屑″であり、その人々の人生のさすらい)の設定を思いださせる。
 ここでは、安仁君を暖かく迎えいれる親切なさすらいの人々のあり方が、イメージとして重要視さ れている。作品の視点が、サーカスという、さすらいのなかの仮りの定着というパターンに移りつつ あるようだ。サーカスの女との、さりげない別れが、従来のドラマでは表現できなかったイメージを 見せるのである。出会い、別れの一瞬きらめくようなエモーションを、今のテレビドラマは、粗末に扱うきらいがあるが、この『さすらい』では、そうした一瞬を見つめる態度がある。
 (3)第三のシイクェンス。新宿のはみだし劇場の若い男たちとの出会いと別れ。ここでは、“ディスカバー・ジャパン”と叫んだアングラの役者が警官に説諭される即興が生じた。このあたりから佐々木演出の即興性にかかる比重の重さがうかがえる。それはそれとして、ドラマの枝の、他者とは何かにかかわりあいはあるにしても、設定された主人公のかかわりあいは、薄い。ここで、他者との接触から生じるドラマは、影をひそめて、もっぱらキャメラは「さすらい」の姿そのものを記録する。第一のシイクェンスで、兄の影を見、妹の影を発見する意識のイメージを挿入しながら、サーカス場面、アングラ劇の大道芸場面では、一つのまとまりの要素として、ドラマを構成したアンバランスが 生じている。エピローグの落日の海辺で、流木を立てる主人公のイメージに、全篇の流れが、合流するためには、第一のシイクェンスで構成された他者の意識のイメージを、もっと厳密に計算し、主人公のさすらいの姿のなかで、文字通り、消去していく作業が必要であった。
 (4)第四のシイクェンスは、第一のドラマに匹敵するイメージを生みだしている。一直線に延びる鉄路と駅、その設定のなかで、主人公と“あすは雨、船は難船、人はどろぼう″と口にするおばあさんの群れ。これは、前作品『マザー』の尾低骨なのであろうか。イメージの曖昧さに、おもしろさはあるが、まとまりのあるシーンとして構成したため、主人公から肉親=母の意識を探りだすには、むりがある。むしろ、何もない野原の、駅のホームと、ただ延びる鉄路のなかの人間群から、「さすらい」 そのもののイメージを感じとることにつきそうである。「人生」は「さすらい」であるという、エモーション。「さすらい」という言葉には、さすらいの本質しか存在しないのか。源氏物語・須磨“は かなき世を別れなば、いかなる様に流離へ給はむ″のこれは、現代版である。
 (5)第五のシイクェンスは、氷屋で働くくだりから、基地で働く絵描きの女性(笠井紀美子)との出会いと別れ、そしてエピローグの海辺である。ここでは、子供、バーの経営者、氷屋など、さまざまな他者があらわれ、消えていく。絵描きの女性は、いわば全篇の決着をつけるべく、設定されたかのようである。その女も、また、絵という“もの”のなかに定着する気持はあるにせよ、主人公と同様、さすらいの人間であった。“ここではな いほかのところ。この人ではない、ほかの人。今ではない、ほかの時。自分ではない、ほかの自分”のイメージ表現は、裂け目のある道、廃虚の町となり、結晶した。落日の海辺で、流木を立てるシーンは、流木が、空をめざす点で、暗示的である。
 フリー・スタイルのカメラも、即興性も、ともに、他者や社会に、瞬間瞬間にむきあい、直視し、記録する、いわば、作者の姿勢そのものが、具象化したものである。その意味で佐々木作品『さすらい』は、さすらいの実存をとらえた点に、意義があった。そして、残された問題点は、その方法によってとらえられた実存を、設定すら存在しなかったように見せる、後の方法論の発見にある。テレビ的なるものの構成=脚本=設定が、あらかじめ存在しないかのように見せるのが、テレビの日常性に反応するモンタージュであり、そのすぐれたモンタージュから、最もテレビ的なるものの作品が生まれてくるに違いないのである。
  『さすらい』は、一九七一年のドラマのなかで、最もすぐれた作品であった。
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  『さすらい』は当然「五〇選」にも入っている。                     ********** **********
 人は一回性の人生のなかで、同時代をともに駆け技ける光と影を求めて、出会いと別れを繰り返す。 さわやかな別れがあるとしたら、それは青春の別れに違いない。『さすらい』は現実からのはく脱感のなかで一青年の青春像を詩編として描いたテレビ・フィルムの傑作である。 
 主人公は安仁ひろし(非職業俳優)。彼は設定されたいくつかの状況のなかで、一回性の演技を生きていく。カメラが彼に同伴する。“即興的作法”である。彼は都会のペンキ屋に就職、そこでギターのうまい友人(友川かずき)と知り合う。下宿への道で出会うのは赤いワンピースの少女(栗田裕美)である。旅で、サーカスの女とのさりげない出会いと別れ、そこにはあこがれのおもいがきらめ いている。
 一直線に延びる鉄路と野原の小駅。そこでは「あすは雨、船は難船、人はどろぼう」とうたうおばあさんの群れに出会う。どんよりとした北方の寂しい町では、基地で働く絵描きの女と出会い、そして別れる。落日の海辺で彼は流木を空に突き立てる。“さすらい”の詩的イメージとは「ここではな いほかのところ。この人ではない、ほかの人。今ではない、ほかの時。自分ではない、ほかの自分」 にほかならない。撮影・葛城哲郎、効果・織田晃之祐。
 作・演出の佐々木昭一郎は、昭和五六年『四季・ユートピアノ』(主演・中尾幸世)を発表、この 作品は第三二回イタリア賞ライ賞(個性的なざん新な作品に対して贈られる)を受賞した。佐々木昭一郎は、詩的冒険をテレビで貫き通すテレビ界では希有の作家である。
      (中略)

  昭和四九年(一九七四年)

 私は、この期を『さすらい』(NHK)の佐々木昭一郎から始めた。この期もあと一年で終る。この年、私はふたたび佐々木昭一郎についての文章を偶然書いている。それは「テレビジプソ同時代 者」にこだわるものであった。次の一文もその一つである。省略して引用する。 

   テレビジョン同時代者・佐々木昭一郎
 
     『夢の島少女』
 数多いテレビ・フィルムの演出家のなかから、まずここに佐々木昭一郎を選ぶ。佐々木は『マザー』 (一九七〇)『さすい』(一九七一)『夢の島少女』(一九七四)のわずか三作のテレビ・フィルムで、 テレビの開いた時間のなかに同時に閉じた時間を構成し得た希有の作家である。
 『夢の島少女』の導入は、無窮を象徴する“カノン”の音楽にのって、説明的な字幕ではじまる。
  「ある日、あるとき/ある日曜日の朝/ひとびとは/深い眠りの中にいます。ひとびとは/思い出そうとしています。ひとびとは/遺失物の行方を探しています/失くしてしまったいちばん大切なものを/ある/日曜日の朝/ひとびとは深い眠りに落ち込んでいます。」
 この字幕のあと、汚れた運河から少年(横倉健児)が血を流している主人公の少女(中尾幸世)を救いだす。遠い海の家からでてきた少女は、レストランで働き、視線で犯され、コップを落とす。その犯かした目は、地下鉄まで追ってくる。少年は少女を愛しはじめる。一人ぼっちの少女は、記憶のなかの海で、問いかける。“What am I?”カノンのピアノ音がくり返される建物の脇の車で少女は、 少年の未来の分身・中年男に身をまかす。カメラの視線が、少女を姦淫する。イメージに、いまある自分の生活が何なのか、少女は、過去の記憶をよび醒ます。故郷の庭、干し物、バレー・ボール、笑 い、歩き、息をする。少年と少女の別れ。少年の旅がはじまる。少年は未来を殺戮する。再会。ホテルの一室で、少年は決定的な愛のことばを口にする。カメラの目は、少年の肩ごしに、少女を凝視す る。「泣きたくない」と少女はいう。同時代を駆け抜けようとした少年少女の愛は、最早、表情のみえない形で、夢の島のなかにある。拡がる海だけが、白く輝く。少女を背負う少年、二人のいたいけな人間の姿は、はたされなかった融合の象徴である。
 これがあくまで便宜的に、簡単にことばにしてみた作品の展開である。感性で受けとめるべき、ほんものの作品のイメージは、このように論理的なものではない。ないばかりか、冒頭の字幕で明らかなように、イメージの方は、深い眠りのなかの、遺失物を探していく、夢なのである。夢だから、論理がないというなどという薄っぺらな理屈ではない感性の筋道とでもいうべきもので、この夢のイメ ージ化は、おしはかっていかなければならない。このイメージの流れについて感じることを拒否する 姿勢は、論理や筋道を拒否するのと同じ罪なのである。
 確かにイメージ・カットの挿入は乱れていたと思う。この感性の乱れは、時代の揺曳という予感がする。傲岸なまでに、自己とテレビ・フィルムの関係に固執した佐々木昭一郎は、勇ましくもまた行動的である。―それが表面的であるにせよ−政治の図式にこだわらず、あくまでも個人の、文化の図式に生きる冒険者でもあるからだ。

       『マザー』
 『夢の島少女』の少年・横倉健児(一七歳)は、『マザー』の少年(一〇歳)と同一人物なのであった。『マザー』の彼にも、時代の重みはのしかかっている。『夢の島少女』の彼は、笑いを忘れてい るかのような表情が続く。そして、『夢の島少女』をみた瞬間、『マザー』の展開とイメージのある一 部が、突然、よみがえり放送当時(一九七〇年)に気づかなかった事実にとりつかれるのである。
 『マザー』は、孤独な少年の、空想の世界の肉親のイメージを追い求めた作品である。それは、逆光に輝く海のシーンから、はじまっていたように思う。この海は、その後の『さすらい』『夢の島少女』の海と違って、イメージに変形がない。単純に美しい、抒情的な世界の海である。その美しい海の港町・神戸で、一〇歳の少年がさまよい歩く。少年は画家に会ったり、マソドリン弾きのおじいさんと語ったりしていく間に、外国人の女性と知り合う。少年とこの女性は、通じあわない話を、通よわせていく。ここでは、ことばは、二人の間にあるものだった。『夢の島少女』では、“What am I?”式の自問自答になった。同じような語り合いとはいえ、他人が存在するのと、しないのとでは、その世界がまるで違う。『マザー』では、少年を補導する婦警との、微笑をさそうやりとりも記録されて いる。その微笑は、理屈(大人の論理)に合わない心の動きをする少年に困惑する婦警の即興的表情から生じていた。
 が、いま思うと、当時気づかなかった事実こそ、この作品の時代を超えた記録性を物語ったものではないかという気がしてくる。それは、港まつりの催しにまつわる少年の姿なのである。
 第一。まばゆい港町の昼の光のなかで、花電車に乗ったミス・港まつりとその催しに集まった人びとの姿である。この雑踏のなかを、少年はさまよう。
 第二。役目を終わった花電車が、車庫に止まっている。少年は一台一台みて歩いたように思う。また、同じ場所に、記憶違いでなければ、眼の不自由な子どもたちがやってきて、効果的な音とともに、花電車のイルミネーションが、パッと消えるシーンもあったように思う。これは何ともの悲しい感触だろう。
 この二つの画面を、いま、思い出してみると、そこには七〇年代の経済高度成長の時代が、そのまま影を落としていたぼだと気付く。肉親を求めて歩く少年に、焦点があわされたドラマでありながら、またさらに、ことさら正義の味方ぶって時代または政治を語りだそうとしなかった佐々木の姿勢と、カメラ(葛城哲郎・妹尾新)が、当時のほかのどの作品よりも、“時代”を表現する皮肉な結果になっていたのだ。
 描かれた,“時代”は、EXPO70であり、祭りに酔いさすらう人びとであり、これらすべての精緻な総合が、五年後のいま、よみがえってくるのである。高度経済成長のあの時代、本質的な批判はなされていなかった。そして、翳りのでた昨年から現在、おおむねの論理は、逆の意味で形骸化されてきた。『マザー』の時代の影は、しかし、このようなものではない。
 花電車のイルミネーションが消えるシーンは、『夢の島少女』の、海の小屋が燃えあがるシーンと同質の、ある種の浮上感をもっている。単純な比喩で“火”は、人間のよりどころであり、カメラが“火”をうつす時、不思議な反応を示すのもうなずけよう。同時に心象化された“海”も、ある種のよりどころである。
 まず、花電車のイルミネーションの点滅を、ある時代の終焉としておこう。作品のトーンは時代の終焉を告げる一方、そこに、一人の少年と目の不自由な子どもたちの“目”を通して、時代の雰囲気までをもの悲しく描ききっていたのだ。
 『マザー』をみつめる佐々木の目は、やさしかった。肉親の、特に母親のイメージのなかに、娼婦 のそれはない。
 佐々木(カメラ)の目は、おさない子が、火に憧れるように、花電車のイルミネーションを眺め反応する。幼児は、本来、まことと嘘の区別がつかないものである。そこから“詩”が生まれる。また、時として生と死に残酷でもある。こうした幼見性本来の特徴は、まだ『マザー』では、はっきり意識 されていない。
 四年後の『夢の島少女』で、それは、はっきり姿をあらわした。
 少女は、愛撫されるかと思えば、恥辱のきわに立たされたりする。幼児にとっては日常の部分が、 そのままおとなにとっては非日常に転化する作用をもっている。“非論理”はあらかじめ予定されていた構造である。佐々木は人間の生活が整然とした秩序のみで支配されることが、人間の全的真実を 表現してやまない批判から出発した。
 無秩序への憧憬−この基点は、いかなる社会状況のもとでも、有効になる危険性がある。佐々木 の方法は、この点でも、自己の体験、あるいは夢に固執することによって、切り技ける。
 『夢の島少女』との、短かい“恋”の季節がはじまる。『さすらい』や『マザー』では、カメラの目が、男対男の関係によって呼吸していたから、佐々木は、撮影現場においても、おそらく、そういった雰囲気の延長線上にいたに違いない。一方、“夢の島少女”は、彼とカメラの前に、性をそなえた女性として存在した。
 佐々木にとって、少女は永遠であるべきはずの存在である。が、一回性・即興性の方法論は、少女を“永遠”の姿のまま置かなかった。少年は、中年男にその座をゆずっていく。中年男は少年の将来の姿を暗示するものであったかもしれない。中年男は、少女との関係を深めていく。少女もその関係によっておとなになっていく。この関係が、イメ0ジの上で決定的な段階まで進んだ時、(作品がそこまで展開した時)、少年は殺意を抱いた。
 殺意を抱き、夢のなかで、中年男を惨殺しながら、少年は少女を犯さなかった。
 ラストシーン。夢の島で、なわとびをする少年と少女は、ここで無邪気な幼児の世界にもどる。そして最後に二人は、大地のなかに形として、埋められた構図のまま、ホワイトアウトする。
 夢のなかの愛の成立の季節歯こうして過ぎ去っていく。
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 さて今までの記述の中にも、「テレビ雑誌」のことをふれた部分があるが、私は、日本と世界中の テレビ雑誌や週刊誌を集めてきた。その一つに『日曜日にはTVを消せ』(日本)という、ゼロックス・コピイによるテレビ批評誌(発刊者は「誌」ではなく「局」と考えている。つまり送りっぱなしという意味で)が、この年に第一号を出している。そこでとりあげられた番組は『夢の島少女』(前出)、『マザー』(前出)、『海鳴り』(NHK)、『6羽のかもめ』(前出)、『林で書いた詩』(HBC)、『宇宙戦艦ヤマト』(NTV)などがある。
 そこでの『6羽ねのかもめ』評を紹介する。
 「これはTV芸能界の“現場”でのお話である。・・・・TVマンの日頃のウップンや苦悩(!)がうかがえるとして評価する人もいるようだが、こんなもので“既成”のTVを変革したり、何かを“表現”できると思ったら大ちがいだ」
 昭和四九年から五〇年へ、「やさしさ」から、何事も「軽く」と、時代は暗転していった。

       (中略)

   昭和五一年(一九七六年)

  NHK『土曜ドラマ』から、「劇画シリーズレが三本制作された。以下は東京新聞の私の批評である。
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 “劇画”は根強い人気を保ち続けている。バババーン、君のやっていることは、そりゃ何ですか」の「バババーン」は、『少年チャンピオン』連載の『がきデカ』風のセリフで、相手をやりこめる流行語である。『がきデカ』 の主人公は、常識人のもつ羞恥心がまるでない。したがってしたがって、人のび っくりするような非常識なことを平気でやる。
 “劇画”には、こうした一般の道徳や倫理にさからら一面がある。今度NHKの『土曜ドラマ』の枠で、「劇画シリーズ」が放送されると聞き、その点が頭をかすめた。
 林静一の『花に棲む』(和田勉演出)、つげ義春の『紅い花』(佐々木昭一郎演出)、滝田ゆうの『寺島町奇譚』(江口浩之演出)の三本である。劇画のテレビ化で評判になったのは、TBSの『同棲時代』(昭和48年)だったが、その時も、性描写は劇画らしからぬ淡白なものだった。大体、劇画そのものも、残虐、少女趣味、言葉遣いなど、いつも問題になる。今度選ばれた『花に棲む』にしろ『紅 い花』にしろ、一体どうするのかなあと思う魅力あるコアがたくさんある。『紅い花』は「えいっ腹 がつっぱって……」ということばとともに川にうずくまる主人公の少女の女の証(あか)し“紅い花”となるという、作者つげ義春の女性への畏怖が表現されている。これはほんの一例だが、ぼくには、 NHKを代表する演出家系こ劇画″に何を見たか、という点で、今度のテレビ化は興味をもった。
 『花に棲む』の演出・和田勉は、そこに、青春と家を見た。七〇分の前半部分は幸子(大谷直子) と一郎(篠田三郎)の互いに傷つけ合い生きていく青春物語。映画『肉弾』以来、久しぶりに大谷直子らしい一面を見ることができるが、「私はあなたのメカなの」という、同棲の考え方に似合わない家庭でむきあうセリフがあったりして、後半の家という図型にむかう伏線が割れてしまう。が、この前半蔀は、和田勉の『帰って来た人』(飯島正脚本)や『日本の日蝕』(安部公房脚本)の演出(ともにNHK大阪)のよみがえりをみせる。
 後半、一郎の母親(長岡輝子)が登場する。同棲していた一郎は、へなへなと母親の意のままに生活するようになる。わかりやすくいってしまえば、ここから『となりの芝生』の原型のドラマになる。威勢のよかった幸子は、悟ったように“結婚”を考えはじめる。一郎の母親への抵抗は、真紅な画面の中で母親を刺し殺す幻想である。が、ドラマは、それ以後何事も起らず、幸子も、また、家という図型へむかって歩くストップ・モーションで終わってしまう。
 若い二人の行き方を訴えようとしたのか、母親の存在を認めようとするのか、和田勉演出は、この両極端の間をゆれ動く。そのゆれ動きが、今後の和田勉の可能性ともなり得る保留点とさえ感じる程であった。
 『紅い花』の佐々木昭一郎は、そこに戦争の記憶を見た。つげ義春の世界は軍帽から古本まで、すべて戦争に結びつけられる。主人公の少女(沢井銚子)が、ある時は山奥の茶屋に、都会の古本屋にいてどのシーンも戦争に結びついてくる。
 貸本屋時代から劇画を支えてきた人びとは、茶の間のテレビからもはみだして、つげ義春の“性”への畏敬や、ほかの多くの劇画にみる“ふるさと”“家”への思いになぐさみを見いだしたのだと思う。

       (中略)

   昭和五五年(一九八〇年)

     『四季・ユートピアノ』(NHK)  
 ことしのテレビ界の掛け声は、単発ドラマの復活であった。 ウィーン・フォルクスオパーの録画中継『メリー・ウィドウ』 (朝日テレビ系)、ヨーロッパオペラ界の才人ポネル演出『フィガロの結婚』(NHK教育)の再放送などが、音楽の持つドラ マ性で楽しませてくれたが、これらは序曲であったようだ。佐 々木昭一郎作・演出のドラマ『四季・ユートピアノ』(NHK) が、マーラー・交響曲第4番ト長調をテーマに、刺激的な音像を響かせてきたからだ。
 この九〇分は、ピアノ調律師の少女・栄子(中尾幸世=多摩美大三年生)を主人公に、彼女の音の記憶を鋭角的につづっていく詩編である。一歳・母のミシンの音、二歳・父のクツ音、 四歳・兄と初めて聴いた雪の学校のピアノの音、両親の死は音像となって定着、祖父母との海辺の生活は、鈴の音に。やがて 上京し、小さなピアノエ場で働き、老調律師など、さまざまな人々との出会いと別れを体験する。こ れらの音像の地平から姿を現わしてくるのは、少女の原寸大の肉体を脱して自由に飛翔してやまない“青春の輝き”である。
  『四季・ユートピアノ』を、こうして筋にしてしまうのは、的確ではないかもしれない。柔らかな感応性と豊かな想像性のなかで場面が組み立てられ、人生の迷路を綿密にたどりながら、澄んだ様式を獲得しているからである。演じる少女も非職業俳優、霧多布、下北、津軽、東京、横浜、千葉、松本の各地元の人々の、まさに一回性の俳優ぶりも、場面のなかに溶け込んで離れない。
 とかく、この記録と即興的演出が、ドラマを超えるものと、技術的細部に注目しがちだが、これは テレビの思想そのものだ。そうでなければ、キグレ・サーカスのピアノを調律する場面の様武美は生 まれないし、海辺の馬も死んでしまう。
 ピアノ調律師の少女に同伴して、しかも少女を超えた光と色の詩編、これこそ、単発ドラマの時代の幕開きである。マルセル・プルーストの傑作『失われた時を求めて』のテレビ版といったら、ほめすぎだろうか。コンプレの庭の、小さい鈴の音を聴いた瞬間、自らの生きた果てしない時の広がりを瞬時手にする『失われた時を求めて』プルーストは病と競走し大作を残した。『四季』のスタッフは
、今、青春の中にいる。撮影・吉田秀夫、音響・織田見之祐。
   
     (中略)

 『四季・ユートピアノ』が、イタリア賞RAI賞に続いて、八〇年度エミー賞優秀作品賞に選ばれた。“画一化・傾向化”が、今年といわず、従来のドラマの主流であるならば、少なくとも『四季・ユートピアノ』の受賞の意味は、もっと真剣に受け止められていい。主人公の少女の生の鼓動を映し出すことに賭けたこの詩篇を、認める人びとが存在したことは、明白なこととはいえ、繰り返し、あるいは自己増殖の社会的多数に対して、非社会的小数の輝きであり、あるべき世界への表明なのである。こうした非社会的側面の向こう側に、すべてが正義の名において放送されるドラマがある。

     (中略)

   昭和五六年(一九八一年)

   ベネチアよ・・・・
   『川の流れはバイオリンの音』(5月1日、NHK、脚本演出・佐々木昭一郎)に、詩、あるいは記号ということばを使って評するのは、無益と思われる。『川……』のイメージと音は、テレビの時空間にはりついてしまってヽ、これを文字に記そうとすれば、ともかくも、「川の日記」を妹に送るA子・中尾季世が出会ったイタリアを中心とするAびとの生活の、それこそ、刻一刻を、行きつ戻りつ想起しなけ粘ばならない。
 いわゆるドラマは、見終った後も、時間の流れに洽って、イメージが展問するけれど、『川……』 は、アソトニオであったり、ルイジであったり、またマリオであったり、更に果物屋のテレーザであ ったりする。全篇にわたって登場する(佐々木昭一郎によって選択された)人びとは、何と日常生活を素晴らしく表現することか。その魅力は、今日も昨日と同じ生活の中から、ごく当り前に流露する点にある。そんなイタリアの人びとの日記と、A子の「川の日記」が、あたかも栞をはさむかのように重なり合って日記帳をのぞぎ見できる構造になっている。何しろ頁をくるのだから、 はじめっから時間どおりである必要はない。
 八五歳の引退したバイオリノ作りのアントニオぱ、A子に「黄金の夢を!(ソニョ・ドオロ)という、おやすみの挨拶を教えてくれる。ついでに、バイオリンの弦にぬるミツバチのニスも・・・・。
 川に沿ってクローバーを探す老人・ルイジは、「ベネチアよ君は美人よ、マントバよお前は男らしい………一と、一度聞いたら耳をはなれないメロディを歌ってくれる。ドン川の戦争のことを物語る。孫のようなA子に、「馬車でバリに新婚旅行に行こう。セーヌ川で三年暮らそう」と、つぶやく。日常生活の重さと人はよくいうけれど、本来の日常性は、「愛嬌」も持っているものなのだ。
 元・ボクサー、いま自称歌手のマリオー彼は、酒場で、ワイングラスを歌でものの見事に割ってしまう。A子と、山羊の啼ぎ声の日伊語かけ合いから、山羊がたまりかねて本来の啼き声をきかせてくれる。おまけに、マリオは、いささか夫婦仲が、険悪な時もあるとくる。
 こうした人びとに、「虹の風景」や「屋根にうつる塔の影」や「ポー河の霧」−がはりついているのだから、たまらない。どの風景も、登場人物たちと同じように、日常そのものでありながら、一瞬閃光のように、日々の時間の裏側に光を当てる。
 『川……』は、生まれて、歴史の渦の中にのみこまれ、死んでいく人びとの暮らしが、実は、静か さの一点で、流れるままの現代をすり技ける技のあることを描いている。愛と断念という、きわめて 自己中心的な人生もあるだろう。しかし、愛は、生きる喜びは、何気ない日常生活のことばの中に在るものだ。何気ない音の流れにきこえてくるものだ。これを確信して、人生をきりとる時、『川……』 のようなドラマが生まれる。制作・勅使河原平八、撮影・葛城哲郎、録音・渡辺秀男、効果・織田晃之祐、編集・松本哲夫。 (七月)  

       (中略)

   昭和五八年(一九八三年

 話題ドラマやお笑い・ショー番組の間で、ドラマは三〇年目の模索を重ねていく。次のニ本は、三〇年のテレビの歴史の上に築かれた傑作であった。
   『アンダルシアの虹』(NHK)
   『波の盆』(NTV)

 『アンダルシアの虹』について、「ドラマ」誌に書いた一文を省略して引用する。
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 佐々木昭一郎のテレビ脚本が息づいているように読めるのは何故だろうか。それはテレビ脚本が造形化された文学性-詩の生命が脈打っているからにほかならない。
 佐々木昭一郎にとって、自らのテレビ脚本は、演出にかかせない羅針盤である。
 その羅針盤の目盛りには、「台詞」や「場所」、「人物の特徴」、「雰囲気」は無論、リズム、色彩、調子の差、匂いなどのニュアンスにいたるまでが書き記されている。
 それにもかかわらず、実際の航海は容易ではない。光つつ渡り来る風に「天国って、何色?」(『マザー』の台詞は、どのように響くであろうか。あるいは、「愛のシミは別の愛が消すだろう。愛は愛に会い続け・・・・」(『アンダルシアの虹』)の台詞は、どのような湿度や温度のもとで語られるべきか。
 かくして、テレビ脚本と演出とはあい携えてドラマの生命を作り始める。
 私たちの現実を超えた“現実”への旅。ドラマの物理的有限時間は、大海原の積乱雲のように、円錐上に虚空に立ちのぼる。ドラマの物理的時間は、二次元を離れて三次元世界隣り結晶する。目を閉じ“音”に耳をすませよう。
 『川の流れはバイオリンの音』に続く第ニ作『アンダルシアの虹・川(リバー)スペイン篇』は、さらに一層精緻な表現を伴ってとんできた。ピアノ調律師・栄子(中尾幸世)が、アンダルシア智合グアダルキビル川の人びとと出会い、一夏の生活を送る設定である。女主人公の栄子は、どのシーンでも人びとの普遍的な魂に一直線に進む。鍛治屋のペペ、洞穴堀の名人マヌエル、数学嫌いの少年ホアン、フラメンコ・ダンサーのピーリー、ギターつくりのアルフォンソーなど。白と赤の色彩美。赤いトマトの赤は、文明への痛烈なシッペ返し。市場にはシプシーの人びとのものを売る声がとびかう。抑制に抑制を重ねた表現から生活へのニュアンスがこぼれでてくる。
 ギター作りのアルフォンソ「働き続けて苦しかった。でも会えてうれしかった」。栄子の涙。悠久のグアダルキビル川の流れから見れば一瞬の触れあいであったとしても、ここには同じ世界の苦しみがある。それを同伴できる心だけが感じる人間の条件だ。少年ホアンは栄子の自転車を新品同様に修理する。ホアンのまだ若い人生での自転車のエピソードは、心の贈り物をも加味してほしいか。
 栄子の“やさしさ”、アンダルシア地方の人びとの表情は、現代という同時代が傷つけたものの反世界にある核心そのものである。

      (中略)

   昭和五九年(一九八四年

 『アンダルシアの虹』(NHK)の佐々木昭一郎は、「川シリーズ」第三作をチェコスロバキア国営放送テレビと共同制作した。『春・音の光』である。ピアノ調律師・栄子(中尾幸世)はスロバキアの人々の生活と音に出会っていく。その一人、羊飼いのオンドレイが長いムチで大地を叩くシーンがある。ムチの音も印象的だが、大地をたたく姿は。そこから春を呼び出すばかりか、人間の根源的な生と自由を希求してやまない律動感に満ちたものであった。この特徴は、『春・音の光』全篇にわたる基調である。制作・榎本一生、V・シショヴィッチ。

      (中略)

   文化庁主催の芸術祭は、映画、放送、レコードなど媒体芸術部門はこの年で幕を降ろした。昭和六〇年度からは、「芸術作品賞」として新しい制度がスタートする。
 昭和五九年度の芸術祭受賞作は次の通りである。
 芸術祭大賞 『心中宵庚申』(NHK、秋元松代脚本)
 芸術祭優秀賞『春・音の光』
         『家族・この蜜なるもの』(関西テレビ)
         『風にむかってマイウェイ』(TBS) 小山内美江子、大久保昌一脚本
         『危険な年ごろ』(NHK、池端俊策脚本、鶴嘴康夫演出) 
         『炎熱商人』(NHK) 深田裕介原作、大野靖子脚本、樋口昌宏、平山武之演出。