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 映画 日記              池田 博明 


これまでの映画日記で扱った作品データベース  映画日記 前月の分  



2015年9月1日以降、2016年1月31日までに見た 外 国 映 画 (洋画)

見た日と場所 作  品              感    想 ・ 梗  概   (池田博明)
2015年12月31日



教育テレビ
14:00~17:00

独裁者の部屋



スウェーデン
2014年
29分
 2015年日本賞受賞作品、高校生向け全8話のうち第1話を見せる。8人の青年を監禁し、8日間生活させる。独裁者の部屋の勝者には賞金が出る。独裁を体験させる。(1)外出禁止令を守れ、(2)労働は人生、、(3)全てを報告せよ。最初は全員で5個の日用品を選ばさせられる。選ばなかったトイレットペーパーはすべて除去されている。さて、翌日は何が起こるのか。第2話以降は省略だった。
 クリエィテイブ・フロンティア・カテゴリー部門の最優秀賞受賞作品「民主主義って何だ?」(スウェーデン教育放送TV)。
 一般向けカテゴリー最優秀賞およびグラン・プリ受賞作品「キミの心の“ブラック・ピーター”」(オランダ、59分)。監督はスニ・ベルフマン。祭りで聖ニコラスのお供として子供たちにプレゼントを配る陽気な黒人が演じられる。それがブラック・ピーター。しかし、黒人差別を助長するキャラクターだという批判、それに対して子供時代の大切な思い出だという保守派の反発。国論を二分する意見の対立が起こる。監督は黒塗りのブラック・ピーター・メイクで子供時代の憧景がないロンドンに乗り込む。ロンドンでは、街頭で黒人を馬鹿にしてるんじゃないのという批判を次々に受ける。オランダの伝統だと説明しても奴隷制度時代の歴史だと一掃される。
 無意識に白人を権威づけしている気持ちが多くのひとのなかにある。それが実験(白人、ラテン系、黒人の若者に野外で自転車を盗ませる。それを目撃した人々の反応を記録する)などによって、あぶり出されてくる。ケンブリッジ大学の研究者が無意識に白人を好む度合を判定する質問ソフトを開発させた。監督にもやや白人を好む意識があると判定される。
 アムステルダム市長のブラック・ピーターには人種差別意識はない発言を市の裁判所は差別意識はあると裁定したが、上告による高等裁判所では覆った。
2015年12月21日-24日


BS2
ウォルト・ディズニー




USA
サラ・コルトPD
49分×4回
2015年
 ディレクターもサラ・コルト。BS世界のドキュメンタリー「ウォルト・ディズニー」生い立ちから晩年までの映像を交えての記録。NHKオン・デマンドの見逃し番組で視聴。
 第1章「ミッキー・マウスの誕生」。ウォルト・ディズニーは、自分の父親のようにはなりたくない、父親を反面教師として自己形成をしていったようだ。アニメに実写の人物を取り入れるというアイデアが、窮地に陥ったウォルトを救った。それがアリスもの。人気キャラだったウサギのオズワルドがアニメーターも含めて乗っ取りに逢い、別のキャラクターが必要になったときに生まれたのがミッキー・マウスだった。
 第2章「アニメーションのパイオニア」。1937年12月21日が「白雪姫」のプレミアム上映だった。上映は大成功。製作期間、製作費を大幅にオーバーしていた作品だったが、興業的にも世界中で成功した。アカデミー賞では特別賞だった。しかし、長編アニメ第二弾「バンビ」は行き詰まって延期、市場であるヨーロッパとの戦争もあって、第三弾「ピノキオ」は暗い面が受けずに大赤字、抽象的な表現に取り組んだ実験的な「ファンタジア」も興業的には成功しなかった。
 第3章「戦争と混乱の時代」。1941年5月19日、待遇改善を求める従業員のストライキが起こったが、ウォルトはそれを理解できなかった。自分に対する陰謀で陰に共産主義者がいると決めつけた。1942年8月「バンビ」公開。リアリズムが追及された作品だったが、賛否なかばした。ディズニーの長編アニメの最初の5本(ビッグ・フェイブ)は、どれひとつとして同じものが無い。挑戦に次ぐ挑戦だったと言えよう。ディズニーらしさというものは無いのである。ウォルトがストライキに辟易して南米に逃亡している間に兄ロイがストライキを解決、ほぼ従業員の要求を通した。戦後、リーマスじいやの物語を原作に実写にアニメを組み合わせた「南部の唄」を製作。奴隷と主人の牧歌的関係が現実を美化していると批判された。自然ドキュメンタリーを物語にしてしまった「アザラシの島」等が製作された。1952年にWEDという会社を作り、ウォルトはディズニー・ランドの実現に向う。テレビ番組製作と引き換えにABCテレビから建設資金を調達。建設途中をテレビで中継して開園までの興味を高めた。
 第4章「“夢の国”ディズニー・ランド」。1955年7月17日、ディズニー・ランド開園。猛暑日だった。アトラクションは十分に完成していなかったが、ABCテレビでは生中継を行ない、翌日からの一般開放には多くの客が訪れた。ディズニー・プロの成功作は『メリー・ポピンズ』。その後の『フラヴァ』や『罠にかかったパパとママ』等では楽天的な世界観が酷評された。ウォルトはフロリダの土地を買収、エプコット(実験的未来型都市)構想を現実化しようとしたが、1966年12月15日、肺がんが元で死亡。

2015年9月13日


レンタル
気狂いピエロ


フランス
1965年
109分

 ストーリーを語っても意味がない。必要ならば、『気狂いピエロ』の素晴らしさを物語の展開に沿って静止画とともに語ってくれているブログがあるので、それを参考にしよう。引用で成立している作品だが、別に引用元を知らなくても差し支えない。
 フェルディナン(J.P.ベルモンド)は妻子があるにもかかわらず、五年前に付き合ったことのあるマリアンヌ(アンナ・カリーナ)とよりを戻し、彼女の殺人をきっかけに起こる逃避行に同行することになる。セリフが歌になるミュージカル映画的な部分があったり、衒学的なセリフがあったりコラージュ的な作劇で映画が虚構であることを意識させながら見せる作品だった。
 日本公開は1967年。その当時見たらショックだったと思うものの、DVDでどんな映画もB級鑑賞できてしまう時代では衝撃が際立たない。通俗映画に前衛の展開を期待している私には見どころの少ない映画であった。
2015年9月12日



レンタル
勝手にしやがれ


フランス
1959年
90分
 ゴダールの有名な作品だが、落ち着いてみる機会がなくて、今になってしまった。襟を正して見るのは、場違いな感がある。
 ミシェル(J.P.ベルモンド)は航空会社のパーサーだったが、いまは自動車を盗んで乗り回し、女のヒモ同然の生活をしている青年。工事の規制を突破して白バイに追われたとき、たまたま盗難車のダッシュボードにあった拳銃で警官を撃ち殺してしまう。逃走に賭けるわけでもなくミシェルはパリへ戻って、ヘラルド・トリュビューン誌を売るアメリカ娘パトリシア(ジーン・セバーグ)に声をかけ、一緒に寝ようと誘う。仕事の金の支払いを受け取っていないらしいミシェルはボスとの連絡を取ろうとする。パトリシアは気ままなミシェルに魅かれつつも自分の気持ちに確信が持てない。新聞に射殺犯、手配中の記事が出る。刑事にミシェルの居所を訪ねられて一度はシラを切ったパトリシアだったが、再会の約束場所を警察に通告する。
 背中を撃たれてよろめき、倒れたミシェルは最後に「俺は最低だ」と目を閉じる(冒頭の「俺はアホだ」に照応するセリフである)。パトリシアは警官に聞く。「最期に何て?」、警官「あんたは最低だって」、パット「最低って何?」。
 植島啓司の引用より、“ ゴダールは1960年の『ル・モンド』紙のインタビューに次のように答えている。
  「私は、トリュフォーの主題から出発してアメリカ女とフランス男の話を物語ったわけです。ふたりの仲はうまくいかない。男のほうは死について考えているのに、女のほうは死なんか考えないからだ。私はこのアイデアをもちこまない限り、映画がおもしろくなるわけがないと思った。青年の方はかなり前から死ぬことばかり考えている。死ぬことを予感している青年。そういう考え方から、青年が街頭で事故死を目撃するシーンを撮った。同じ理由で、レーニンの言葉、《われわれは賜暇中の死者である》を引用し、モーツアルトが死の直前に書いたクラリネット協奏曲を使っています」
 その通り、2人はよく言葉を交し合うが、どこかですれ違っていて、同じ意味が同じように受け取られていない。好きになればなるほど、ウソが入り込み、すれ違いが起こる。そして、それは恋人たちの間だけに限ったことではない。それがこの映画の基調低音となっている。
 また、スクリプターのS・シフマンは、現場でのゴダールについて次のように語っている。
  「話が終わって、私、ゴダールに『この映画は2時間くらいになりますよ』って言ったの。2時間は彼には長すぎるの。長いのをつくるのは好きじゃないのよ。そしたら彼、いろんなものを削っていったわ。乱闘シーンとか追跡シーンとか、ふつうだったら必ず入れておくようなスペクタクル的で視覚的な要素をどんどん削っちゃうの。そうなるとあとは骨ばかりなわけよ」
 ゴダール自身、「ただ、人はやろうとしていたものを決してその通りにやりとげるものではない。ときには逆のことさえしてしまう。いずれにしてもわたしにとってはそれが真実なのです」と語っている。彼は、撮影のとき、完成した脚本ではなく、シークエンスとセリフについての膨大なメモを未整理のまま握りしめていたのは有名な話である。

2015年9月10日



レンタル
不意打ち


パラマウント
1964年
95分
 原題は「LADY IN A CAGE」(檻の中の女)、日本語題名は秀逸。ウォルター・グローマン監督。息子マルコム(ウィリアム・ショーン)と暮らす母親コーネリア(オリヴィア・デ・ハヴィランド)は二週間前に腰を骨折、大きな邸宅で二階と一階を行き来するのにエレベーターを使っていた。
 息子が母親に手紙を書いて仕事に出て行った後、母親がエレベーターで上行しようとしたとき、出発時の車で引っかけた梯子などが原因で家への送電線が切れてしまい、エレベーターは途中で止まってしまった。檻の中に閉じ込められた形になってしまった母親は非常ベルを押したりして助けを求めるが、国道沿いの家の前は往来で騒音が激しく、誰もベル音に気付かない。そのうちアル中の矯正院から出て来たばかりのジョージ(ジェフ・コーレィ)が家に入ってくるが彼の目に止まったのはワイン蔵だった。金目の装備品が採り放題であることに気付いたジョージは質屋に行って小金をせしめ、その足で売春婦セイディ(アン・サザーン)へ2ドルの借金を返す。二人は邸宅へ取って帰し、金目のものを集める。しかし、質屋で彼らを目撃した不良たちが二人を尾行していた。不良のボス格のランダル(ジェイムズ・カーン)、子分のエッシー(ラファエル・カンポス)、情婦のイレーン(ジェニファー・ビリングズリー)は二人を殴って従わせ、家の物を運び出す。
 金目のものを運び出した後、ランダルは邪魔者を殺す手はずだ。哀れにもジョージはエッシーに刺殺されてしまった。息子の母親宛の置手紙をエッシーが二階の部屋で発見、その手紙には母親が息子を愛情で縛っていたこと、預金の取り分をもらって独立したいこと、それが聞き入れられなければ自殺するとあった。
 母親は「モンスターは自分だったんだ」と驚愕する。セィディの電話で金品を奪取に来た質屋と暴力団が外の物品を運び去った。不良たちは質屋たちに殴られる。この騒ぎでエレベーターの下には踏み台が残されていた。そこへ飛び降りたコーネリアは、失神しかかったものの這いずって外へ出た。もう少しで道路というときにランダルに見つかってしまう。もみあいになり、コーネリアはエレベーターから外した金属片で彼の両目を突いた。よろよろと外へ出たランダルは車に轢かれる。満身創痍のコーネリアに警官が近づく。
 オリヴィアはこの後、アルドリッチの『ふるえて眠れ』(1964)に出演する。
2015年9月10日



レンタル
アルゲリッチ
私こそ、音楽



Showgate
2012年
96分
 原題は「Bloody Daughter」。作品中では「忌々しい娘」と訳されている。世界的なピアニスト、マルタ・アルゲリッチの三女ステファニー・アルゲリッチ監督の目を通して母親をとらえたドキュメンタリー。ブラッディ・ドーターは親愛をこめた表現だという。IMDbの無名氏の粗筋は「ショパン・コンクールで優勝(1965年)したワルシャワ、別府アルゲリッチ音楽祭が開催されている日本、ステファニーの父親でマルタの夫スティーブン・コヴァセヴィッチの様子がとらえられるロンドン、ピアノと猫が住む自宅のあるベルギー、12歳のときにウィーンで勉強するために離れたアルゼンチン、ステファニーと最初の夫チェンとの長女リダが住むスイス」で撮影されたと要約している。
 マルタ・アルゲリッチ,1941年6月生まれ。母はウクライナ出身のユダヤ人、フワニータ。ブエノスアイレスの知事サベテが彼女のファンで彼の仲立ちによってペロン大統領と会う(1954年5月、アルゲリッチ12歳)。大統領は留学の有無を尋ね、 「グルダに習いたい」との言葉を聞き、父を外交官に、母を大使館職員に任命し、1955年、一家はウィーンに移住した。グルダには2年間師事した。1957年、ブゾーニ国際ピアノコンクール優勝。ジュネーブ国際音楽コンクールの女性ピアニストの部門優勝。20歳から2年間は演奏を止めた。
 ニューヨークで指揮者のチェンと出会って一晩を過ごし、妊娠。1964年長女リダを出産。しかし、リダは養育院に預けられた。当時を振り返ってマルタは何もかもから逃げていたと言う。リダは8ケ月まで養育院で育てられ、その後養父母に育てられたが、マルタの母親がリダを連れ出し、ブリュッセルに連れて来た。しかしそれは誘拐行為とみなされ、マルタは親権を失った。その後、チェンが育てたが彼はリダにピアノをやらせなかった。「母親には絶対に勝てない」からだ。リダはヴァイオリンを学び、現在はマルタとヴィオラ奏者として共演することもある。マルタはリダを「私の妹」と表現したこともあるが、チェンからは攻撃されたという。マルタの母フワニータはステファニーの記憶ではいつもサングラスをかけていたという。目がつり上がっているのでまるで蒋介石夫人だと言って隠していたという。「自分の手で人を癒したい。ハンド・パワーで人を治したい」という希望を持っていたという。煙草を吸っていてガンで亡くなった。マルタも28歳ごろに煙草を吸い始め、肺がんで死にかけた経験がある。
 マルタは「(特に)シューマンが好き。彼の音楽には心の奥に直に触れてくる感情がある。音楽は言葉では説明できない」と話していた。1969年から1972年までシャルル・デュトワと結婚、アニーを産む。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番を弾いたコヴァセヴィッチに感動、彼との間に1975年、ステファニーを出産。しかし、ステファニーの父親は「不明」と記されている。コヴァセヴィッチに認知を求めるステファニー。ジュネーヴの役場の役人が原簿を紛失したことによって認知困難になっているのだということが分かる。コヴァセヴィッチはあまり気にしていないが。
 娘たちは結局マルタが引き取った。70歳になり、老年と向き合いながらも自身の音楽を追求するマルタが描かれる。この映画は日本ではBunkamuraで公開された。


2015年9月1日以降、2016年1月31日までに見た 日 本 映 画 (邦画)会長

見た日と場所 作  品              感    想 ・ 梗  概   (池田博明)
2015年12月31日



NHK
Eテレシアター

きらめく星座




NHK
2015年
2時間40分
 井上ひさしの戯曲の2014年のこまつ座公演を収録。演出は栗山民也。初演は1985年の9月だった。
 昭和15年から太平洋戦争開戦直前の昭和16年12月7日までのレコード店オデオン堂の家族の物語。長男・正一(峰崎亮介)が砲兵隊の轟音に耐えられず脱走兵となり、肩身の狭い想いをしていたが、娘のみさを(深谷美歩)が傷痍軍人(山西惇)と結婚したことによって軍国美談の家族に転じる。ときどき脱走していた長男が戻って来るたびに、ちょっとした事件が起こる。
 オデオン堂は夫信吉(久保酎吉)と後妻ふじ(秋山菜津子)、娘みさを夫婦が住み、その貸間には広告文案家(木場勝己)、ピアノ伴奏者(後藤浩明)、脱走兵逮捕を目的とする憲兵隊員(木村靖司)が住む。軍歌や歌謡曲を歌う場面が多い。軍国精神を高揚するのに軍歌や軍人手帳、勅諭の果たした役割が印象的。また、つつましい幸福感を賛美する歌謡曲「きらめく星座」「一杯のコーヒーから」「青空」等が親しまれていたことを思わせる。立派な軍人たらんとする傷痍軍人の変化を通して、日常に忍び込んでくる国家主義を批判し、戦争を食い物にする同胞を糾弾する。バケツ体操などの滑稽な銃後の対策も生真面目に演じることで笑いの対象にしていた。この辺りは糸井重里のヘンタイよい子新聞やペンギニズムの精神を思わせる。
 
2015年12月28日


山形テレビ
21:00-23:20
赤めだか




TBS
2015年
120分
 原作・立川談春『赤めだか』、脚本・八津秀津、演出・タカハタ秀太。ナレーションが薬師丸ひろ子。
 立川談志(ビートたけし)を慕って入門した談春(二宮和也)。兄弟子、関西・談々・ダンボールたちは、談志の無茶な要求に耐えている。ダンボールは母の死を契機に辞めていく。立川流では、古典落語を五十席覚えれば、二つ目になれる、修行年数は無関係、実力勝負の世界と、志の輔(香川照之)に教わる。
 高校を中退して新聞配達をしながら修行していた談春は、両親が死んだことにして弟子入りしていたが、話の「リズムとメロディー」を評価され、親に許可を得て来いと言われ、入門を認められる。談志はお客以外には頭を下げたことはなかった。あるとき、風邪を理由に談志の直稽古を断った談春は、それ以後稽古をつけてもらえなくなった。談春は築地で一年間働いて来いと出される。築地のシュウマイ屋で一年働いて戻って来る。すると、弟弟子の志らくに落語を教えてもらえと言われても受け入れられる器量になっていた。
 前座には禁止されていた勉強会という落語会を談春・志らくは許可を得て開く。勢いにのって私的な宴会で「文七元結」を演じた談春。大ネタを前座ごときが客に披露したと問題になる。談志は、弟子たちそろっての二つ目の昇任試験を行なう。談春は五十席を書き出した紙を忘れて、あわてて書いたなかの一席「寿限無」を演じよと言われ、慌てる。しかし、談志は弟子たちを合格とした。
 1988年3月、前代未聞の二つ目昇進披露落語会が開かれた。談志の天敵の批評家・林修一(リリー・フランキー)が、二つ目たちを認めないと言い捨てていたが、談志は弟子たちにきっちりエールを送った。
 
2015年12月12日


NHK・Eテレ
23:00


“医師の罪”を背負いて
九大生体解剖事件


NHK
2015年
55分
 敗戦間近な昭和二十年五月五日、大分の山中に墜落したB29に乗っていたアメリカ軍の兵士は、村人たちにより襲撃されて一人は自殺、「捕虜を殺してはいけない」と止めた兵役経験者の制止で九人は捕虜となった。貴重は情報収集のため東京へ護送されたが、残る八人の若い兵士たちは、五月十七日から軍の命令で九州大学医学部の解剖学教室で生体実験に供されて、次々と死亡してしまった。
 昭和二十年4月に入学したばかりだった医学生の東野利夫さん(89歳)も輸液を持つなど手伝わされた。最初の捕虜は片肺でも生存できるかという実験により肺を切除された。その後、海水を利用した代用血液を輸血されたが、死亡した。当時、第一外科の石山福二郎教授が代用血液の研究をしていた。手術を指揮していたのは小森拓軍医だった。
 手術に関わった医師十四人(看護婦ひとり)は戦犯としてきびしい追求を受け、全員有罪となった(絞首刑3人、終身刑2人、懲役刑3人。ただし恩赦により執行を免除された)。起訴されなかった東野さんは産婦人科医として新たな生命の誕生に立ち会うことで、償いを果たしていたが、良心の呵責から一時期体調を崩した。 関係者たちは、罪を償うように地域の医療に貢献したり、信頼される医師や看護婦となっていったものの、それぞれ苦悩を抱えたまま生きていたことが、東野さんの聞き取りで判明していった。女性で初の戦犯となった筒井さんは婦長として信頼が厚かったが、ガンで最期の頃はうわごとのように「わたしだって、人間なんやから」と繰り返していたという。 「戦争は人間を狂わす」。生き残った機長は、米軍の無差別爆撃を悔いていて「自分が日本に足を踏み入れるtことはできない」と証言していた。
 九大医学部は記念館を作ったが、そこに東野さんが収集した資料は展示されなかった。一次資料でないからという理由だった。東野さんは自分の病院で展示会を開催した。
2015年11月30日


TBS
21時

このミステリーがすごい



TBS
2015年
35分×3
 「ポセイドンの罰」(中山七里原作、大北はるか脚本、石井康晴監督)。捜査一課長を財前直見。事件が解決しないうちは禁煙しているというキャラクター。大会社・工藤コーポレーションの社長、工藤がポセイドン号でのクルーズの途中で刺殺された。乗り合わせた社員・三名には睡眠薬の入ったワインを飲んで眠ってしまっていたというアリ+イがあった。しかし、クルーズ中の船である。犯人は三人のなかにいる。探査により三人は過去に工藤に恨みを持っていたことが分かる。汚染物の不法投棄の隠蔽工作、浮気の相手で妊娠した胎児の流産、結婚約束の反古など。犯罪の陰にもうひとつ大きな犯意が隠されていた。
 「リケジョ探偵の謎解きラボ」(喜多喜久原作、大谷健太郎脚本・監督)。幹細胞研究者クリポン(上野樹里)の先輩格である女子研究者の夫が心筋梗塞で急死した。クリポンの夫は保険会社の調査員。死んだ夫には多額の保険金がかけられていた。アリバイは完璧だったが、遺伝子組み換え技術を応用した殺人ではないか、証拠はどこに残されているのか、クリポンは意外なところから犯罪の証拠を見つけ出す。
  「冬、来たる」(降田天原作、浅野妙子脚本、小林義則監督):母親の葬儀が終わった後、娘たち、春子(キムラ緑子)、夏代(渡辺真起子)、千秋(壇れい)の三姉妹の演技合戦が繰り広げられる。戦争直後、帰還した父親は戦友の男の子を連れてきた。その子・冬留(とおる)は実は父親がほかの女に産ませた子ではなかったのか、母親はその疑問から冬留を神隠しに偽装して殺してしまったのではないか、冬留が行方不明になったとき、母親に頼まれて冬留に睡眠薬を入れた炭酸を飲ませた千秋は罪の意識に悩んでいたことを告白する。いったい、真相は?
2015年11月29日


BSプレミアム
蝶の山脈



NHK
2015年
55分
 田淵行男が『高山蝶』に賭けた情熱を妻・日出子の目を通して描く。ドラマ部分は平岳大(田淵行男)と奥貫薫(妻)。
 戦争中に東京から信州安曇野に疎開した田淵一家は戦争が終わっても東京へ戻らなかった。行男が山と高山蝶の魅力に取り憑かれてしまったからである。信州には9種の高山蝶が生息する。行男はそのすべての生活を写真におさめることを決意した。写真で表現しきれないところは絵で描いた。日本の絵の具では正確な色が出ない。 英国製の絵の具を使った。しかし、写真で生活は成り立たなかったので、フィルム代もカメラの修理代も切り詰めた。妻は「お父ちゃんは日本一です」と子どもたちに言い聞かせていた。
 写真の現像が始まると家の中で動くことは禁じられた。かすかな振動も仕上がりに影響するからであった。蚊取り線香もたくことが禁じられた。飼育中の虫に悪い影響を与えるからである。ヘリコプターによる空中散布には批判的だった。そうして出来上がった『高山蝶』が出版されたとき、妻は包を開く手も畏れ多かったと言う。この本は妻に献呈されている。
2015年11月18日



BSプレミアム
私の青おに


NHK山形
2015年
50分
 山形発地域ドラマ。ロケ地は山形県高畠町。演出・倉崎憲(NHK山形放送局)、音楽・本間昭光、脚本・相沢友子、制作統括・石川慶(NHK山形放送局)。
 浜田廣介に童話『泣いた赤鬼』がある。町はこの童話の続篇を募集、最優秀作品を本にするという企画が持ち上がり、東京の小さな出版社の編集者・辻村莉子(村上絵梨)が呼ばれる。莉子は高畠町の出身だったが、東京で出て十年、故郷には四、五回程度しか帰っていなかった。 町民の企画ということで宴会に列席するが、高校時代の同級生と出会うたびに莉子は居心地の悪いものを感じるのだった。
 一方、出版社の社長は宣伝力のない中学生の入賞作品の書籍化よりも、流行作家・結城一也(眞島秀和)に続編を書いてもらえと指示。かつてのもと彼だった眞島に交渉すると、ためらいながらも引き受けてくれた。しかし、急な方針転換にひろすけ記念館の学芸員・森岡(中島歩)は猛反発する。莉子は大出版社・映弾社を辞めたのも担当だった結城との関係が終わってしまい、用なしになったからだと告白する。
 高校時代の思い出が蘇る。クラスで無視され始めた莉子(金井美樹)に声をかけて一緒にお弁当を食べようと言ってくれたのは、夏目文香(上白石萌歌)だった。 文香もひとりでいることが多い少女だったのだ。 文香は吹奏楽部でトランペットの担当、オーケストラで演奏することを夢見ていた。しかし、ある日、莉子を無視していた琴美たちは莉子を仲間に誘う。迷う莉子に文香は「わたしは大丈夫だよ」と声をかけて身を引いた。莉子はいじめから救われたが、文香は学校を休みがちになった。文香は父親のブドウ栽培の手伝いをするようになったと伝え聞いた。
 文香に負い目を感じていた莉子だったが、思い切って会ってみた文香(木南晴夏)は学校を休んでいた自分は、父親にブドウ栽培の手ほどきをしてもらっているうちに面白くなってきたのだと言う。いまでは貴腐ワイン造りに情熱をかけるこだわりの農園主になっていた。
 莉子は高校以降、文香の時間を止めてしまったと思っていたが、それは自分の思い上がりで、時間が止まっていたのは自分のほうだったと泣く。文香は時間は決して止まってなんかいなかった。むしろ熟成していったのではないか、と言う。
 莉子は急いで記念館に戻り、中学生の作品の書籍化と応募作品の公開展示というイベントを企画。結城の続篇を断る。挿画を描いた瀬戸(内藤理沙)も中学生が実体験を描いたのではないかという観点から全作を描き直していた。
 貴腐ワインを購入して感慨をかみしめる莉子のスマホに結城から「書きたいものを書いた作品の力にはかなわない」というメッセージが入った。莉子はワインを結城と一緒に飲もうと約束するのだった。
2015年12月10日



DVD
落第はしたけれど



蒲田
1930年
64分
 小津監督のサイレント映画。卒業試験のさなか、野球部の高橋六郎(斉藤達男)は、部員仲間とカンニング。翌日の試験ではシャツにドイツ語の文章を書いてくる役目を引き受ける。夜に下宿でみんなが勉強しているが、高橋はシャツに文章を書き写している。杉本(月田一郎)は高橋に教わっている。翌朝、学生たちがなかなか起床しないなか、下宿のお+さんはシャツをクリーニング屋に出してしまう。試験の結果、高橋はじめ野球部員たちは落第してしまう。ガッカリする部員たち。「新学期にまた会おう」と別れる。
 下宿仲間では高橋だけが落第だった。下宿の子供(後の突貫小僧)は「ラクダイって何?」と聞く。仕方なく杉本は「落第ってのは偉いことだ」と答える。恋仲の喫茶店の娘(田中絹代)は高橋にネクタイを縫ってあげていたが、高橋は「背広なんか着る資格はないんだ」と告白。しかし、娘はすでに高橋の落第を知っていた。娘に励まされて高橋は少し元気を取り戻す。
 及第し卒業した学生たちも就職口がなく、新学期になってからも下宿に残っていた。背宏を質入れしても一着十円にしかならない。仕送りしてもらっている高橋のほうが裕福なほどだった。新入生相手に応援団を披露するのは落第学生たちだった。
2015年11月25日



DVD
東京物語



松竹
1953年
136分
 原節子が9月に95歳で亡くなっていたことが分かった。追悼を兼ねて、小津安二郎監督の『東京物語』を見る。実はわたしは小津監督の映画を見るのはこれが初めてである。
 笠智衆と東山千枝子の会話が日常的で、物語を進行させるセリフでないことに驚いた。映画の脚本はドラマを進めるのに必要なセリフで満たされると思っていたのだが、まったくそうではないのだった。脚本(野田高梧と小津)の作りかたが不思議だった。
 原節子演ずる紀子は、義妹の香川京子との会話で「社会とは冷たいものよ」というセリフを言う。このときの彼女も終始にこやかである。 セリフの表すきびしさと原の表情の不一致が夫を戦争で亡くした紀子がしてきたであろう経験のきびしさを表していた。

2015年11月24日~12月15日






NHK総合テレ
わたしをみつけて




NHK
2015年
48分✕4回
 <ドラマ10>枠のドラマ。
 第1回「ずっと、泣きたかった」。星美ケ丘病院に勤務する山本弥生(瀧本美織)は誕生直後に捨てられ、養父母との関係もこじれて成長した後、准看の資格で5年間働いていた。目立たない勤務で、患者の人生に深入りすることもなく働いて生きたが、看護士長として来た藤堂(鈴木保奈美)の登場で頑なだった心が次第に溶けていく。
 院長(本田博太郎)の虫垂炎のオペを受けた患者が数日後に腹痛を訴え、亡くなった。藤堂はレントゲン写真を見て患者の腹痛が虫垂炎によるものではなく、上部消化管(十二指腸)の炎症だったことに気づく。藤堂はオペにも立会い、患者の担当でもあった弥生に「何を見ていたの」と詰問する。 患者の家族に院長が病態を説明する間、藤堂を院長室に近づけないで欲しいと院長に要請された弥生は、午後に手術予定の患者のカルテを隠し、それを探索する作業に看護士たちを当たらせる。院長室から家族が帰った時点で、カルテを戻そうとした弥生は藤堂に見つかってしまう。「院長に頼まれたら何でもするの」と問われて、「私はここでずっと働きたい」と答える弥生。捨てられた過去を持つ弥生が過剰に期待に答えようとする姿勢の表れだ。藤堂は「かわいそうな人ね」と指摘する。
 暗い過去を持ち、自分を抑制して生きる姿や、病院で白衣に身を包む姿と自転車でカジュアルな服装で通勤する姿の落差も魅力的な瀧本美織の役者としての成長が印象的。原作は中脇初枝、脚本は森脇京子。演出は野田雄介。
 12月1日(火)第2回「もう嘘はつかない」。入院していた一宮シメ(佐々木すみ江)が肺炎で亡くなった。最後まで息子を呼び、毎日見舞いに来ていた娘(根岸季衣)の名前を呼ぶことはなかった。 しかし、藤堂は娘に「お母さんは頼りになるのは娘だけだと言っていましたよ」と話す。無論、ウソであった。弥生は娘はそれで救われるとは思わないと反発する。
 帰り道の公園で出会った菊池(古谷一行)が入院してくる。弥生が施設で育ったため九九が出来ないことを知った菊池は弥生のために九九表を作ってくれていた。青森の雪がなにもかもを覆い尽くすように過去を被ってもいいんだよと菊池は話す。弥生は他人を心配する菊池の心に打たれる。一宮幸子(根岸)も「母とホットケーキを作った昔を想い出した」と藤堂に感謝の言葉を伝えに来る。ひとりの患者が搬送されてくる。院長はフリー・エアもない、虫垂炎だと診断、しかし弥生は患者が虫垂より上を押さえて痛がっていたことを目撃していた。弥生は休暇を取っていた藤堂に連絡を取った。
 12月8日(火)第3回「いい子じゃなくてもいい」。藤堂は「しっかり見ていて」と指示。切除された虫垂は腫れていた。しかし、翌日になっても腹痛は取れなかった。藤堂は院長に黙って転院させる判断をした。弥生は思い切って院長に患者の腹痛を申告する。しかし、院長は看護士の意見を聞く耳は持っていなかった。弥生は藤堂に協力して患者を表山病院に緊急搬送し、患者は助かった。やはり上部消化管穿孔で危ういところだったという。「やった!」。藤堂は患者の命を救ったのは弥生だと評価する。弥生は藤堂が二歳のときに亡くした父親の日記の病院関係者への恨み言を見て、復讐心から看護士になったこと、准看から始めたことを聞く。
 翌日、院長は怒っていた。藤堂は准看を軽んじる院長の言葉に院長の誤診を責める。事務長である院長の息子・正行(溝端淳平)は院長に引退を勧める。藤堂が辞職することになって看護士たちは動揺する。藤堂は弥生に自分の勤務先に来ないかと誘う、弥生は大腸がんで手術を待つ菊池(古谷一行)が退院してからと告げる。菊池は院長の腕を信頼していたが、執刀医が院長でないことを不安に思う。弥生が菊池を安心させようとさすると「山本さんの手、温かい」とほめる。菊池に注意してみてくれと言われた通勤途中のアパートから男の怒鳴り声がして男が走り出てくる。なにかあったかと家に入ってみると、そこは看護士仲間の神田の部屋で、彼女は子どもと一緒に泣いていた。
 12月15日(火)第4回「わたしがいる場所」。神田は男と別れられないでいた。子供を児童相談所に預けて子供だけでも守ると言う。弥生は自分の生い立ちを話し、相談所に預けても母親がしっかりしていることが大切と話す。 手術を待つ菊池は院長の執刀を希望する。院長も自分と同じ金の卵世代で、その頑張りを信じたいのだと言う。迷う院長は息子に意見を求める。 息子は「もうメスをにぎるべきではない。けれども、患者の意向にも沿うべきだ」と言う。覚悟をもって臨んだ手術だったが、動脈を傷つけて大出血を招いてしまう。あわてる院長に弥生は血小板輸血を提案し、なんとか 止血に成功する。オペ後、院長は引退を決意し、「看護士に助けられた」と話す。事務長は病院売却の噂は本当だったが、任された病院の立て直しの決意を固めたと弥生に打ち明ける。藤堂と再会した弥生は星美ケ丘に残って「患者の傍にいる」ことを選択したことを告げる。これまでも自分ひとりで生きてきたわけではなかったことをかみしめながら。弥生の月に捨てられたのではなく、藤堂が言うように弥生の月に拾われたという願いを胸にいだきつつ。脚本は坂口理子。
2015年11月8日


NHK・Eテレ
それはホロコーストの“リハーサル”だった



NHK
2015年
58分
 副題は「障害者虐殺70年目の真実」。ドイツの精神医学界は戦後70年めの今年11月、戦中に精神障害者や障害者をガス室で大量虐殺していた医師たちの誤りを認め、謝罪した。第三者による調査委員会の報告書も出された。
 案内役は障害者の会代表・藤岡氏。収容所記念施設やパーキンソン病だった靴職人の父親を収容所で殺された息子、父親の妹ヘルガ(てんかん持ち)を17歳で殺された姪といった遺族の人たちに会って話を聞きながら歴史を遡る。
 1920年に「生きるに値しない人々を安楽死させる」手引書(医師エルンスト・リューディン)が発刊され、1933年には断種法ができた。強制断種された人たちは40万人。既にナチスが登場する前に医学会では優生思想が行き渡っていた。1939年9月1日第二次世界大戦の日に、T4作戦と名付けられた障害者安楽死法が施工され、ガス室が整備されていった。1941年、フォン・ガーレン神父が「これはただの殺人だ」と非難し始め、その声が行き渡ったとき、国民の声を気にするナチスもT4作戦を8月に中止した。しかし、ガス室はその後600万人のユダヤ人を殺すのに使われ、ドイツの敗戦で戦争が終わってからも、ハダマー精神病院では20万人の障害者が殺されていった。医師や看護師たちに罪の意識はなかった。国民も声をあげなかった。はじめの段階で止める手立てはあったのだがと調査委員会の委員長は言う。制作統括は熊田佳代子。
 北杜夫『夜と霧の隅で』がこの問題を扱った小説。ただし、背景になっているのは1943年のドイツであって、敗色が濃い。 精神病院では治らない患者を選別して、抹殺する仕事に入る。病院施設長のケルセンブロックは不知の患者に急にやったことのない外科手術を試みたりする。治る可能性があることを証明しようとする試みだが、結果的には無謀な行為に過ぎない。一方、脳標本の染色法を彼に教えたドクター高島はドイツで結婚した妻アンナが半ユダヤ人だったので分裂病と診断されて病院に収容された。妻が自殺してしまったことを聞いた高島はそのショックから立ち直れない。妻の死を受け容れられない高島。ケルセンブロックが薬を静脈ではなく頸動脈に注射する治療を施すと、高島は妻の死を認識するようになったが、その結果、自死してしまう。強力な薬の効果で命を落とす患者も出る。病院長は脳出血に見まわれ、まるで患者同然の状態だ。不治の患者が一斉に別の収容所に送られていく。これが最後の送致らしい。絶望的な状況のなか、ケルセンブロックにできることは何もなかった。
2016年4月5日
再放送


NHK総合
0:15
あなたのワンカットが世界を変える


NHK総合
2016年
46分
 NHKスペシャル「新・映像の世紀」第6集<あなたのワンカットが世界を変える>。2001年9月11日、アメリカ同時多発テロの初日、ワールドトレードセンターへ飛行機が突っ込んだ。9:03二機目の突入がくり返し放映される。ビル崩壊、被害の映像などは報復の感情を増幅した。2001年10月アフガニスタン攻撃、ビン・ラディンのメッセージ映像、2003年3月イラク戦。アブグレイブ刑務所での虐待の映像が流出、テレビドラマ「24」の悪影響と言われた。ISの前身の過激派がアメリカ人を囚人服を着せて処刑する映像を投稿。イスラム主義者がアメリカを非難。
 2004年12月26日、インド洋大津波を記録した一般人の映像が衝撃を与え、ジョード・カリムはYouTubeを創設(初投稿は2005年4月23日だった)。イラク戦で一般人をヘリから銃撃する米兵の映像やヘルメット・カメラで撮影した戦闘の様子などが流出。テロリスト側も自爆テロの映像などを戦意昂揚のために投稿。
 ワンカットが世界を動かす例。(1)同性愛者の告白、「it getts better (きっとよくなる)」が世界的な反響となる。ロドマイヤー少年は投稿後に自殺。多くの人々が彼の死を悼んだ。連邦裁判所で2015年、同性婚が認められた。(2)アラブの春。チュニジアで抗議の焼身自殺を図った青年に代わって政府に怒りをぶつける人々を報道した青年の映像がきっかけ(2010年12月17日)。大統領は焼身の青年を見舞ったがデモ隊に対する軍には発砲命令を出していた。発砲は撮影され投稿され、人々は怒りの声をあげた。兵士は民衆への発砲を止めた。2011年1月14日、大統領は亡命した。エジプトではムバラク政権が崩壊。シリア内戦状態。
 世界は監視されている。2013年4月15日、ボストン・マラソンでの爆発犯を特定したのは監視カメラの映像だった。
 ISのプロパガンダ映像のような憎しみを生む映像もあれば、「HAPPY」(ファレル・ウィリアムズ)のような人々をつなぐ映像もある。シリア難民の幼児が船が難破して亡くなったいたましい映像のように世界を動かす映像もある。 
2016年2月21日



NHK総合
21:00
若者の反乱が世界に連鎖した



NHK総合
2016年
49分
 NHKスペシャル「新・映像の世紀」第5集<若者の反乱が世界に連鎖した>。若者の反乱を推進したのはテレビだった。1967年6月に放送された世界衛星中継アワーワールドで、ビートルズは「愛こそすべて」を歌った。BBCが世界中の誰もが理解できる歌をと注文して出来た曲だった。アメリカではベトナム戦争反対のデモが続いていた。その様子は世界中に放送され、ドイツへ飛び火した。ドイツの青年たちのリーダーはドウチュケだった。アメリカやドイツの青年たちが理想として掲げたのはキューバ革命(1959年1月)であり、1967年にボリビア政府軍に射殺された指導者ゲバラであった。1968年5月のパリ五月革命でも若者たちはゲバラの肖像と毛沢東の肖像を掲げた。
 毛沢東は1965年文化大革命を指導したが、その本来の目的は劉少奇率いる実権派の追い落としにあった。毛が掲げた「造反有理」という言葉は共感を持って迎えられた。文化大革命では数百万の粛正が行われたというが、その実態は不明である。
 1968年4月、ワシントンで議事堂が炎上、1968年10月新宿騒乱と、カウンター・カルチャーが起こった。
 <プラハの春と弾圧の夏>。チェコでは政治家と民衆の対話集会で政府は一党支配の是正などに取り組むと約束したが、その直後、戦車による弾圧が起こった。放送局が抵抗放送を流し続ける。劇作家ハベルは抵抗を訴えた(21年後、ハベルはチェコの大統領となる)。1968年10月メキシコ・オリンピックではチェコの名花チャラスフスカが床運動で同点首位だったソビエト連邦の国歌に対してうつむくという抵抗を示した。この年、アポロ11号が月面着陸に成功。
 1975年、サイゴン陥落。アメリカ国民の戦争支持率は30%を切っていた。
 <そして壁が崩れた>。1987年6月、デビッド・ボウイはベルリンの壁の前で東ドイツ国民に対して「ヒーローズ」を歌い、東ドイツ社会に動揺を引き起こした。1989年4月天安門広場事件。1989年11月、ベルリンの壁崩壊。これをきっかけに東欧の社会主義政権が崩壊していった。チェコのハベル大統領はコロンビア大学での招待講演で、反乱だけでなく新しい創造をと訴えた。
2016年1月24日



NHK総合
21:00
世界は秘密と嘘に覆われた








NHK総合
2016年
49分
 NHKスペシャル「新・映像の世紀」第4集<世界は秘密と嘘に覆われた>。第二次世界大戦後、ナチスの残党の取り込みが米ソで行われた。米国はフォン・ブラウンやスパイ工作の専門家ゲーレンを迎えた。ソ連のスターリンは猜疑心が強く、アメリカの高官にもスパイを確保した。ハリー・デクスター・ホワイトやラフリン・カリーもソ連のスパイだった。
 原爆の秘密を盗むために関係者へ接近したソ連は1949年に原爆、1955年に水爆を完成、核戦争の脅威が現実のものとなり、1951年にはニューヨークで大規模な避難訓練も行われた。赤狩り旋風が吹き荒れ、ハリウッドでも見せしめの逮捕が行なわれたが、マッカーシズムの黒幕はFBIで、赤狩りに協力的だったレーガンは実はFBIの工作員T-10だった。FBIのフーバー長官は高官の秘密を握り大統領さえ操作する実権を握った。司法長官ロバート・ケネディとモンローの交際さえ秘密を握っていた。ケネディは妻と離婚することさえ考えていたが、モンローはそれを受け入れなかったという。
 1953年にスターリンが死去した。アメリカのターゲットは原油産油国イランになった。イラン人の労働力を安く買ってアメリカはイランで事業を展開していたが、1951年にモサデク首相が異議を唱えた。CIAがクーデターを仕掛けて1953年にモサデクは失脚、国家反逆罪に問われた。アメリカはパーレビ国王を仕立てて傀儡政権を樹立した(1959年)。1979年に起きたイラン革命でイランの人々はモサデクの肖像を掲げた。
 1961年にベルリンの壁が建設された。東西の分断の象徴となった。東ベルリンの収容所シュタージに収容された人々は身内の密告によるものだった。市民の7人に1人が密告者だった。機密文書公開によって、自分を密告した者が夫だったり、家族だったりが明らかになるとそれが新たな悲劇を生んだ。
 1961年1月20日、ケネディ大統領が就任。翌年キューバ危機が起こった。ソ連の核弾頭搭載可能なミサイルがキューバに配備されているという情報が核戦争を直前に感じさせた。空軍参謀総長カーティス・ルメイは大統領に先制核攻撃を進言した。チャンスを逃してはならないと彼は主張した。ルメイは太平洋戦争で日本の都市への爆撃を指揮した人物である。しかし、大統領はルメイの進言を採用しなかった。ソ連の情報部にいたスパイ、オレブ・ペンコフスキー大佐が例えアメリカが先制攻撃してもソ連のミサイルを殲滅させることは出来ない、報復攻撃に合うという情報をもたらしたからだった。スパイの情報が戦争を抑制したのだった。1962年10月28日、フルシチョフが譲歩してキューバからミサイルは撤去された。
 しかし、ペンコフスキーがアメリカ側のスパイであることはソ連のKGBには感づかれていた。KGBの隠し撮り記録にはペンコフスキーが機密を撮影する様子が窓越しに捉えられている。その後ペンコフスキーは逮捕され、1963年5月16日に処刑された。
 1963年、ケネディが暗殺される。ベトナム戦争が泥沼化し、反戦運動が高まると、ジョンソン大統領やFBIのフーバー長官は反戦運動や公民権運動は共産主義者の陰謀だという立場を取った。アメリカのエスタブリッシュメントはドミノ理論にとらわれていた。
 ベトナムで戦死したのは黒人兵が少なくなかった。1968年4月4日、キング牧師暗殺。1975年4月、サイゴン陥落。CIA長官コルビーはベトナムのフェニックス作戦で、2万人はベトナム人を殺害したと証言している。1979年12月のアフガニスタン戦争ではアメリカと同じ役割をソビエトが担った。1981年就任のレーガン大統領はソ連を悪の帝国と呼び、共産主義との代理戦争が各地で続く。
 その後も、中米のニカラグア、アフガンなど21世紀にも続く紛争の種が巻かれた。
2015年12月20日



NHK総合
21:00
時代は独裁者を求めた


NHK総合
2015年
75分
 NHKスペシャル「新・映像の世紀」第3集<時代は独裁者を求めた>。第一次世界大戦後の負債と世界恐慌で苦しむドイツ国民に民主主義で何もできない政権を批判し独裁の夢を与えたヒトラーを支持したヴィニーフレート・ワーグナーはコンサートに米国に行ったときフォードにヒトラーへの資金援助を依頼した。フォードは反ユダヤ主義だった。奇跡的に経済復興を成し遂げたヒトラーは国民の支持を獲得していく。収容所で書いた『わが闘争』でヒトラーはふたつの敵を立てていた。共産主義とユダヤ人である。
 ヒトラーは内閣が国会の承認なしに決定権をもつ全権委任法成立させた4ケ月後にナチス以外の政党を禁止した。全権委任法は現在、閣議決定を国会より先行させる安倍政権と同じ構図だ。約束を裏切る方法がヒトラーの人心掌握術だった。ドイツのためになるなら何でも許されるという自負がそこにはある。ミュンヘン会談でチェコにはこれ以上侵攻しないという英国のチェンバレン首相らと交わした約束、独ソ不可侵条約でソ連には侵攻しないというスターリンと交わした約束、これらをヒトラーは平気で破った。戦争で潤ったドイツ国民は一時の泰平を謳歌した。アメリカは真珠湾攻撃を受けて参戦するまでは、中立を主張しながら企業はドイツに投資して儲けていた。
 ナチズムは夢を見せてくれる政権だったのだ。その背後でユダヤ人が収容所で処刑されていたことにドイツの人々はうすうす気が付いていた。第二次世界大戦が終わるとナチスに協力した人々の粛正が始まった。ソ連でもスターリン独裁に抵抗してナチスに協力していた人々が処刑された。戦争後、ドイツが開発に尽力していたV2ロケット技術をアメリカとソ連はドイツの技術者を雇い、独自に開発を進めていった。核爆弾を搭載できる大陸間弾道ミサイルが実現することになる。ヒトラーが死の直前に予言したように、「ナチズムは新しく蘇る」のだ。
2015年11月29日


NHK総合
21:00
グレート・ファミリー


NHk総合
2015年
50分
 NHKスペシャル「新・映像の世紀」第2集<グレート・ファミリー>。第一次大戦で疲弊したヨーロッパに代わって台頭したのはアメリカだった。なかでもモルガンのようなマネーを操る富豪の権力は大きかった。
 イタリアなどから多くの移民がアメリカに流入、そのうちヨーロッパで迫害されていたユダヤ系の移民が、エジソンの特許料を逃れて西へ移動し、ハリウッドを作った。酔ってサボる貧民層を抑制するために禁酒法が設定された。
 石油の取引で大きな利益を得たロスチャイルドや自動車産業を興したフォード、戦争中は爆弾を造っていたが、戦後はレーヨンやナイロンなど化学繊維で大儲けをしたデュポンなどが取り上げられた。大恐慌のさなか、貧民や労働者を切り捨てるロスチャイルドを批判したヘレン・ケラーの洞察に目を開かれる。
2015年10月25日


NHK総合
21:00
百年の悲劇はここから始まった


NHk総合
2015年
72分
 NHKスペシャル「新・映像の世紀」第1集<百年の悲劇はここから始まった>は、第一次世界大戦前後の多くの映像を編集したドキュメンタリー。田村都志夫ディレクター。
 爆弾、毒ガス、地雷、戦車、飛行機などの開発で科学戦となった戦いが人間を翻弄する戦争の実態を映像で伝える作品となっていた。また、ユダヤ人虐殺、ロシアを内部崩壊させるためにレーニンを利用するドイツ軍の謀略、ソヴィエトの強制収容と粛正、オスマン帝国を内部崩壊させるためにアラブ民族のファイサルを利用する英仏の謀略、アラブ民族に対する英国の裏切り、ウォール街実業家の戦費回収の野望など、現代に続く悲劇の原点が描かれた。
 ウェルズの『解放された世界』が最終戦争の未来を予言していたという。『解放された世界』はサンリオSF文庫で翻訳が刊行されていたはず。
 神奈川新聞(11月16日)18面に社会学者・大沢真幸の評「深よみTV」が出た。
 “戦後50年目に、NHKは「映像の世紀」を制作した。あれから20年。新たに発見された映像にデジタル技術による修復を施し、「新・映像の世紀」が作られた。10月25日放送の第1回のテーマは「第一次世界大戦」。番組を通じてわれわれは知る。第一次大戦で何か決定的なものが終わった、と。
 この大戦で、戦争からロマンや尊厳が消えた。80機を撃墜したパイロット、リヒトホーフェンが「赤い男爵」として、敵からさえも称賛されたのは、ここに戦争の英雄性の最後の輝きがあったからだ。 たいていの戦士は、敵と対面することなくざん壕の中をはい、虫けらのように殺された。
 大量破壊兵器が発明されたのは、この戦争においてだ。祖国のために毒ガスを開発したハーバー博士の物語は痛ましい。彼の妻は夫に抗議して自殺し、ハーバー自身もユダヤ人だったためにやがてドイツを追われる。 ナチの収容所でユダヤ人虐殺に使用されたチクロンBは、彼が開発に関わった。何という歴史の皮肉!
 英国の情報将校、アラビアのロレンスは、アラブ人を扇動してオスマン帝国を揺さぶった。しかし彼はアラブ人を裏切ることになる。英仏はアラブ人の独立国家を認めず、逆に植民地化したのだ。現在シリアやイラクは破綻国家とされているが、彼らは勝手に失敗したわけではない。破綻の原因のひとつは、このときの恣意的な領土分割にあるからだ。
 ドイツは亡命していたレーニンを、わざわざ列車を仕立てて、敵ロシアに送り、ロマノフ王朝への革命を支援した。ドイツの助けがなければ、ブベボリシェビキの勝利はなかったかもしれない。番組の中でレーニンの肉声付きの動画が紹介された。この瞬間まさに歴史が現前する。
 この番組で、われわれは「現在の起源」に差し戻され、立ち会ったのだ。

2015年9月23日




NHK総合
0ː10
老衰死



NHK総合
2015年
50分
 NHKスペシャルの再放送。老衰による死が増えている。グラフによると2000年以降、その数が増えて現在は7万5千人(2014年)だという。特別養護老人ホーム・ろ花ホームを運営する石飛幸三医師はかつては外科の医師として患者の病気と戦ってきたが、生物学的に治せないこともあることに気が付き、延命治療をせず、見守るホームを経営するに至った。
 石飛医師によれば、老衰死は食べる機能の衰えから始まる。93歳のある女性は通常食から介護用プリン、水で口を湿らせるだけと進行していった。食事の量と体重を調査したUSAの研究がある。摂取カロリーは減っていないのに体重が減少していく年が続いたら、これは死のサインなのだという。ジョンズ・ホプキンス大学、ニール・フェダーコ教授は細胞が減少しており、器官が委縮して栄養の吸収ができなくなっている状態だという。歩行などの日常生活動作と体の衰えとの関連を調べた研究によれ ば、死に至る過程は三通りあるという。「がん死」のように最期に急速に悪化するタイプ、心疾患のように悪化と回復を繰り返しながら次第に死に近づく「機能不全」タイプ、低調にゆっくり死に至る「老衰」タイプである。
 細胞が老化すると炎症性サイトカインが放出され、ほかの細胞がダメージを受け、慢性炎症状態となる。このようなインフラメイジングが起こると、意識レベルの低下が引き起こされる。このような生物学的な死には胃瘻などの経管栄養による延命措置はほとんど効果がないことが分かってきた。
 イギリスのエジンアラ大学のアラスダー・マクルーリッチ教授はオランダで108人規ぼの研究に注目している。老衰で弱っていく人の不快感スコアはいずれも低かったのだ。つまり老衰死では痛みや苦しみを感じていないということである。痛みを感じる機能も衰えているからだ。
 いまや「死の質 Quality of Death」が課題とされる時代になってきた。この分野の世界一は英国である。
2015年9月4日


演劇
國語元年



こまつ座
13:30
2015年
 紀伊国屋サザン・シアターにて、こまつ座公演・井上ひさし作『国語元年』を見る。主役は八嶋智人。演劇版はNHK教育テレビで放映された佐藤B作主演の公演を見たことがある。小学唱歌集を編むことになった主人公が外国の曲に日本語の詩を付けるという趣向が演劇化の際に取り入れられていて、とても面白かった(もとはNHKのテレビドラマである)。
 なんとなく全国統一話し言葉の制定を唱歌を通して行うという趣向に変更されたと記憶してしまったのだが、これは完全に記憶違いだった。小学唱歌の編纂は南郷清之介が全国統一話し言葉制定の直前に取り組んでいた事業で、公開される前に宙に浮いてしまう。したがって南郷作詞の歌を知っているのは家族のみ。その歌が劇のなかで組み込まれて歌われる。テレビドラマ版にはこの歌がなかったが、方言に字幕解釈が出てくるのが異色だった。演劇版では字幕がないが、場面設定でなんとなく方言内容が理解できるように工夫されている。
 テレビドラマ版のキャラクターより大きくなったのは大阪弁の娼婦と会津弁の泥棒。どのお国ことばを採用するかで迷ったあげく、南郷清之介が工夫に至った言葉が「文明開化語」。これが可笑しい。文明開化語で女が口説けるか、強盗ができるかという展開も狂的である。この狂的なところが井上ひさしの真骨頂。
 演劇版は新潮社のオンデマンドブックスで読める。



シェイクスピア作品の映画化やその関連の映画は除く。
それらは別ファイルになっている。→ 『シェイクスピアの劇と映画


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