石の大地をひた走り(9月21日)

 快晴の朝を迎えた。ホテルで朝食、9時にゴールウェイに向けて出発。好天な
のでスライゴーの南にあるギル湖を一目見て行くことにした。あてずっぽうに東
へ入ると、小高い住宅地、谷間の牧場、そしてまっすぐな下り坂の向こうに、朝
陽を浴びて鏡のように白い大きな湖水が丘に抱かれて横たわっていた。小さな島
も見えるが、イエイツが歌ったイニシュフリー島はもっと東の奥だろう。先を急
ぐので湖畔までは行かなかった。
 振り返って陽光の中のベン・ビュルベンに別れを告げた後、いよいよ南へ方向
を転じようとしていると、お盆を伏せたような山が見える。ぼんやり眺めてか
ら、天辺におヘソのようなチョボがあるのに気づき、この山が、コナハト地方の
伝説の女王メイヴの墓といわれるクノックナリだと分かった。天辺のチョボは新
石器時代の大墳墓だそうだ。道端に車を止めて写真を撮っていたら、角を曲がっ
て来た郵便配達の軽トラック(アイルランドの郵便車は緑色)に乗っていたヒゲ
のお兄さんが、何やら声をかけてくるのだけれど、聞き取れない。「写真を撮っ
てやろうか?」だろうか、「写真を撮っているのか?」だろうか?
 車はやがてN17に入り、青空の下、どこまでもただ広がる牧場や荒れ地をぬけ
てゴールウェイをめざした。
        ◆        ◆        ◆
 窓を開けたまま、すごい速さでドライブしていると、喉がかわく(助手席に座
っているだけでも、かわく)。私たちはジュースや水(なるべく発泡性でないミ
ネラルウォーター)を買い足すために、ノックの町で車をとめた。
 ノックは1878年の聖母出現で有名になった巡礼地だそうだ(近くに空港まであ
った)が、なるほど、日本では神社仏閣の参道沿いで見るような土産物店が並ん
でいる。ひやかし半分に入ってみると、さすがさすが、マリヤ様の置物にキリス
ト受難の絵、小さなお守りのたぐいをどっさり売っている。どれも素朴で、日本
の田舎のお寺の門前町そっくりの土産物だ。「私たち異教徒だしね。お参りもし
てないし」ということで、教会関係のお土産は遠慮して、シャムロックの三つ葉
の形をした小さな緑のお皿をたくさん買った。
 車で走り出してから、近年造られたという新しい教会をチラと見かけた。場違
いに現代的な建築なのが、日本でお寺を斬新なかたちに建てかえたりするのと、
これまたよく似ている気がする。
        ◆        ◆        ◆
 予定通りお昼にゴールウェイに着いた。明日アラン諸島に行きたいので、真っ
先にツーリスト・インフォメーションへ。両替もでき、お土産もある広いフロア
には、アラン行きの船と宿を扱うカウンターが二つ、「エア・アラン」と書かれ
たセスナ機ツアーの窓口も。何のつもりか、片隅に貼られた新聞の切り抜き。大
見出しで「Even in Japan They Know Aran Islands」。なんてこった。
 予約は取れた。往復の船とイニシュモア島のB&B1泊で24ポンド。係員は予
約の紙の宿の欄に「Cait Flaherty」と書いてくれ、「場所は、港で聞けば誰でも
教えてくれるよ」と頼もしいお言葉。
 ゴールウェイは少し都会だ。大きな広場や植え込み、たむろする旅行者、ひな
たぼっこする老人たち、「この子にミルクを買えません」と言ってコップを差し
出してくる子連れの女性…。天気は上々、風もなくぽかぽかあたたかい。広場近
くの「Lydons of Prospect Hill」(『歩き方』)の2階で昼食。いつもの通り
「本日のスープ」などを頼む。明るくこぎれいな店で、古い町並みの絵や写真が
壁に架けてある。クラダーリング(友愛の指輪)で有名な漁村クラダー(ゴール
ウェイ郊外)の絵もあった。
 レストランを出ると、通りでデモに出くわした。ダブリンで見たのと違い、
               ・・
シュプレヒコールを叫んでいる、本物らしい。言論の自由を、みたいな気がした
が、なにぶんよく聞き取れない。
 車に乗り、郊外のホテルに向かう。南の道を行くと、かもめが飛び、小さな船
や倉庫があり、港町なのだという実感が不意にわいてきた。岸壁沿いにチャブチ
ャブ揺れるこの水は大西洋なのだ。「とうとう海まで来たねえ」。ヨーロッパの
さいはて、西経9度の町に感慨が深まる。
 コリブ川を渡り、海から離れてソルトヒルという小高い一帯へ登ってゆく。木
立ちや立派な塀など、何となくお屋敷町の雰囲気。めざす「アーディロン・ハウ
ス・ホテル」の看板を見つけ左折すると、道からぐっと入った奥に、白壁の大邸
宅が待っていた。駐車場というより「車寄せ」と呼びたくなる玄関先。ロビーに
は暖炉とひじ掛け椅子。両翼が張りだし奥行きの知れない建物と、大きな木々。
延々と廊下を通り、階段を上り下りして案内された部屋は片方の翼の1階で、窓
から英国風のひっそりした美しい庭が見えた。「ホンモノの貴族のお館だ!」
 だがホテルの探検をお預けにして、私たちは忙しく出掛けた。午後のドライヴ
で、モハーの大絶壁を見てできればバレン高原にも行きたい…。酷使される我ら
が小さな青いホンダ。がんばれ!
        ◎        ◎        ◎
 N18からN67へ、ゴールウェイ湾に沿って行くと、右側の小さな入り江に趣き
のある古城が見えてくる。ノルマン貴族マーティン家の出城、イエイツの友で詩
人のゴウガティが住んだというダンガイラ城だ。今ではメディエブル・バンケッ
ト(中世風宴会)が催されるそうで、行楽客が出入りしている。堤防のような橋
をぶらぶら歩いて干潟につき出した城のふもとまで行き、緑の芝にしばし寝っこ
ろがる。海、それも楽土の伝説に満ちた西の海の見えるこんな館で暮らせば、さ
ぞかし詩情もわくことだろう。だが私たちは先を急ぐ。
 湾の南側を西へひた走るうち、車窓の風景は次第に岩だらけの原野へと変わっ
ていった。景色のよい海岸道路、と地図にあるN54に入る頃、昨日までの行程で
は緑や茶色のヘッジだった道の両側は、薄く割れた灰色の石を乱雑に積み上げた
だけの石垣となった。時々牛がぶらついている野原も、「牧場」と呼ぶには余り
にお粗末――モシャモシャした草の間に大小の岩がデコボコと露出し、荒ぶる自
然そのものである。右手は隙間だらけの低い石積み、その向こうは崖となって灰
青の海へと落ち込む。海は晴れて白く霞み、茫漠と広がり、水平線は模糊として
薄青い空と溶け合っている。その水平線の手前に、まぶしい陽光にかえってぼや
け霞んだ島影――アラン諸島の一番南の島イニシュイア、多分。
        †        †        †
 国道だというのに道は狭く舗装状態も悪化してきた。そこを飛ばしていくので
かわいそうなホンダは軽いバウンドを繰り返し、ボディも埃にまみれてもう青く
見えない。だが気味悪いほど広々した荒れ地と海は、ゆっくりと車窓を動いてゆ
き、次にまた同じ荒野と海が繰り出されてくる。いや、左に大きな灰白色の丘が
近づいてきたぞ。海に迫り、道はその裾をぐるりと回って続くようだ。だが何と
いう丘だ。白っぽいのは全体が岩だからだ。それも柱状節理で岩がガタガタに風
化し、階段状の斜面だけでできている。木は勿論、枯れ草さえない裸の丘、風に
さらされた骨のような山だ。それが人跡の絶えた荒野のはずれに、淡い薄い午後
の空を背景にぬっとそびえているさまは、壮絶というほかない。神話時代の巨人
たちが海辺に積んだ石塚なのだろうか。
 後で地図を見たところ、この丘は「スリーヴ・エルヴァ(346m)」のようで
あった。この辺りは、侵略者クロムウェルが「人を吊す木もなく、人の首を突っ
込む水もなく、人を埋める土もない」と言ったという、バレン高原の端っこであ
る。ここを見る前、木と水はともかく、「土がない」とはどういう意味か、と私
は首をひねったものだが、今では分かった。アイルランド西部の大地に土はな
い。あるのは、岩、岩、岩ばかりだ。
        †        †        †
 なかなかモハーに行き着かない。今日は夕方に車を返す予定なので、夫は気が
気でないらしく、国道をそれて近道と思われる細道をすっ飛ばしてゆく。道端の
標識にバスは通れないとある。海より少し引っ込んだ、起伏の激しい未舗装の山
道をがむしゃらに走ること、走ること、宙を飛ぶが如し。ようやく海側に断崖が
見え、そこを南に回りこむと、モハーの絶壁の登り口があった。ツアーバスや
車、民族音楽を流す売店、観光の人々の姿が見えてホッとする。
 目もくらむ断崖は屏風状に出たり引っ込んだりしながら遠くまで続き、向こう
の果ては霞んだ空に溶け去っている。絶壁までは割となだらかで緑に覆われてい
るため、横から眺めると天辺が苔むした大岩が順序よく並んでいるように見え
る。スレートのような薄い石片を重ねた石垣の間の道をたどって、絶壁の突端に
立つオブライエン・タワーを目指した。
        †        †        †
 「おやこの岩、変な波形の模様があるね。節理独特の模様かしら」などと足元
の灰色の硬いスレート岩を見ながら登っていたら、話しかけてくるおじさんがい
る。英語だが、典型的アイルランド人の顔でなく、「アメリカから来た観光客」
風で、手持ちのカメラ(ミノルタ)を何か調整してほしいらしい。新聞記者をし
たことのある夫はでかい取材用カメラ(ニコン)を肩から提げているので、カメ
ラにあかるい人と思うのか日本人観光客はよく撮影を頼んでくるのだが、今度は
青い目のおじさんである。さあ大変、夫は彼のカメラを受け取って、緊張した面
持ちでためつすがめつ、だが結局よく分からない。すったもんだの末、おじさん
は「いや、ありがとう、誰かこれと同じ機種を持ってる人がいたら訊いてみます
よ」と言って、先へ歩いて行った。
 ところがオブライエン・タワーに登ったところで、私たちは彼に追いついた。
何やら考えこみながら自分のカメラをいじくっていた夫は、しばらくして再度、
彼のカメラに挑戦。「プル・ディス・レバー。ターン・ディス・トゥ・レフト」
などと決死の英語で説明する。どこをどうやったのか、今度は一発でうまくいっ
たようだ。彼の顔がパッと輝いて、「オー、サンキュベリマッチ!」と、外人さ
んならではの熱烈感激。「サンキューって日本語で何て言うんですか」と尋ね、
(渾身のカメラ技術伝授に成功して虚脱状態の夫に代わり)私が「『アリガト』
って言うんですよ」と答えると、「アリガト? オー、アリガトアリガト! 
私、この日本語覚えておきますよ。アリガト!」。ご満悦の夫は「この出来事を
『モハーの人助け』と銘打って、後で旅行記に書こう」。晴れ晴れした顔で200
mの高さの崖の上から銀色に輝く海を見渡したのであった。
 そんな私たちの興奮をよそに、はるか崖下の海は岩にはばまれてうねり、白い
水泡をおもてに散らしていた。この日は晴れて風も穏やかだし、下まであまりに
遠いので、波の個々に砕ける音は聞こえない。だが足元の岩の下からは、ザワザ
ワ、ザザザ…と底深い潮騒が、まるで一千人の群衆が駆けて来るように、降り出
した大粒の雨が大地を叩くように、不安なざわめきとなって耳に迫り、体の奥底
まで鳴動を伝える。再びスレートの石垣の道をたどって戻る時も、海鳴りの響き
は背後から足元まで追ってきた。この地でギリシア神話は場違いだが、「大地を
揺るがすポセイドーン」、トロイの町を地震で滅ぼした、あの海神と同じ巨大な
力に、ちっぽけな私の中で血管の血が震え、共鳴するようだった。
        ◎        ◎        ◎
 売店で飲み物を買った後、車に乗り込んで、「バレン高原センター」のあるキ
ルフェノーラへ行った。本当はバレン高原のあちこちを訪ねながら帰りたかった
のだが、時計はもう5時だ。ここまで来てドルメンの一つも見ずに戻るかと思う
とたまらない気がしたが、どうしようもない。
 「センター」資料室を急いで見て出て来ると、その隣がキルフェノーラ大聖堂
の廃墟だった。お墓の間を通り抜け、崩れ残った壁の内側へ入る。屋根は落ちて
いるので頭上には空っぽの区切られた空があり、小さな物音が壁にはね返って、
                             ・・
よけいに静かである。中国・シルクロードの旅でも感じた、あのしんとした、姿
勢を正して辺りを見回したくなるような気分になった。堀淳一『ケルト・石の遺
跡たち』に詳しく出て来たアーチの装飾や司教の浮き彫り(12〜14世紀)が目を
引く。四角い体に首の長い、奇妙な司教たちはユーモラスだけれど廃墟の物言わ
ぬ悲しげな番人のようで、そっと肩をたたいてやりたくなる。
 外のお墓ではドイツ語(?)をしゃべっている(カッコいい)若者二人がハイ
・クロスの写真を撮っている。私たちももう少しゆっくりできるといいのだが…
ドーアティ・クロスと呼ばれる十字架があるはずだったが、そそくさと出てしま
い、またもやホンダに鞭打って帰路につく。
        †        †        †
 傾く太陽と競走するような道のりだった。海岸沿いの道でなく最初からN67を
通っていると、左手に例の白い岩の丘、スリーヴ・エルヴァが見える。この時
は、西日を受けて全体が淡いピンク色に染まり、別人のように柔らかな遠景だ。
やはりあの丘はタダモノではない。ふもとに門が開いて妖精たちが踊りに現れる
かもしれない…。
 ゴールウェイ湾にたどり着いてダンガイラ城に再会したときも、同じくらい驚
いた。干潟の中に立っていたはずの城は、鏡のように満々とたたえられた水に、
たそがれの風景と一緒にそのこぢんまりした姿をくっきりと逆さに映している。
モハーに行っている間に潮が満ちたのだ。観光客の姿は消えていて、私たちはこ
の美しい風景を独りじめ。車をとめてしばし見とれる。大きな白鳥が城を背景
に、音もなく海面を滑っている――水に映った姿と対になってゆるやかに。何も
かもがケルト的な光景。白鳥にされたリールの子らの物語やイエイツの「クール
の白鳥」を思い起こさせる(クールパークはこの近くだが、例によって寄ってい
る時間はない)。
        ◆        ◆        ◆
 とうとう暗くなり始めた7時頃、国道を標識通りにたどってゴールウェイ空港
へ車を返しに行った。が、そこは平屋建ての建物が一つあるきりで野っ原を金網
で囲っただけの、ひどいローカル空港だった。いくら見回してもハーツ・レンタ
カーの看板はおろか人っ子一人見えない。ぽつんとあるガソリンスタンド兼売店
?で「ハーツはどこ?」と訊いたが、「ハーツなんてないよ」。うっそお。今度
は空港の建物に近づくが、何とドアが閉まり、誰もいない。業を煮やした私は事
務所らしい窓のほうへ寄って行き、人影を見つけて窓ガラスをドンドン叩く…
「扉へ回れ」とジェスチュアしてくれた若い職員二人、鍵を持ち、まさに帰ろう
としている。「ここは6時で閉まるんだ。今晩10時にまた開くよ。ハーツ? ハ
ーツの職員はいる時といない時があるけど?」。
 かくて私たちは途方に暮れてホテルへ戻った。10時にまた行ったとてハーツの
人はいないかもしれないし、いっそこのまま乗り逃げてやろうか、だが明日は9
時からアラン諸島へ1泊しに行くのだし、後の宿は決めていないから車を置いて
おく所がないし、えーい、どうしよう?
 不安を抱えてブツブツ言いながら、とりあえず町へ出て、広場に面した「The
Chestnut Restaurant」(『歩き方』)に入る。やっと猛運転から解放されると
思ったのに裏切られたかわいそうな夫は、お酒も飲めずにミネラルウォーターで
の夕食だった。そして再びホテル。フロントで空港とハーツの電話番号を尋ねる。
「え、飛行機に乗るつもり? 今夜は11時に到着便があるだけ、出発便はありま
せんけど?」と、美人のフロントさんはうさん臭げな顔だ。「We want to return
our rent-a-car!」と繰り返す私。
 10時に空港に電話する。「Hertz staff please!」「いません」「We want to 
return our rent-a-car!」「明日来れば?」「But we will go to Aran Island
tomorrow!」「OK,じゃ来て車を置いて、just drop your key!」「Drop our key?
 I see, we will arrive there in thirty minutes!!」「はいはい」。
 中天に架かる満月の明かりのもと、泥だらけのホンダで真っ暗な国道を再び走
り、真っ暗な空港に着いた。扉が開いている。入ると正面のパブで、四、五人が
飲んでいた。隅っこに「ハーツ」の小さな窓口。誰もいないが、「誰もいなけれ
ば、この箱にjust drop your keyして下さい」と看板。はいはい。郵便受けのよ
うな所にキーをほうり込み、ホンダを建物の前に乗り捨てたまま、今度は帰らな
くちゃ。パブの人々に「Where is taxi?」「タクシーなら外にいるよ。ワハハ」。
酔っ払いめ! 外に見当たらんから訊いてるんじゃないか。だが外に出ると、セ
ーターを着た「典型的アイリッシュ」のおっちゃんが近づいてきた。「タクシー
かね?」「Yes, yes」「乗って」。おそるおそる乗る。ホテル名を告げるとうな
ずいて走り出した。ダブリン以外では、タクシーといっても屋根にマークもなく、
中にメーターもないのが普通らしい。値段は10ポンドで、『歩き方』の相場に夜
間料金を足したと思えば、まあ適当だ。こうしてやっとホンダと縁を切り、11時
すぎにホテルに帰り着いた。
 「祝杯あげよう」。どうやら難関を切り抜けた私たちは、ホテルのすてきなバ
ーで一杯やって、ホッと一息ついた。

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