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#大山弥山禅定(だいせんみせんぜんじょう)



大山北壁(だいせんきたかべ)・元谷(もとだに)から望む大山の絶景
大山北壁・約200万年前の爆裂火山の痕跡を残す崩壊の激しい山の一部を望むだいせんの絶景は元谷から。大山寺から一時間の距離
 「大山弥山禅定」
・だいせんみせんぜんじょう
 大山の開山は、養老年間(8世紀)の頃、金蓮上人(きんれんしょうにん)(島根県玉造の出)とされる。上人は金色の狼に導かれて、この地にたどり着き開山したと伝承される。
ある時代には、「大神山」(おおがみやま)と呼ばれた時代もあるらしい。 その後、9世紀頃になると、仏教の天台宗(てんだいしゅう)と結びつき、山岳仏教の霊場として発展し、聖地・「伯耆の国の大山寺」(寺院)としてあがめられた。修行の一つとして回峰行(かいほうぎょう)がある。その回峰行の一つを「大山弥山禅定」と呼ぶ。近世においては、地蔵信仰(じぞうしんこう)と結びつき繁栄した。
大山寺周辺には、仏教に由来する、地名、三鈷峰(さんこほう)、天狗ガ峰(てんぐがみね)、豪円山(ごうえんざん)、宝珠山(ほうじゅやま)、行者谷(ぎょうじゃだに)などや、中門院(ちゅうもんいん)跡などの寺院史跡が今に残る。
家族連れで歩ける大山寺起点の史跡巡りの散策コースなどもある。

大山における「弥山」(みせん)とは、東西に延びる大山稜線部の西端に位置する頂を指す(現在の1.709m地点)。仏教語・須弥山(しゅみせん)の略語。「須弥」とは、仏教語で宇宙の中心をさす。
#地蔵菩薩信仰(じぞうしんこう)とは
古来、インドのバラモン教に端を発する「利益信仰」(りえきしんこう)の一つで、大地を守り、富をなし、無病息災(むびょうそくさい)の神としてあがめられた。後に、日本の仏教に取り入れられた仏教語の一つ。
江戸時代には、牛馬の神として信仰を仰ぎ、大山寺では盛大な牛馬市が開かれるなどし繁栄をきわめた。大山寺には「博労座」(ばくろうざ)の地名が今に残る。
現在、大山寺の地名は、「大山寺」寺院のほかに周辺民家、商店街を表す地名として用いられている。
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