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 映画 日記   (2004年)       池田 博明 


2004年6月〜11月に見た 外 国 映 画 (洋画)
見た日と媒体 作  品        感  想     (池田博明)
2004年11月11日

DVD
靴みがき

イタリア
1946年

80分
 デ・シーカ監督のあまりにも悲しい結末をもつ傑作。白黒作品。1990年にビデオやLDで発売されたようですが、いまは入手不能で、これを見ることはできないものとあきらめていました。しかし、とうとうDVDで発売されました。日本ヘラルド映画とポニーキャニオンに御礼を言いたいと思います。イメージの暗いこの映画がいったい誰に見られるものか分りませんが、BS2で『自転車泥棒』を二度も放映していたくらいですから、デ・シーカ監督のファン、あるいはネオレアリズモのファンは結構いるのでしょうか。フランチェスコ・ロージ監督の諸作品も復刻して欲しいですね。
 さて、『靴みがき』ですが、子供が主役の映画とはいえ、あざとさは全くありません。1973年に初めて見た私は感動して感想をつづろうとしましたが途中までしか書けませんでした。
 ジュゼッペが拷問されていると思いこまされて、パスクワーレは詐欺の仲間の名を告白してしまいますが、ジュゼッペはパスクワーレが自分を助けようとしたのだということには思い至りません。少年拘置所には連帯感があって,パスクワーレはみんなにスパイよばわりされてしまいます。彼の孤立感がひたひたと感じられます。
2004年11月7日

BS2
20:00〜21:50
刑事

イタリア

1956年

110分
 カルロ・ルスティケリ作曲の主題歌「アモーレ・ミオ(死ぬほど愛して)」が有名なピエトロ・ジェルミ監督・主演の代表作。白黒作品。ローマのアパートで起きた些細な泥棒事件。その後、人妻殺人事件が起き、捜査につれて様々な人間模様が明らかになっていきます。
 機動警察の警視イングラバッロ(ジェルミ監督自身)は人妻リリアーナ(エレオノラ・ロッシ・ドラゴ。素晴らしい美人です)の部屋を訪ねてフランス人形を前に話を聞きます。子供のころ、閉店まぎわのお店にあった人形を父親が見て、「お前に似ている」と言った後で、お店の電気が消え、真っ暗になったショウケースの前で泣き始めた私のためにあわてて買ってくれたのだ、と。警視にヴェルモットを出しながら、どこかさびしそうなリリアーナが美しく印象に残ります。しかし、次の場面で彼女は殺されてしまっています。第一発見者はバルダレナ医師(フランコ・フェブリッツィ)。警視でなくとも犯人に対する怒りが湧いてきます。
 警視の相棒でちょっと太ったサーロ刑事(サーロ・ウルツィ)が可笑しい。
 アパートの通い女中のアッスンティーナ(クラウディア・カルディナーレ)はいったんは泥棒と疑われた恋人ディオメデ(ニーノ・カステルヌオーボ)と結婚式を挙げます。刑事たちは別居状態のリリアナの夫バンドウチ(クローディオ・ゴーラ)を疑います。彼女が死んで一番得をする者といえば遺産を相続する夫だからです。ところが、一週間前にリリアナは遺言状を書き換えていることが分ります。その遺言状によると、夫へ遺す相続分は無いのでした。不思議なことですが、やがて真相が明らかになります。
 子供のいなかった夫婦のもとに未成年の家政婦ビルジニアがやってくる。ちょっとしたきっかけが夫を狂わせます。娘も見返りを要求するようになり、夫婦は地獄のような日々を送ることになります。しかし、夫は妻を殺したわけではありませんでした。従兄弟の医師バルダレナも小悪党ですが、殺人をするような男ではありません。
 リリアナ家の鍵を見ていた警視は突然思い当たりました。事件の鍵をにぎっているのはアッスンティーナだったのです。警察はアッスンティーナの貧しい新居に向います。
 現実におしつぶされそうになっている弱い人々に対する警視の共感と無力感、人間を思いやる感情の薄い人間に対する憤りがよく表現された作品です。警視自身も忙しくて、愛人パオラになかなか会えません。(パオラは電話機の向こう側にしか登場してきません)。
 夫人のコンサルタント役をしていたはずのバルダレナ医師がリリアナの死体をまたいで金の入った自分宛ての名前の封筒を取り、また死体をまたいで戻って電話した行動を再現させて、警視は「そうやって、またいだんだな」と怒りを爆発させますが、バルダレナ医師には警視になぜののしられるのかが理解できません。そのギャップがこの映画の深さです。
2004年11月3日

ビデオ
主任警部モース第11話
カーパーク5B号の謎


英国
1988年

103分
 原題はThe Secret of Bay 5.
 今回の主役である女性ローズマリー・ヘンダーソン(メル・マーティン)の半裸シーンで始まり、モースが検死官の女医ラッセル(アマンダ・ヒルウッド)とデートしたり、娼婦カミラ(スーザン・キッド)にプロポースされたりと、女性が重要な役割をになう一篇。監督はジム・ゴッダード。脚本はアルマ・カレン。
 夫ジョージ(ジョージ・アーヴィング)と別居しているローズマリーは不倫の相手の男から「疎遠にすると不倫現場の写真を夫に送る」という嫌がらせを受けているようです。夫は森番をしているJで、電話をしながらイライラと銃を磨いている不気味な男。
 やがて、一人の男が駐車場で絞殺死体で発見されます。被害者の建築家は他にも多くの女に手を出して独占しようとしていたことが分ってきます。ローズマリーも参考人の一人ですが、殺人の時刻からズレた駐車券という「完璧な」アリバイがあります。
 一方、駐車場の傍のスケート場に通っていたと証言する会社のブライアン(フィリップ・マクゴフ)は、会社の金を横領して、財産代わりに絵画を入手していたようで、妻(マリオン・ベイリー)はそのことを知っています。しかし、モースは家にかけてある絵画の一枚が贋作であることに不審を抱きます。社長を殺したのはこの男でしょうか。男は良心の呵責から自殺してしまいます。
 次第に核心に近づいてきたモースは、自分の車のキイを使って、犯人にあるトリックを仕掛けます。
 ラストのローズマリーの一言「私はこの男(共犯者)に一生を台無しにされた」で、女性の底知れぬ恐ろしさが分る一篇です。モースの表情は冴えません。
 しかし、女医が楽劇『パルシファル』の切符をキャンセル待ちで入手してくれましたし、失くしたと思っていたオペラの券も見つかって、ようやくモースにも笑顔が戻ってきます。
2004年9月〜10月

DVD
ピンク・パンサー

アニメーション
USA
 アニメーションの「ピンク・パンサー」は森卓也氏が高く評価していたスラップスティックなアニメーションで、今から30年ほど前にも、フジテレビで深夜に放映していました。私は毎晩見てメモを取り、当時出していたガリ版刷りのミニコミ紙に短い記録を書きました。
 2004年の8月と9月に、前後篇を合わせると10枚80篇のDVDになって市販されることになりました。企画がよく通ったものだと思います。ピーター・セラーズの実写版にも根強い人気があるということでしょうか。
 80篇もあると、もう見たことのない作品ばかりですね。
 パンサーは善人のイメージを崩すことはありません。性格ものんびりしているのです。例えばピザパイの回がその性格をよく表しています。評判の店エディのピザのお蔭でお婆さんのピザ屋さんは閑古鳥が鳴いています。そのピザが好物だったパンサーはお婆さんのためにひと肌ぬぐことにします。大きな看板を描こうというのです。しかし、嫉妬して邪魔をするエディ。邪魔したつもりが結果的に効を奏してしまい、お婆さんの店は次第に盛り返してきます。業突く張りのエディはさらに邪魔をたくらみますが、パンサーの助けもあって、すべて失敗。とうとうエディの店は自業自得で燃えてしまいます。パンサーとお婆さんは彼を店の広告マンに雇ってあげるのでした。
2004年9月20日

BS2
(録画)

ショコラ

2000年
イギリス
120分
 ラッセ・ハルストレム監督の「寓話」。フランスの片田舎に流れてきた母親ヴィアンヌ(ジュリエット・ビノシュ)と娘アヌークはアルマンド(ジュディ・デンチ)の家を借りて、チョコレートのお店を開きます。
 ちょうど村は絶食の期間、村長格のレオノ伯爵は村の平穏を乱す侵入者を追い出そうと試みますが、チョコレートのもつ欲望を開く効果は徐々に村人に影響していきます。最初に夫の暴力に耐えていたジュリエット(レナ・オリン)が家出をして店の手伝いになります。
 川で生活する流れ者のリーダー(ジョニー・デップ)も関わってきて、排他的な村人の生活に波乱が起きます。
 流れてくる母と娘は解放をもたらす使者のシンボルです。
2004年9月10日

ビデオ
主任警部モース第9話
最後の敵


英国
1988年

103分
 運河で死体が発見されますが、首と手足がないため身元がわかりません。ちょうどその折り、モースはオックスフォード大学時代の同級生アレックス(バリー・フォスター)に調査を依頼されます。いまや学寮長になっているアレックスは、同僚のケリッジ博士(テニエル・エヴァンス)の居所不明とその理由を探って欲しいといいます。もしゴシップになりそうな場合は副学寮長に推薦した自分の地位も危うくなるというのです。モースは死体の主がそのケリッジ博士ではないのかと推理し始めます。
 しかし、ケリッジ博士はちゃんと生存していました。博士課程を修了したばかりのデボラ・バーンズ(ビーティ・エドニー)は特別研究員になれなかったのはケリッジ博士が反対票を投じたからだと思いこんでいて、ケリッジ博士に直接尋ねます。するとケリッジは反対したのは自分ではなく、学寮長だと言います。そんなことがあるでしょうか。自分の博士論文を指導してくれ、共著で本を出し、肉体関係まであるアレックスが・・・。
 モースはアレックスの秘書キャロル(シーアン・トーマス)から情報を得、ルイス部長刑事はケリッジのライバル、ドライズデール教授の用務員から情報を得ます。次第に、どうやら殺されたのは大学に出入りしていた高級官僚のようだということが分ってきます。大学と官僚の密着も背景にあるのでしょうか。官僚を問いつめたモースは上司に怒られます。
 名誉あるシェルドン講師の地位を争って敗れ、妻を被害者の官僚に寝取られたドライズデール教授は脳腫瘍のためローマで静養中ということですが、近況を知らせる絵ハガキが来るだけでした。
 なに者かがケリッジを襲撃し、翌日彼は撲殺死体で発見されます。そしてやがてアレックスも古い拳銃で撃たれて殺されます。
 三人をつなぐ怨みの連鎖、その中心にいるのはドライズデール教授(マイケル・アルドリッジ)でした。聖書によれば、「最後の敵」、それは「死」です。 
 原案コリン・デクスター、脚本ピーター・バックマン、監督ジェームス・スコット。
2004年8月22日

DVD
ミスティック・リバー

USA

2003年
135分
 クリント・イーストウッド監督作品。撮影はトム・スターン、編集はジョエル・コックス。マルパソ・プロ製作。ショパンのエチュードのような主題曲はイーストウッドの作。
 イーストウッドの映画はあたかもワン・シーン、ワン・カットのような息の長い場面が特徴です。ミスティック・リバーにはCGも特撮もなく、ボストンでのロケーションとイーストウッドが第一候補とした役者たちの演技があるだけ。
 インタビューに答えての、イーストウッド自身の言葉がこの映画の本質を物語っています。“ストーリーと配役で90%が決まる。俳優の最高の演技を撮ることが監督の仕事だ。20テイクも撮ったら俳優はカラカラになってしまうだろう。リハーサルの方が良い場合があるから、リハーサルからカメラを回す。ジョン・ヒューストン監督はすべてのシーンを重要に扱え、そうすればきっとうまくいくと言っていたし、ドン・シーゲル監督は俳優の勢いに任せて場面は広げるものだと言っていた。私はそれに従っているだけさ。”
 道路でホッケーで遊んでいた三人の少年が乾ききっていないセメント板の上に自分たちの名前を落書きしたところ、警官バッジをちらつかせた中年の男たちに咎められました。男たちは少し離れた地区のディブを車に乗せて去ります。そのままディブは戻って来ませんでした。監禁されて性的な暴行を受けたのです。やっとのことで逃げ出したディブは「傷物(wounded)」と呼ばれてしまいます。
 それから20年余の時がたち、三人は三様の家庭を持っていました。ジミー・マーカム(ショーン・ペン)はドラッグ・ストアの経営者で、二人目の妻アナベス(ローラ・リニー)との間に子供が二人います。先妻との間の子供ケイティはいまや19歳で目に入れても痛くないほどの溺愛ぶりでした。ディブ・ボイル(ティム・ロビンス)はアナベスの従姉妹セレステ(マーシャ・ゲイ・ハーデン)と結婚し、マイケルという男の子がいます。195cmの巨漢ですがいつもうつむき加減に歩いていました。州警の殺人課の刑事ショーン・デベイン(ケビン・ベーコン)は妻と別居中で電話の向こうでいつも妻は無言でした。
 ケィティは父親ジミーに「さよなら(later)」を言って出かけましたが、恋人ブランドンと秘密の計画を持っているようです。父ジミーは娘がブランドンのレイン家と付き合うことを嫌っていました。ブランドンは唖の弟を可愛がっており、悪い人間ではなさそうなのですが。
 ケィティはその夜、家に帰ってきませんでした。友人と酒場で踊っているのをディブが目撃していました。深夜に血まみれで帰宅したディブを迎えたセレステは強盗に襲われて殴り返したという夫を不安に感じます。
 血まみれの自動車が置き去りにされているという通報があり、警察が調べると近くの動物園の熊の檻の穴で撃たれて死んでいるケィティが発見されました。ショーン刑事とパワーズ部長(ローレンス・フィッシュバーン)が捜査の担当になります。
 聞き込みを続けるうちに迷宮の糸がほぐれてきます。デニス・ルヘインのベストセラー小説を脚色しました。脚色のブライアン・ヘルデゲランドが、作品を過去の運命の糸に操られる「ギリシア悲劇」だとか、ボストンという町を舞台にしたオペラだという説明をしていました。
 そう言えば、ロス・マクドナルドのミステリー、たとえば『さむけ』などもギリシア悲劇にたとえられることがありました。
 容疑者があがらないなか、車から血痕が見つかったディブが疑われ始めます。ディブが殴ったという男の死体も現れません。
 そして、警察の捜査の進展とは別に、犯人のめぼしをつけたジミーが制裁に出ます。何重にも重なった悲劇が起こります。
 アカデミー主演男優賞(ショーン・ペン)と助演男優賞(ティム・ロビンス)受賞作品。
2004年8月3日


DVD
愛の破片

ドイツ・フランス合作

1996年
130分
 ドイツの監督ヴェルナー・シュレーターが伝説の歌姫アニタ・チェルケッティのために作った歌声満載のドキュメンタリー映画。
 往年の名歌手マルタ・メードル、リタ・ゴールらも歌います。舞台で歌うのではなく、中世に建てられた修道院で、リハーサルとも自由時間ともつかず、歌に演技に自己陶酔するオペラ歌手たちをカメラは捉えます。
 チェルケッティの歌は全盛期のものが使われています。それらは歌劇『ホーヘンシュタウフェンのアグネス』から「ああ、天空の王よ」、歌劇『トスカ』から「恋に生き、歌に生き」、歌劇『ノルマ』から「清らかな女神よ」で、どのアリアも素晴らしい。
 チーシンスキ姉妹(S)やゲイル・ギルモア(S)、トゥルデリーゼ・シュミット(S)、セルゲイ・ラリン(T)、ローレンス・デイル(T)など、活躍中の現役歌手の歌や練習も収録されています。ただ構成は雑然としており、焦点が定まっていないと思いました。恋だの愛だの、死とは何かといった討議はありますが、様々なる意匠として話題になっているだけで、いったい監督が何を目指したのかが、最後まで分りませんでした。
2004年7月29日


VHS
主任警部モース ハンベリー・ハウスの殺人


英国
1987年

103分
 原案コリン・デクスター、脚本ジュリアン・ミッチェル、監督ハーバート・ワイズ。第8話。
 モースはロンドンからの帰途、歌劇『トスカ』のプログラムを見ていました。大きな邸宅ハンベリー・ハウスを構える貴族の美しい妻(パトリシア・ホッジ)も乗車していて、駅には庭師ジョン(マイケル・トーマス)が車で迎えに来ています。車に同乗した隣の酒屋の奥方を冷たく扱うレディ。彼らは真夜中に帰宅しました。
 翌朝になると、学寮長候補だった夫のジュリアス・ハンベリー(マイケル・ゴドリー)が喪失し、書斎から絵が無くなっていました。捜査に呼ばれたモースとルイス。主人は家の墓室で死体になって横たわっていました。検死医マックスに代わって女医ラッセル(アマンダ・ヒルウッド)が登場します。死体はずいぶんひどく殴られているそうです。
 子守に雇われていたフランス人のミシェル(イリーナ・ブルック)は突然レディに解雇を言い渡されます。ミシェルの恋人ロジャーの運転する車のブレーキが細工され、男は事故を起こして死亡しました。ロジャーの持ち物から脅迫文が発見されます。ロジャーが脅迫していたのは主人らしいのですが、いったい強請のネタは何でしょうか。
 書斎に飾ってあった写実的な裸体画をめぐってポルノか否かという論争も起っていました。主人は自分で屋根裏部屋にアトリエと暗室をもち、自分が撮影した写真を焼く趣味ももっていました。いったいどんな写真を撮影していたのでしょうか。
 モースがカラスの『トスカ』を聴いているというと、レディ・ハンベリーは「品がないから好きでない」と答えます。モースはレディにかすかに敵意を抱きます。ロンドンのコヴェント・ガーデンでのカヴァラドッシ役はプラシド・ドミンゴだったので、「プログラムは?」「いつも買いませんの」。ドミンゴ出演の公演のプログラムを買わないなんてことがあるでしょうか。次第に複雑な人間模様が明らかになります。
 原題は「機械の中の幽霊」。機械はコンピュータ(ロジャーの使用していた機械である)のこと、幽霊とはメモリーに残された文書のこと。
2004年7月20日

DVD
オペラは踊る

USA
1935年

91分
 マルクス兄弟ものをボックスでという希望がかなえられました。既に『御冗談でショ』『けだもの組合』『我輩はカモである』はボックスになって発売されています。“次は、BOX2として『ココナッツ』『いんちき商売』『オペラは踊る』をセットして欲しいですね”と書きましたが、このたび『オペラは踊る』『マルクス一番乗り』『マルクス兄弟珍サーカス』『マルクスの二挺拳銃』『マルクス兄弟デパート騒動』『マルクス捕物帖』というMGM作品がDVD5枚組で発売されました。
 MGM第1作『オペラは踊る A Night at the Opera』(1935年)を見ました。富豪の夫人(『我輩はカモである』等のマーガレット・デュモン)に取り入り、オペラ歌手を呼ぶのに成功した企画屋グルーチョはミラノからニューヨークへの船旅で、はからずも密航者を運ぶことになります。
 名前の出ないテノール歌手と歌姫との恋をマルクス兄弟が応援していきます。歌あり、踊りあり、芸ありと盛りだくさんで、プロデューサーだったサルバーグの意図が強く出た大作です。
 DVD特典も多く、証言や解説によって総合的に作品を理解させようという意欲あふれるDVDでした。
2004年7月19日

BS2
20:00〜21:50
大砂塵

USA
1956年

90分
 ニコラス・レイ監督の西部劇。中学生の頃、西部劇の音楽ソノシートを聞いたとき、いちばん最初に入っていたのが、「ジャニー・ギター」でした。ペギー・リーが歌う主題歌は何度も聞きましたが、映画の方は観ていませんでした。BS2の放映で初めて見ました。奇妙な西部劇でした。
 荒地の真中に酒場ビエンナを開いた女(ジョン・クロフォード)に対する町の女エマ(マーセデス・マッケンブリッジ)の対抗意識が悲劇を生んでいくのです。銀行強盗や殺人の疑いをかけられてしまうキッドと恋人関係だったことから、ビエンナも悪い仲間と疑われます。頭ごなしによそ者の娼婦上がりのビエンナが黒幕であると決めてかかっているのです。証拠がないからと躊躇する保安官を叱咤するエマ。
 五年前にビエンナと別れた恋人ジョニー・ギターことローガン(スターリング・ヘイドン)は、拳銃をギターに持ちかえて、ビエンナに会いに来ました。それからあっという間に劇は進行します。
 キッド一味のひとり少年のターキーは町の捜索団から「命は助けるからビエンナも強盗団とグルだったと偽証せよ」と責められて、うなづいてしまいます。命を助けてくれたビエンナを裏切ったのです。そして、「二人とも吊るせ」という町民の声により彼は私刑で縛り首になってしまいます。先入観でひとを裁くエマと町民の姿は赤狩りで傷を負った監督ニコラス・レイの心象でしょうか。 
2004年7月13日


DVD
ピクニック


1936年(1946年)
39分
 私の映画の見方に影響を与えたのはジョナス・メカスでした。1974年に翻訳された『メカスの映画日記』(フィルムアート社)の批評に、私はすっかり魅了されました。その本のなかで、メカスがもっとも力を入れて評価している作家がジャン・ルノワールでした。
 たとえば次のような評言がありました。
 『ゲームの規則』(1939)について、“ルノワールの人物はどうにかしてドラマ化をさけようとする。ルノワールの人物は、いかにも人間らしく見え、人間らしくふるまい、人間らしくとまどい、漠としてあいまいな表現をしている。彼らは筋立て(プロット)や、芝居のようなドラマティックなクライマックスに動かされるのではない。彼ら自身のもつ矛盾、気ままな、何気ないふるまい、生命の流れそのものと呼ぶことさえできるようなあるものに動かされるのだ。(33頁)”
 『草の上の昼食』(1959)について、“彼の語ることはすべて美しい。彼の語り方も美しい。映画のテーマ、映画のストーリーなど何の意味があろう。愛、太陽、木、美しい女、夏の日、草の上のピクニックの映画で十分だ。筋書きなど、芸術や人生において、何の意味があろう? 問題なのは細部、微妙さ、ニュアンスである。(29頁)”
 『ピクニック』のヒロインはシルヴィア・バタイユ。哲学者ジョルジュ・バタイユの妻でした。この映画にはジョルジュ・バタイユや詩人ジャック・プレヴェールも、ブランコに乗る母娘をかい間見る神父たちの役で出演しています。監督ルノワール自身も田舎のレストランの親方役で、ルノワールの妻マルグリットはそのメイド役で、息子のアラン・ルノワールも魚釣りの少年役と、スタッフとしてカチンコ係で登場します。撮影にあたったのは甥のクロード・ルノワール。助監督にはジャック・ベッケル、イヴ・アレグレ、アンリ・カルティエ・ブレッソン、ルキノ・ヴィスコンティがそろいます。この映画はルノワール一家の作品ともいうべきものになりました。
 パリの金物商デュフール氏は家族を連れて馬車で田舎へピクニックへ来ます。躁状態の妻ジュリエットと夢見がちな娘アンリエット、耳の遠い義母ガブリエル、娘の婚約者で愚鈍なアナトール。レストラン近くの川辺で“草の上の昼食”を取ることにします。
 娘(シルヴィア)と母(ジャーヌ・マルカン)がブランコに揺れる。しめきったレストランの窓を開いた途端、窓枠が額縁のような効果を出して、一篇の絵のようにブランコの女たちが見える瞬間の美しさ。その一瞬にこそ芸術(アート)があります。
 レストランにいた男たち、ロドルフ(ジャック・B・ブリニュウウス)とアンリ(ルノワールの助監督だったジョルジュ・サン=サーンス)は戯れに母と娘を誘惑します。最初、この悪戯に気乗りしていなかったアンリは、アンリエットの好意を感じて一気に恋に落ちます。舟遊びに出る二組のカップル(アンリエットとアンリ、ジュリエットとロドルフ)。
 林の中でアンリはアンリエットを抱きしめ、キスをします。映画は晴天で始まりますが、途中から天候の急変が予感されるようになります。クライマックスで、とうとうにわか雨が降ってきました。川の水面をたたく驟雨が移動カメラでとらえられます。そして字幕が出ます。その後、アンリエットはアナトールと結婚します。数年後、アンリエットは、アナトールと一緒に同じ川辺にやってきます。そしてアンリとの再会。あれから毎日毎晩、あなたのことを想っていたと、お互いに話す二人。万感の想いを胸に、二人は別れます。
 もともと『ピクニック』の企画は、ルノワール監督の『ランジュ氏の犯罪』(1935)に出演したシルヴィアの美しさを描くためのものでした。シルヴィアは当時28歳。
 解説によると、ロベルト・ロッセリーニ監督の『アモーレ』(1948)は『ピクニック』へのオマージュの作品と思われます。
2004年6月24日

BS2
1:00AM〜3:10AM
バットマン・リターンズ

1992年
USA
125分
 ティム・バートン監督作品。巻頭を見たら、ずるずると引き込まれてしまい、とうとう最後まで見てしまいました。フリークス趣味に満ち溢れた映画です。主人公のバットマンよりも登場する敵役たちの魅力で見せる映画です。秘書セリーナが変化するミッシェル・ファイファーのキャット・ウーマン、水かきを持って生まれたために誕生直後に両親に捨てられ、下水道でペンギンに育てられたダニエル・デビートのペンギン男、街の乗っ取りを謀るクリストファー・ウォーケンの実業家シュレックの個性がバーレスクな画面を作り出しています。
 公開当時どのくらい話題になったのか、興味がわいてきました。後半やや展開が遅いと思うところもありましたが、いろいろな読み方を可能にする多義的な映画だと思いますし、クリスマス映画としても、バートン監督のアニメの奇作『ナイトメア・ビッフォア・クリスマス』(1993)と合わせてもっと高く評価されてよい作品だと思いました。中古品店でなんとかDVDを見つけました。
 資料を探索してソールズベリー著『バートン・オン・バートン』(フィルムアート社,1996年)を見つけました。
 この本によりますと、第1作『バットマン』(1989)の興行的成功によって実現した第2作でした。第2作『バットマン リターンズ』は公開されると興業史上最大の成功を収めました。
 バートンはキャット・ウーマンやペンギン男、実業家など、「彼らの二重性が気に入っている。・・・彼らが全員、すっかり混乱したキャラクターたちだってことだった、だからこそ、彼らは美しいんだ。他のコミックスと違って、キャラクターには支離滅裂なバットマンと悪党たちしかいない。でもそれが問題の一部でもある。僕はああいうキャラクターたちを悪党とみなせないんだ。・・・彼ら全員を、ある程度均等に扱ったと思う。それに映画で遊びたかった。」と証言しています。ソールズベリーはこの映画を「ねじれた緊張、謎めいて底の知れない会話、著しく複雑なキャラクターたちに満ちている」と評しています。多くの批評家は「暗すぎる」とみなしていたようです。
 バートンには首尾一貫した物語を語る能力がないという非難に対して、バートンはこんな風に語っています。
 「フェリーニの映画にしっかりした物語の流れがあるかい? ・・・僕はただいろんなことを作り上げるのが好きなんだ。誰もが一人一人違ってるんだから、いろんなことが一人一人違ったふうに作用することになる。だから自分なりの意見をもち、物事に対するいろんな基準をもったほうがいいんだ。」。
 第3作『バットマン フォーエヴァー』(1995)ではバートンは製作総指揮に回り、監督はジョエル・シューマッカー。主演もマイケル・キートンからヴァル・キルマーに変わりました。

【追記】バートンの『アリス・イン・ワンダーランド公開をきっかけにムック『ティム・バートンの不思議な世界』(洋泉社、2010年5月)が発行された(4月24日)。渡辺麻紀は「キャットウーマンとバットマンのふたりがなぜ敵同士なのか。そのへんがよくわからないのが、この映画の特徴である。なぜかバットマンもキャットウーマンもペンギンもそれぞれ戦うのだが、その理由は釈然としない。・・・ストーリーは限りなく破綻している。では、何が映画を支えているかといえば、バートンが発散させる意味不明&禍々しいまでの力なのだ。だれ一人として幸せになれない展開に、当時のティムの歪み切った心がストレートに反映されているしか思えない!
 数あるバートン映画の中でも本作は、ティム・バートンというフィルターを通して観ないと楽しめないというきわめつけのプライベート・フィルム」と論じている。ひいきのひき倒しのような評言だが、共感できよう。
 ブルー・レイ・デイスク版にはバートンの音声解説があり、買ってしまいました。映像が綺麗で言うことありません。バートンは語る。
 「僕は自分が好きなことを映画に応用するんだ。とても楽しかったよ。新鮮な作品にするために1作目とは違うものとして撮った。アールデコ風な表現を目指したんだ。シンプルで力強く、無声映画のように見て訴えるものにしたかった。ゴッサム・シティはデザインのごった煮だ。原作にはたくさんの悪役キャラが登場する。原作のペンギン男はあまり好きなキャラではなかった。しかし、過去や育ちを丁寧に描いて二重性を持つ、味のあるキャラに育て上げたんだ。ダニーの怪演のおかげでスタッフや出演者みんなが彼を怖がったほど。キャット・ウーマンの役は最初アネット・ベニングを予定していたが、妊娠したから降りたいと申し出があって、ミッシェル・ファイファーが代りに起用されたんだが、彼女は秘書セリーナが徐々に変身する経過を見事に演じてくれた。映画は順撮わけではないのに、彼女は役がいまどの状態にあるかをきちんと計算して演技をしているんだ。変身する直前の「変な目の動き」も特撮じゃないよ。クリストファー・ウォーケンは偉大な役者だ。かれの役どころシュレックのイメージは吸血鬼さ」
2004年6月20日



VHS
成功の甘き香り

1957年

USA

93分
 ヘクト,ヒル,ランカスター・プロの傑作MGM映画。アレキサンダー・マッケンドリック監督、ジェイムズ・ワン・ホウ撮影の白黒作品。アーネスト・レーマンの原作、クリフォード・オデッツ&レーマン脚色がしっかりしています。音楽はエルマー・バーンスタインで、チック・コリア・クィンテットも参加。日本でもUSAでもビデオが廃盤で、DVDも出ていませんでしたが、最近、中古ビデオ市場にレンタル落ちの1本が出ました。30年以上前にTV放映されたのを見たことがありました。
 時代は1950年代の現代。プレス・エージェントのシドニー・ファルコ(トニー・カーティス)はブロードウェイの批評業界で、のしあがろうとしている若者。J.J.と呼ばれるコラムニスト、ハンセンカー(バート・ランカスター)に提供した記事がボツになって腐っている。それもそのはず、J.J.は自分の妹スーザン(スーザン・ハンソン)とギタリストのスティーヴを別れさせる計画を、シドニーに命じていたのでした。画策は功を奏さず、遂にステーヴはスーザンに求愛し、翌朝妹は兄に打ち明ける決意をします。いよいよ時間が無くなってきたシドニーは、J.J.と対立するエルマーに“楽団員にマリファナ所持”を疑わせる偽記事を、愛人だった子連れのシガレット・ガールをだしに提供します。
 記事のために首になったスティーヴを妹の頼みで救う素振りをJ.Jは見せます。しかし、J.J.とスティーヴの出会いは決裂し、首尾がうまく運んだことをシドニーは喜びます。兄の怒りにふれては楽士の将来はありません。スーザンはスティーヴと別れることを決意します。
 しかし、スティーヴの言葉を自分の読者への冒涜だと取ったJ.J.は、スティーヴを許しませんでした。シドニーに命じて彼のコートのポ゚ケットにマリファナをすべりこませ、子飼いの刑事に捕縛させます。
 絶望したスーザンは自殺しようとします。間一髪そこを救出したシドニーをJ.J.は「妹に暴行しようとした」となぐります。これもJ.J.の計算でしたが、利用されただけだと気づいて、怒りにかられたシドニーは「スティーヴ・ダラスをはめたのはあんたじゃないか」と口ばしります。
 妹は兄のもとを離れて、警察に収容されたスティーヴの許へ行くことを決意しました。「兄さんを憎んではいないわ、ただ、かわいそうなだけよ」という言葉を残して。J.J.は大切な妹の心を失ってしまったことに気が付きます。
 シドニーはスティーヴを罠に陥れた罪で、例の刑事に逮捕されます。
 兄の庇護下にあって弱弱しかった妹が最後の場面で強くなります。ほとんどの場面が夜ですが、たった二夜の物語に人間関係を凝縮した脚本が見事です。目的のためには手段を選ばないシドニーやJ.J.に対して、批判的な楽士スティーヴやシドニーの女性秘書、そして妹スーザンを配置して、個人の批判力に信頼を残している点が、アメリカ映画の良心であるといえましょう。
2004年6月17日

VHS
主任警部モース キドリントンから消えた娘

UK

 主任警部モースのシリーズの一作、"Last Seen Wearing"の日本版ビデオが廃盤になってしまったため、USAのアマゾン・コムから購入しました。日本語字幕が入っていませんが仕方がありません。脚色トーマス・エリス、監督エドワード・ベネット。
 巻頭、自宅で音楽を聞きながらトーマス・ハーディの小説を読むモースの耳に建設工事の雑音が入ってきます。警察からの電話音も鳴ります。
 モースを呼び出したストレンジ警視正は裕福な家庭の失踪した娘探しを命じ、最近彼女から無事を知らせる手紙が着いたと説明します。状況からモースは「She’s dead(彼女は死んでいる)」と断定します。女子高校に聞き込みに行くモースとルイスですが、モースはパブの閉店時間を気にしています。数秒遅れてもビールを注文できないからです。校長ドナルド・フィリップソン(ピーター・マッケリー)。
 娘の父親ジョージ・“クレイヴン”(原作では“テイラー”.グリン・ヒューストン)は市役所のゴミ捨て場でブルドーザーを操作していました。彼はモースに敵意を見せます。母親グレース(フランセス・トーメルティ)はヴァレリーがジョージの子供ではないことを示唆します。
 失踪した娘ヴァレリー(メリッサ・シモンズ)の交友関係を調査していくうちに、男友達の室でマリファナを発見したり、彼女が妊娠していたことを知ったりします。いったい誰が彼女の“男性”なのでしょうか。そもそもヴァレリーは生存しているのでしょうか。若いフランス語の助教師ディヴィッド・エイカム(フィリップ・フレサートン)もなんだか怪しい。
 捜査の途中で教頭シェリル・ベインズ(スザンヌ・ベルティシュ)が殺害されます。原作では教頭は男性という設定ですが、TV化では女性に変えていました。また、ベインズを殺した犯人も原作とは異なり、ヴァレリーの運命も異なります。
 二転三転する展開とモースの推理の転換が印象的な名作の映画化です。 

2004年6月〜11月に見た 日 本 映 画 (邦画)
見た日と媒体 作  品        感  想     (池田博明)
2004年10月23日



DVD
イノセンス


東宝
2004年
99分
 押井守監督作品は、体調の悪いときに見てもその価値が分りません。『攻殻機動隊』がそうでした。最初にレンタル店で借りたビデオを見たときには、仕事の疲労もあり途中で眠ってしまったのです。しかし、DVDで改めて見直してみると『攻殻機動隊』の考えぬかれた構成や緻密な画面作りに驚いてしまいました。
 『イノセンス』にも同様のことが言えるでしょう。カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に招待されましたが、受賞には至りませんでした。『攻殻機動隊』を見ていないと、バトーが草薙素子少佐を追慕する気持ちが理解できませんし、押井守監督の存在論も理解できないと思います。それに人間とサイボーグの境界が接近している近未来の人間の意識を電脳(コンピュータなど)が操作するという設定が物語と縦横に交錯しているため、なおのこと理解が難しくなっています。物語を語る視点も第三者だったり、バトーの意識になったり、東刑事の意識になったりして、突然に何の説明もなく、不可解なことが起ります。必ず後でその混乱の意味が解説されるのですが、SFの多元世界ものに慣れていないと簡単な解説では理解が困難です。私にはやっとついていくことができたというところでしょうか。初見で感動できる人は、まずいないのではないでしょうか。DVDで繰り返し見て「理解できる」作品だと思います。
 題名の「イノセンス」の意味はおそらく「無垢」という意味でしょう。他に「無知、愚か」という意味もありました。最後の場面で、誘拐されて人形と連結され、徐々にその脳を人形にハッキングされていく少女の「無垢」で「愚かな」意識が、助けを求める叫びとなって、少女型のアンドロイドを暴走させ、殺人という犯罪をおこさせたことが分ります。イノセンスには「無実」という意味もありました。
 押井監督の愛犬がバトーの飼い犬として登場します。物語の展開上重要な転回点に犬が関わってくるかと思いましたが、なにも関わってきませんでした。しかし、監督は「これは人形と犬の映画だ。どちらも人間が作り出した愛玩物という共通項がある」と言っています。最後の場面で東刑事が抱いている娘のもつ人形(ドール)と、相対しているバトーの抱いている犬が対称形になっています。そこに深い意味がある・・・いや、よく分りません。
 近未来の電脳社会では人間の意識に情報が侵入し、その情報によって意識は撹乱されます。バトーでさえ、いつもの帰宅路の途中で意識をハッキングされ、ただのコンビニの客を誤って「敵」と判断してしまいます。さらに自分の右腕を撃ってしまいますが、画面上は見えない敵に撃たれたように描かれます。バトーは右腕を修繕されますが、そこから漏れた情報が後のキムの屋敷での幻覚を生じさせます。コンビニではバトーを尾行警護していた石川刑事の機転でバトーの暴走は停止させられます。首の後ろに停止アダプターを差し込めばいいのです(この操作も突然登場してなんの説明もないため、前作を見ていない人には理解できないと思われます)。幻覚に対しては、バトーは過去の経験情報から、意識の迷宮から抜け出す手がかりを発見して自分を保ちます。
 『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』で、突然ラムの夢が現実化するように『イノセンス』では複数の登場人物の意識が現実化して錯綜します。まるでディック・ワールドのように。いったい今、画面上では誰の意識を見ているのか、私たちにははっきりとは分らないように作られています。
 暴力団の黒幕でもあるロクスソル社の社長キムは海に浮かべた戦艦型の工場で、セクサロイドを大量生産していました。
 海から侵入したバトーは工場内で、先にネットを介して人形に侵入していた草薙「少佐」に再会します。殺人兵器となる人形とその生産中心システムを破壊した「少佐」とバトーは、誘拐されて人形に意識を注入するために機械に連結されていた少女を救出します。
 少女の証言から事情を察したバトーは、「自分の意識が暴走して人を殺すとは考えなかったのか」と少女を批判します。指摘を受けて唖然とした少女は「だって、人形になりたくなかったんだもの!」と泣き叫びます。既にその体のほとんどがサイボーグと化しているバトーには残酷な言葉です。また電脳世界にダイブして体を失っている「少佐」にとってもその言葉は無垢なるがゆえに、残酷な言葉ではないでしょうか。いや、別に「少佐」にとっては残酷な言葉でもなんでもないかもしれません。「少佐」はバトーにこう言っていました。「忘れないで。貴方がネットにアクセスするとき、私は貴方の傍にいる」と。
 役目を終えた「少佐」はセクサロイドの少女の体を捨てて、ネットの海に戻っていきます。
2004年10月7日

BS2
新選組

東宝
1969年

120分
 近藤勇(三船敏郎)が立派すぎる映画でした。脚本は松浦健郎、監督は東映の沢島忠。テレビの「燃えよ剣」の人気にあやかった製作。NHKの大河ドラマの隊士と比べると年齢が高いので違和感がありました。動乱の歴史のなかで先が分らない若者たちというイメージがNHKの三谷幸喜ドラマですから。
 芹沢鴨役は三国連太郎で、NHKで息子の佐藤浩一が同じ役だったのは暗合でしょうか。芹沢の愛人は野川由美子。土方歳三(小林桂樹)、沖田総司(北大路欣也)、山南敬助(中村梅之助)、河合喜三郎(中村賀津雄)。
 エピソードは芹沢鴨の暗殺、池田屋事件と沖田の喀血、隊士の惨殺、伊東(田村高広)の参謀としての参入、河合の切腹、太夫おゆき(池内淳子)の身請け、山南の脱走、山南の近藤批判「近藤さんは隊規に捕われている、時の流れに呑みこまれないで下さい」と切腹、おゆきの妹お甲(星由里子)の勇への襲撃、伊東一派の分裂、近藤が伊東を斬る、大政奉還、鳥羽伏見の戦(沖田が斬り込んで戦死することになっていた)、勇と妻(司葉子)の再会、勝安房守と勇の会談(薩長こそ賊軍ではないかと意見)、下総流山の戦で官軍の有馬(中村錦之助)に降伏、有馬は近藤を弁護するも上司(中谷一郎)の打ち首という決定に従う、近藤の処刑でラスト。
 前夜はBS2で松竹の『燃えよ剣』(脚本が加藤泰・森崎東・長谷川利明、監督は市村泰一)が放映され、明日の夜は三隅研次監督の『狼よ落日を斬れ』が放映されます。『狼よ・・・』は公開当時見ましたが、大雑把な作品でした。良い印象はありません。 
2004年7月18日


VHS
御法度

松竹
1999年

100分
 NHK大河ドラマの「新選組」が本日、池田屋事件でした。その後で、大島渚脚本・監督の『御法度』を見ました。加納惣三郎(松田龍平)と同期で新選組に入隊した田代彪蔵(浅野忠信)、沖田総司(武田真治)ら、いい男たちが関係し合うドラマ。撮影は栗田豊通、美術は西岡善信、衣装はワダエミ、音楽は坂本龍一といった強力なスタッフが作りあげる画面は見ごたえがありました。
 完璧な造形美とは相容れないキャストのミスマッチなところが面白い味わいを出しています。土方歳三(ビートたけし)、近藤勇(崔洋一)、惣三郎と関係を結ぼうとする湯沢藤二郎(田口トモロヲ)、山崎蒸(トミーズ雅)、井上源三郎(坂上二郎)、伊東甲子太郎(伊武雅刀)といった異色キャストですから。NHKの大河ドラマの役者たちと比べてみると、ずっと年齢が上です。
 字幕も駆使して、スムーズな展開をわざと避けたようなギクシャクとした展開をする大島渚の方法が物語と合っているように思いました。字幕の説明の俗っぽさがミスマッチです。
2004年7月3日

フジテレビ
ウォーターボーイズ

フジテレビ

2001年
91分
 矢口史靖脚本・監督。ふとしたきっかけで、男子高校、その名も唯野(ただの)高校の水泳部員が、文化祭でシンクロ・スイミングをやることになってしまう経緯を、コメディー・タッチで描いた佳作。マリン・ランドのイルカのインストラクターが竹中直人という設定なので、彼が指導する水泳マスゲームはイルカ・ショウののりで完成してしまいます。「男子のシンクロなんて」そんな恥ずかしいことがやれるもんか、と思っていた高校生たちが、次第にシンクロにはまってしまう過程が工夫されていて、隣接する女子高校のプールでの発表会でクライマックスを迎えます。
 『バタアシ金魚』の高岡早紀のようなオーラを放つアイドルはいませんが、男子高校生たちの純情が笑えます。
2004年6月22日

BS2
20:00〜21:25
東京キッド

松竹
1950年

82分
 美空ひばり十三歳の主演作品。斎藤寅次郎監督。コメディ・タッチの音楽映画として楽しめる仕上がりになっています。美空ひばりの挿入歌も「悲しき口笛」「東京キッド」「湯の町エレジー」「トンコ節」などなど盛りだくさんです。面白い!
 母を病気で亡くしたマリ子(美空ひばり)は自分たちを見捨てて南米へ渡った父親を許さず、男の子の扮装をして流しのギター弾きの三ちゃんと暮らしています。三ちゃんの友人の新ちゃんはまるで小倉一郎の役どころ。エノケンもアパート住いの占い師役で賛助出演しています。シチュエーション・コメディになっていて笑える場面がたくさんあります。花菱アチャコが南米帰りの父親役。
 歌「東京キッド」にはタップを踏むところもあります。歌詞が意味深長です。右のポッケにゃ夢がある、左のポッケにゃチューインガム、他にはなんにもないけれど、上を見上げりゃビルの屋根、見下ろす下にはマンホ−ルがあるという歌ですから。“焼跡派”の心意気というところでしょう。 
2004年6月21日

BS2
20:00〜21:25
悲しき口笛

松竹
1949年

83分
 美空ひばり十二歳の主演作品。家城巳代治監督。戦争に行った兄が作詞作曲し、教えてくれた歌“悲しき口笛”を口ずさんでいる光子(美空ひばり)は“チビ公”と浮浪者仲間からあだ名される少女。バイオリン弾きの老人とカフェー務めの今日子(津島恵子)に拾われます。
 老人の病気をきっかけに金策に困った今日子は、医師の口利きで不審な仕事に誘われます。彼らは密輸団でした。秘密を知った今日子をそのまま返すわけにはいきません。今日子は以前食い逃げを助けた青年、実は光子の兄に救出されます。
 最後は光子の昔の仲間、つまり日雇い労務者たちが、“当時の新聞の表現によれば「自由労働者」たち”が、密輸団から今日子を取り戻します。
2004年6月10日

VHS
帝銀事件・大量殺人 獄中三十二年の死刑囚



テレビ朝日
1980年
140分
 テレビ朝日の土曜ワイド劇場、1980年1月26日放送。原作・松本清張、脚本・新藤兼人、監督・森崎東。第17回月間ギャクラクシー賞受賞作品。戦後の事件をTVドラマ化した一連の企画の一本。
 仲谷昇が放送当時獄中にあった平沢貞通を演じた傑作。平沢はその後1987年、死刑を執行されないまま獄中で亡くなりました。帝銀事件の犯行の様子もドキュメンタリー風に再現されています。
 真犯人に関して明石警部補・中谷一郎が追跡した七三一部隊の関係者の線は占領軍によって打ち切られてしまいます。その代わりに「松井」名刺捜査班・古志田警部補・田中邦衛が粘り強く追跡した平沢が犯人として浮かびあがってきます。
 検事・橋本功の取り調べ官と仲谷昇のやりとりが奇妙なおかしさを生み出します。捜査当時は新旧の刑事訴訟法の端境期で自供が重視されていました。しかし、平沢の自供どおりの行動をすると到底犯行に間に合うことはできませんし、説明できない矛盾がたくさん出て来ます。平沢は犯人ではありえないのです。もうひとつの重要な矛盾点は毒物に関するもので、平沢の言う毒物では事件のような展開はありえません。また、平沢が、使用毒物の作用と効果について知識を持っていたはずもないのです。
 事件当時の地方の警察官のなかには平沢がモンタージュ写真とそっくりだったため、モンタージュ写真が効果をあげた最初の事件として記憶している人もいます。しかし、最初に作成された手配書の似顔絵は平沢とは似ていませんし、最初に平沢の顔写真を見た警察上層部の意見も、「似ていないじゃないか」というものでした。生き残った証人たちの証言も微妙に変化してきます。当初は「違います」「似ていません」(証人11名中6名。他の5名は「似ている」)と断定的な表現だったものが、「細部は似ている」「容疑者のなかでは似ている方である」という曖昧なものに変化します。
 くせのある俳優たちを見事に演出した森崎さんの手腕が存分に伺える傑作で、多くの人に再評価してほしい傑作です。

 松本清張の『小説帝銀事件』(角川文庫,1985)も現在は入手不能なため、原作を手にとってもらうことができないのが残念です。私は文庫を持っているはずですが、置き場所を失念してしまったので、「日本の古書店」を検索して1959年発行の単行本(文芸春秋新社)を入手しました。装幀は佐野繁次郎氏。
 『小説帝銀事件』では平沢無実説に不利な証拠も検討されています。コルサコフ症候群に罹患した後、虚言癖が平沢の通性となり、不利な印象を与えたこと、大金の入手法を合理的に説明できなかったこと、帝銀事件の真犯人が事件の後に小切手を換金した際の裏書きが平沢の筆跡と鑑定されたこと、犯人に似ているという証言者が比較的多かったことなどです。
 このうちもっとも重要な事実は大金の入手法でしょう。正木亮弁護士が主任弁護人を降りたのもこの金の出所を平沢がはっきりと打ち明けないからでした。帝銀事件で1月26日に盗まれた金額が16万3410円、翌日小切手を換金した額が17450円。一方、平沢が出所不明金13万4000円を得たのは1月29〜31日だというのです。平沢は花田卯造から屏風画料として10万円を貰ったと主張していますが、花田氏は亡くなっており証明できませんでした。TVドラマはこの点については触れていません。

【2010年1月追記】 和多田進『ドキュメント帝銀事件』(ちくま文庫、1988。原本は晩声社刊、1981)には、帝銀事件の真犯人と平沢の接点、絵の代金と種類などの調査結果が書かれている。帝銀事件の真犯人は歯科医で日本テンペラ画会会員でもあった奥山庄助(帝銀生き残りの証人の面通しで、最も犯人によく似ていると証言)。平沢は帝銀のリハーサルとされた荏原事件や中井事件に関連した。これらの未遂事件は帝銀事件と同一犯とされたが別人だったのだ。事件後、金を引き出した板橋事件の男も別人(その後、轢死している)。平沢が描いたのは金屏風の虎の絵で、平沢は「大金が入る」と娘婿に話していた(この娘婿の訪問日時は記録があったが、事件前に大金の話をしていることも記してあったことから、かえって不利な証拠になると平沢の親戚が焼き捨ててしまった)。屏風絵は駐留アメリカ軍人から依頼されて描いたものだった。平沢が絵の代金を払ったという清水虎之助が捜査当局の判断のように決して架空の人物などではなく、「清水」姓を名乗る「虎」の絵に関係する大森勝男であった。

シェイクスピア作品の映画化やその関連の映画は除く。
それらは別ファイルになっている。→ 『シェイクスピアの劇と映画


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