霧の中から現れた魔法の島(9月22日)

 アーディロン・ハウス・ホテルは霧の朝を迎えた。昨日の興奮は過ぎ去り、し
っとり濡れた奥庭を散策する。芝生は細かな露を結び、咲き残りの夏バラやダリ
アに似た花々がミルク色の空気の中に息づいて、落ち着いた庭園を演出してい
た。苔むし曲がりくねった木や、クモの巣のからまる生け垣のそばのひととき
は、慌ただしい旅の中で初めて安らいだ、短い幕あいだった。
 朝食を取るホールに、珍しく日本人の6人グループがいる。年配の夫妻たち
で、中の一人(男性)が、アイルランドの気候風土や産業について、何やらエラ
ソーに話している。後で席を立った時メンバーのおばさんが、(たまたま一人で
夫を待っていた)私に話しかけてきた。「新婚旅行なの? アランへはもう行っ
た? …私の前に座ってた方は、アイルランド大使よ」。そうだったのか。道理
でウンチクを披露すると思った。とすると、このホテルは、在アイルランド日本
大使氏お気に入りの、とびきりの宿というわけだ。
 残念ながらその宿に別れを告げて、タクシーで町の中心へ。町なかも濃い霧で
ある。ツーリスト・インフォメーション前には数人の日本人を含め旅行者たちが
大勢集まっていた。やがて霧の中から2階建てバスが現れたがこれは「コネマラ
・ツアー」。定刻の9時を半時間ほど過ぎてから、やっと地味なバスが来た。予
約時の説明によれば「アラン・フライアー」と書いたバスのはずだが? 窓ごし
に運転手のおっちゃんにパンフレットをかざして見せると、彼はニコニコして親
指を上げた。このバスで間違いはなさそうだ。
 ゴールウェイから西へ、アラン行きの船の出るロザヴィールに向かう。町のあ
ちこちで次々に観光客を乗せて、小さなバスは満員だ。郊外の家並みが途切れる
と、見えるものは道端の低い雑な石積みと、これまた石のごろごろした荒れ地の
端っこだけ、5mほど先はすっぽりとガスにのみこまれてホワイト・アウトであ
る。こんなで船は出るのかしら、海は荒れていないのかしら、と心配になる。行
けども行けども、家はなし、人影はなし、大昔、デ・ダナーン神族がアイルラン
ドに上陸した時たちこめたというような、魔法の霧のただ中へ突っ込んでゆく。
左は海らしいが、やはり真っ白だ。このままどこへ行くのか、異境の風景に包ま
れて、だんだん町の記憶が遠くなる。
        †        †        †
 バスが止まった。岩だらけのだだっぴろい野原がそのまま海抜0mの荒れ果て
た灰色の入江になり、相変わらず霧が足元までたれこめる感じで、わびしいこと
この上ない。だが観光客らはワイワイと元気にバスを下り、灰色の桟橋から「ア
ラン・フライアー」号に乗り込む。桟橋には小さな箱形の切符売り場もあった。
船は200人ほど乗れるスマートなつくりで、私たちはデッキにずっといたのだ
が、階段を下りると船室や売店もあったようだ。
 スピーカーからフォークソングを流しつつ、船は無事、霧の海へ出航。甲板は
フランス人の老婦人たち(英語を話す時は訛っていた)、犬を連れた人、自転車
をかつぎ競輪選手みたいなヘルメットなどの装備に身を固めたカップルなどで賑
やかだ。船は快調に波をけたて、風はビュービュー吹きつけて天辺のアイルラン
ド国旗をもみくちゃにし、私たちの身を引き締める。やがて、ぽかっと霧を抜け
た。上空はまだ灰色だが、海は群青に広がっている。振り返ると入り江をすっぽ
り覆っている霧の塊が見えた。
 行く手の水平線は、また霧らしかった。半時間ほどして、そのぼやけた灰色の
中から島影が姿を現す。ついにさいはて、大西洋のとばくちアラン諸島だ。日本
の島と違い、平たく灰色なのは、山も木立ちもないからだ。巨大な岩の島、イニ
シュモア。船は入り江に回りこみ、キルロナンの港に着いた。
 乗務員は寒風にもめげず半袖の揃いのTシャツで、手すり付き渡し板を桟橋に
たてかけた。船酔いもせず、いざ上陸。

  私たちは小さな桟橋に上陸した。そこからは粗っぽい小道が、小さな畑とア
  ランモアにあったような裸の岩の広がりとの間を村まで続いていた。
                     ――J.M.シング『アラン諸島』
        †        †        †
 「典型的アイリッシュ」の風貌をしたおじさんが、気がつくと私たちの横にい
た。味のある、ちょっとつぶしたような低い声でリズミカルな英語(今考えると
rをきつく巻き、母音の強弱がはっきりした、詩を舌先でころがすような、あれ
がアイルランド訛りなのだろうか)で「ダン・エンガスへ行きまっせ」と言う。
見ると桟橋には大小のマイクロバスが並び、アイリッシュ顔のおじさんが何人も
客引きをしている。「でもあの、私たち馬車で行きたいんです」と言うと(実際
は「We want horse」とか何とか…)、「Horse? Oh yes, yes, 馬でお連れしまっ
せ。往復××ポンドでどうで?」(肝心の値段がよく聞き取れない)「あー、で
も宿を決めてあるんで、先に荷物を置かないと…」「よろしおまっせ。宿はどこ
で?」「ここですが…」(予約の紙を見せる)「おう、分かりました。お連れし
まっせ」「あのでも…」「荷物置くの待ってまっせ。それからダン・エンガスへ
行きまっさ」「でもお昼だし…」「お昼、だいじょぶでっせ、×××××(聞き
取れない)。ほれ、あそこに馬がいまっさ」。
 こうして丸めこまれた私たちは、マイクロバスの列の向こう、入り江の奥に並
んでいる一頭だての馬車の列へと、どんどん歩いていった。初めから馬車に乗り
たかったので、まあ異存はなかったが、この調子のいいおじさん(後で御者仲間
から「ジョリー」と呼ばれていたように私には思えたので、仮にジョリーさんと
しておく)とどれだけ話が通じるか、不安である。
 ジョリーさんの「馬車」は、二つの車輪の上に短い木のベンチ二つを背中合わ
せに固定した、どちらかというと「輿」のような形だった。といっても人が乗る
より干し草でもくくりつけたらいいような感じ。よじ登るのが一苦労だが、高く
て屋根がないのでマイクロバスよりはるかに見晴らしはいい。道産子みたいな太
っちょの白馬がポクポク歩き出すと、大揺れでお尻がゴツンゴツンする。
 宿は港から少し入った静かな道に面していた。四、五軒並んだ端の平屋で、海
が見える。辺りにそれ以上の人家はなく、貧弱な草の生えた野っ原ばかり。「B&B
ARD MHUIRIS」とある。予約の紙に書いてもらったのと違うぞ。だがジョリーさ
んに連れられて花壇のある前庭に入っていくと、出て来たおかみさんは、私たち
の差し出した紙を見て「ようこそ。部屋はこちらよ」とにこやかに案内してくれ
た。そうか、この人が紙にある「ケイト・フラハティ」さんだ。屋号のほかにハ
ウスキーパーの名前で通用するらしい。出窓のある、明るくてかわいい部屋には
洗面と鏡、チェストがある。B&Bに泊まるのは初めてだが、一目で気に入っ
た。今はトイレだけ済ませて表へ。いつのまにか霧は跡形なく、前庭の芝生や小
道を暖かな日差しがうらうらと照らしている。「行ってらっしゃい」とケイトさ
ん。「さあ、行きまっせ」とばかりジョリーさんは私たちをまた馬車に押しあげ
て、老馬(に見えた)を手綱でパシパシ叩いて、出発した。
        †        †        †
 「Go on, go on」。馬に向かってジョリーさんがうたうように繰り返す魔法の
言葉。合間に「チョッチョッチョッ」と舌を鳴らして機嫌をとる。宿の前の細道
からダン・エンガスに続く本道へ出るところの急な坂で、老いぼれ白馬はあわれ
っぽく立ち止まってしまう。「ちょっと下りてくれまっか。押しまっせ」という
わけで、三人で馬車を押して本道へ出た。そこから遥か5マイル先のダン・エン
ガスの登り口まで、お尻をゴツンゴツンやりながら、野道をゆらりゆられてのん
びり進み続ける。
 お日様ぽかぽか、老馬はポクポク、Go on, go on、チョッチョッチョッ。信じ
られないくらい、のどかだ。私たちは本当に都会の真ん中のホテルを朝5時半に
出、タクシーの窓ガラスを伝うザザ降りの冷たい雨を見ながら旅立って来たのだ
ろうか。Go on, go on、チョッチョッチョッ。「日本から来たんでっか」「Yes」
「アイルランドにはどのくらい?」「A week」「で、どこどこ行きました?」
「Dublin, Sligo, Galway」「ギネス、飲みました?」「Oh, yes」「お国で何の
仕事してますん?」「(新聞社ってどう言うんだっけ)えー、Newspaper」…
 Go on, go on、チョッチョッチョッ。青空を背景に、遠く高台に石の砦が見え
る(多分Dun Eochla)。目の前には草ぶきの家。その間は粗積みの石垣と岩だら
けの斜面だけ。牛がとぼしい草をはんでいる。十字架の形を天辺につけた、人の
背丈より高い四角な石の碑がある。土地の低い方には砂浜と海、海は鏡、キラキ
ラと陽光を反射し、水平線は霞んでいる。Go on, go on、チョッチョッチョッ。
おもむろにジョリーさんが歌い始めた。ゆっくりと、老いぼれ白馬の歩みに合わ
せて、ケルトのフォークソングらしい節回しを繰り返し、繰り返し。ジョリーさ
ん、それは何て歌ですか、…あの砦は何ですか、…十字架の石碑はお墓ですか。
尋ねたいことが本当はいっぱいあるのに、ジョリーさんの英語がなかなか聞き取
れないために、うっかり訊くことができない。しかたがないから二人とも黙って
彼の歌を聞きながら、馬の生暖かい匂いに包まれて、青空の下、石垣と野原の中
の一本道を、ゴツンゴツン、ポクポク、揺られて行った。
        †        †        †
 堀淳一が「島のウエスト」と呼んだ深い入江の辺りにさしかかった時、馬車は
突然灰色のもやの塊の中につっこんだ。不意に視界が閉ざされ、太陽がさえぎら
れて冷気と薄闇に包まれる。朝霧の最後のひとかたまりが、少しくぼんだこの辺
に居残っていたらしい。しばらく進むうち、また小春日和のぬくもりと光が戻
る。振り返ると、もやが汚れた綿のように、景色の一部にかたまっているのが見
えた。私たちがやって来た道は、向こうから来てもやにいったん呑みこまれ、ま
た現れて足下に続いている。こんな局地的なもやは、昔話に出て来るある種の化
け物や妖怪のもとになったかもしれないと思う。…形の定まらない灰色の妖怪
が、牧場の一角に居座っていました…そいつに近づくと、何だか急に寒くなり、
太陽の光がかげったように感じられるのです…などと。
 「さあ着きましたぜ。ダン・エンガスは1時間ほどで見られますんで、1時に
ここで待ってまっさ」。ジョリーさんが馬をとめたのはちょうど正午。老いぼれ
に見えても白馬は力持ちで、マイクロバスにこそ何度か先を譲ったが、ここまで
数台の馬車を抜かして来た。それで気づいたのだが、他の馬車はみんな、客の乗
る所にきれいにペンキを塗った箱形の囲い(天井はやはりない)があって、御者
台が別についた、つまり、馬車らしい形をしている。ジョリーさんの「馬車」は
どうも相当時代モノらしい。だが観光馬車っぽく塗りたてたやつらを抜いて、馬
では一番乗りだから、私まで少し得意な気がする。そこで汗をかいている白馬く
んとジョリーさんと一緒に記念撮影をした。
        ◎        ◎        ◎
 ダン・エンガスは遠い。ガレ場の急な斜面を登る、登る、登る、汗ばんでき
た。肌寒かったダブリンなど嘘のようなバカ陽気だ。足元の岩は大小の割れ目で
傷だらけ、誰かがナイフで無理やり切り刻もうとしたように、痛々しい感じ。地
層のうち石灰岩が水に溶け、頁岩が残ってできたとかいうが、細かに観察する余
裕はない。そこここに水がたまっているし、私のコンパスではきつい段差もあっ
て、非常に歩きづらかった。絵葉書の航空写真で見ると三重の石垣が半円を描い
て断崖を囲んでいるが、あまりに広すぎて全体の様子はつかめなかった。
 これが砦(Dun)だとしたら、人間ワザとは思えない。こんな荒れ地の断崖に
誰が住み、荒ぶる「自然」以外の誰を防ぐというのだろう。第一、石垣の内側に
は建物跡も何も残っていない。皮袋の筏でやって来たフィルボルグ族(後に妖精
王となってニューグレンジに住んだアンガス=エンガスは,元はその一人の名だ
という)がデ・ダナーンに追われ追われて最後に拠った要塞は、海神の腕でざっ
くり削り落とされ大西洋に呑まれてしまったのかもしれない。嵐の夜には、伝説
の神々が大きな足でこの斜面を踏み、ガラガラと岩を崩して駆け抜けたのだろう
か。今は明るい太陽の下、せわしい時間を生きる人間たちが蟻のようにちょこま
かと登ってゆく…
 一番内側の高い石垣にあいた入り口をくぐった時には息も絶え絶えだ。あちこ
ちサビたようにきついカーキ色をした岩原の途切れるところまで行くと、そこは
海から空へ突き出した巨大な船の舳先のよう、昨日のモハーと同じく、足の下か
ら海神のとどろきが聞こえる。とても立っていられず、他の観光客たちの真似を
して寝ころんでそっと覗く。耳の奥がキュッと締めあげられそうな恐怖感。汗が
一度に冷えた。あまりの高さに重力がなくなったようだ。こんなに晴れてうらら
かなのに、枯れ草のように風に飛ばされ、チリのように霞んだ青空に呑まれる
か、海の泡と一緒に飛び散るか。夫はカメラだけ崖縁から差し出して写真を撮っ
たりしていたが、私は早々に後じさって、もっぱら銀青色に輝く水平線や、右手
に延々と続く崖の遠景を見ていた。モハーと違って、天辺にも緑がない。塩水で
手荒く削られこすられ、きっと冬には凍るような雨風に吹きつけられ、むきだし
に、ズタズタになってしまった黒褐色の岩盤。それがこの島の大地だった。
        †        †        †
 登り口まで帰って来てから、1軒だけある小さな店でサンドイッチを食べる
と、ちょうど1時になった。御者たちはおしゃべりしながら待っていて、ジョリ
ーさんは私たちを見るとさっそく、「眺めはどうでした?」「I'm scared…」と
答えると、ワハハと満足したように軽く笑って馬車を出す。私たちは同じ道程
を、またのんびりポクポク村へ戻って行った。平らな空はいよいよ晴れて灰色の
岩々さえ美しく、やがて集落にさしかかると小さな庭ごとの植え込みが目にしみ
て鮮やかだ。広大な空と荒れ地の中で、人の住んでいる家はどれもおもちゃのよ
うにかわいらしく、色とりどりで、観光客向けに宿や土産物屋を営むものも多
い。
 途中で例の十字架の石碑を写真に撮りたい、と言うとジョリーさんはほとんど
止まるくらい速度を落としてくれた。今度は、いくつかの家に咲いている、一見
南国風の大きなくっきりした真紅の花をさして名前を尋ねる。ゲール語かしら、
教えてもらったのに、忘れてしまった。キルロナンの港が見える坂の途中で馬車
を降りた。「いくらでしたっけ」「トゥエンティファイヴ・パンド」「?」「トゥ
エンティファイヴ!」。25ポンドも取られてしまった。どうも私たちはイニシュ
モア一番の商売上手、オールド・ジョリー氏にボられてしまったようである。
        †        †        †
 島には1軒だけスーパーマーケットがある。果物(青りんごを買った)からバ
ンドエイド(私の足は靴ずれと、前にグレンダロッホの駐車場の車止め石にぶつ
けたのとで傷だらけだったので、喜んで買った)まで、たいした品揃えだ。つい
でに缶のギネスも入手して、ぶらぶら海岸へ出た。港近くの人けない浜は、「ア
ラン・フライアー」号のパンフレットにある地図によると、「SANDY BEACH」
(砂浜)なのだが、日本の感覚ではこれは小石だ。アランにはこれより細かい粒
子は存在しないのだろう。あたたかな白い石に腰かけてギネスを飲み、りんごを
かじり、海を眺め、ジャブン、ジャブーン、という波以外はまったく無音の、日
光が蜂蜜のように甘く思える午後のひとときを過ごした。この世の果ての島に来
て、ようやく立ち止まってゆっくり時間を味わうのはすばらしい。気の遠くなる
歳月を、西へ西へ、世代を重ねてさすらってきたケルト人は、アランに行き着い
てしばし歩みをとめ、ここから来し方を振り返ってホッと一休みしただろうか。
学僧たちは彼岸のようなこの静けさの中で、もう見えぬ現世を思いやって祈りを
ささげただろうか。
 岩場には小さな貝殻や生きた貝が無数に見られた。海草もどっさり流れ着いて
いる。ケルプを焼くのを見たいけれど、もうそんな漁民はこの島にはいないのか
もしれない。私たちは透明な潮に浸った海草を少しだけかじったりして、大西洋
を味わった。まだまだ日は暮れない。
        †        †        †
 土産物屋の一つでアラン・セーターを買った後、今度は島の南東へ続く道をた
どってみる。ジョリーさんの馬車から見たのと同じ、素朴な十字架をつけた大き
な石柱が道端にある。アルファベットが刻んであって、やはりこれは墓碑のよう
だ。海で死んだ漁師のお墓なのだろうか。

  男が一人死んだことは、直接の親戚を除けば皆にとってはちょっとした変動
  に過ぎないのである。事故があればしばしば、父親が年長の息子2人と一緒
  に失われ、あるいは一家の働き手の男が一度に死んでしまうこともある。
                     ――J.M.シング『アラン諸島』

 キルロナンの入り江をぐるりと回り、時々例の観光馬車が通る(頼めばダン・
エンガス以外にも行ってくれるのだろう。道にはやたらとフンが落ちている)
他、これまた静かな一本道をてくてく歩いた。
                         ブラックフォート
 左は海岸線、右手は断崖へ向かって高くなる斜面――「黒砦(Dun Duchathair)
はこちら」と道しるべがあるが、昼の大変な登りを思い出して諦める。後で絵葉
書で見ると、ダン・エンガスに勝るとも劣らぬ奇怪な石垣の遺跡のようだ。私た
ちはまっすぐ歩き続けて、足が棒になる頃キルレニーという村にさしかかった。
キルロナンよりぐっと小さな集落だが、新しくできたらしいパブもあって、日本
人のカップルが店先のベンチで休んでいた。「こんにちは!」と、懐かしい言葉
で挨拶を送る。
        ◎        ◎        ◎
 村はずれに遺跡らしき石積み。円塔の基部だ。Teanpall B(h)eanan(ブヘナン
教会?)の跡、と地図にある。私たちは道をそれ、石で縁どられた牧場の畦道み
たいな所をたどって斜面を少し登り、またもや息を切らして円塔の側に立った。
ドラムクリフ教会の近くにあったのと同じで、せいぜい2mほどの高さしか残っ
ていないが、これもかつては天をさして屹立していたのだろうか。見下ろすと、
海沿いに古そうな石垣、これはアーキニー城跡か(『昭文社』)。その向こうに
集落のかわいい家々と、湾を越えてキルロナンの港まで一望できる。
 今度は斜面の頂上を振り仰ぐと、灰青色の空を背にくっきりとたつ2枚の石壁
がある。この島へ来てからあちこちで見かける廃屋と同様、草ぶきの屋根が落
ち、石を積みしっくいを塗った壁だけが残っているのだ。特に長方形の短辺の壁
は、棟を支える先のとがった形のまま、最後まで立っているものらしい。
 後になって、絵葉書の一つにこの風景を見つけた。「ヨーロッパで最も小さ
な教会の遺跡」と書いてあった(と思う。友人に郵送してしまって、手元にな
い)。なるほど、最小の教会か。円塔はその登り口にあったのかもしれない。
 再び見下ろした時、もう一つモニュメントを見つけた。小道沿いの、石垣に囲
まれた草地の真ん中に、いかにも古そうな一枚板の石碑がポツンとある。表面に
はニューグレンジ以来おなじみの、ケルト風渦巻きと組紐模様がいっぱいに浮き
彫りされている。野イチゴの枯れ薮を越え、斜面や崩れた石垣を滑り下りたりし
て、やっとその囲い地に侵入した。石碑の根元に遺跡を表すラベル(国指定文化
財、みたいな表示のマークに、ゲール語でFOGRAとある)が付いているきりの、
ナゾの遺物である。ここから見ると、石碑と、さっきの円塔基部と、丘の上の最
小の教会とが、一直線に並ぶ位置関係。少しばかり神秘を感じて写真を撮る。道
に面した方にはきちんとした石垣があり、一か所に数段の階段がついていて、そ
こを越え、そろそろキルロナンへ戻ることにした。
 ところで、今、このくだりを書くために石碑の写真を見ていて、思いついたこ
とがある。これはハイ・クロスの基部ではないか。四角い柱形で上の端が折れた
跡のようにいびつだ。今までも、教会、円塔、ハイ・クロスの三つは、そろって
いつも島のケルトのシンボルだった。グレンダロッホ、モナスターボイス、ドラ
ムクリフ、塔の天辺がこぼたれていたり十字架の端々が欠けていたものもあっ
た。大西洋の嵐が吹きつけるアランの斜面では、ハイ・クロスがポッキリ折れて
根元だけ残ったのかもしれない。すると、今では小道を通るのは物好きな二、三
の観光客だけというこの場所に、円塔とハイ・クロスがそびえ立ち僧らが頂上の
                 ヴィジョン
教会まで参道を登る、広大な祈りの地の 幻影 が重なってくる。
        †        †        †
 来る時、道から少し入った石垣のそばにぽつんと立っていた一頭のロバがい
た。はづなもつけず、悠然とたたずんでいたそいつが、帰り道、私たちの少し前
をポコポコ歩いている。周りには誰もいないのだが、ロバ氏はちょっと用事があ
るんだという風情で、辺りを見もせず確かな歩調で道を進む。この島の家畜たち
は自立している。観光馬車の馬(仕事が終わったのだろう、時々通り過ぎる家の
庭でくつろいでいたりする)の他は、牛も馬も綱一つつけぬまま勝手にぶらつい
ている。犬もたくさんいて、昼間は私たちの馬車の回りを走り回るやつを、ジョ
リーさんが棒で追い払う一幕もあった。
 さて、ロバ氏はしばらく行くと、「着いた着いた」という顔で足をとめ、道の
反対側の原っぱにのそのそ入っていって、「いや、ここの草が夕飯にはうまいん
ですわ」とつぶやきながらモグモグと食べ始めた。追いついた私たちはしばらく
彼の食事を眺め、「何か用?」と顔を上げたところを狙って夫がパチリと写真を
撮った。もうすっかり静かなキルロナンの入り江を望む、黄色い小さな花々に淡
い西日のさす野原での一コマだった。
        †        †        †
 行きに日本人を見かけたパブ(「Tigh Fitz」、フットボールチームの大きな写
真がかけてあった)でサンドイッチを食べたりしながら、やっとキルロナンに帰
り着いた。最終便の観光船が港を離れた後、村はたそがれの中で静かになる。日
帰りの客が皆いなくなって、遺跡を往復するマイクロバスや客待ちの馬車、飛び
交ういろんなお国言葉などの賑わいが消え、潮がひいた後の浜のような静けさに
包まれるのだ。残っているのはゆったり腰を据える泊まり客だけ、薄れてゆく光
を惜しんでレンタ・サイクルを転がす二人連れや、テラスに出したテーブルでギ
ネスを飲むおじさんなどが、めいめい楽しんでいる。
 波止場を見下ろす「American Bar」に入った。看板はあるものの入り口は地
味、中も薄暗い静かなパブで、地元のおっちゃんが一人二人、バーテンと世間話
をしながら止まり木でギネスのジョッキを傾けている。その訛りのきつい、聞き
取れない英語、黒ずんだ木のテーブルとベンチ、窓から見える暮れなずむ海。私
たちもギネスを飲み、旅情を深めた。
        †        †        †
 暗くなるとパブには食料がないので、泊まりの旅人たちで賑やかな(店が少な
いので皆が集中するのだろう)「Dun Aonghasa Restaurant」(『歩き方』)で夕
食にした。満腹して外へ出ると、もう真っ暗だ。都会の照明に慣れた目に、純度
の高い暗闇が流れこんで来る。本道から宿へ続く小道へ入ると、いよいよ暗い。
頭上には満月をやや過ぎた月が架かり、星が群れている。じっと見上げると小さ
な星たちもわき出して来て、目の中で夜天が広がる心地がする。
 風のない、しんとしたすばらしい夜道を、少し歩いた。暗く沈む海を背景に、
岩だらけの牧場や空き地は透明な闇に包まれて、昼間とはまるで違って見え、小
人たちの踊り場にふさわしい。道端の石垣やその隙間から茂ったイチゴの薮は、
私の周りでひそやかに息づき、小さな夜の生き物――あるいは妖精――がそっと
こちらをうかがっているようだ。日本でも昔話の時代には、こんな月夜にこんな
野末で、狐や狸が人を化かしたのだろう。ここでは今夜のような月明かりの下、
多分レプラホーンが金貨の壷を牧場の外れにこっそり埋めたりするのだろう。ア
イルランドには今も妖精がいる、などとモノの本に書いてあるが、初めてそれを
体感した。人の灯りのほとんどないこの地では、彼らはきっとすぐ近くにいる。

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