南沙織の名曲「哀しい妖精」は、松本隆による静かな反戦の歌である2000年6月1日 鈴木康之ポピュラー音楽の世界では、CDボックスが大流行だ。レコード収集家のための雑誌『レコード・コレクターズ』2000年2月号の年間ベストCD特集では、キャプテン・ビーフ・ハート&ヒズ・マジック・バンド、ニック・ロウ、ランディ・ニューマン、などのCDボックスが各ジャンルでベスト10にあがっている。 僕がよく聴いているのも、ランディー・ニューマンのほか、ビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ・ボックス』、ライノーレーベルの『ドゥーワップ・ボックス』、バート・バカラック、エルビス・プレスリーなど、ボックスものが多い。 CDボックスは、あるミュージシャンやグループの歴史を俯瞰的に捉えるのに便利だ。ほとんどのアルバムを持っていたとしても、新しいボックスではリミックスやリマスターで音質が向上しているし、未発表曲や未発表音源、未発表ライブが収録されていて、ファンを楽しませてくれる。 CDボックスの流行は、12センチというコンパクトなサイズの中に高音質のデジタルサウンドが74分以上も入るCDという規格の貢献するところが大きい。もし、CDという規格が生まれず昔の30cmのLPのままだったら、バンドやミュージシャンの業績を総括したようなボックスセットは今ほど普及しなかっただろう。 僕の手元にも、大滝詠一の「ナイアガラ・ボックス」(9枚組)、「ナイアガラ・ブラックボックス」(5枚組)、ビーチボーイズの「キャピトル・イヤーズ」(7枚組)という30cmLPのボックスセットがあるが、その重量感はかなりのものだ。今のCDボックスがこのサイズと重量だったらと思うと、アナログの音質の良さを感じながらも、CD化=軽量化も仕方のないことと思ってしまう。 LPからCD、アナログからデジタルへの移行は、CDボックスという思わぬ成果を産み出した。もし、LPからCD、アナログからデジタルへの移行がなかったとしても、過去の有名グループの音楽的資産の集積(つまりボックスの発売)はあっただろうが、今ほど大規模なものにはならなかったに違いない。 ●筒美京平の『HITSTORY』 「ポピュラー音楽の世界では、CDボックスが大流行だ」と書いたが、日本に限って言えば、ボックスはまだ「大流行」というほどではない。CD発売以前=LP時代にもボックスを出していた大滝詠一は別格として、日本のポピュラー系のミュージシャンでボックスを出しているのは、ほとんどいない。2枚組のベストCDというのは、ユーミンを初め、多くのキャリアの長いミュージシャンが出しているが、洋楽に多い、3枚組から4枚組で、未発表テイクや未発表ライブを多数収録したというのは、まだ見かけない。 つい最近になって、はっぴいえんど、YMOと実力と人気を兼ね備えたグループを経てきた細野晴臣が、4枚組CDボックスを発売した。そのうち1枚はすべて未発表音源という、大盤振舞いだ。これについては、別に書く機会があるかもしれないが、これをきっかけに、サザン・オールスターズ、ユーミン、沢田研二、クレージー・キャッツ、坂本龍一、山下達郎、大貫妙子、矢野顕子といった人たちに、ボックスセットを出してほしい。 しかし、日本でも、買うべき価値のあるCDボックスがすでに2つは出ている。筒美京平の『HITSTORY』と、この稿の本題である松本隆の『風景図鑑』だ。どちらも、ミュージシャンやバンドのボックスではなく、前者は作曲家、後者は作詞家の作品を集めたものというのが面白いところだ。 筒美京平の『HITSTORY』は、CD4枚×2セットというボリュームで、戦後歌謡曲の歩みが概観できるという便利なもの。こうしたCDボックスはミュージシャンやバンドのボックスと違い、未発表曲や未発表ライブが収録されていることはないが、アルバムやシングルに分散されていて、とても集めることのできない音源が簡単に聴けるのが魅力だ。 筒美京平のボックスを「便利」という言葉で片づけてしまったが、もちろん、それだけではない。しかし、松本隆の『風景図鑑』については、作詞家のボックスということ、僕自身がはっぴいえんどの頃から彼の活動に注目してずっと追いかけていたこともあって、さまざまな感慨を持ち、いろいろな発見をした。ここで、そのいくつかを記しておきたい。 ●偶然『風景図鑑』を見つけた 『風景図鑑』は7枚のCDで構成されている。松本隆は、これまで2000曲以上の作詞をしているが、3枚のCDはベストテンヒットになった曲から50曲、次の3枚はそのほかの曲から50曲、最後の1枚は、はっぴいえんど時代の未発表曲(ライブ)が収められている。 『風景図鑑』を購入したのは、実は偶然が大きく影響していた。 完全予約制ということだったので、そこまでして買わなくてもいいかなと思っていた。すでにCDやLPやシングルで持っている曲も多い。もちろん音質は向上しているだろうが、別バージョンや未発表バージョンというわけではない。 それに、全部松本隆が作詞しているといっても、作曲家はバラバラだから、統一したイメージのCDになっているか不安があった。CD1枚を通して聴くときは、中に1曲でも気に入らない曲があると、興ざめしてしまう。好きなミュージシャンのアルバムなら、まずそういうことはないが、同じ作詞家の曲を集めたCDというのは初めてだから、心配だ。 買おうかなどうしようかなと迷っていたが、取りあえず予約はしなかった。しかし、発売日を過ぎてから他のCDを探しにレコード店に出かけたとき、偶然『風景図鑑』を見つけた。完全予約制といっても、レコード店が売れると思えば注文するから、店頭に並んでいることは多い。 定価は15,000円。7枚組ならお得なのかもしれないが、やはり高い。数分迷ったが、ここで出会したのも何かの偶然と、思い切って買うことにした。 買う前にはすでに書いたようないくつかの不安や心配があったけれど、聴いてみるとそれはいっぺんに解消された。 6枚+1枚の『風街図鑑』には、大瀧詠一、細野晴臣、呉田軽穂(松任谷由実)、山下達郎、筒美京平など34人+2組の作曲者の曲が収録されている。しかし、それだけたくさんの作曲者の曲が一見ランダムに並びながら、確かな流れと主張を作り出している。 僕が同時代に聞いてきたヒット曲がまとめて100曲入っているから、そうした流れが感じられるというのもあるだろうが、それ以上に大きいのは、松本隆の詞の統一性だと思った。 ●言葉遊びとメッセージ 松本隆の詞は基本的にいつも人生に肯定的だ。もちろん恋に傷つき、悩み、ずたずたになるような詞も多いけれど、その底にあるのは、人生に対する肯定的な見方だ。これは松本隆が、人間というものを絶対的に信じていることの現われだと思う。 これが一番はっきりと現われているのは、田村英里子が歌う「リトル・ダーリン」という詞−− もしも地球の裏でこの詞には素敵なエピソードがあって、松本隆が落ち込んだときに奥さんが歌ってくれた歌だったそうだ。途中までしか歌えないので何の歌だがわからなくて、その歌を教わったという奥さんの甥っ子に聞いたら、何と自分が作った詞で、「少年アシベ」というアニメの主題歌だった。 「自分の詞に自分が励まされるなんて、無責任だけど、ちょっといい話だよね」と松本隆は言っている。 松本隆の詞には、いろいろと秘密が隠されている。 アグネス・チャンが歌った『ポケットいっぱいの秘密』の一節−− あなた草のうえここには、「あ」「ぐ」「寝」「好」の4文字が埋め込まれている。 こうした言葉遊びだけでなく、松本隆は、その時々にヒットを狙ってさまざまな歌手に提供した詞の中に、自分だけの思いを埋め込んでいた。 大滝詠一に書いた『1969年のドラッグレース』−− 君が言うほど時間が無限にこんなふうに、一緒にバンドをやってきた古い友人たちへのメッセージが込められている。 竹内まりやが歌う『五線紙』もおんなじだ。 あの頃のぼくらはこの詞について、「(はっぴいえんどで一緒だった)大瀧さんや細野さんが行間に見え隠れしてしまったんだね。きっと一人で作詞家しているのが寂しかったんだと思う」と話している。 当時(70年の始め頃)の音楽状況がわからないと理解しにくい話だけど、はっぴいえんどという硬派のロックバンドでかっこいいロックの詞を書いていた松本隆は、はっぴんえんど解散後しばらくして、チューリップの『夏色のおもいで』を皮切りに歌謡曲の作詞家として立つことになる。 当時は、今と違ってロックと歌謡曲の間には、大きな溝があった。曲がヒットしたりテレビに出て歌ったりするだけで、非難の的だった。「結婚しようよ」がヒットした吉田拓郎、「さなえちゃん」の古井戸、みんな叩かれたものだ。 当然松本さんも、「歌謡曲に魂を売った」と叩かれた。当時のつらい思い出を「細野さんも口をきいてくれなかった」と話している。 ●私小説をヒット曲に隠す 『風街図鑑』の曲目解説の中で、太田裕美の『海が泣いている』に「これは完全な私小説・・・」と書いているように、極私的なメッセージもたくさん埋め込まれている。 たとえば、ラッツ&スターの『Tシャツに口紅−− これ以上君を不幸にこの詞について、「“不幸の意味を知っているの”という部分は私小説。詳しくは語れないけど」と話している。 彼の詞は、松田聖子の『蒼いフォトグラフ』の曲目解説に集約されるのかもしれない。『蒼いフォトグラフ』は4枚目のCDの4曲目、はっぴいえんどの『春よ来い』と『夏なんです』のあとに収録されている。 それについて、彼はこんなふうに語る。 「はっぴいえんどの直後に聖子の声があらわれても不思議に違和感ないね。言葉の毛細血管に同じ血が流れているんだ。風街ははっぴいえんどが終わっても、ぼくの深部で成長をし続け、地下水脈でいろんな世界につながっていったんだね。大衆が綺麗なショーウィンドーに見とれている背後で、ぼくは裏側で孤独に自分の言葉を紡ぎながら、見えない地図を拡張していた。南は港や砂浜のある海に、北は高原や避暑地のある山脈に面している。時空を超えた都市、そのヴァーチャルな空間。ぼくは30年かかって巨大なジグソー・パズルを作っていたのかもしれない。まだ未完成だけどね」『風街図鑑』は、未完成の巨大なジグソー・パズルの中間報告のようなものなのだ。依頼されてヒット曲の詞を書く中で、自分だけのジグソー・パズルをこつこつと作り続けていたしたたかさと辛抱強さには感服する。 松本隆の詞を読んでいると、「歌謡曲に魂を売った」んじゃなくて、本当は、ロック界から歌謡界にスパイとして潜入して、来たるべき「革命」のために密かにメッセージを発信し続けていたんじゃないかと思えてくる。これは冗談で言っているのではない。それは、『風街図鑑』に収められた100曲を聴けば、自然と感じられてくるはずだ。 ●『哀しい妖精』と『風に吹かれて』 南沙織の『哀しい妖精』は松本隆がジャニス・イアンの曲に詞をつけたものだ。曲目解説で、「沙織さんが引退するときに、自分の持ち歌のベスト5が新聞に載っていたんだけど、その中にこの歌が入っていたのはうれしかった」と語っているけれど、『風景図鑑』に収録されたこの曲を何度か聞き返して、大変なことに気がついた。 いくつの手紙出せばこのフレーズは、ボブ・ディランの『風に吹かれて』へのオマージュなのだ。 何回弾丸の雨がふったなら1963年に発売されたボブ・ディランのセカンドアルバム『フリーホイーリン』に収録された『風に吹かれて』は、ピーター・ポール&マリーやキングストン・トリオなどがカバーしてヒットしたことで有名な反戦歌だ。 この曲は、発表から40年近くたった今でもいわくつきの曲で、湾岸戦争当時にも、アメリカでは放送が控えられたという。 ニール・ヤングは、「ベトナム戦争には反対したのに、湾岸戦争にははっきりした態度をとらないのか」と批判されて、湾岸戦争当時の全米ツアーで『風に吹かれて』を歌っている。この演奏は、CDにもなっているが、その破壊的なボーカルと演奏は一聴の価値がある。 『風に吹かれて』というと、このニール・ヤングのエピソードを思い出すけれど、日本からは、76年に松本隆がプロテストのメッセージを投げかけていたのだ。 ただ『風に吹かれて』を下敷きにしただけと言うかもしれないが、松本隆には、「ときどき戦闘機が墜ちてくる街に」というフレーズのある『あしたてんきになあれ』という反戦歌もある。それを思うと、『哀しい妖精』は表面的には恋愛の歌ではあるけれど、その底には、『風に吹かれて』への強烈なオマージュと反戦の意志が隠されているに違いないと僕は思う。 残念なことに、ボブ・ディランの投げかけたメッセージは40年近くたった今でも十分に有効で、戦争は世界各地で続き、軍縮が進まないばかりか、核軍縮でさえ暗礁に乗り上げている。 『哀しい妖精』に隠されたメッセージに気づいて以来、僕はこの曲を聴くたびに、戦争という人類がおそらくその誕生以来繰り返している愚行が未だ続いていることに思い、自然と涙があふれてくる。 ああ恋人よボブ・ディランの『風に吹かれて』では、答えは風に舞ってつかみどころがないけれど、松本隆の『哀しい妖精』では、答えは恋人が教えてくれる。世界中の戦いを終わらせてくれる幻の恋人はどこかにいるのだろうか。 (筆者追記)(MSNジャーナルに掲載) MSNジャーナル掲載コラム/エッセイとインタビュー/表紙 |