灰色のダブリン(9月18日)

 エアインターという飛行機でダブリンへ向かう。シャルルドゴール空港の国内
線用のところから、家族連れや貧乏旅行の若者などの乗客をまばらに乗せて、ち
いちゃな機が飛び立った。
 やがて眼下に見えてきた緑の海岸線。ついにアイルランド! 畑や牧草地が、
濃い緑、薄い緑、茶色がかった緑、とモザイク模様を描く。そのただ中へ着陸し
た。ダブリン空港。さっそく、ゲール語/英語併記の案内板が迎えてくれる。両
替カウンターの丸い顔のおじちゃんは、陽気な声で「Welcome!」。よれよれのお
札やコインをいっぱいもらって、建物を出た。あら、そういえば、入国審査がな
かったような…
 バスに乗って市街へ。窓から眺めると、広い道の真ん中をぞろぞろと歩く一団
がいる。手に手に旗や風船、横断幕を持ち、大人も子供も何か叫びながらの行進
だ。デモだろうか? 独立問題か、宗教対立か、はたまた失業問題か。灰色の曇
天になびく、青と黒に染め分けた旗が印象的だ。注意してみると、町には同じ旗
を掲げている建物もある。さらに赤と黒の旗もチラホラ見かけた。やはり、何か
の対立だ!
 あとで分かったのだが、この「対立」、アイルランド式フットボールの地方対
抗戦の決勝が行われたためであった。青と黒はダブリン・チームの旗(赤と黒の
チームは忘れてしまった)。レストランなど、両方の旗を交互に掲げた店も見か
けた。
        ◆        ◆        ◆
 コノリー駅前でバスをおり、荷物をゴロゴロとひきずって、(他の建物と比べ
て)たいへん立派なカスタム・ハウス(税関)の薄緑のドームを仰ぐ余裕もな
く、延々歩いてオコンネル橋を越え、テンプルバー界隈の何やらうらさびれた、
灰色の通りへ入って「テンプルバー・ホテル」を捜す。道の向こうは工事中だ
し、日曜日のせいか、ぶらぶらたむろしてこっちをジロジロ見たあげく、「Hey!」
とか何とか(聞き取れないのだが)言ってくるおじちゃんたちがいて、私はちょ
っと不安になった。だいぶ行ってからホテルを通り過ぎていたことに気づき、引
き返す。旅行会社でもらったパンフレットの絵より暗い感じだ。雨は降りそうだ
し、荷物は重いし、…だが、中に入ると、こぎれいであったかそうなフロントと
ロビーがぱっと明るく開けた。ひと安心。
 通されたのは角部屋で、大きな窓、ウツクシイ柄のカーテンやベッドクロス、
しぶい書き物机にテーブルと椅子。夫が紅茶をいれてくれて、一服。ふた安心。
 午後も遅いので、とりあえず近場のトリニティ・カレッジへ「ケルズの書」を
見に行くことにした。外はとうとう雨である。
        ◆        ◆        ◆
 トリニティ・カレッジは一部修復中だった。そのため入り口が分からず、灰色
の石壁や大学関係の建物の並ぶ道を遠回りして、やっと敷地に入ったと思えば、
そこには広大な芝生がザザ降りの雨に打たれて、人っ子一人なく、ただ青々と広
がっていた…。あやうく何も見られずに帰るところだったが、どうにか「旧図書
館」を見つけ、念願の装飾写本「ケルズの書」と対面。ルカ伝611〜と、四つの
シンボルのページ(フォリオ27)。往時の修道僧の美への熱い思い(というよ
り、オタクぶり)がうかがえる。ほかに 「ディンマの書(The Book of Dimma、
8世紀)」の聖マルコ像、「ダロウの書」のフォリオ85(Initium…)もあった。
 図書館の、ギッシリと古書の詰まった書棚の間を、独特の湿っぽい本の匂い
(それに外から忍び込む雨の匂い)に包まれてゆっくりと歩くと、敬虔な気分に
さえなってくる。その一角にひっそりと、ガラスケースに収められた竪琴――
「ブライアン・ボルーのハープ」を見つけたときも、静けさの中で声をあげるの
がためらわれる気がした。私は「アイリッシュ・ハープ」を習っていて、家にも
あるのだが、磨き抜かれた濃い褐色のなめらかそうなこのハープはその原型、吟
遊詩人が弾き語りをするのにふさわしい、小型のものだ。胴体は柳の木、弦は29
本、今世紀初めに調弦をした、と書かれてある。
 最後に、付属のお土産店に行った。ケルト写本の装飾文字のデザインを使った
しおりだの絵葉書だのペナントだの、膨大な関係書籍だの、ハープのアクセサリ
ーだの、店ごと買い占めたいような品揃えに、私は興奮のあまり軽い恐慌状態に
陥った。だいぶ長いこと店にいたと思うが、お土産も含めて山のように買い物を
し、ゼーハーと息をつく(夫は小さな料理の本を買った)。
        ◆        ◆        ◆
 次なる目的地は、オコンネル通りにある中央郵便局である。雨は小やみになっ
たりまた降ったりで、建物も街路樹も黒ずみ、しずくをしたたらせて重々しい。
中央郵便局は、イースター蜂起(1916年、独立運動の頂点)の中心地だが、今は
雨宿りする人々が荘重なギリシャ建築風の柱に三々五々ともたれている。子ども
を連れた女性の「乞食」がいて、びっくりした。そういえばさっきオコンネル橋
の上にも、コップを持って物乞いをする人がいたが、このような「古典的」な乞
食さんたちを見かけるのは、初めてだ。
 局の中に入ると、ホールの高い天井に薄闇が広がっている。ほとんどの窓口は
閉まっており、わずかに切手を売る一つだけがあかりをともしていた。夫が切
手を買って日本から持参した80枚の葉書(いわゆる結婚通知葉書)に貼っている
間、私はお目当ての「瀕死のクーフーリン像」を捜した。
 「ピアスがクーフーリンを陣営に招きいれたとき…」とイエイツがイースター
蜂起をうたった、そのアルスター(北アイルランドの古王国)の伝説の英雄は、
ホールの一番外側に、道からガラスごしに見えるよう、外を向いて据えられてあ
った。思ったより小さく、繊細で美しい像だ。何か私は政治的な意図を誇示する
ようにそびえ立つハリボテ的なものを想像していたのだが。
 「アイルランドのヤマトタケル」(夫に説明する時、勝手にそう名づけた)、
あるいはアイルランドのアキレウス、伝説によれば太陽神ルーグの子、赤枝騎士
団の勇士クーフーリンは、細おもての美青年としてつくられ、よく見るとかすか
に眉をひそめて、閉じられた目にあるのは、数々の武勲をたててこれ見よがしに
「弁慶の立ち往生」を遂げた怪力・剛毅のマッチョ・マンの自己満足ではなく、
瀕死の苦しみや、生ある世界との別れの悲しみのようであった。
 それに比べて、彼の肩にのるワタリガラス(戦いの女神モリガンの化身)は思
いのほか大きく堂々としていて、あたかも愛憎もつれあう彼への想いを超越し、
今はすべてを包みこむ運命そのものとなって、ただ彼の最後の吐息の抜けていく
瞬間を世界に告げ知らすがごとく、広く遠くを見据えている。死してようやく彼
は彼女のものとなった、「これが私の最愛の英雄だ」と恐ろしくも悲しい愛を、
彼の敵たち(周囲を取り巻きながらも怖くてなかなか近づけずにいたという)の
前で宣言しているようだ。
 と、これほど思い入れをこめて見上げたクーフーリン像であるのに、外のガラ
スを向いて立っているせいで、うまく写真が撮れない。ガラスに風景が映ってし
まうのだ。それでも近く遠く、角度を変えて、雨宿りのおじさんたちの無言の視
線にもめげず、私はシャッターを押し続けた。
        ◆        ◆        ◆
 郵便局を出たのは夕方で、すっかり疲れて寒くなった私たちは、オコンネル通
りのマクドナルドに入った。名前からしてアイルランド系(本当は、どちらかと
ういとスコットランド系)だから、これぞ元祖というわけだ。ずいぶん安かった
が、客層を見ると、日曜日に外食しに来た家族連れが多く、日本のレストラン感
覚なのだろう。
 いったんホテルへ戻った後、夕食を食べに再び町へ出る。リフィー川南岸にあ
るおしゃれなレストランでその名も「The Riverbank」(『歩き方』)。半パイン
トのギネスと10ポンドのセットメニューを頼んだが、たいへんな量だった。カボ
チャのように大きなポテトは丸ごと出るし、デザート(私はほかほかのアップル
パイ、夫はチーズケーキ)の巨大なこと、五臓六腑もはちきれんばかり。パブに
行くのを断念して、ホテルに帰った。
 日曜のテンプルバー界隈は深夜の方がにぎやかだ。パブの戸口から人があふれ
ている。ベッドに入ってからも、窓の下あたりで歌うろれつの回らぬ酔客の大声
が響いてくる。なんだかお祭りのような、ダブリン第一夜であった。

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