ロンドン・パリ旅行(2005年7月)



7月22日
曇り

ホテルでおいしいクロワッサンの朝食をとって、
主人がホテルのインターネットで仕事の打合せを済ませてから
地下鉄でオルセー美術館に向かいました。
ところが、乗換駅が封鎖されていたため、
マビヨン駅で降りてセーヌ川沿いを歩きました。
街の細い路地の写真です。


セーヌ川に着きました。対岸にはルーブル美術館が見えます。

セーヌ川を挟んで右手にルーブル美術館を見ながら通りを歩いていくと
左前方にオルセー美術館が見えてきました。
ここには大好きなゴッホの「星夜月」があるのです!
以前ニューヨークで買った小さな額入りのポスターは持っていますが、
本物の絵に会うのは初めてです。ドキドキです。

大好きなバルビゾン派の作品もたくさんあります。

オルセー美術館の側面です。
もともと、パリ万博のために、宮殿をイメージして作られた駅だったそうです。


正面入り口とチケット売り場

オルセー美術館の1階の様子

ゴージャスな時計です。 駅の構内の雰囲気が残っています。
中央通路はかつて線路だったそうです。
今はそこに彫刻が展示されています。
オペラ・ガルニエの模型から
見た1階の風景

中央通路の左右の部屋には
コロー、ミレー、クールベ、ルソー、マネ、モロー、ロマン派、古典派、印象派等々の展示室があります。


ゴッホ
「オーベール・シュル・オワーズの教会」

ゴッホ
「コードヴィルのわらぶきの家」

ゴッホの作品は他にも「アルルの寝室」、「昼寝」「自画像」「サンレミの病院」「医師ガシェの肖像」など
たくさんありました。

ミレーの「落ち穂拾い」


モネ「ひなげし」 マネ「草上の昼食」 ルノワール
「ムーラン・ド・
ラ・ギャレット」
モネ「睡蓮」 モネ
ロンドン・霧の国会議事堂」
セザンヌ セザンヌ
「たまねぎと瓶のある
風景」
セザンヌ
「リンゴとオレンジ」
セザンヌ アンリ・ルソー
「蛇つかいの女」
ゴーギャンの絵の前で


A・カバネル「ビーナスの誕生」


カルポー「ダンス」
1869年
クレザンジェ「蛇に噛まれた女」
1847年
ロダン「地獄門」
1880〜1917年

↑ジャン・パチスト・クレザンジェの「蛇に噛まれた女」は官能的な作品であるという点と
製作過程でモデルからじかに型取りしているという噂が立ち、
スキャンダルを巻き起こしたそうです。このモデルのアポロニー・サバティエが
ボードレールとゴーチェの愛人だったことも影響しているということです。

ジャン・バプティスト・カルポーの「ダンス」は新オペラ座のファサードを飾ったそうです。
しかし「悪徳さが漂う」等々、批評家達の非難の的になって、インク瓶が投げつけられる事件も起こり、
ナポレオン3世が撤去の決定をした後、
1870年に戦争が始まったので、そのまま撤去されずに残ったそうです。

たくさんの彫刻の中に、ドガの「14歳の踊り子」、カミーユ・クロディーヌの「壮年」などもありました。

トマ・クチュール
「退廃期のローマ人達」
            (折衷主義)

2階から見るとちょうどいい大きさ。
この絵の両横の階段を上ると
絵画の展示室になっています。



屋上からの眺め(晴天だったらなあ!)

遠く、モンマルトルの丘のサクレクール寺院がぼんやりと見えます。(一番右の写真)
対岸に見えるのは
ルーブル美術館です。
チュイルリー公園の
観覧車も見えます。
モンマルトルの丘の
サクレクール寺院が
遠くに見えます。


オルセー美術館の入り口付近の様子。
売店でアイスクリームを買って階段に座って食べました。すごくおいしかった!


オルセー美術館を後にして、チュイルリー公園へ向かいました。

セーヌ川の橋の上から写真を撮りました。
橋の上にもいくつものベンチがあって、セーヌ川をのんびり眺められます。



橋を渡ってチュイルリー公園に入りました。
ここはチュイルリー宮殿の庭園だったところです。
フランス革命の時、ルイ16世とマリーアントワネットが
ベルサイユからパリに戻って住んでいたところでもあり、
後にナポレオンもこの宮殿に住んでいました。

噴水の後ろにぼんやりと
ルーブル美術館の
リシュリュー翼の
丸い屋根と建物が見えています。

この庭園自体は左右対称に作られていて、
広大な敷地の中には観覧車や池やたくさんの彫刻があり、市民の憩いの場になっています。
この庭園から
西側にコンコルド広場のオベリスク、シャンゼリゼ、エトワールの凱旋門と続き、
東側はルーブル美術館のカルーゼルの凱旋門へと一直線につながっています。

チュイルリー公園からコンコルド広場へ。
エジプトのオベリスクが立っています。

コンコルド広場

コンコルド広場はフランス革命時には処刑場でした。
マリー・アントワネットやロベスピエール、ダントンなどもここで処刑されました。

コンコルド広場のオベリスクもナポレオンの「エジプト記」の影響を受けているといいます。
ナポレオンのエジプト遠征はヨーロッパ文化に多大な影響を与えています。

コンコルド広場を抜けてシャンゼリゼ通りに向かって再び公園の中を歩きました。
バラ、スモークツリー、インパチェンス、ラベンダー、マグノリア他
たくさんの植物が美しく咲き誇り、配置も素晴らしく、手入れも行き届いて感激でした。

グランパレ
グランパレは1900年のパリ万博の時にシャンゼリゼ大通りに建てられました。
ガラス屋根のアールヌーボー調の建物です。


向こうに見えるのはアンヴァリット(ナポレオンの霊廟)です。
黄金に輝く美しい建物です。

シャンゼリゼ大通り
シャンゼリゼのカフェ マリオットホテル ←のアップ。
壁の彫刻が美しい。
駐車違反の車が〜!
次々にレッカー移動!


シャンゼリゼ大通りは表参道を広くしたような感じでした。
観光客でいっぱいで、広い歩道もなかなか先に進めません。
通り沿いのカフェでホットチョコとカフェオレを注文して、美しい街並みを眺めていました。
すると、目の前で、駐車違反の車が容赦なく次々にレッカー移動されていきました!
でも、レッカー車がいなくなると、またすぐに他の車が次々に駐車していました・・・。

シャンゼリゼ大通りの緩やかな勾配の向こうに
凱旋門が見えています。

凱旋門はすぐ目の前です!

ガラス張りの新しいビルが
凱旋門の手前に建っていました。

歴史的な建造物と
最新式の建物が同列に並んでいても
不思議に違和感はありませんでした。


エトワールの凱旋門
               高さ50m 横幅45m


凱旋門はオーステルリッツの戦い(1805年)でナポレオン軍が大勝利したことを記念して
1806年にナポレオンが「世界最大の門を!」と建設を命令して建てられました。
しかし、完成まで30年かかったので、ナポレオンは凱旋門を見ることはできなかったのです。

そして今ではフランスのために命を捧げたすべての人々の記念碑になっています。
凱旋門の中の様子

「1810年の勝利」
     コルトー作





最上部のレリーフには
ナポレオンが勝利した
戦いの名前が
刻まれているそうです。
その右下のレリーフは
「マルソー将軍の葬儀」
左下は「アブキールの戦い」です。
「1792年の義勇軍の出陣」
通称「ラ・マルセイーズ」
           リュード作





無名戦士のお墓

ちなみに凱旋門へ行くには地下道を通って行きます。
地下道は入り口も出口も観光客で渋滞でした。
地下道を上がると凱旋門の真下に出るのですが、
高さが50mの凱旋門は、予想よりはるかに高くそびえ立つ感じでした。
頂上からパリの街並みを見渡そうと、多くの人がエレベータの前で並んでいました。



次はルーブル美術館です。