ロンドン・パリ旅行(2005年7月)




7月23日

ホテルで朝食をとってエントランスにあるお花の写真を撮りました。
アンスリウムやサボテン(?)など、こんな難しいお花をセンス良くアレンジしてあるので、参考までに。


9時30分にホテルを出て、ソルボンヌまで歩きました。
サルトルやボーボワールがこの界隈にいたと思うだけで興奮します。


ソルボンヌ

西欧の知性の拠点として優秀な逸材を育んできたアカデミックな雰囲気が漂っています。


ソルボンヌとその周辺の街並みです。


↑映画館がありました。
 ユトリロっぽい色調です。

 ←本屋さんの建物に貼り付けた
  プレートに通りの名前と番地が
  記されています。

サルトル生誕100周年ということで、
日本では多くの記念行事があるようです。

実は友人にサルトルに関するものを買ってきて欲しいと頼まれていました
パリでは絶対に日本より盛り上がっているはずだから、
簡単に手に入ると思ってやす請け合いをしたのですが、、
本屋さんがあると必ず入って探したのにも関わらず
サルトルのフェアをやっているところがなかったのです!
でも、ソルボンヌならきっとある!と思ったのに、
どの本屋さんにも、記念行事の気配さえ全くありません。
がーん! どうして!!?

北野武さんの「花火」はしっかりあるのに〜!
そういえば、「花火」のデモンストレーションなのか、
歩いているときにチンドン屋さんの軽快な音楽を耳にしたことがありました。

三島由紀夫と北野さんはフランスの作家達(マルローとか)と並んで、
大きなポスターまであるほどの人気です。

三島の美学はフランスの方達は好きだろうな〜と思います。
北野さんもやはり「世界のキタノ」ですから当然なのかもしれませんが、
でも、一体どうしてサルトルは小さなポスターさえないの!!と思ってしまうのでした。
しかもソルボンヌなのに!としつこく思うのでした。
申し訳ないことに、友人へのお土産は無しになってしまいました。ごめんなさいSさん。




リュクセンブール公園
             面積25万ヘクタール

この景色はルノアールやモネなどの絵に出てくるのと全く同じです!
宮殿の前を歩く人々の姿が、日傘をさしたドレスの貴婦人や、ハットを被った男性でないだけです。


17世紀にマリー・ド・メディシス(アンリ4世の2番目の王妃)が造らせたという宮殿と庭園。
美しい庭は幾何学的なフランス式庭園と自然風なイギリス式庭園から成っています。


芝生の美しい公園あり、森あり、林あり、泉あり・・。乗馬、テニス、ジョギングコースもあります。
お花も色とりどりで大変美しく、あちらこちらに彫刻があります。(60体も)
ギリシャやローマの女神や天使達、ヴェルレーヌ、
ジョルジュ・サンドなどの彫刻も、さりげなくそこにありました。


ポニーに乗って公園内を散策することもできます。
現在は宮殿は上院として使われているそうで、議会の様子などが掲示板に掲示されていました。
その掲示板も素っ気ないものではなく、まるでコンサート会場の掲示板のようにおしゃれでした。


メディシス家の池
1630年に造られたそうです。


リュクサンブール公園と上院を後にして、周辺の街並みを撮りました。
古書を扱っているお店や家具屋さん



サンシュルピス教会

教会前の噴水(ヴィスコンティ作

はじめは農民の小さな教会だったそうですが、1646年にルーブルやベルサイユの設計者を含む
数人の建築家が改装を始め、その後、1700年代に火事や落雷などで破損したのを
再びエトワールの凱旋門を建設したシャルグランによって修復されたそうです。
現在も棟の右側は未完成とのことです。
ドラクロアの壁画がたくさんありました。「ジャコブと天使の戦い」もありました。
この絵は光のあまり入らない部屋の、ろうそくのもとで見ると、ちょっと恐かったです。
パイプオルガンはパリでも最大規模とのことです。




バスチーユ広場
7月革命記念柱です。
バスチーユ監獄は1368年から520年もここにありました。

1789年7月14日、フランス革命の発端となったバスチーユ陥落は
絶対王政の圧政に怒れる民衆の手で、たった4時間で達成されました。
ルイ14世は僧侶と貴族には税を免除し、平民には重税を課しつつベルサイユ宮殿も作りました。
ルイ16世の時代になると更に財政は逼迫し、生活苦にあえぐ民衆の怒りは頂点に達し、
7月14日、ついに政治犯が収容されていたバスチーユ監獄を襲撃し、フランス革命が始まったのです。
7月10日の革命前夜祭には多くのパリ市民がここに集まるということです。



ヴォージュ広場

アンリー4世のために1605年に広場の建設が企画され、その7年後のルイ13世の時に完成。
王の館、王妃の館のある館に囲まれていて、当時は王の広場と呼ばれていたそうです。
このマレ地区あたりは貴族が住む地区だったようです。
こんなに美しい広場で、のんびりとワインとチーズを楽しむ人達や
赤ちゃんを散歩させるお母さん、ゆっくりとベンチでくつろぐお年寄り達を見て、
日本ではみんな急ぎすぎているのかなあ、と羨ましくなるのでした。
街灯のおしゃれなこと!




ビクトル・ユゴー記念館

ヴォージュ広場に面した館の一角にヴィクトル・ユゴー記念館がありました。
館のアーケードの下では音大生らしき人達がバッハの室内楽を演奏をしていて
その周りでは通りがかった人達が円になって演奏を楽しんでいました。
アーケードの向こうにはアンティークショップや陶器ショップ、アクセサリーショップなどがありました。


この館の3階の1室に、ユゴーは1832年〜1848年まで住んでいました。
この時のユゴーはアカデミー会員でもあり、上院議員でもありました。
その後、ナポレオンのクーデターが起こり、19年もの亡命生活を余儀なくされます。


階段の踊り場にはユゴーの肖像や美しいレリーフが・・・・。
電灯の灯りが淡く木の階段を照らしていて、穏やかで懐かしい感じがします。

この書斎でユゴーは「レ・ミゼラブル」を書きました。
客間だった部屋には
中国の陶器が所狭しと飾られています。
客間は家具や壁も中国風です。

ユゴーの部屋の窓から見た外の様子

きっとユゴーも
執筆の合間に見ていたに違いないと思うと
時を遡ることができるようで感無量です。

ユゴーの作品には読みにくい所も多々あります。
特に「九十三年」などはフランスの歴史を詳しくは知らない私には読み進みにくいものでした。
でも、ユゴーの作品は人間味に溢れていて、血の通った温かみがあります。
特に弱い立場にある人々に対する彼の眼差しはとても深い愛情に満ちています。
ユゴーの作品は人道主義に貫かれていると強く感じます。



サン・アントニオ通りの様子

サン・ポール・サン・ルイ教会
パリッ子らしいお店がたくさん!

ユゴー記念館から地下鉄乗り場まで歩く途中で
大好きなルデュテのバラが描かれたお皿とコーヒーカップを買いました。

明日の午後帰国するので、ホテルに戻ってタクシーの予約確認をしなくてはなりません。
ホテルに帰る道すがら、果物屋さんでアプリコットを2個買い求めました。
パリの街では、アプリコットかリンゴをかじりながら歩いている女性をよく見ました。
お店の人はスリランカ出身だと言って、私たちに「コーリアン?ヤーパン?」と聞くので、
「ヤーパンですよ。スリランカとヤーパンはとても近いね!」というと、
「本当に近いね!」とすごく親しみをもって言ってくれたので、うれしいでした。
2個じゃなくて2s食べられるよ!なんて冗談も飛んだりして。
欧米ではアジア人は皆同胞!という感じがして親近感がわくものです。



ノートルダム大聖堂

ホテルで、タクシーの確認をすませて手数料12ユーロを支払ってから、
てくてく歩いてセーヌ川のシテ島にあるノートルダム大聖堂を見に行きました。
ここから見るノートルダムが一番眺めがいいということです。


1163年に着工、1320年に完成。荘厳なゴシック様式の最高傑作です
ナポレオンが1804年に戴冠式を行ったのもここです。
ビクトル・ユゴーの「ノートル・ダム・ド・パリ」でもここが舞台になり、
それらのことから価値が見直されて、
フランス革命時に破壊されて被害を受けた大聖堂が19世紀半ばに大修理されたそうです。


セーヌ川を船で観光しているのをあちこちで見かけました。
パリの街はシテ島とセーヌ川の東側から始まったそうですから
クルーズの旅はパリの歴史を遡っていく旅ができるのではないかと思います。

セーヌ川沿いには出店がずらりと並んでいます。
古地図や古い写真や絵ハガキや動植物画などを所狭しと並べて売っています。
どれも観光客用なのかお高いし、ほこりっぽいし、汚れているものも見られます。

散歩も終えて、宿泊先のホテルの少し先にあるビストロで夕食にしました。
ラムのフライとラタトゥーユ
ステーキのレアとマッシュポテト

こんなにおいしいラタトゥーユを食べたのは初めてでした。
ナスとズッキーニとトマトをオリーブオイルで炒めて煮込んだだけなのに、
どうしてこんなにまろやかでおいしいの!と感激です。
それにマッシュポテトは、なんとテーブルの脇で柔らかさ加減の好み聞きながら
銅の鍋の中のポテトの仕上げをしてくれるのです。
これもまた今までに食べたことのないおいしさで、早速帰国してマネして作りました。^0^

フランスは農業大国だからなのか、お野菜のおいしさも抜群です。

デザートにチョコレートムースを頼みましたが、なんと2個も出てきてびっくり。
(隣の席の男性はクリームブリュレを頼んでいましたが、3つもお皿に載っていました!)

チョコムースの上に生クリームがかかっていて、その上にオレンジピールが薄く2枚入っていました。
これもまた、配色といい、お味といい、お見事でした。
やっぱりフランスはおいしい!です。

このビストロでは通りに面した席に一人の60代半ばくらいの美しい女性が座っていました。
パリでよく見たベリーショートの髪型(シルバーの髪色でした)に生成りのロングスカートをまとっていて
一人でワイン片手に本を読みながら、時折タバコをくゆらせていました。
ボーボーワールの若かりし頃を彷彿とさせるような知的な雰囲気が漂っていて
そばに近寄りがたいくらいの威厳がありました。
大人の美しさに圧倒されて、ただただため息混じりに見とれてしまいました。




次はマルモッタン美術館です。