森崎東アーカイブス 日本映画データベースを増補

喜劇 女売出します

製作=松竹(大船撮影所) 
1972.02.05 
7巻 89分 カラー ワイド
製作 上村力   女売り出します ビデオ
監督 森崎東
助監督 大嶺俊順
脚本 森崎東 掛札昌裕
原作 藤原審爾
撮影 吉川憲一
音楽 山本直純
美術 佐藤之俊
録音 中村寛
調音 小尾幸魚
照明 三浦札
編集 森弥成
スチル 佐々木千栄治
 
配役  
金沢 森繁久弥
竜子 市原悦子
浮子 夏純子
米倉斉加年
村枝 久里千春
きた子 荒砂ゆき
朝子 岡本茉莉
タマ子 中川加奈
銀作 西村晃
石井 財津一郎
姉川 小沢昭一
鳥子 瞳麗子
礼美 秋本ルミ
徳田 花沢徳衛
菊男 植田俊
あけみ 関千恵子
スリに間違われた竜子が怒っている場面。画面左のテレビ
では学生と機動隊の衝突が報じられている(音だけ)
かおる 穂積隆信
こでまり 葵三津子
靴屋おかみ 赤木春恵
木村 田中正人
監視員 加島潤
スリ 旭瑠璃
スリ係の刑事 沖秀一
やくざ 岡本忠行
女中 秩父晴子
おばさん 谷よしの
りり子 佐々木梨里

▲▲2013年11月、オーディトリウム渋谷にて展示のポスター
▲右上のロングポスターもその時の展示


シリーズ
  1. 1971.05.19 喜劇 女は男のふるさとヨ 森崎東
  2. 1971.07.24 喜劇 女生きてます 森崎東
  3. 1972.02.05 喜劇 女売出します 森崎東
  4. 1972.12.09 女生きてます 盛り場渡り鳥 森崎東
 『喜劇・女売り出します』台本と完成作品の異動

        『喜劇・女売り出します』は真の傑作だ    池田博明女売り出します写真

米倉斉加年 1970年代にキネマ旬報で、戦後日本映画ベスト3選出の企画をしたとき、立川談志はこの『喜劇・女売り出します』を3本のひとつに選んでいた。他に森崎さんの映画を選んでいる名士は一人もいなかったので、とりわけ目立ったものである。

 『女売り出します』で、夏純子の力演はいうまでもない。しかし、札幌駅前地下の一本立ての名画座テアトル・ポーで、何度も(十回以上)見返した私は、この映画のその周りの人々の仕草や表情のひとつひとつが印象的である。
 右の写真はスクリーンをコマ撮りしたものを並べたもので、女売り出します名場面集として、私が小遣いをはたいて作成した夏純子絶賛のミニコミ『不良少女復興!夏純子』(1974年)に掲載したもの。
 当時はビデオもDVDも無かったので、映画は映画館で見るほかなかったのである。

 映画をきわだった傑作にしているのは、まず米倉斉加年である。「笑わせるぜ、まったく」と、はき捨てるようにつぶやく彼は、主人公・浮子(うわこ)夏純子の意気や行動を批判する役目だが、そして同時に彼女を手伝ってしまうことで、その意気やよしと応援する観客の気持ちに、お汁粉の中の塩味のような味付けをする。
秋本ルミ、夏純子、瞳麗子
 そして、浮子の実父として登場する西村晃である。盗賊の頭目で、やくざの間では一目もニ目も置かれているのだろう親分を、仕草ひとつで分からせてしまう迫力。ただ姿勢を変えて、頭を下げるだけなのだが。

 憎憎しげに敵役・きた子を演ずる荒砂ゆき、女将・竜子を演ずる市原悦子、そして新宿芸能社で浮子の仲間を演ずる女たち(瞳麗子、中川加奈、秋本ルミ、佐々木梨里)、小料理屋の女将になった久里千春。

 歌もいい。「強いばかりが男じゃないと、いつか教えてくれた人」『浅草の唄』が、クライマックスで流れてくる場面のタイミングは絶妙である。

 この作品は他の<女>シリーズ(女生きてますシリーズと言いたい)が、複数の女たちのエピソード集なのに対して、浮子中心の物語なので、映画に求心力がある。
 間然とするところのない真の傑作である。                (2007年3月)

 2014年夏の『映画秘宝』に葵三津子さんへのインタビューがあり、そこで葵さんは森崎さんの演出は「10センチ左へ動いて」といったような大変細かい指示で、女優の自発性を無視しており、「いやだった」と証言しています。石井輝男監督とは全然異なる不自由さだったと。聞き手は「逆かと思いましたが」と言っていた。フレームに入る人物の詰め込み方の見事さから、森崎演出の細かさは納得ができる。



        『喜劇・女売り出します』 略筋   野原藍   <映画書房『森崎東篇』より>

 電車の中で若い女の痴漢(夏純子)にあって正月早々ついてるぞ、ニヤニヤしながらトルコ風呂に行ってみて気がついた。財布をすられていることに。このお目出度いお父さん金沢(森繁久弥)と妻・竜子(市原悦子)が営むストリッパー斡旋業<新宿芸能社>の女たちをめぐってのシリーズ第三話はこうして始まる。 村枝(久里千春)がやっている寿司屋でその痴漢スリ女(夏純子)を見つけた金沢、後をつけたら案の定デパートでスリを働いた。捕まえて無理やり芸能社へ引っ張ってきた。女売り出します
 名は浮子(うわこ)、スリの指技を生かした手品ストリッパーとして売れっ子になるが、スリ仲間の武(米倉斉加年)が浮子を取り返しに来た。浮子の父親(西村晃)とあってはしぶしぶ武に同行する浮子、つい昔の習性が出て街ですった財布の中から、仕送りを待っているという母親の手紙が出てきて、すぐに反省して持ち主の女の子を探したら、その少女・朝子(岡本茉莉)は売春宿に売られて来たばかり。 熱心な浮子に武もホダされて、二人で大奮闘の末、朝子を連れ出すのに成功。
  (池田註:最初に客として下見をする武。朝子は山形県出身という設定で、ズーズー弁を話す。自分のことをオラと言うが正しくはオレですね。靴屋が売春の仲介をしている。このおかみ役は赤木春恵です。
 二度目に武に連れられた浮子は身売り少女を装って侵入し、武は朝子を映画を見せたいと連れ出す。打ち合わせの時間きっかりに見張りのすきをねらって映画館から逃げ出す二人。浮子がつとめていたバーのママ(関千恵子)に浮子呼び出しの電話を頼んでいたのだが、ママは電話するのを忘れていた。万事休す。やくざにヤキを入れられそうになっていた浮子は用意していた火炎瓶で宿舎に火を放って、なんとか脱出する。
 芸能社には娘を取り返しに浮子の父親・銀作(西村晃)が来る。前科十七犯の親分とあってみんなヒヤヒヤしている。そこへ上着の背中に焼け焦げを作った浮子が飛び込んできて、父親に自分が踊りで貯めた通帳を渡し、「ここは父さんと母さんの家です」、帰って下さいと頼む。
 父親は通帳を懐にしまうと、座ったまま後ろを向く。様子を見ていた村枝や踊り子たちはギクっとする。銀作は「おねえさんたちもよろしく」と挨拶し、縁側に下り、この金は縁切りの金だ、二度とツラを出すなと去る。浮子は金沢と竜子に「またかあさんと、とうさんの子供にして下さい」と訴える。竜子はお前はいつだってここの子供もだよと答える。踊り子たちも一緒に泣く。ヤマ場のシーン
)。
中川加奈、森繁久弥、市原悦子  浮子に求婚する男が現れたのは嬉しいけれど、いつもカブリツキで見ていた中年の税務署署員(小沢昭一)だって。もしかしたら税金をまけてくれるかななんて、みんな密かに思ったりして。とにかく二人の祝宴を芸能社の座敷でやっていて、宴たけなわで駆け込んできたのが村枝。板前の菊男(植田峻)をめぐって女同士のイザコザ(池田註:村枝は菊男の腕に惚れていた。ところが、村枝のところで働いていたきた子(荒砂ゆき)が菊男を色仕掛けで引き抜き、村枝のお店の傍に開店した)。
 ひと肌ぬがずにはいられないのが浮子の性分。ハネムーン待ちでソワソワしている税務署員をそっちのけで、トラブルの大元である純情男・菊男にセックスの手ほどきなんてしてあげちゃって。で、「村枝ねえさん頑張って」って帰ってきたんだけれど、どこでどうなったんだか、最後は純情男・菊男とウブな朝子ができちゃった。
 (池田註:この略筋の経緯は実際の映画とはやや異なる。菊男のとりあいになり、最後にものにした女の勝ちだという議論になる。浮子は菊男からきた子が指使いだけのセックスだったことを聞いていて、セックスが分かっていない菊男に自分の体で教えていた(その場面は出てこない)。浮子は「最後にものにしたのは、あたしだよ」と宣言し、父さんが菊男に確かめようと、芸能社の二階でケガをして寝ている菊男に聞きにいくと・・・看病していた朝子とデキていたという展開。税務署員は浮子の宣言にショックを感じる。これで結婚話は壊れた
  スリの武は朝子のいた売春宿のヤクザに見つかって、商売道具の指二本もつめさせられたのを機に足を洗って八丈島で百姓やるんだって。税務署員と結婚しそこなった浮子は新宿芸能社に返り咲き、年増の村枝も太っ腹なところを見せて、朝子と菊男を自分の店で働かせるし、メデタシメデタシの正月がやってきた。

 「ちゃりんこ浮子」(『わが国」おんな三割安』所収)を原作に、朝子救出劇と菊男の取り合い模様を加える。原作には武や税務署職員の設定は無い。


     喜劇・女売り出します(松竹:森崎東監督)  池田博明
           役者論  夏 純子  

         (大阪の新聞『週刊ファイト』.1974年1月14日号)

 生まれおちてからこのかた,世間の波にもまれて,それなりにすれ,垢じみてきている。それが成長というものだろう。それでも,いつも「純粋さの核」にふれることを願っていて,東へ西へと流れつづけるのだ。
 それは,壊れやすいほどのやさしさという形をとることもあれば,やりたいことはやる,つたなさとみえることもある。
 森崎東監督の映画『女売り出します』で初めて出会ったスリの少女,浮子(うわこ)こと夏純子は,その両面を持っていて,すっかり意気に感じてしまったのだ。
 スリから御座敷ストリッパーまで,文字通り身体をはって生きている。つかまっても,命乞いするようなケチな了見はもちあわせちゃいない。裸にまでなって,しらばっくれる。
 いきがかりで知った少女が,暴力売春宿へ売られてきたんだとあっちゃ,矢も楯もない,救出作戦を開始する。
西村晃と夏純子 泣きたい時にはわっと泣く。そうだ!うつむいて,唇噛んで,いじいじするのは,夏純子に似合わないんだ。
  (左の写真は西村晃が縁切りの宣言をする場面)
 相手の眼をまっすぐに見返してくるその大きな瞳。
 あの瞳で見送られた時,僕はどんな背中をみせたらいいのだろう。『キャバレー』のライザ・ミネリのクルリと背を向けて歩み去りながらバイバイしてみせる,さり げないけれどもはりつめた「さよなら」もよかったが,じっと見つめる夏純子の「さよなら」もいいのだ。夏純子
 実は夏純子,以前から,日活の『女子学園』シリーズの中学生番長で,『不良少女魔子』の魔子で,その他五社はもちろん,若松プロの『犯された白衣』にも出演して,知る人ぞ知るの活躍をしていたのだ。
 ちっとも映画を見ていなかった僕が知らなかっただけのことだ。
 知らないことは強い。僕は誰も知らない秘宝を探しあてた時のように喜んでしまったのだから。
 「第二の浅丘ルリ子」という売り出しだったそうだけれど,浅丘ルリ子より,ずっと庶民的だし,体当り演技が素晴しい,身近なわれらのヒロインなのだ。
 夏純子ばかりか,それからというもの,ストリッパーや娼婦で,いきいきする女優さんが,とても好きになってしまった。
 緑魔子や,野川由美子,春川ますみ,太地喜和子,横山リエ,市原悦子。「女生きてます」といったようなこの大攻勢に僕はたじたじとなり,恥ずかしくなってしまうのだ。
 幻のやさしさ。
 やさしさが恐いのである。そして,恐いものに出会いたいのである。



    1974年2月の放談 ミニコミ誌『不良少女復興!夏純子』より、手紙を編集した架空対談

ヤバイ卒業 YASこと平田泰祥 “『女子学園・ヤバい卒業』(日活、1970年12月)は日本版『小さな女の子のメロディー』(『小さな恋のメロディー』のもじり)で、夏純子以下、ヘンな女の子たちが、大人たちに対して《反逆のメロディー》を口ずさむ。大人たちの倫理ではなく、女の子たちの倫理でね。その行動のツウカイさ!
 別に夢も希望もないけれど、現実は現実だ。生きたいように生きるのさ! うんこさんの岡崎二朗もひたすらおかしい。”

 YOTAこと池田博明 “クソーっ、見てない。ヘンな女の子の有崎由美子はTV『ママはライバル』なんかの他に、NHK『連想ゲーム』の「ワンワンコーナーのゼスチャー・ウーマンで出てるし、『ぶらり新兵衛』のレギュラーだ。1973年11月29日「九年目の巡り合い」ではエピソードの焦点になった。”

 MAOこと藤田真男 “黒木和雄が『日本の悪霊』に岡林信康を起用するよりも早く、沢田幸弘は『ヤバい卒業』で、デビューまもない頃のよしだ・たくろうを使ったのだから、その若々しい感覚には驚く。”

 YOTA “ここで、たくろうの歌をといきたいところだけれど、巷に氾濫しているのでやめとく。代わりに『喜劇・女売り出します』の「浅草の唄」をいこう。YAS、歌えエ!”

 YAS “歌います。
  (一)強いばかりが 男じゃないと いつか教えて くれたひと
     どこのどなたか知らないけれど ハトと一緒に 歌ってた
     あ〜あ、浅草の その唄を”
  (ニ)かわい あの子と シネマを出れば 肩にささやく こぬか雨
     かたい約束かわして通る 俵町から 雷門
     あ〜あ、浅草の こぬか雨 
  (三)池に映るは 六区の灯り 忘れられない 宵の灯よ
     泣くなサクスよ泣かすなギター 明日も明るい 朝が来る
     あ〜あ、浅草の宵灯り
  (四)吹いた口笛 夜霧にとけて ボクの浅草 夜がふける
     ハトも寝たかな こずえの陰で 月が見ている よもぎ月
     あ〜あ、浅草のおぼろ月
  これは戦後まもない頃の『浅草の坊ちゃん』という映画の主題歌なのだ。”

 YOTA “『女売り出します』で、この歌は三回出てくるのだ。一回目はメリー・ゴーラウンドからパン・ダウンして、靴屋が出てくるところ。この靴屋は売春宿への仲立ちみたいなことをやっている。二回目は、バ−のホステスになった浮子と武が朝子救出の計画をねるところ。ここで、武ははずみで飲めもしないウィスキーを「笑わせるぜ、まったく」とあおって、ヒーッてなことになる。三回目はバーの裏で武が指をつめられるシーン。血だらけの手が画面の中央に出てくるところで鳴り始める。武が指を切られているシーン(その前の追われているシーンでも)では、ずっと激しいロックが鳴っていて、このギリギリした緊張感から、「浅草の唄」へと解き放れたときの快感といったら、すごいよ! 中盤、武が朝子のハガキを読むところではバックに『男はつらいよ』のテーマソングと語りが聞えていて、ご愛嬌。”

 YAS “朝子ひとりが助かるけど、同じ境遇の女は沢山いるのに、不公平だと思う。それに武も「親分の顔に免じて」ということで、指だけですんだわけだ。こんな「顔」の組織はダメじゃないの!”

 YOTA “森崎さんは浮子の生き方に肩入れしてるんだ。あざといやり方で菊男(植田峻)をひきぬいたきた子(荒砂ゆき)が言う、「女ひとりで生きてく苦労なんか判ってたまるかってんだ」と。ジャックの刺青
 松竹では「女」シリーズといってるけれど、「女生きてます」シリーズということにした方がいい。少なくとも我々、混血桃色通信のメンバーだけでもそう言いたい。『盛り場渡り鳥』(1972年12月)では喜劇の題がなくなって、『女生きてます』てな副題だし。”

 MAO “そう言えば、『盛り場渡り鳥』、一年ぶりに再見したら、素晴らしく見直した。72年度のベスト・テンに入れるべきだった。初子(川崎あかね)が新宿芸能社からイタダイテきたオルゴールに「北海道旅行記念 初子」と自分で書いて、盗んだんじゃないという。フタを開けると流れるのはなんと!「五木の子守唄」。九州旅行記念と書かないところもオカシイけれど、九州は森崎さんの故郷ということを考えると更に意味あり。山崎努が救急車の中でドモリなのに歌を歌いだす。それが「島原の子守唄」。泣ける。白鳥の歌だね。”

 YOTA “森崎さんの映画は見るほどにいい。『野良犬』も再見してよかったもんね。”

 YAS “あんなA級映画知らないよ。悪かないけど。沖縄の少年たちが犯人だってのがピンと来ない。芦田伸介の家庭もいやだ。”

 GYAこと村上知彦 “「共犯幻想」なのだ。”

 YOTA “現代の孤児たちの、ね。ところで、『必殺仕掛人』の川崎あかねは、渡辺美佐子の後継者てな感じだ。”

 YAS “川崎あかねにはイキなところが無いのだ。夏純子の話をしよう。『女の警察・乱れ蝶』(1970年7月)では処女を小林旭にささげる女でいかにもエキセントリックな女というか・・・思いつめたら死ぬまでという、夏純子らしいイメージがあったな。夏純子の系列としては浅丘ルリ子、中野良子、夏純子。自我の強い女。そして、その反対としてひどくもろい女。ぴったりだもんね、TV『さよなら、今日は』を見ると分かる。”

三匹の牝蜂 GYA “『三匹の牝蜂』(東映、1970年6月)での夏純子ちゃんはスゴかったぞ。スケコマシの手引きをしていて、女を車に連れこんで、彼女が運転し、後部座席で男に強姦させる。女が騒ぐと、純子ちゃん、「ごめんなさいね、ここ高速道路で、車、停められないの」と平然と言ってのける。暴力団とイザコザがあって色々・・・ラストはまた純子ちゃん、万博会場で左卜全の農協さんにコナかけてるのだ。もちろんホテルに着いて、男が風呂に入っているスキに財布をいただいてズラかるのである。前半にこのシーンが出て来て、「ああ、またこの繰り返しか、ヨーヤルなあ!」と思わせてジ・エンドというわけ。”

 YAS “夏純子は、おてんば役がサイコーよ。『ネオン警察・ジャックの刺青』(日活、1970年10月)にしても、『剣と花』(松竹、1972年4月)にしても、『ほえろ大砲』(東宝、1972年10月)にしても、おばさん役をさせられて、少し疲れた女の役なんて似合わんのだ。その点、少し出番が少ないけれど、『反逆の報酬』(東宝、1973年2月)では、すごくカワイイのだ。マミはなんせ『冒険者たち』のレティシアなんだから。『女売り出します』は夏純子らしさに欠けるのヨ。”

 YOTA “僕には森崎東と夏純子の夏こそ、夏純子なのだ。でも、『不良少女魔子』や「女子学園」シリーズは見ていないのだな。『高校生無頼控』は森崎さんの『喜劇・男は愛嬌』や『女売り出します』でよかった中川加奈がカワイソウでみじめだった。中川加奈は春川ますみなのだ。江崎実生・斎藤耕一の失敗!”
森繁久弥、葵三津子
 YOTA “森崎さんの「女生きてます」シリーズはキャスティングの関連性も面白いのです。竜子役は中村メイ子、左幸子、市原悦子、中村メイ子と変化します。あまり表に立たないストリッパーたちの顔ぶれが少しずつズレている。また、『女生きてます』には『女は男のふるさとヨ』の倍賞美津子がラストのほうで「結婚する」と報告に来るので出演するし、『女売り出します』には、『女生きてます』の久里千春と佐々木梨里が出演していた。
 佐々木梨里は『女売り出します』ではオセチ料理をほおばりながら「だってさ、ここがあたしたちのウチだもんね」と力説していた踊り子役で、『フーテンの寅』での女中役もよかった。
 『女売り出します』のトルコ嬢こでまり役の葵三津子(『恋狂い』『仁義なき戦い・頂上作戦』)はニ〜四作に出演。”



  『不良少女復興!夏純子』は池田博明が作成したガリ版ミニコミ誌(1974年3月21日発行)。
 写真ページは特注で作り、札幌オリオン座からいただいたスチールを使用していました。
 また、『喜劇・女売り出します』の写真は札幌テアトル・ポーで画面をコマ撮りしたもの。


  白井佳夫・田山力哉   森崎東監督の『喜劇・女売り出します』
        森崎喜劇の生き生きした大衆性の回復
        (キネマ旬報1972年4月575号) 今号の問題作批評

    ワイザツで図太いセックスを

 森崎東監督の〈喜劇・女〉シリーズはこの第三作で、安定したペースを生み出してきたようである。何よりも、やたらに肩ひじ張った、アクセントの高い力みすぎが無くなってきた。ごくふつうに、リラックスして見られる平明なドラマ展開の上に立って、この映画は、スムースに進行する。
 通俗的な物語性や、大衆的なセンチメンタリズムや、爆笑をさそうギャグなどが、観念的な命題や抽象的なテーマなどに直結することなく、まず万人を心おきなくハラハラさせたり、涙ぐませたり、大笑いさせたりする、親しみやすい具体的な表現となるよう、心がけられているのがいい(二月下旬号。『生まれかわった為五郎』評参照)。森崎喜劇の、かなり生き生きとした、大衆性の回復である。
 と書いてくると、まだ見ていない人たちからは、何だついに森崎喜劇も松竹プログラム・ピクチュア喜劇路線に埋没か、などといった誤解を、招くかもしれない。森崎喜劇があのうんうんとした力をこめたコワバリの底力を失ってしまったら、それは魅力喪失につながりはしないのか、と。
 だが、けっしてそうではない。表現のスタイルこそ平明になったが、『喜劇・女売り出します』には、実はその中でシリーズ三作中最もワイザツで図太いセックスをテーマにしたドラマを展開してしまおう、という一寸した魂胆が秘められているのである。われわれ下つ方の人間どもが大好きな、あの生活的で庶民的なエロ話のエネルギーの、相当にエゲツない作品への取り込みである。
 まず巻頭、夏純子の少女に森繁久弥の新宿芸能社のおとうさんが、国電の混雑の中で〈痴漢行為的なムード〉で金をスラれてしまうあたりからはじまって、スリの嫌疑をかけられた少女の裸になっての居直りがあり、トルコ風呂のスケッチがあり、銭湯の女湯での裸の大乱闘まである。
 例によってのお座敷ストリップはもちろんのこと、コタツを使った小話風エロから、あいまい売春宿の話、さてはスシ屋のおかみとスナックのマダムの若い店員の取り合いセックス騒動から、ついには夏純子のからだを張った〈セックス教授〉のお話にまで及ぶ。かなりのみごとな徹底ぶりである。
 それはわれわれをとり囲む、一九七二年の日本にうずまく、おなじみの日常的なワイザツさである。東映のポルノ路線映画や日活ロマン・ポルノ路線映画が、深夜興行のお客さんを吸収して大いにやっているのと地つづきの、日本的なエロティシズムの世界である。
 その中で生きるスリ上りのお座救ストリッバー夏純子の、こう然と身体を張って居直った生きざまが、彼女の肉体と個性を通じて、リンとしてカラー・ワイドのスクリーンを通して際立つのが、壮観である。要所要所に使われるストップ・モーションで、キマった彼女の股体と表情をひろっていくテクニックも、すこぶる効果的だ。日活時代以上といってもいい生き生きと魅力的な夏純子である。
  『男はつらいよ・寅次郎恋歌』で旅役者の少女をやった岡本茉莉や、「笑わせるゼ」という棄てゼりフをキメ手キメ手のシーンで連発する米倉斉加年も、いい。そして孤独なスリの老親分を好演する西村晃や、インテリ税務署負をやる小沢昭一、若いスシ職人の植田峻など、総じて男連中がみんな虚勢をはったりへナヘナしているのに対して、夏純予や岡本茉莉をはじめとする新宿芸能社の女たちがみんな、このワイザツな日本の中で清く正しく生きていく、などといぅピューリタン的な態度なのではなくて、むしろワイザツなセックスを図太く経過することで、自分に堂々と生きていく生命力を増幅していくという生きかたをみせるのが、正当である。
 かくして、かなりエゲつないダイナミックな話を、平明に笑わせたり涙ぐませたりしながら、ストレートに観客の胸の中に撃ち込んでしまおう、という森崎東の作戦は、『喜劇・女売り出します』で相当な成果をあげた。
 ここまで来たら私は、松竹にこの〈喜劇・女〉シリーズを、もう原作を全く離れたオリジナルとして、なお本格的に連作化することを提言したい。森繁久弥と市原悦子を狂言回しに、新宿芸能社という場の中に毎回ゲスト女優を迎えて、そこから新たなドラマを生んでいく方法である。さしあたり松竹に出るという渥美マリあたりをゲストにして。
     〈白井佳夫〉

    若い俳優達ののびのびした個性

 芸達者の俳優たちがのびのびとその個性を発揮して大いに笑わせる、喜劇演技の面白さが隅々にまで充ちている作品だ。
 そのベテラン達に混じって、日活映画『不良少女魔子』で秀逸な演技を見せた夏純子がスリの少女で主演している。彼女にとって非常に効果的な松竹デビューといわなければならぬ。
 まず、冒頭の満員電車のシーンでは、森繁が若い娘とピッタリくっついて気分を出している。例によって、生活力ないくせに好色なじいさんといった感じを無難に演じている。今回は、彼の女房でお座敷ストリップを仕切っているかみさんには市原悦子が扮しているが、威勢のいいタンカがポンポン飛び出して迫力あることこの上ない。「職業に貴賎なしというけど、お前たちはそんな大それたこと思っちゃいけないよ・・・」などと、仔細らしくストリッパーたちに訓辞するあたり、彼女がセリフをしゃべると、脚本がユーモアとして生きてくるのだ。
 車中の若い娘が実はスリで、森繁が彼女をしょっぴいて家へ連れてきて、身体検査をしようとすると、今度は娘が居直り、気の強い娘よろしく夏純子の大タンカ、ついにパンティまで脱いでしまう。が、結局スリとバレてこの家のストリッパーにおさまると、米倉斉加年のアンちゃんが、女を返せとがなりこんできて、市原とタンカの応酬もいい。から元気を返すが、気の良さがつい出てしまう性格を、滑稽味たっぷりに演じた米倉が圧巻だ。「笑わせるぜ、全く」のセリフも生きている。
 小沢昭一、西村晃のベテランの演技も、この喜劇に厚みを増している。夏純子が扮する浮子は、いつもその時その時の感情に柔軟に反応して生きて行く女で、魅力があるが、一言も口に出すことなく、米倉のアンちゃんへの情念を表現して見せたのはさすがで、これからいよいよ楽しみな女優だと思う。
 こうした俳優たちの喜劇の芸を、森崎監督がボリュームたっぷりにまとめあげ、庶民の生きるバイタリティーの厚みを、笑いの中に描き出している。
    〈田山力哉〉
 

 (松竹映画*封切日二月五日*上映時間一時間二九分*紹介五七三号)

女売り出します 米倉、森崎、夏

Amazon.co.jpのVHSレビューより  素敵な文章なので採録させていただきました

     森崎喜劇の傑作  S_WATANABE

 お座敷ストリップ斡旋会社「新宿芸能社」の社長、金沢(森繁久弥)は、ある日、満員電車の中で若い女スリ(夏純子)に財布をすられる。すっかり憤慨した金沢だったが、数日後、偶然、デパートで女を見つけ、無理矢理会社に連れ帰って尋問する。ところが、彼女は素っ裸にまでなるが、証拠は全く出てこない。彼女の威勢のよさに惚れこんだかあさん(市原悦子)は、風来坊の彼女を家に置くことにするのだが…。

  「新宿芸能社」を舞台に、女たちの不器用ながら逞しい生き方をペーソス溢れるおかしさで描く、森崎監督の「女」シリーズ(1971〜72)第3弾。毎回、かあさん役が変わるが、本作では、市原悦子が鉄火肌で情にもろいかあさんを好演している。主演は、日活女優の夏純子(『夏純子の女子学園シリーズ≪白薔薇≫DVD-BOX』)。

  森崎監督ほど、松竹の「小市民映画」の伝統の流れを汲みつつも、独自の視点で、市井の(底辺に近い)生活者たちの姿を活写するのに長けている人もいないだろう。猥雑で、生臭く、粗暴なザラザラした触感で人生を描き出すのに―つまり、誰もが目をそむけようとする人生の真実の姿だ―、決して露悪的に陥らず、むしろ心地いい人情味(といっても感傷過多に陥ることはない)に溢れ、登場人物たちに愛おしさを感じさせずにはおかないのは、まるでディケンズの小説を読むかのようだ。それこそが森崎作品の身上であり、魅力だ。
  同じ松竹の「古き良き」伝統を律儀に守り、人情劇を創り続けている盟友、山田洋次監督と比べられ―森崎監督が『なつかしい風来坊 [DVD]』(1966)、『愛の讃歌 [DVD]』(1967)、『第1作 男はつらいよ HDリマスター版 [DVD]』(1969)などの山田作品の脚本を書き、逆に山田監督が森崎作品の脚本を書いたりしている仲だ―、「人情喜劇」という括りで2人を語ることができるが、その作風は似ているようで全く似ていない。
 山田作品でも社会の底辺で懸命に生きる森崎的キャラクターが出てくるが(そのもっともたるキャラクターは、森崎監督が関わった脚本による、渥美清の寅さんであり、ハナ肇の源さんであり、浅丘ルリ子が演じたキャバレー回りの歌手リリーだろう)、あくまで山田作品の彼らは、社会からはみ出した少数派の異端の存在として扱われる。そして、良くも悪くも、品良く松竹の「小市民映画」の枠内できれいに収まってしまう(もちろん、松竹の看板監督である以上、あからさまな冒険が出来ないという制約もあるだろう)。
 それに対し、森崎作品では、そういった社会の底辺で生きる人物たちこそが主人公となり、松竹的「小市民映画」をなぞりながらも、破天荒なパワーで、その枠を壊していく。山田作品の人情劇とは、決定的に視座が違うのである。

 本作で、孤独な女スリに同情して、彼女の身受けをしたかあさんの肩を揉みながら、とうさんが、ほとんど森崎監督の信条(=心情)を代弁するように、しみじみと言う。「20までは鑑別所暮らし、30までは男狂い、そしてついにはこんな仕事をするようになった姐御だ。世の中の半端者はみんな身内だろうよ」。まさに森崎作品は、世の「半端者」たちの讃歌なのであり、彼らは森崎監督にとっての「身内」なのである。
  本作に出てくる半端者たちは、肉体的にも精神的にもしたたかで(一方、不器用でもある)、どんな状況でも決してへこたれない。といっても、「女」シリーズというだけあって、女たち「だけ」が強くて、男たちは、からきしだらしがない。森繁のおとうさんなど、若い愛人(であり板前)を寝取られた知人の小料理屋女将の代わりに、寝取った女のところに文句を付けにいくが、逆にどやされて退散してしまうし、それ以前に、かあさんから年中怒鳴られ小さくなっている。『社長』シリーズや『猫と庄造とニ人のをんな』(1956)を挙げるまでもなく、「女の尻に敷かれる小心者ぶり」が似合う森繁ならではのおかしさだ。
 彼ばかりではない。若い板前は、自分の意思を持たずに、フラフラと女に誘惑されてしまう有様。森崎的強い女たちの前に、男たちはすっかりタジタジの状態。
 それに対して、女たちはとにかく強く、生き生きと輝いている。「新宿芸能社」のかあさん、市原悦子の鉄火ぶりもすごいが(「新宿芸能社」をとりしきる実質的なボスだ!)、何と言っても、主人公、浮子を演じる夏純子(日活からの客演だが、わざわざ借りてきただけの価値はある好演!)の行動力と気風のよさが、観ていて胸がすくような爽快さで、素晴らしい。
 スリをしているところを見つかり、とうさんに「新宿芸能社」に連れてこられて金のありかを訊かれる場面では、黒目がちの大きな目でしっかりと皆を見据えながら、何の躊躇もなく裸になる。さらに、財津一郎(森崎作品の常連だ)の町医者が、「女スリってのは、自分のポッケに…」などと下品なこと言って追い討ちをかけても、ひるむことなく、「どうだい、これで満足かい!」とでも言わんばかりの面持ちでピョンと跳んでみせる。
 また、田舎から出てきた純情な娘が、売春させられそうだと知るや、彼女を救出するために、ヤクザが経営する売春斡旋場にもぐりこむ危険も冒す。ヤクザたちに捕まり、輪姦されそうになると、火炎瓶を放って、燃えさかる建物の屋根から逃げ出す豪傑ぶりだ!
 お世話になった女将さんが、情夫(店の板前)を寝取られたと聞けば、新婚旅行へ出る前に情夫のところへ行き、女将さんのもとへ戻る約束と引き換えに、情夫に自分の身体を許すという具合。ただ強いだけではない。
 おせっかいなまでに、他人に対する思いやりにも溢れた、やさしい女でもあるのだ。
 森崎作品の女たちは、自立した(というよりは孤独な)女であるがゆえに、自己防衛本能が過剰に働き、強い面ばかりが表に出てきてしまうのだが、その下には、実は女らしい、やさしさや弱さが潜んでいるのである。だからこそ、他人の弱さが自分のことのようによくわかり、つい他人にまでやさしさを施してしまうのだ。自分が不幸だから、せめて他の似た者にぐらいは幸せになってもらいたいというような浮子のやさしさが切ない。
  浮子を子どもの頃から知るスリ仲間の青年、米倉斉加年(しがない感じが実にいい)は、何かを言う度に、必ず、語尾に「笑わせるぜ全く」という独り言を付け加える。このどうしようもない世の中を「笑うこと」で、ニヒリストを気取っているのだが、実のところ、世の中に対して向っていく強さを持たない自分に対する自嘲であり、言い訳にも聞こえてくる。まさに森崎作品の不甲斐ない男の典型(といっても、森崎監督はそんなダメな男たちを非難するわけではなく、女たちと同等にやさしい眼差しで描いている)。
 浮子はそんな幼児的で青臭いニヒリストぶりをしっかり見破っていて、彼が喋るのを制して「笑わせる?」と訊き返す。

  森崎的女たちは、そんな「笑う」しかないようなことばかりが連続して降りかかる理不尽な世の中(人生)であっても、男のように、それを呪い、自嘲気味に笑って済ます(=逃げる)などということはしない。幸福を求めて、実際に行動し、文字通り身体を張り、力強く前進して行くのである。

 本VHSは、(おそらく)35mmオリジナル・ネガからローコントラスト・プリントを焼いて、そこからテレシネしたマスター(1インチ)を使ったと思われる画質。DVD時代のように、徹底的なカラコレ(=色補正)やレストアはされていないので、色調がくすみ気味で、キズも散見されるが、VHSとしては、平均的な画質だろう。音声は明瞭。
 松竹時代の森崎監督の「女」を主人公にした作品は、現状、『あの頃映画 「喜劇 女は度胸」 [DVD]』しかDVD化されていないので、本作も一日も早くHDテレシネ、レストアをして、DVD/Blu-rayの発売をして欲しいところだ。