映画 日記        池田 博明 


2005年10月以降に見た 外 国 映 画 (洋画)
見た日と媒体 作  品        感  想     (池田博明)
2006年5月27日

WOWOW

0:20〜2:05
スーパーサイズ・ミー

2004
USA
96分
 モーガン・スパーロック監督のマクドナルドのハンバーガーだけを30日間食べ続けたら身体がどうなるかを実験したドキュメンタリー映画。真夜中の放映でしたが、偶然見始めたら、ついつい最後まで見てしまいました。
 監督はマックを食べ始めて数日後、スーパーサイズを食べたところ、20分後に吐いてしまいました。しかし、食べつづけていると、しだいにマックを食べずにはいられない気持になり、中毒化していくそうです。20日過ぎた頃からかなり身体に変化が出始め、臓器に負担がかかるようになり、医師たちからも実験をやめることを推奨されるようになりますが、なんとか実験を貫徹させます。この映画が出たからではないそうですが、マックはスーパー・サイズを薦めるオプションを止めたそうです。
 映画は肥満を手がかりに、アメリカのマックに依存した食文化を批判しています。また、問題児を集めた高校で食事を手作りに変えたところ、生徒の精神が安定したというルポも挿入されています。
 監督のように一日に5000kcalも食べたら(1日の必要量は2000kcal)明らかに食べ過ぎだし、運動をしないというルールでは太るし、体を壊すのも当然だという批判がありました。監督を真似て、各国で(オランダやUSAで)同様の実験をした人が現われましたし、日本でも実験してみた人がいます。ちょっとルールは違いますが、必要以上に食べなければ、マックだけでもほとんど体重も体脂肪率も増えなかったという結果でした。
2006年5月14日

WOWOW
22:10〜0:20
五線譜のラブレター

2004
イギリス・USA
 「夜も昼も」「ビギン・ザ・ビギン」「So in Love」など、ラブソングを多産したコール・ポーター(ケヴィン・クライン)と彼を支えた妻リンダ(アシュレイ・ジャッド)の物語。年老いたポーターが舞台演出家と共に自分の人生を振り返ります。音楽を突然挿入した不自然さを解消するために取られた方法だと思いますが、成功しているとは思えません。名曲誕生の裏話など知っても興ざめするばかりですから。監督はアーウィン・ウィンクラー。
 コール・ポーターは自他ともに認める同性愛者で、バイセクシュアルでした。彼がハリウッド映画に進出したのはかなり後のことだったと描かれます。
 『キス・ミー・ケイト』をもう一度見たくなりました。
2006年5月14日

DVD
キートンの恋愛三代紀
1923年
47分/
拳闘屋キートン
1926年
78分
 キートンの傑作はすべて無声映画時代に作られています。『恋愛三代紀』は、時代を石器時代、ローマ時代、現代に設定し、グリフィス監督の『イントレランス』をパロディにしたキートンの長編喜劇。フィルムの痛みが激しい。『拳闘屋キートン』にも、リングでの拳闘試合の影の部分の露出がアンダーで画面が黒くつぶれている場面がありました。過保護に育った坊ちゃんが父親の意見でキャンプ生活をさせられます。キャンプ地で出会った気の強い娘に惚れて結婚しようとしますが、娘の父親に弱虫には娘はやれない、と言われてしまいます。執事がたまたま新聞に出ている同名のボクサーを彼だとゴマかします。チャンピオンシップで負けるだろうと見込んでいたバトラーが勝ってしまい、キートンはチャンピオンの振りをせざるを得なくなってしまいます。真相を明かせないキートンは妻の手前、慣れないボクシングに取り組むものの、腕もふれないのでした・・・
2006年5月8日

WOWOW
ダイヤルM

USA

110分
 ヒッチコックの『ダイヤルMを回せ』のリメイク。夫にマイケル・ダグラス、妻にグウィネス・パルトロウ、恋人にヴィーゴ・モンテンセン。監督はアンドリュー・ディヴィス。かなりヒッチコック作品を変更しています。ヒッチコック作品では正当防衛が認められず、妻が死刑判決を受けてしまいますが、リメイクでは正当防衛が認められますし、襲撃する犯人も意外な人物に変わっています。したがって、襲撃事件後の展開もかなり異なります。
 小柄なパルトロウは最初はたよりげなく見えますが、次第に事件の真相を探るにつれ、気丈になっていきます。夫のマイケル・ダグラスはいろいろと手を変え品を変え、殺人偽装のアイデアをくり出しますが、少しづつ外れてしまいます。ほんの少し見かたをずらすことで事実の解釈を変転してしまうダグラスの智恵はうまくいっていたように思えたのですが・・・。 
2006年5月6日

WOWOW
CSI;ニューヨーク

各50分
 科学捜査班の活躍を描くUSAの人気テレビ・ドラマ。「Xファイル」を超えた人気番組。
 とにかくテンポが早い。実際の分析はドラマほど速くはできないとクレームがついたほど。また、必ず物証を求めるエピソードは実際の捜査でも必ず物証が重要視されるという傾向を作ったという。
 コンテナ置き場でつぶされた現場監督の死体が発見される話、コンビニ強盗団に加わったひとりの少年の父親の職業が問題になる話、内部監察の委員長が狙撃されて死亡した事件の意外な真相といった主筋に、逆さに吊られて疾走させる車で死亡した女性の隠れた趣味や、白タク運転手惨殺事件などの副筋が並列されます。主筋と副筋は重なり合いません。ふたつの物語と科学捜査するふたつのチームの活躍がたった50分間で描かれる。いやはや目が回る。と言いながら3週も見てしまった・・・
2006年5月5日

ビデオ
主任警部モース

ギリシャ人の贈り物


1991年

110分
 モース警部シリーズ第19話「ギリシャ人の贈り物 Greeks Bearing Gifts」。脚本ピ−ター・ニコルス、監督エイドリアン・シェアゴールド。ギリシャ人のレストラン・シェフ、ニコスが夜の訪問者に首を折られて殺されます。ルイス部長刑事のギリシア語の先生(イヴ・アダム)の通訳の助けを借りながら捜査は進みます。葬儀に駆けつけたニコスの妻マリアも連れていた幼児と共に行方不明となります。ギリシア・コミュニティの有力者ヴァシラキス(ジェイムズ・フォークナー)やガレー船の復元で儲けようと企む事業家タッカーマン(ジェイムズ・ヘーゼルダイン)、その研究者ランドル(マーティン・ジャーヴィス)、ランドルの妻でテレビの人気キャスター・フライデー(ジャン・ハーヴェイ)など、いろいろな人に会ううちにモースは真相に近づいていきます。被害者も容疑者も一年前のギリシアでのテレビの特別番組に出演していたことが分ってきます。事件の鍵は幼児でした。意外な真犯人が最後に明らかになります。最初は横柄に見えるモースを次第に会う人々が理解していく過程に興味深いものがあります。
 第18話「誰がハリー・フィールドを殺したのか?」(脚本ジェフリー・ケース、監督コリン・グレッグ)では、モースは中年の酔いどれ画家ハリーが殺された事件を捜査する。ハリーは贋作を描いていたようだった。被害者に共感が持てない設定で展開が苦しい。
2006年3月25日

DVD
王の帰還

USA
2003年
ヘラルド

201分
 指輪物語第3部「王の帰還」。冥王サウロンの人間の国ゴンドールを襲撃する計画を知ったガンダルフは、ゴンドールの執政デネソールに忠告するためにミナス・ティリスの都へ向った。一方、フロドとサムは、ゴラムの案内で滅びの山へと近づいていた。
 オークたちと人間の戦闘場面が実写とCG合成の圧倒的な迫力で展開されます。善と悪の戦いが描かれます。
 しかし、兵士の数から考えて、圧倒的な劣勢で勝ち目のない戦いに真正面から挑み、弓矢でバタバタと倒れてしまうという戦闘は悲惨すぎます。数が互角ならまだしも、勇気や士気では数の差はどうしようもなく、これでは形を変えた特攻精神にほかならないのではないでしょうか。結局、数の多い方が勝つ結果になるわけですから、勝敗を決するのは、援軍が到着するタイミングだけの問題になります。執政の息子ファラミアの出撃場面は、全員討ち死にを覚悟していて、まるで葬式のような士気の無さでした。陽動作戦の黒門への攻撃も、劣勢があきらかな自滅攻撃です。この映画のなかでの戦争は徹頭徹尾、数の勝負でしかありません。大儀のためなら負け戦で死んでも本望だという戦争観は、ベトナム戦争やイラク戦争でのアメリカの大義名分と重なってしまい、素朴に楽しむわけにはいきませんでした。
 滅びの山で、フロドを襲う怪物として大蜘蛛が出て来ます。この蜘蛛、腹部先端に毒針を持っているところが変。サソリと違うのだから・・・。
 2006年3月31日フジテレビで前篇、翌日後篇を放送。  
2006年3月19日

ビデオ
愛のエチュード

アミューズ作品
英仏合作

2000年
109分
 世界的なチェス・プレイヤーのルージン(ジョン・タトゥーロ)は試合会場でナターリャ(エミリー・ワトソン)に恋した。母親(ジェラルディン・ジェームス)の猛反対にもかかわらず、ナターリャはチェスだけの世界しか持っていないルージンを愛し始めます。決勝はトラチ(ファビオ・サルトル)と接戦となり、いったん休憩となりますが、過去のルージンのチェスのマネージャー、ヴァレンチノフ(スチュアート・ウィルソン)の陰謀で、山に置き去りにされてしまった彼は、画期的な封じ手を発見したにもかかわらず、精神を病んでしまい、チェスを二度としないでナターリャと結婚すると約束します。
 しかし、結婚式の当日、ヴァレンチノフは彼を拉致し、残った決戦をさせようとします。車から逃げ出したルージンは部屋にこもった揚げ句、過去の思い出のすべてを断ち切ろうと、高窓から身を投げてしまいます。
 ナターリャに想いを寄せるササール伯爵(クリストファー・トンプソン)はルージンのメモを見つけて、勝つ手であることを確信します。原題は『ルージンのディフェンス』。その手を教えてもらって、ルージンの代わりに、非公式ではありますが、ナターリャはトラチとの決戦に臨むのでした。
 ウラジーミル・ナボコフの初期の作品『ディフェンス』が原作、ピーター・ベリー脚本、『ダロウェイ夫人』のマルレーン・ゴリス監督。『ほんとうのジャクリーヌ・デュプレ』のデュプレ役だったワトソンが印象的な、端正な地味な映画です。
2006年3月4日

DVD
フランケンシュタインの花嫁

USA

1935年

75分
 フレンチ兄弟の『カルト映画』に選出されている異色作。『フランケンシュタイン』(1931年)の続編。監督は前作に続いてジェイムズ・ホエール。脚本ウィリアム・ハールバットとウィリアム・ボルダーストン。製作者が旅行中だったため、監督の思うように作ることができたとか。
 雷鳴の夜、バイロン卿(ギャヴィン・ゴードン)と詩人パーシー・シェリー(ダグラス・ウォルトン)と19歳のメアリー・シェリー(エルザ・ランチェスター)が話しています。怪奇小説フランケンシュタインの作者シェリーは続編を語り始めました。
 前作で火災により死亡したと思われたモンスター(ボリス・カーロフ)は生き残っていました。モンスターは人々から嫌われており、暴力により多くの人々を傷つけていきます。しかし、森の一軒家に棲む目の見えない孤独な老人だけが彼を友人扱いすることになります。モンスターは、この老人から口伝えで言葉を教わります。「friend、wine、tobacco、good」などなど。ちなみに「フランケンシュタイン」は主人公の怪物の名前ではありません。主人公は「モンスター」と呼ばれています。モンスターを作ったのがフランケンシュタイン博士です。
 地下墓地で死体蘇生の実験に使う女性の死体を得たプレトリアス博士(アーネスト・セシガー)は、墓地に隠れていたモンスターを助手として使うことにします。モンスターは「俺、死者を愛す、生者は嫌い」と言います。
 プレトリアス博士はヘンリー・フランケンシュタイン博士(コリン・クライヴ)に協力を要請し、死んだ女性を誕生させる計画に着手します。ヘンリー博士がしぶると、その新婚の妻エリザベス(17歳のヴァレリー・ホブソンによって演じられた)を人質にして協力させます。手術には生きのいい女性の心臓を必要としましたので、もと死刑囚の助手が通り魔殺人で手に入れた物が使われたりします。博士たちはうすうすそのことを知っていますが、知らないふりをして実験に励みます。首尾よく生き返った女性・フランケンシュタインの花嫁(エルザ・ランチェスター二役)はモンスターの姿に恐怖を覚え、彼を拒否して叫び声をあげます。「彼女は俺を嫌う、他の者と同じ」と絶望したモンスターはヘンリー博士とその妻を逃がし、花嫁と作者のプレトリアス博士とその助手たちを道づれに自爆死を図ります。モンスターの最後は描写されません。続編が作られる余地を残しています。
 モンスターが川に自分の顔を映して嫌悪する場面があります。また、川端で出会った少女が叫ぶ場面と、最後の花嫁が叫ぶ場面が通じる瞬間があります。
 この映画ではモンスターの哀しみが描かれており、私たち観客は、次第にモンスターの疎外感に共感していくことになります。
 ユニバーサル100周年記念ボックスBD(2013年)でも本作品は収録されています。
2006年1月22日

DVD
毒薬と老嬢

USA

1944年
118分
 ジョセフ・ケッセルリングの舞台劇を映画化したフランク・キャプラ監督の傑作コメディ。独身主義の演劇評論家ケイリー・グラントが隣家の牧師の娘・婚約者プリシラ・レインを連れて、育ててくれた叔母さんの家へやってきます。ふと窓下のベンチの蓋を開けると、そこには知らない老人の死体が・・・。
 殺人はラッパを吹き鳴らし、ルーズベルト大統領だと自称するブルースター家の弟テディの仕業かと思いきや、殺人犯は二人の叔母さんたち(ジョセフィン・ハル、ジーン・アディア)。身寄りの無い可哀想な紳士を毒入りワインであの世に送る慈善事業だと、平然としています。自分たちが殺した老人の葬儀の準備にいそしむ叔母さんたちの楽しさぶりが圧巻です。
 殺人趣味の叔母にうろたえるケイリー・グラントは、この機会にテディを療養所へ入れようと画策します。そこへ20年ぶりに兄のジョセフィンが帰って来ます。狂人の兄は整形してフランケンシュタインのモンスターそっくりの顔になっています。殺人の擬装のために整形手術を担当した外科医(ピーター・ローレ)も一緒です。彼らは途中でボリス・カーロフに似ていると言ったため、ジョセフィンの怒りを買った男の死体も持ってきていました。
 地下室の死体が既に十二体。狂人の兄が殺した男はこれまでに十二人。途中で、劇作を趣味にする警察官も関わってきて、舞台は二転三転します。人物の出し入れが舞台劇らしいのと、間のとりかたが絶妙な抱腹絶倒の喜劇。『ヒズ・ガール・イズ・フライデー』のケイリー・グラントも素晴らしいのですが、それと同様に、そのテンポが素晴らしい。
 いちどTVでカット版が放映されたのを見ており、ビデオ録画もしていましたが、後半をかなり忘れていました。
2005年11月2日

DVD
ミリオンダラー・ベイビー

USA
2004年
133分
 2005年度キネマ旬報、外国映画部門第一位を受賞しました。
 クリント・イーストウッドの監督作品ならきっといいものを見ることができるだろうという信頼感があります。なぜなら、イーストウッドは役者の生気や活気を撮ろうと心がけているからです。ワン・テイクで終わりのときもあるという撮影は役者の一瞬一瞬を大切にするからにほかなりません。何度もリハーサルを重ねて出枯らしになってしまった役者をとらえることはイーストウッドの意図するところではありません。このような考えかたは監督・勝新太郎に通ずるところがあります。
 「ミリオンダラー・ベイビー」では、女子ボクシングに挑戦するマギー(ヒラリー・スワンク)と老トレーナー・フランキー(イーストウッド)の出会いから別れまでを、ボクシング・ジムの共同経営者スクラップ(モーガン・フリーマン)が語ります。
 マギー・フィッツジェラルド(フィッツジェラルドはアイルランド系の姓)は貧乏人で、田舎から出てウェイトレスをしていますが、もう31歳。ボクサーとして立つには年を取りすぎています。
 フランキーはアイルランド系でいつもイェーツの詩集を読んでいる男。フランキーが練習しているゲール語はアイリッシュの消えゆく言語です。彼の口癖は「(ボクサーは)常に自分の身を守ること」。スクラップの109回目の試合を、傷の具合から止めさせようとしたのに、本人の闘う意思に押し切られて、結果的に彼の片目を失明させてしまったことを心の傷にしています。離れて暮らしているはずの娘にときどき手紙を書いていますが、その手紙はいつも宛先人不明で戻って来ます。
 マギーはフランキーのトレーナーの腕を信じてジムに入って来ます。最初、「女は教えない」と拒否していたフランキーですが、マギーの熱心さに負けて面倒を見ることになります。やがてマギーは連戦連勝、闘う相手がいない程の強さを示すようになります。レベルを上げて挑戦を続けるマギー。マギーは次第に輝いていきます。フランキーに金ができたら、「自分の家を現金で買え」と言われていたマギーは、故郷の母親と妹のために家を買いますが、喜んでくれると思った母親は「生活保護が打ち切られるから家など要らない。あんたは地元の笑いものだよ」と言います。身勝手な家族は結局、この家に住んでマギーの賞金に寄生することになるのですが。
 そして、マギーはラスベガスでウェルター級のタイトル戦を闘うことになります。相手は“青い虎”(演じているのは17戦全勝14KOの本当の女子ボクサー、ルシア・ライカです)。
 この作品はシンプルなラブ・ストーリーだとイーストウッドは話しています。お互いに信頼し合う三人の人間模様が描かれていきます。
2005年10月22日

ビデオ
スローターハウス5

CIC
USA

1972年
103分
 カート・ヴォネガット・ジュニアの代表作を、ステフェン・ゲラーが脚色、ジョージ・ロイ・ヒル監督が映画化した作品。「スローターハウス5」とは、ドレスデンで連合軍の捕虜たちが収容された施設の名前です。ビデオを中古ビデオ店から購入できました。USAではDVDが発売されていますが、リジョン指定が異なるため日本の通常のDVDプレーヤーでは再生できませんでした。
 原作は主人公ビリー・ピルグリム(マイケル・サックス)が痙攣的に時空間を超越する遍歴を描き、連合軍によるドレスデン無差別爆撃を告発した作品としても名高いものです。日本での劇場公開時に見逃した私は、USAのDVDで英語版を見ていますが、日本語字幕付きで見るのは今回が初めてです。
 ビリー(マイケル・サックス)が、徴兵されて従軍牧師として参戦したベルギーで、ドイツ軍の捕虜になって、ドレスデンに連行され、爆撃を受けるまでの過去の物語と、「減量するわ」が口癖の富豪の娘ヴァレンシア・マーブル(シャロン・ガンス)と結婚してからの生活が交互に語られます。過去の出来事の順序は、前後が逆になったりするわけではないので、割合理解しやすく、見ることができます。トラルファマドール星での生活もときどき出現します。
 自分の意志とは関係なく、いろんな時代にワープしてしまう本人の身になってみると、人生はつらいものがあると思います。そこで、ビリー自身は運命を受動的に受け入れて、積極性を表さないタイプの人間として描かれます。原作でのビリーの口癖は「So it goes. そういうものだ」でした。人が死んだときに、その運命を受け入れるための智恵の言葉です。
 戦争中はもちろんのこと、この作品のなかには理不尽な死があふれています。無差別爆撃で亡くなった数万人のドレスデン市民はもちろんのこと、ビリーに親切にしてくれた元大学教師のダービー(ユージン・ロッシェ)はドレスデン爆撃の翌朝、落ちていた陶製の人形を盗んだ罪で銃殺されてしまいます。戦争が終結の直前だったにもかかわらず。
 そして、ドイツ兵に靴を脱がされた戦友ウェアリー(ケヴィン・コンウェイ)の死の責任は、ぼんやりしていて彼の足を踏んだビリーにあると思い込むラザロ(ロン・リーブマン)によって、戦後に狙撃されたビリーは死を経験したり、飛行機墜落事故からの生還を経験したりします。
 トラルファマドール星で、無理やり拉致されて来たポルノ女優モンタナ(ヴァレリー・ペリン)とビリーの間に子供が生まれます。子供の誕生を祝う花火が宇宙空間で何発も開く場面で映画は終わります。これはハッピー・エンドなのでしょうか。
 ビリーに反抗的だった息子ロバートはベトナム戦争に参加して、兵士としての真面目な生き方に目覚めますが、ビリーは前の息子も、今の息子も両方とも「いつだって自慢の息子だったさ」と受け入れます。しかし、その言葉に反して、彼の態度はどんな場合も悲観的です。非暴力主義者のヴォネガットが立派な兵士を賞賛するはずもなく、皮肉な描写となっています。
 人生は個人の努力で変えようもないもので、それほど良くもないし、そんなに悪くもないのだという哲学が底流にあるようです。挿入されている音楽はグレン・グールドのピアノ演奏によるバッハ。 
2005年10月18日
DVD
Musical Great Musicals

86分
 ワーナー・ブラザーズ社のDVD『雨に唄えば』50周年記念盤スペシャル・エディション2枚組の特典ディスクに収録された、アーサー・フリード製作のミュージカルの紹介映画。特典ディスクには、『雨に唄えば』のメイキングである、What a Glorious Feeling(35分、進行役はデビー・レイノルズ)も収録されています。
 『オズの魔法使い』に始まり、ジュディ・ガーランドのMGMミュージカルの数々。ヴィンセント・ミネリやスタンリー・ドーネンといったフリードが抜擢した監督の成果。ジーン・ケリーなど出演者だけでなく、いいものを作るセンスを持った人々を集めるフリードのセンスの良さが賞賛されています。『雨に唄えば』がアカデミー賞が取れなかったのは、前年に『巴里のアメリカ人』で大量受賞していたから・・・。後年、フリード最後の大作『恋の手ほどき』は、たくさんのアカデミー賞を受賞することになります。
 脚本家を始めスタッフのほとんどが、『雨に唄えば』がこれほどのカルト映画になるとは予想していませんでしたと証言しています。当時、製作されていたたくさんのミュージカルの1本に過ぎなかった・・・。けれども、たとえば有名なケリーの雨の中のステップの場面の撮影では、夕刻5時を過ぎると各家庭で水道を使用するため、水圧が下がって水が思うように出なくなる、そこでその時間帯を避けて撮影した、水のハネ上がる高さまで計算してリハーサルしたとスタンリー・ドーネン監督は語っていました。

2005年10月以降に見た 日 本 映 画 (邦画)
見た日と媒体 作  品        感  想     (池田博明)
2006年4月21日

WOWOW

21:30〜
必殺仕掛人・梅安蟻地獄、春雪仕掛針

松竹
1973年
1974年
 松竹が劇場用映画として製作した2作を再見。封切り年に名画座で見た記憶があります。梅安役は緒方拳、浪人・小杉役に林与一。仕掛の元締め音羽屋役は山村聡。この配役はテレビ版の第一シリーズ「必殺仕掛人」(1972年9月〜1973年4月)のメイン・キャストと共通でした。1973年の渡辺祐介監督の第2作「梅安蟻地獄」(脚本は宮川一郎・渡辺祐介)、1974年の貞永方久監督の第3作「春雪仕掛針」(脚本は安倍徹郎)。「梅安蟻地獄」の悪人は伊豆屋長兵衛(佐藤慶)と医師宗伯(小池朝雄)。「春雪仕掛針」の悪人は強盗団(岩下志麻、夏八木勲、地井武男)。
 第2作は巧みなカメラワークと時代劇らしい殺陣で見せます。第3作は人を殺すことの重さが梅安自身にのしかかる暗い展開になっています。1974年当時は、テレビ版をワイド化したような印象を持ってしまった記憶があります。テレビ版の「必殺」シリーズもときどき見ていて、面白かったので、映画版にはテレビには無い世界を期待したのですが、第2作では松尾嘉代の色っぽさが、第3作では足抜け女郎を拷問する場面が際立つくらいでした。テレビ版では1973年4月からの「必殺仕置人」を野川由美子の鉄砲玉のおきんに魅かれて、1975年4月からの「必殺必中仕事屋稼業」を「**勝負」のタイトルと工藤栄一の演出に魅かれてよく見ました。
2006年4月8日〜毎週土曜

NHK

21:00〜21:58

第3回は21:45から。
マチベン


55分
 マチベンとは町の弁護士、つまり町医者のような弁護士という意味だそうです。薬屋を改造したえびす法律事務所の弁護士・天地涼子(江角マキコ)はもと検事のマチベン。なんらかの理由があって、検事を辞めてマチベンとなっています。辞任の理由は第1回・第2回ではまだ分りません。オリジナル脚本は井上由美子、演出は笠原友愛(第1回・第2回)、磯智明(第3回)。今日も依頼人が困難な事件を持ち込んできました。
 第1回「法廷は涙にめざめる」。依頼人は、ビル火災で一人娘を亡くした河瀬みゆき(松田美由紀)。河瀬のひとり娘の命を奪った放火事件は、既に少年審判で少年(松山ケンイチ)の保護観察処分が決定していた。やりきれない思いのみゆきは涼子に民事訴訟を依頼したのだった。法廷で初めて放火犯に会ったみゆきは涼子の万年筆を手に被告に襲いかかった。
 第2回「依頼人を裏切れますか?」(4月15日)。女子中学の教師・鈴木(大倉孝二)が少女誘拐事件の容疑者として身柄を拘束された。鈴木は誘拐を否定するが、誘拐当日のアリバイには口を濁す。教え子の谷村茉衣(悠城早矢)との約束のためだった。高尾川でスピノサウルスの歯を発見した鈴木は、授業で化石の話ばかりする先生として急に不適格教師の烙印を押され、解雇通告を受ける。証拠不十分で釈放された鈴木に涼子は解雇無効の申し立てを勧める。
 第3回「死刑囚を救えますか?」(4月22日)。美容師の愛川サチ(若村麻由美)は美容室の経営者・鶴田祐輔と共謀して二人の従業員を保険金目当てに殺害、さらに事件の発覚を恐れて鶴田も殺したという容疑で、死刑判決を受けた。弁護人を解任し、控訴はしないというサチの弁護を涼子は申し出る。なぜ自分の弁護を担当したいのかと問うサチに、涼子は三つの理由があると答える。そのひとつは、困難な事件を担当して名を挙げたいから、ふたつめは犯罪に無関係な人々の手で死刑判決や刑が執行されることに疑問があるから、みっつめは言いたくないと。サチは「誰にでも言いたくないことがある」と涼子に仕事を依頼する。美容室の絵を本妻・聡美(伊藤かずえ)から取り戻して欲しいというのだ。サチのために社長が購入してくれた絵だ。絵を取り戻せたら控訴を考慮してもいいという約束で、画商の証言を取り、所有権を確認した涼子は絵の裏から社長の遺書を発見する。その遺書は事件直後にサチが隠したものだった。遺書は本妻に当てたもので、サチにとってはつらいことが書かれていたのだ。弁護人を信用しないサチのために、控訴審で涼子は遺書を証拠申請しない決断をする。死刑になって死ぬしかないと投げやりになっているサチと、真実を受け入れて生きようとするサチの変化が見もの。
 依頼人のために必死に弁護を組み立てる江角マキコが熱演。彼女の同僚となるエリート弁護士・神原に山本耕史。法廷ドラマとして見ごたえのある作品になっています。また、毎回のゲスト出演となる原告や被告役の演技の見せどころともなっています。
   ***
 テレビ批評として、神奈川新聞に法廷ディスカッションになっていてドラマとして面白くない、江角が一本調子で強引である、不自然な物語展開であるといった批判が出ていました。こういった批判記事から学ぶものも多いものです。私の感想は、「マチベン」のようなディスカッション・ドラマは貴重だと思っています。
 第4回「安楽死を裁けますか?」 (4月29日。演出は黒崎博)。マチベンの事務所えびす堂の後藤田(沢田研二)に新田(岸部一徳)から依頼が入る。新田は15年前、会社の顧問弁護士・後藤田の指示で架空ファンドの投資を行ったと虚偽の証言をして、後藤田を弁護士資格剥奪寸前に追いこんだのだった。新田は、末期癌で余命半年であると告白、「最後まで自分でいたい」のだと安楽死を申し立てる。日本では安楽死が認められた例は無い。涼子は時間が残されていない新田のために仮処分の申請を行う。非公開のラウンド法廷で心臓発作で倒れた新田を救急車で搬送した涼子は、新田が自分を失うことで誰かを傷つけることを怖れていると感じる。後藤田は看護士・正美(原田夏希)が新田の娘であり、母親と母子の面倒を見ること・父親の名乗りをしないことを条件に認知しない約束をしていたことを明かす。後藤田は正美を傷つけたくない思いで死を望んでいるのだった。涼子は後藤田に弁護を一任する。病院側の証人として出廷した正美は新田を「父親のように思っている」「一日でも長く生きて欲しい」と証言する。弁護人は、申し立て人・新田は「早く死にたいのではなく、最期まで生きたいのだ」と主張する。審理の後、正美は「(新田が父だという事を母から聞いて初めから)知っていた」と告白する。仮処分は却下された。正美は新田の最期を看取った。
 ところで、四谷通り魔事件の犯人として無期懲役の判決を受けて服役している深川保(竜雷太)にアリバイがあったことを知った涼子は、検事として担当したこの事件の真実を求めて、辞職したのでした。第5回から涼子は深川の無実を証明する活動に入っていくようです。
 第5回「無実を信じますか?」(5月6日。演出は磯智明)。今回はつなぎの一篇。
 涼子はえびす堂法律事務所を辞めて、四谷通り魔事件の裁判をやり直すことを宣言した。しかし、深川は相変わらず自分の犯行だと言い張る。えびす堂の面々は涼子と共にこの弁護を担当することを決める。涼子は深川の娘・八重子(森下愛子)を捜し出し、話を聞くことができた。しかし、深川が自分と通り魔事件の被害者が写っている写真を涼子に渡したことを知ると、男は不倫の相手だったとは言うものの、彼女はそれ以上の証言を拒否し、通りに身を投げ出して「涼子に突き飛ばされた」と主張するのだった。高校生の娘・友香(谷村美月)はいつも母親と一緒だった。殺人未遂で捕縛された涼子は真犯人に気づく。深川や八重子がウソをついてまで守ろうとしている者が誰なのか。東野圭吾の『容疑者Xへの献身』のような展開になってきた・・・
 第6回「真実がこわいですか?」(5月13日。演出は笠浦友愛)。深川保や八重子が守ろうとしている真犯人を知った涼子も自分自身の裁判で証言を拒否し、神原を困惑させる。一方、かつて深川の横領事件を扱った太田弁護士(山本圭)も、四谷通り魔事件の担当弁護士を降りた経緯を神原に打ち明ける。証人・八重子が多くを語らないため、弁護側は深川を証人として申請し、涼子の尋問の許可を求める。孫娘の友香はたまを(中島知子)に真実を話す。法廷で、「真実は?」と尋ねる涼子に深川は「土井を殺したのは私です」としか答えない。涼子は深川に謝罪する。そして、最後に・・・
【2007年6月19日〜21日にNHK・BShiで毎日2回ずつ再放送。井上由美子の脚本が芸術選奨文部科学大臣賞と向田邦子賞を受賞した。別キャストの『新マチベン』が開始する】
2006年3月26日

DVD
ニワトリはハダシだ

シマフィルム

2003年
製作

114分
 森崎東監督の2004年度公開作品。3月25日にDVDで発売されました。脚本は近藤昭ニ・森崎東。製作は志摩敏樹で、『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』のような映画を作りたいと森崎さんに話したのがきっかけだと言います。『党宣言』は志摩氏が学生時代に見て感激した映画だとか。
 「ニワトリはハダシだ」という言葉は『黒木太郎の愛と冒険』(森崎作品)でも財津一郎がよく言っていた言葉ですが、いまさら言うまでも無い当たり前のことを意味しているようです。日本映画監督協会のウェブ・ページ「私のデビューした頃」によると、森崎さん京都撮影所時代の自己激励の言葉だとか。
 知的障害をもつサム(浜上竜一)は一度見たものを記憶する能力があり、偶然目撃したベンツと、その車内に残された検察の汚職資料を記憶していたことから、ベンツ盗難事件の犯人という疑いをかけられます。養護学校の直子先生(肘井美佳)やチチ(原田芳雄)やハハ(倍賞美津子)は、警察と暴力団から彼を守ろうとします。舞台は舞鶴で、戦後の引揚や朝鮮へ帰る船の沈没の歴史や、町の風景もドラマの重要な要素となります。
 「なぜ知的障害者を主人公に?」の質問に対して、森崎さんは「知的障害を持った子供の親がみな、その子供をいとおしく思って見て欲しいといっている、そんな思いを伝えたかった」と答えています。
 主人公のサムは、言葉にならない思いを体で表現します。森崎さんは現代に対して言葉にならない思いをたくさん持っていて、言葉が不自由な障害者の表現でなければ、形に表せないと考えたのではないでしょうか。『街の灯』(森崎作品)で堺正章が、具体的に指摘できないにもかかわらず、「どっか変だぞ」と繰り返すしかなかったように。
 最初のほうでチチとサムが船に乗り込むときに歌う浦島太郎の替え歌「月日のたつのも“ヘソの下”」や、ウンコをし忘れたサムが船べりから尻を突き出してウンコをする場面(ウンコはメイキングフィルムによると美術部の作ったものだが映画ではまるで本物に見えた)など、森崎ワールドへの導入場面があり、この品の無さについてこられる観客だけを選抜してしまうなあと心配になりました。
 4月29日に春の叙勲が発表され、森崎監督は旭日小綬章を受けることになった。森崎さんに勲章というのは似合わない。
2006年3月17日・18日

日本テレビ
21:00〜22:54
女王の教室
エピソード1 堕天使
エピソード2 悪魔降臨

2006年

 昨年夏の連続TVドラマ「女王の教室」のスペシャル版。黒づくめの衣装の鬼教師・阿久津真矢(天海祐希)の過去が明らかにされます。脚本・遊川和彦、演出・岩本仁志(エピソード1)・大橋義夫?(エピソード2)。
 新任教師の真矢は小学校で生徒と友達感覚で接していたため、生徒になめられて教室は荒れていく。真矢の愛を独り占めしたいと願う女生徒・池内愛との交換日記も他の保護者にえこひいきだと批判され、打ち切ってしまう。すると、優秀だった愛は突然、悪さをするようになり、遂には「これから死ぬ」と告白するようになる。恋人に止められて助けに駆けつけなかった真矢だったが、翌日、愛に「虐待された」と訴えられる。生徒と二人で話し合ってもかえって事態はこじれるばかり。とうとう真矢は辞職させられてしまう。
 退職を機会に恋人と結婚し、男の子が生まれる。男の子に溢れるほどの愛情を注ぐ真矢だったが、干渉のしすぎで次第に子供のストレスが増大していく。ある日、悲劇が起きる。
 離婚し、失意の果てに自殺しようとした真矢に突然、電話が来た。17歳の池内愛だった。「これから死ぬ」と言う。必死に彼女を探し、クラブで強姦されそうになっていた彼女を救ったが、彼女は妊娠したうえに男に捨てられて、自暴自棄になっていた。真矢は彼女に一緒に死のうと持ちかけ、電車の前に身をさらす。間一髪、「死にたくない」との言葉に反応し、電車を避けた二人。真矢は愛に言う、「あなたが誰からも愛されないのは、あなたが誰も愛していないからだ」と。中絶の手術に付き添った真矢に愛は「教師をやめないで」と言う。
 再び教壇に立とうと決意する真矢。「愛があれば理解してくれる。必要なら体罰も辞さない」という持論で採用を断られ続けた真矢だったが、ある小学校で6年生の担任としての採用が決まる。そこは、既に二人の担任が辞めている問題クラスだった。(以上がエピソード1)

 そのクラスを教室を支配しているのは体も大きく、頭もいい宮内英二(森田直幸)だった。彼が親友を装っている里中はクラスの全員からいじめを受けていた。宮内の理論では「この世で幸福になれる人間は一握りで、他の人間は生きていても仕方がないんだ」というもの。病気で一年間遅れたことが彼の心に影を落としているようだった。彼の論理には都庁の優秀な職員だという父親の意見が反映していた。
 宮内のいじめは巧妙だった。級友に財布の盗難を仕組まれた里中は学校に来なくなる。家庭訪問をした真矢はクラスを支配しているのが宮内であることを確信し、体育器具室で彼を詰問するが、突然ズボンを下ろし始める宮内の策謀で、クラス担任を外されてしまう。意を決して登校し始めた里中に対して宮内が「死ね」と唆す。危ういところで里中を救出した真矢は、再び宮内と対決する。「なぜ人を殺してはいけないのか」と問われて、真矢は「痛いからよ。他人の希望や未来を奪う権利は誰にも無い」と答える。生命を賭けた対決のなかで、宮内自身の一年間の遅れが父親からダメ人間と評価されていることが明らかになる。重傷を負った真矢は遂に教師再教育センターに送られることになる。
 迷う真矢に里中が会いに来た。事件後、宮内はすっかり元気が無くなり、みんなから無視されるようになって、今度は学校を辞めて私立へ移るようだという。真矢は宮内と三度目の対決をする決心をする。・・・・
 
 教師を中心としたドラマは気が重い。どうしても現実と重ね合わせて見てしまうからである。生徒の心を育てることは難しい。現実を極端にしているものの、きれいごとですませないスタッフの意気込みを感じることができます。
2006年3月12日

DVD
江分利満氏の優雅な生活

東宝

1963年
103分

 山口瞳の直木賞受賞作の映画化。もともとエッセィ風な小説なので映画化は困難だったろうと思われます。岡本喜八監督が取った手法は、主人公・江分利満氏(小林桂樹)の徹底的な一人称でした。
 虫明亜呂無氏の評論「誘惑への回帰」(1964年)は市川昆監督『太平洋ひとりぼっち』と『江分利満氏の優雅な生活』を共に“主役を媒体とした映画だ。・・・彼らそのものではなく、私たちの仮りの姿、理想の姿、そして、まぎれもなく現実のある姿を象徴する。私たち自身のある一部、いや、時によっては私たちのすべてを表現する。このふたりの映画には、通俗的な意味でのドラマはない。あるとすれば、心象のドラマ、私たちに語りかけてくる作者の激しく強烈な、呼吸音のきこえるような心情の吐露、主観の告白もしくは体験希求への痛切な訴えだけである。”と論じています。
 さらに、“だれもわかってはくれない。お前だけはわかってくれよナ。お前だけは、ぜひ、理解してくれ。頼むよ。そんな作者の声が、画面の背後から伝わってくるようだ・・・・・・作者たちが、いっさいの虚飾を排し、ひたすら、自分たちの声で、自分たちの赤裸な情念を画面いっぱいに盛りあげたすぐれた作品である。”と評価しています。
 山口瞳の原作の断定的な言い切りには、私もずいぶん共感した覚えがありますし、愛読書のひとつでした。しかし、映画を見ていますと、いまどきの若者にこの主張が伝わるかという懸念を感じました。時代錯誤と言われても自分の主張をすることが山口瞳の本懐だったと思いますので、共感する若者がいるかどうかは二の次なのでしょうが。
 映画で描かれる直木賞受賞後の江分利氏の主張には、同世代の岡本監督は共感していると思われますが、江分利の説教を聞かされる同僚たちのうんざりした姿が映画にきちんと撮られているところに、岡本監督の批評性があります。
 面白いか、面白くないかといった基準でこの映画を断ずることはほとんど意味がないと思いました。
 この時代、江分利氏の家の前は、未舗装の砂利道でトラックが通ると石をハネ上げて、ガラスが割れたり、部屋の中にいる人にケガをさせたりしていたんですね。また、小学生の男の子は十円玉を持って貸し本屋に行き、一冊借りては返していました。マンガ本や活字に「飢え」ていた子供時代が懐かしいです。ようやくテレビは普及し始めたものの、この映画には家族でテレビを見るという場面はありません。私の記憶では夕方から夜にかけては結構みんなでテレビを見ていましたね。
2006年3月12日

WOWOW

13:00〜14:55
センセイの鞄

WOWOW
2002年

112分
 3月2日に亡くなった久世光彦追悼番組として特別企画されました。原作は川上弘美。脚色・筒井ともみ、音楽・都倉俊一、演出・久世光彦。見始めたらやめられなくなってしまいました。
 ツキコ(小泉今日子)は行きつけの飲み屋・喜八で高校時代の国語教師・松本春綱(柄本明)と再会します。それから不思議な時間が流れて、ふたりの心がしだいに接近していきます。町なみや背景、そしてちょっとした風景が丁寧に描かれたドラマ。小泉今日子の魅力が最大限に生かされた作品になっています。柄本明のセンセイも彼以外には考えられないほどのはまり役でした。「ひとを失う」ことの喪失感も、鞄の空っぽの間を映し出した直後のラストシーンの号泣によく生かされていると思います。
2006年3月3日そして3月10日

日本テレビ
23:15〜0:05
時効警察
第8話
第9話

2006年
 趣味で時効になった事件を解決する霧山刑事(オダギリ・ジョー)と三日月刑事(麻生久美子)のTVフィーチャー「時効警察」第8話「桜咲く合格通知は死への招待状?」、脚本・監督はケラリーノ・サンドロヴィッチ。大学に合格したばかりの立花律子(真木よう子)が森で絞殺されていた迷宮入りの事件。霧山刑事(オダギリ)はいまや大学の数学教授になっている律子の友人だった関ケ原弥生(櫻井淳子)に焦点を絞る。事件当日、いきつけのスナック『森の荒熊さん』で合格祝いをした二人に、その後、何があったのか。数学が得意な弥生と小論文が得意な律子。
 謎はあまり大したことはありません。ロシア語の知識があるので、英語のRとロシア文字のヤーの謎もすぐに分ってしまいました。けれども、事件が時効であるため、犯人と被害者の心ばえがむしろ面白く描かれています。この話でも八歳のときに幼ななじみの二人が森に埋めたタイムカプセルのワイン瓶の中の手紙がポイントになります。殺された立花律子は「大学に合格して喜ぶ弥生ちゃん」の絵を描いていました。一方、弥生ちゃんは・・・・。
 なんでもおおめに出す定食屋のオバサン(犬山イヌコ)、ゴキブリの走り回る洗濯屋で「ゴーゴリ」とあだ名される使用人の話をとんでもなく違えて翻訳する女将さん(根岸季衣)、雑談にわく刑事部屋など、奇妙な場所での奇妙な会話がドラマに弾みをつけます。
 第9話・最終話「さよならのメッセージは別れの言葉と言っても過言ではないのだ!(ピアノの女王は14曲で死ぬ)」脚本・監督は三木聡。15年前に天才作曲家・雨田潮[読み方は、うだうしお]=アマデウスは塩砦温泉で殺されていたが、「サリエリ」というダイイング・メッセージを遺していました。その結果、容疑者は男に絞られましたが、時効。雨田の恋人でピアニストの冴島翠(りょう)は一年間に1曲だけ新曲を発表していました。その15曲めに隠された謎を霧山は探ります。雨田研究家の木田(三谷昇)は雨田の曲と冴島の曲がともに右手の小指を使わない曲になっていることを指摘します。雨田は真犯人をかばったのか。だとしたらいったいそれはなぜか。
 今回も謎自体はたいしたことはありませんが、背景の「やわらか地蔵」とか、キャラクターの奇妙な味で見せてしまいます。DVD化され、6月に発売されるようです。
 2007年3月末、角川文庫にてノベライゼーションが発刊されました。主要な被疑者は必ず美人女性、第1話は東ちづる、第2話は池脇千鶴、第3話は緒川たまき、第4話は永作博美、第5話は奥菜恵、第6話は森口瑤子、第7話は葉月里緒奈。
2006年2月26日

DVD
あゝ爆弾

東宝

1964年
 原作はウールリッチの短篇『万年筆』。製作当時、ミュージカル映画『ウェストサイド物語』に影響されて、日本でもミュージカル映画を作ろうとしたのが東宝の藤本真澄と大映の永田雅一だったそうです。社内のシナリオ・コンクールに既に出してあった岡本喜八の脚本をもとに、狂言の音楽とリズムを中心に“リズミックな”映画に仕立ててしまった才気あふれる作品。
 伊藤雄之助演ずる組長の動きに当てられる和楽に対して、中谷一郎演ずる社長・矢東弥三郎に当てられるのは洋楽。「和製ミュージカルをやるなら狂言仕立てで」やろうとしたアイデアが、落ち目の組長のドタバタにぴったり合っています。
 万年筆型の爆弾を作る男に砂塚秀夫。
 それにしてもこのような破天荒な商業映画が作られていたとは。
 1960年代は日本映画にとって、いちばん良い時代だったのかもしれません。
2006年2月26日

DVD
殺人狂時代

東宝

白黒作品
1967年

 岡本喜八監督の傑作がとうとうDVD化されました。『あゝ爆弾』『江分利満氏の優雅な生活』なども一緒です。戦場篇として『独立愚連隊』『戦国野郎』『血と砂』などもDVDで復刻されました。『あゝ爆弾』や『殺人狂時代』は、見たいと思ってから30年、ようやく見ることができました。感慨はひとしおです。
 さて、『殺人狂時代』の原作は都筑道夫の『飢えた遺産』(発表当初の題名は『なめくじに聞いてみろ』)。日活で宍戸錠主演で企画されましたが、頓挫し、東宝で岡本喜八監督が撮ることになりました。仲代達矢の持ち味がよく出た作品で、理由が不明なまま殺し屋に狙われる大学の犯罪学講師・桔梗信治(仲代)を、週刊ミステリーの編集部員・団令子と自動車マニアの大友ビル(砂塚秀夫)が助けます。
 背景にはナチスの残党がからんでいるようです。殺人組織のボスの医師・溝呂木に天本英世。いろいろな武器を片手にモダンな殺し屋がたくさん登場する人工的な映画です。後にも先にも同好の作品が無いという異色作ですが、このカラーは意外にもヒッチコックに近いのではないでしょうか。DVDボックスが「モダーンズ」としてまとめられているのも、この作品の印象が強いせいでしょう。
 喜八監督は「トリを食ってしまう添え物映画のつもりで作った」と言っています。完成したものの、プロデューサー・藤本真澄が「水準以下の作品」と断定し、お蔵入り。喜八監督は「水準以下って具体的にどういうことだ」と反論しましたが、答えは無し。半年後に勅使河原宏監督のドキュメンタリー『インディレース・爆走』の併映で一週間だけ上映されましたが、興業的には惨敗。しかし、池袋文芸座などの名画座で上映され、カルト化しました。
2005年12月30日

WOWOW
仁義なき戦い・広島死闘篇

東映

1973年
 「仁義なき戦い」シリーズが暮れに一挙放送されましたが、そのうちのひとつでシリーズ第二作。30年ぶりに見直しました。北大路欣也の演ずる山中正治は鉄砲玉として利用されつくして死んでいきます。しかし、死んでいくのは彼だけではありません。拳銃で撃たれて多くの人々が次々に死んでいきます。その数ときたら、半端ではありません。ほんの少しの行動の違い、判断の違いで死んだり、生き残ったりします。
 たくさんの死。自分が若かった当時は他人事でした。
 いまは、他人事とは思えません。それだけ多くのひとの死を知ってきました。映画でひとの死を見るのがつらいのです。そして、こんなにもたくさんの死を見るのはなおつらい。
 公開当時は千葉真一演ずる大友勝利の無軌道ぶりが話題になりました。着流しの侠客の映画をリアルタイムで観ておらず、義理と人情や仁義の世界に共感していなかった私には、『現代やくざ 人斬り与太』の菅原文太の八方破れぶりや粋がり方が既に青春映画として新鮮だったので、大友勝利の無軌道は、その延長線上でした。後先を考えない無軌道が、親分衆の権威への反発というのでは、転倒はしているものの、親分衆と同じ価値観ということになります。その点が共感できなかったのですが、考えてみれば大友勝利は親分衆の価値観を単純に金と女と言い当てていたのでした。                       
2005年11月13日

WOWOW
街の灯

1974年

松竹
 チャップリンの作品ではなく、森崎東監督・堺正章主演の怪作。ロード・ムービーです。
 日曜日の朝8:00からの名作日本映画館では先週から森崎東特集と銘打って『喜劇・女は度胸』(11月6日)、『街の灯』(11月13日)、『喜劇・女は男のふるさとヨ』(11月20日)、『喜劇・男は愛嬌』(11月27日)と放映されます。森崎東特集はこの四作のみ。この放映が理由でWOWOWに加入した私としては不満です。
 残念ながら『女は度胸』の放映には装置が間に合わず、『街の灯』からデジタル録画できました。もっとも、『女は度胸』は松竹からDVDで発売されていましたね。『街の灯』はセル・ビデオもWOWOWの放映もシネスコ・サイズでした。次週の予告篇はビデオ同様のビスタサイズ編集版でしたが、実際の放映はシネスコ版でした。
 『街の灯』の堺正章(千代松)は軽薄で、同情や共感を持てない役どころでしたが、体当り演技を見せてくれます。特に女子プロレスのにわかレフェリー役ではレスラーに投げ飛ばされたり、キックされたり、くしゃくしゃにされてしまいます。キネマ旬報に掲載された拙評があります。
2005年11月5日

BS2
男はつらいよ・寅次郎夕焼け小焼け

1976年
松竹
106分
 『男はつらいよ』第17作。シリーズ最高傑作という評価もあります。私はこれを見ていなかったので、今回が初めて。1976年のお盆の公開作で、キネマ旬報第二位。ちなみに、この年のキネマ旬報第一位は長谷川和彦監督の『青春の殺人者』でした。
 金勘定よりも人の気持をいちばん大切にする、登場人物たちの「心意気」がよく出た作品だと思いました。寅さんが金を持たずに飲食した身寄りの無さそうな老人(宇野重吉)を思う心意気、寅さんが老人の正体を知らずに絵を売って得た金を「兄のなにかの間違いに違いない」からと作者に返す妹さくらの心意気、郷土の名士となった画家の訳ありの女性・志乃(岡田嘉子)の「後悔しない人生はない」という悟りの境地の心意気、竜野市の芸者ぼたん(太地喜和子)が落ち込んだ場合でも気丈に芸者を務める心意気、馴染みの男(佐野浅夫)に金を騙し取られた芸者の境遇に同情する寅さんやとらやの人々の心意気、市長に金を積まれても画家から贈られた牡丹の絵を売らないという芸者・ぼたんの心意気などなど。兵庫県竜野市は「赤とんぼ」の作者・三木露風の町です。
 山田洋次監督は「落語の語り口を十分に生かしながら、久しぶりに自由奔放な寅さんを描きたい」と演出のことばを語っています(『山田洋次・作品クロニクル』ぴあ出版)。その意図は達成されていて、ひとりよがりだったり、自分勝手だったり、思い込みがはげしかったり、直情径行の寅さんの口上は絶好調です。ただ、有名な画家が無銭飲食をしてしまうものかなとか、宝珠という素人に落書きと思われるものを描いて軽はずみに売ってしまうものかなという疑問がありますけれども。
 なお、冒頭の寅さんの夢は『ジョーズ』でした。ちなみに、勝新太郎監督が太地喜和子を起用したのは『顔役』が1971年、『新座頭市物語・折れた杖』が1972年。
 2006年3月〜4月のBS2で視聴者が選ぶ「男はつらいよ」アンコール放送の投票で第2位。第1位は第1作でした。
2005年11月3日

DVD
コント55号のなんでそうなるの?

1973〜1976年

日本テレビ
 コント55号結成40周年記念で、コント55号の傑作コントを収録したDVDが発売されました。『コント55号のなんでそうなるの』は日本テレビ(1973年〜1976年)の、『コント55号の傑作コント集永久保存版』はフジテレビとTBSの放映コント。
 初めてコント55号のコントを見たのは1970年頃のお正月番組だったと思います。あまりに可笑しくて強烈でした。小島信夫が誉めていたのも気になりました。けれども、私は当時テレビをあまり熱心に見ていなかったので、二人のコントにそれほど触れたわけではありません。そのうち、『裏番組をブッ飛ばせ』などの野球拳がコント55号の話題になって、コントそっちのけになってしまい、残念な感じがしました。素人をうまくのせる『欽ドン』や『欽どこ』はときどき見て楽しみましたが・・・・。
 コント55号の傑作コントの収録ということで、期待して見ましたが、古いものほど面白いと言えます。最近に近い時代のコントはキャラクターによりかかりすぎて、ルーズな繰り返しになっています。そこで、DVD2枚組で言えば『傑作集』にはあまり傑作が収録されていません。日本テレビ系の『なんでそうなるの?』の浅草の舞台を撮影したコントにずっと面白いコントがあります。
2005年10月9日

ビデオ
真昼の暗黒

現代ぷろだくしょん
1956年
125分
 製作・山田典吾、原作は正木ひろしの『裁判官』、脚本・橋本忍、監督・今井正。実際にあった冤罪事件である八海事件を、係争中に映画化した作品。冤罪を研究されている山田さんからビデオを借していただきました。音楽は伊福部昭。白黒作品。公開年のキネマ旬報第一位の作品。
 発端はむごたらしい殺人現場の検証から始まります。操作主任(加藤嘉)の「複数犯」との直感が捜査を誤った方向へ導きます。最初に逮捕された小島の単独犯だった事件が警察官の主観によって、都合の悪い事実は無視する、ねじ曲げる、被告を殴る・投げ飛ばすといった拷問をくり返して自白を強要する。冤罪が作られていきます。作品は、いちど出た判決をくつがえすことが如何に難しいかを、描いていきます。
 主犯とされた植村(草薙幸二郎)の母親(飯田蝶子)や妻(左幸子)、彼の仲間の母親(北林谷栄)など、兵隊帰りのアプレ青年と称された若者の家族の心痛や苦労も描かれています。弁護人(内藤武敏)の犯行経過の不自然さを指摘する合理的な論拠すら、裁判官を納得させない事態は謎としか言いようがありません。
 それにしても戦後のこの村の貧しさときたら・・・・青年たちにはほとんど仕事はないし、女たちも縄をなったりするような内職的な仕事しかしていません。
 佐藤忠男は今井正論で、本作品にも触れ、実際には愚連隊であり、愚連隊だからこそ容疑者となった若者たちを、そういった影のない、ただただいじらしい若者として描いてしまったことで、かえって映画としての力を弱め、リアリティを失ってしまっていると批判しています。
 映画に描かれたように、村にほとんど仕事らしい仕事がなかったのであれば、若者たちは愚連隊にもなりようがなかったように思えました。
2005年10月8日
DVD
機動戦士ガンダム F91

バンダイビジュアル 松竹
1991年
120分
 テレビ新シリーズとして企画されたが頓挫して、劇場用公開作品となり、評価の分れた作品だそうです。
 F91は主人公シーブックが「ニュータイプ」として操作することになるモビルスーツ、つまり機動戦士ガンダムです。F91はニュータイプの人間が操作すればその機動性をいかんなく発揮できるモデルのようです。シーブックの母親が製作に関わったことが分ります。
 宇宙に浮かぶスペース・コロニーに生活する地球人を抹殺しようとする冷酷な計画が建てられており、それにたち向う主人公シーブックと、敵方の娘でアイドルに祭り上げられるベラとの愛情。作品のなかで主人公たちの精神形成や成長が描かれます。
 コロニーの幼い子供たちも最初から戦闘態勢に入っており、敵の攻撃は当初からジェノサイド(皆殺し)の様相を示しています。
 原作・監督は富野由悠季、キャラクターデザインは安彦良和。  

シェイクスピア作品の映画化やその関連の映画は除く。
それらは別ファイルになっている。→ 『シェイクスピアの劇と映画


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