ミニマリストの随想

2007年6月2日 土曜日

・移転 BiglobeブログからAsahiネットブログへ移転します。6月中は両方へ掲載します。

・2004年12月6日 月曜日 「陰陽師のブログ」を掲載することにしたので、この「ミニマリストの随想」は終了します。

ミニマリストとして生きる

随想

ガンではなかった(04/09/21)
腹部のCT検査と、尿の細胞検査の結果、腎臓と肝臓にのう胞が多発していることが判った。

問題ないと腎・泌尿器の専門医は言う。
だが、今後、経過観察のため2ヶ月毎の検査をすることになった。

結果が判って以来、溜まった仕事を猛烈な勢いで片付け、あっという間に、1週間が過ぎた。

その前の1週間は、考える人だったが、この1週間は、仕事バカになった。

とはいえ、またとないチャンスなので、食事と呼吸を養生することを、あらためて決意した。
厄年のころに試みた養生の再開である。

さらに、陰陽法を易しく説明するために、「陰陽師のブログ」を開設することにした。

誤解しないでほしい。近代医学を否定するのではない、陰陽法を生活に生かすことが私の務めである。


いよいよ試練がやってきた(04/09/09)
今日はCT検査日。造影剤はやらずに、単純CT検査である。

7月末に行った県の基本検診で、潜血反応が出て、8月初に尿の細胞検査で、異型細胞があるとの結果。

泌尿器科の専門医に診てもらうことを薦められ、鎌倉駅そばの広川医院へ。

尿の再検査、膀胱、前立腺、腎臓のエコー、肛門からの前立腺の触診を実施。

腎臓に影があることが判明。

ということで、今日のCT検査ということになった。

来週9月13日に、広川医院で、尿の再細胞検査およびCT検査の結果を聞くことにしている。

がんを持っていることが判明すれば、その時点で、西洋医学の治療は、おさらばすると決めている。

持っていないことになっても、食事療法を中心に、自前の養生法をもっと厳しく試みることに決めている。

いよいよ試練のときである。陰陽法を使って生きてきた身として、ここは正念場である。
すなわち、これまで生きてきた陰陽法で対処しようというわけである。

西洋医学を極力回避してきた身として、従来からの主張を継続してゆきたい。
医者が病気を治すのではない。病者自身が治すのだという主張である。

[以後、この件については、「陰陽師のブログ」に掲載する。]


役に立った(04/07/08)
カリフォルニアに出張してきた。米国野菜統計の仕事をしているので、打合せと農場見学が目的だった。

着いた早々、下痢に見舞われた。突然なので、うろたえたが、舌診と脈診によって、医者に行くほどの事はないと判断した。

飛行機内での冷えが大きな理由だろう。疲れも加わっている。病邪の侵入が体表面で終わったことを示していると思えた。下痢をして、すっきりしたという気分だった。

そこで、持参した朝鮮人参を飲み、過食しないように気をつけ、寝冷えにも、気を配り、5日間ほどで回復した。

特に、夏場のことなので、冷食を求め勝ちであるが、あえて温食を心がけた。

舌診については、体調を判断するのに、きわめて有効なことが実感できた。
脈診についても、病状の深浅を判断することができた。

課題として、推掌(マッサージ)をもっと学習すべきことが判った。
ツボを体系的に把握することを、至急、やらなくては。

先ず、自分自身のための中国医学である。


中国医学を学ぶ(04/05/10)
適切な講座が見つかったので、この際、思い切って中国医学を1年間学ぶことにした。

蓄えなどまったくないから、病気に対する怖れを感じている。このままではストレスになりかねない。

そこで、自分自身で健康チェックが出来るようにしようと思った。

「病気に向かう状態」である「未病」を見つけること、そして、看護することが「学ぶ目的」である。

そして、学ぶ方法として、次の3つの選択肢を考えた。

@西洋医学あるいは看護学を学ぶために大学に行く。
A鍼灸などの東洋医療者になるための専門学校に行く。
B中国医学を学ぶ。(1年間の講座を見つけた。)

結局、陰陽法を、長い間、日常生活の規範としてきたのだから、B中国医学を学ぶことにした。費用の点でもこの選択肢が適していた。

中国医学の診断法を理解すること、それが当面の目標である。月1回の講習だが、自学自習の成果確認の機会とするので、学習は毎日である。

医食同源の考えから、改善、治療の方法としての料理についても実習に努めている。


無為自然(03/12/31)
「無為自然」について考えた。

自然は陰陽のバランスがとれて、何も変わらないように見えるもの。何もしていないように見えるもの。
だが、自然の営為は激しく、一時の休みもなく変化を遂げているもの。

「無為自然」とは、そういう自然の姿を現すもので、私は自然のように、なにげなく陰陽のバランスを上手にとってゆきたいと思っている。

来年の課題として「陰陽の使い方」を書き記すことにしたい。陰陽を使ってバカの壁を乗り越えたいものである。

仕事は少々、篆刻と書はぼちぼち。株式投資も程よく。

加えて、孫の受験に付き合って、大学か、大学院探しでもやろうとも思っている。

早稲田大は中退だが、米国の州立大学は卒業しているので、研究テーマが、より鋭くなれば、大学院への進学もターゲットにしてみたい。

その研究テーマは宗教学。まだ、テーマの絞込みはできていない。

来年も、力を抜いて、「無為自然」を手本に、ゆったりと生きて行きたいものだ。


抜苦与楽(03/05/31)
「抜苦与楽」は「慈悲」と同じことである。苦しみを和らげること。

先ごろ風邪を引いた。微熱があり、歯痛という苦しみがやってきた。

歯は私のからだの弱い箇所である。疲れもここに出る。体調のバロメータである。

その痛みがやってくると、私の対処は先ず陰陽のバランスを判断する。陽が勝っているか、陰が勝っているかの判断である。

次に、その判断をもとに、陰陽の過多をコントロールする。どうやるかというと、食べ物を使う。陽が多すぎれば、陰の食べ物を多く摂る。

食べ物の摂取と同時に、からだをどんな風に動かすかを判断する。単に陰が多ければ、適度な運動をする。歩くことが手近に出来ることである。陽が多いときには、激しい運動で汗をかく。

ウィルス(陽)が入ったときは、陰の過多による場合が多いので、陽の摂取に努めることが基本だが、状態によっては、陽が過多になり、極まって陰となり、結果的にウィルスを取り込んでしまうこともある。このような時には、陽の摂取と言っても慎重にやらないと、再び陰過多になり、ウィルスが入ってしまう。

今回の不調は、梅干を歯に貼り付けて、じっとしていたら、下痢をして(ウィルスだか、菌だかが排出されて)、一段落。

陰陽を使って「苦を和らげる」のは私独自の方法。このやり方を生涯通すことになっている。近代医学、栄養学はどうしても苦手である。

何でもかんでも、陰陽法で解決しようとする。

だから、陰陽法の研鑽に努めることが毎日のお勤め。


英語勉強法(03/03/07)
陰陽師のヤブレカブレ英語学習法を掲載している。

一言で言えば、1000にも満たない単語を集中的に覚えて、英文法を無視すること。
これだけである。

ブロークンイングリッシュで良い。教養を誇るために話すわけではない。

単語を覚えることは覚悟してほしい。だが、単語数は少なくてかまわない。少ない言葉で豊かな表現をするのは、日本人の得意技である。

どうししても英文法を学びたいというのなら、語順を覚えるだけでよい。

正しい英語など、どこにもない。伝わるかどうかだけである。全身全霊で相手に向かえば、通じるものだ。
話す場合は、判るかどうかは聞き手の問題だと割り切ること。
聞く場合は、判らなければ、判らないとはっきり言うこと。判るように説明してくれと粘ることが肝心。

学校英語から離れる勇気さえあれば、英語はすぐ覚えられる。学習者が世界中で一番多いのが英語だと聞いている。英語は覚えやすいことばである。

コツを披露する。
日常生活でコトバ(日本語)を減らすこと。少ない言葉で思考回路が再構築される。
その上で、英語を話せばよい。最初は、単語を好きなように並べれば良い。
聞くことは判るまで粘ること。

書くことは、話すように書けばよい。


無分別の決意(02/12/31)
今年はミニマルな思考を求めて、陰陽法の復習をした。
そして、「直感を信じよう」という確信を手に入れることが出来た。

来年は、「分析すること」を仕事だけに限定する決意を持つことにする。職住分離となるが、止むを得ない。徐々に、その仕事からも、分析を排除してゆく。

無分別になる決心とも言える。直感をすべての規範とする生き方である。分別は分析と同じこと。

ふたつのポイント
瞑想を生活の中心に据える。
言葉を減らす。

「書」を以って無分別の達成度の証しとする。

書籍を整理する。


ミニマルライフとシンプルライフ(02/04/25)
日本でシンプルライフというと質素な節約生活というイメージを持つ人が多いようだ。

だが、私の言うミニマルライフはシンプルライフとは違う。

私の求めているのは思考がミニマルなライフスタイルであって、結果として、生活パターンがシンプルになるもの。

生活パターンをシンプルにすることを目的として、生活コストをカットするライフスタイルではない。

ミニマルな思考とは、直感を信じて思考過程をなるべく少なくする発想法。論理的に選択肢を出来る限り拾い上げて、決断してゆくやり方ではない。

今、私は陰陽法を使いながら、ミニマルな思考を良しとするミニマリストとして生きることを選択している。


「陰陽師になる」(02/04/12)
「陰陽師になる」の執筆が終わりました。

内容は、「陰陽師」になる方法:生きるためのバックボーン(陰陽法)をどうやって学ぶか?

このインターネット版はあくまで内容案で表現についての考慮は行われていません。
勝手に気の向くままに書いています。
判りにくいところがあったら、伝えてください。

批評・意見を歓迎します。
Phone&Fax:0466-37-0937


第1章 陰陽判断

@陰陽の説明。判断事例。陰陽表のこと。
A人間観察。声、体形、人相、髪、雰囲気、癖、行動、動作、匂い、味、履物、出生地、誕生日
B観察の対象を6つの陰陽を示す木片(算木)で表現する。

第2章:陰陽法実践

陰陽判断が出来るようになったら、次は実践。
1)対象の変化を予測する。
2)変化を導き出す。

陰陽原理:陰陽きわまって反対極になる。内陽外陰が自然の姿。陰陽補足。陰陰・陽陽反発。

事例
@花粉症対策は?
A恋人との相性?
B作陶に陰陽法は使えますか?
C優柔不断な内向的な性格を変えることは出来ますか?

陰陽問題に挑戦!


第3章:陰陽判断を磨く:芸術鑑賞と自然観察
芸術鑑賞−モア美術館にて
自然観察


第4章:料理が上手になる:
@食する人の陰陽
A食材の陰陽
B処理の陰陽
C料理の陰陽
D器・環境の陰陽


第5章:健康になる

@自己の陰陽
A病気(症状・部位)の陰陽
B処方の陰陽


おわりに:
F・カプラの『タオ自然学』、『新ターニングポイント』紹介
なぜ陰陽法か
人生のリセットとミニマルライフ


生きることの意味(01/12/28)
テロ以来、ホームページの更新を止めてしまった。

考えることが、急に、しかも溢れるように、一杯出てきて、更新どころではなく、
これまで深く考えることを先延ばしにしてきたテーマを、何とかしようとあがいたが、とうとう年の暮れになってしまった。

いろいろなテーマのなかで、一番先に取り付いて、
ようやく書けるところまで来たのが、「生きることの意味」。
なぜ生きるのかという問いといってもよい。如何に生きるかといってもよい。

自爆テロが、生きる意味を問わせたと思っている。

生きる意味、生きる目的は、ひと様々である。そして、その時々の状況にも寄る。
これから、私の「今」の答えを記そう。あくまで、現在考えている答えである。

私は、自分の意志で生まれてきたのだから、幸せになりたい。これが前提である。

私にとって、幸せとは?
人生の重大事は、生きる条件は限りなく変化しているのだから、
如何なる変化にも、余裕を以って、対応できること。ひとは突然の変化には対応できないもの。
だから、変化を予測することが必要になる。

何の変化を予測するのか。
経済である。仕事のことでもある。お金はこの社会で生きるためにはどうしても必要。政治でもよいし、政治と経済でもよい。社会情勢でも同じ。マスコミチェックでもよい。
私は、経済、とくに株式市場を見ている。

健康状態である。心身の状態である。

人間関係である。ひとは他人に頼って生きている。家族がある。親がいる。友人がいる。その関係を大切にすべきである。悩みの種にしたくない。

もうひとつ、死ぬことである。この予測は難しい。だが、象は死期を知るというではないか。人に出来ないわけはない。
その時がくれば、私にも判るだろうと楽観視している。時に任せよう。

変化の予測が出来ると、人間は必ず対応できる。そんな風に出来ている。生体維持機能が働くようになっている。

変化に対応できると、困ったり、悩むことがなくなる。すると、幸せを満喫できるようになる。いつも幸せの状態に入る。

ただし、変化の予測を忘れると、突然、事が起きて、狼狽するのは当然である。

私にとって、「生きることの意味」はこの幸せをもたらす「変化の予測」の方法を悩む人に伝えること。
これが答えだ。

なぜ、伝えるのか?
予測の方法があまりに簡単だからだ。子供にでも理解できる。あっという間に判る。

長い間、人は悩んできた。争ってきた。病気と闘ってきた。
だが、解脱、悟りの方法は誰も教えてくれなかった。いや、難しかった。辛い修行と長期間の学習が必要だった。
また、その方法が一部の人に独占されてきた。

私の、その方法は、「陰陽法」という。古代中国の思想である。東洋に古くからある方法である。

この世の全ての現象の「陰陽の過多」を測ることである。

「陰」とは拡散してゆくエネルギーである。「陽」とは求心してゆくエネルギーである。

そのエネルギーの過多を測れば、その変化の行く末が見える。

「陰陽」の過多を測る人が「陰陽師」である。変化の予測が出来る人である。

私は「陰陽師」である。だれでも「陰陽師」になれる。

今回はここまで。
次回から、「陰陽師」になる方法:生きるためのバックボーンをどうやって作るか?を掲載する。
乞うご期待。


百人百様(01/9/8)
どうして戦争を食い止められなかったのか?そんな疑問をここ数年考えている。

小泉氏の靖国参拝是非の論調を見ながら、今年こそは、一応の結論を出してみようと、8月15日の終戦記念日までと期限をきってみたが、今日になってしまった。

官僚制度を歓迎した人々には、官僚の書いた戦争シナリオが万全のもの、最良のものと映ったに違いない。

維新以来の明治・大正期には、富国強兵の国是の下に、行政効率のよい百人一様の社会システムを目指して、教育と行政を官僚に全面的に依存する効率優先、機会平等のシステムを政治が選択し、国民に協力を求めてきた。そしてそのシステムは見事に近代日本を急速に作り上げることに成功した。

ところが、官僚制度は肥大化する。自己増殖する。仕事を切り捨てることが出来ない。そして、昭和初期から敗戦まで、官僚がいつの間にかこの国を牛耳るようになってしまった。

敗戦で、それまで築いてきた、近代日本確立を先導してきた官僚制度が瓦解寸前に追い込まれたが、戦後復興のために、官僚制度を温存し、官主導のシステムを利用することを政治家は選択し、国民は選挙を通じて、経済大国への夢の道に承認を与えつづけた。

経済大国になることを拒否した人たちの声が殆んど聞こえなかったのは、戦争に異議を唱える人の声がかき消されてしまったことと同じ。戦争をリードしたのは、軍人を含む官僚たちだし、公共の利益のために経済大国への舵をとったのも官僚たちだった。

政治家も、国民も、官僚に踊らされたといえる。東大法学部および旧帝国大学を卒業した人たちは迷うことなくこの官僚システムの理解者であり、受益者だった。

だが、今日、肥大化した官僚制度の弊害が顕著になり、構造改革が叫ばれるようになって、国民も新しい道を歩む覚悟が出来たようだ。

だが、その新しい道がどんなものか、政治家はまだ示していない。国民の中からも、その姿について語る声が聞こえて来ない。マスコミも官僚制度批判を官僚的発想の批判にとどめている。制度そのものが腐敗している腐朽官僚制への批判が出てこない。革新することができないのが官僚制度の最大の欠点である。

新しい道は、百人百様の多様な価値観を持つ人たちが共生できる小さな行政府を持った社会と私は思っている。

小さな行政府は今やITを使った電子政府として実現できる。小さな政府の実現には、300以上の藩を有した江戸時代の政治の多様性に思いを致せばよい。

日本人が出来ないことではない。グローバルスタンダードに合わせなくてはといって、万人一様の経営手法を追いかける必要はない。

八百万の神々に守られていたこの国には、本来、多様性の資質がある。


食生活改善(01/5/26)
厄年のころ、左腕に痛みが生じ、左半身がやせてきた。検査を重ねたが、病因不明。最終的には、筋ジストロフィー症候群と診断された。そして、治療方法なしと。

自力回復しかない。そこで出会ったのが、中村天風と桜沢如一。彼らから教えられたことは沢山あるが、なかでも、食生活の改善が病気回復の一方の車輪で、もう一方は、心の持ち方ということ。勿論、両輪あいまって、病気は治癒に向かう。

その食生活改善の中心コンセプトは、「食は運命を左右する」。(江戸時代の易者水野南北の言。)その方法は、少食と玄米菜食。

3年も経たないうちに、薄紙をはがすように、痛みは去り、体力も回復してきた。不思議なことだと思った。

縁あって、先週まで,米国の野菜摂取運動「5 a Day Program」の日本への紹介プロジェクトに参加していた。

果実野菜の摂取を1日に5サービング以上にしようという連邦政府肝いりのキャンペーンである。1サービングとは、簡単に言えば、一掴みの量。ガン発生率の低下を望み、肥満病の対処法を模索していた米国政府が、国民の健康増進のために、1986年から始めた実績ある運動。(講演サイト:http://www5b.biglobe.ne.jp/~indexer/agri/index.htm

最近、肥満傾向にある。週2回のトレーニングを欠かさないようにしているが、体重は増えるばかり。食生活の改善をしなくてはと思っていた矢先なので、久しぶりに、食生活をチェックしてみた。

少食どころか、多食になっている。動物性蛋白の摂取が増えて、植物性蛋白(マメ類)の量がその分減っている。

丁度よい、この「5 a Day」キャンペーンのいう、1日5サービング以上の果実野菜の摂取を実行しようと心に決めた。

病のときの心構えには到底かなわないが、あの時の必死の思いがよみがえってきた。力まず、取り組んでゆこうと決めている。

食の節制が、ミニマルライフを実現する。


情報無知 (01/3/24)
冬眠から覚めたごとく、仕事に精を出している。

世間並みに、売上減少の傾向が出ているので、少々、頑張ろうと思い始めている。

新商品として、「サイトマップ」「WEBインデックス」「書籍の巻末索引」の制作請負に力を入れている。

欧米では、インデックスや索引を作る人のことをインデクサーと呼んで、れっきとしたプロ職業になっているが、日本はまだまだ。

読書紙背に徹するといって、精読することを読書の真髄と思っている人が多いときには、索引などの必要度は低い。

だが、時代は変わりつつある。書店で情報誌の多さに驚くだろう。ホームページのコンテンツは日毎に増えている。
読書の姿勢が変わってきた。情報を得るための読書である。ぱらぱら読書とでも呼べるものであ。つまみ食い読書ともいえる。いや、もともと読書とはそういうものかもしれない。

となると、容易に情報にたどり着くためのナビゲータとして、インデックスとか、索引の必要性が大いに語られるようになってきた。ホームページでは「サイトマップ」とか、「WEBインデックス」とか、「リンクページ」とか言われるものが常設されるようになりつつある。

読書とは、著者との対話、議論を通じて、読む人の考えを構築することだとすれば、読書において、先ず、必要なものは、関心あるキーワードや、情報のロケーション、在り処ということになる。

インデックス・索引への不感症は情報に対する無知を表しているように思える。


捨てること (01/1/31)
何でもかんでも捨てることではなく、捨て方にこだわって、「少なく捨てること」がミニマリストの課題。

ミニマム廃棄である。捨てる技術である「リサイクルのアイディア」を、十分に使わなくては、ミニマム廃棄はできない。

書籍を資源ごみの日に出す前に古本屋さんに持ってゆくことである。売れなくとも良い。引き取ってもらえれば、どこかで誰かが読んでくれるかもしれない。

古い写真を、写っている人に返すことも、アイディアのひとつである。

壊して、分別して、再利用できるものを見つけ出すことも楽しいことである。電気製品などによくある。

衣服などは、再利用が面白いようにできる。最後は、布地になって、雑巾か、なべの油落しになる。

少なく廃棄するためのポイントは、最終処理のためのエネルギー消費が少なくなるように考え、始末することである。

熱心に、ミニマム廃棄を実践していると、物を買わないようになる。ミニマム所有への理解が深まる。


ミニマリズムの復興 (01/1/24)
ミニマリズムの復興を意図したい。

ミニマルとは、最小の、あるいは最少の、という意味。ミニマム(最小あるいは最少)という名詞からできた形容詞。

1960年代初めから流行始めたミニマルアートは、ドナルド・ジャッドが、1965年に論文「Specific Objects」を、さらに、1968年に、「無題」という高度に画一的な立体作品を発表する頃より、絵画、彫刻、建築、音楽、映画などのジャンルで、コンセプトが広くアーティストを捉えた。だが、その芸術至上主義的な解釈が広がることによって、コンセプトは深まることなく、拡散してしまった。

アーティストと、見る者とが、共有する空間に、作品を共同で作り上げてゆくのがアート行為。
そのためには、共有コンセプトと、表現のための操作手段(コミュニケーション手段)が最小限である方がよい、というのが私にとってのミニマルアート。
芸術至上主義とは全く異なる、参加型の創造行為である。

今、そのコンセプトをライフスタイルとして、生き返らせたい。

どんなライフスタイルか。

一言で言えば、ミニマム所有、ミニマム消費、ミニマム廃棄を目指す生き方である。
その目的は内面生活を豊かにしたいということ。

少なく持つためには、買わないことである。
少なく消費するためには、エネルギー消費を少なくできるような環境を整備しなくてはならない。
少なく廃棄するためには、エネルギー消費の効率を考えることである。

ミニマルライフはシンプルライフである。楽な生き方である。


こども達と (00/10/26)
遊びをせんとや生まれけん。やっぱりそうかなと昨今しきりに思っている。

夏休みの間、小学1年、5年、6年生の3人と一緒に、プールや海で、泳ぎまくった。

昨年は私の首にしがみついていた1年生が、ゴーグルと鼻栓のおかげで、泳げるようになった。あとすこしで25mプールの向こう側まで行ける。

何も教えていないのに、めちゃくちゃな文字通り自由形で、なんとか息継ぎしながら泳いでいる。

それがきっかけになって、また、海に入るようになった。
ウインドサーフィンをやっていたが、今は新しい道具を揃えるだけの貯えはない。中古のボディボードを近所のショップで見つけて、楽しみ始めた。

夏用の半そで半ズボンのウエットスーツしかないので、今がこの年最後の遊び時。

波のないときには、プールに行くことにした。ワンポイントレッスンを受けて、水の掻き方を改良できた。スピードが出るようになり、面白くてしょうがない。つぎはバタ足のレッスンを受けようと思っている。叔母が80才を過ぎてマスターズ水泳大会に出場しているので、負けてはいられない。

遊びは幾つになっても止められない。


教育基本法改正 (00/09/3)
学校で教えることは読み書きと数学的アイディア(集合、確率、四則演算、…)だけでよい。
家庭で教えることは自由と火とナイフの扱いだけでよい。

そういうと、暴論といわれてしまう。

教育基本法改正の論議が、森総理を始めとして、盛んになり出している。
今日の日本の凋落を嘆く政治家たちが大きな声を上げている。

教育基本法には、具体論がないから改正すべきであるという。具体論とは、日本の国家戦略のことという。

学校教育の基本方針を規定しているのが基本法であるから、具体論はなくてもあっても良い。

本来、議論は学校の存在そのものについて始めると良い。

公的学校の存在そのもの、チャータースクールなどの新しい学校の姿、カリキュラムなど議論すべきことは多い。

改正議論には、公的学校の存在目的が教育か学習かの基本的な立場の相違がある。

私は、公的学校は個人の自学自習の支援に徹するべきと思っている。


腐朽官僚制 (00/07/1)
「そごう」の債権放棄問題が決着した。官僚指導の解決である。
結果、日本経済の回復はまたもや先送りとなった。

なぜ、国家が民間企業を救済するのか。金融システムの全体崩壊を避けるためと公的資金の投入は説明された。

今回の「そごう」のケースは金融システムの崩壊ではない。一企業の倒産である。
山一証券、長崎屋は救済されなかった。

究極のモラルハザードといわれるように、経営者責任と株主責任は追及されないままに終わりそうである。
日本の経営者意識の上でも、問題を発生しかねない。経営者のモラル崩壊が蔓延し始める兆しがある。
株主責任とて、地域の中小金融機関の保有する株式を温存するためか、減資の話題は出ていない。
こんなことが広がりだしたら、日本経済の再生はおぼつかない。

この問題に関して、民主党は強く反対している。官僚主導の問題解決が図られ、政府、与党の中で苦言を呈する者はいない。問題意識すらない。森総理の説明を聞きたい。政府与党には説明責任がある。

国民の負担を最小にするためと金融再生委員長は述べた。だが、個人的には、別の視点から見ると問題を感じていると。(朝日7/1)
なんたることだ。突っ込まないジャーナリストもふがいないが、谷垣委員長の姿勢は納得できない。官僚の説明するシナリオに乗っているだけである。

官僚の解決案は当面の傷を癒すことを目標とする。先を見ることは政治家の仕事である。

折りしも、元建設大臣が受託収賄容疑で逮捕された。政官の癒着の証拠である。

腐朽官僚制を打ち砕くことは政治家の急務である。


若者へ (00/05/12)
どうしても、若者に伝えたいことがある。

それは、「自らの決定によって、この世に生れ出でた」ということ。

子供は「親が生んだ」と、長い間、私は思っていた。

どうやら間違いで、子供は自らの意思で生まれてくるらしい。

望んで生まれたわけでない。親の都合で、生まれさせられた。と親にたてつく若者が多いと聞く。

だが、今、私は、はっきり、この世に自分の意志で生まれてきたと言い切れる。

小鳥は卵の内側からくちばしで殻を破って、生まれてくる。勿論、親は、その誕生を助ける。

自分が望んで生まれてきたことを判ってほしい。
世の中の生きとし生けるものは皆、自ら望んで生まれてくるのだ。

だから、人を殺してはならない。人には、他人の生きる権利を阻止する権利はない。

自らを殺すことも、望んで生まれてきた以上は、そんなに簡単に、方針を変えてもらっては困る。

何のために、生まれることを決めたのか、思い出してほしい。
母の胎内にいたとき、君は、一人ぼっちで、生きることを決めたのだ。


結論が出せない、決心・決断ができない症候群 (00/04/22)
若者からの進路に就いての相談を立て続けに受けている。

共通の思考パターンとして、計画作成の段階で、細部にこだわり、選択肢が多くなって、結論が出せなくなるということと、決心することを先送りする点が指摘できる

十分すぎる計画を立てると、何も出来なくなるよ。そして、その挙句、出来ない自分に対して自己嫌悪に陥るよと、私は言っている。

計画の細部にこだわれば、何事も実行出来なくなる。結論が出せないのは、選択肢が多いためだと思うと良い。

さらに、決心というのは エイヤァ!と飛び込むことである。将来のことは判らないのだから、決心するときには、必ず勇気がいる。怖くない決心というものはない。ちょっとした勇気で十分である。

無責任にとられるかもしれないが、「考えずに、実行することだよ」と、アドバイスしている。

何度か辛い想いで決心してきた。確かに、ひとりで決心することは辛く、苦しいこと。だが、家族、先輩、同僚、友人、愛する人と相談することが良い。彼らとの交感の中で、決心はわけもなく出来る。

蛇足ながら、決心・決断の支援のために「変化」を勉強することも同時に大切である。


カリフォルニアで見えたもの-Ghost Japan (00/03/29)
シリコンバレーの中心地サンノゼに「日本街(Japan Town)」がある。1996年に訪ねた時は、活気にあふれていた。

だが、今回訪れてみると、さっぱり発展していなかった。街には空き店もあった。
好況を謳歌している米国経済の中で、本国の不況を映して、影の役をひっそり演じているかのようだった。

ロスの「リトル東京」の周辺も土曜日というのに寂れていた。

米国の好況を友人のアメリカ人はバブルと言い切ったが、実需の勢いは強い。

建築中の物件を多く見かける。コンドミニアム、個人住宅と住宅着工数の堅調さが窺い知れる。

サニーヴェールのホテルでは、日曜日というのに、セミナーが開かれて、多数の参加者を集めている。

モールはどこも売れ行き好調の様子。レジで並んだことはなかったのに。

不況の時代を見ている私には驚きの活況振りである。

第二次世界大戦前には、2000人以上の日本人でにぎわったウォールナッツグローブの「日本人町」は、その面影を失おうとしていた。

日本食レストランは何処も、閑古鳥が鳴いていた。一方、韓国料理店には、もはや日本料理のメニューはない。

サンフランシスコの中華街は大賑わい。Union Squareは人で溢れている。

アメリカ西海岸で見た日本の栄光は落ちるところまで落ちていた。
落日を引き止めることはできない。

明日に期待して、「人心一新」の平成維新政治を待つ。


マイペンライ (00/01/22)
先週、タイのバンコクに行ってきた。

戦後の貧しさを思い出してしまった。

スラムがあった。水上生活者たちがいた。
物乞いではなく、子供たちが土産物売りをしていた。
老婆が山田長政が住んでいたという日本人街跡で線香売りをしながら、墓守をしていた。

屋台で、食事をとる人たちがいたるところにいた。
線路際の土地の不法占拠者たちと傾いたバラック、1日に列車が5回ほど通過するとのこと。

貧しさが観光客の眼にもハッキリ見える。

水上バスにすずなりの勤め人たち。
大学卒の初任給は3万円だそうだ。

観光バスの運転手の月給は3万円。
家に帰れるのは、月1−2回。バスに寝泊りしている。
その助手さんの月給は2−3千円。

タイ人のガイドさんが質問に素直に答えてくれた。

王宮は絢爛豪華。
ピカピカの外車が走っている。
1食3万円のレストランがある。

どうする!

マイペンライ。

貧しき人たちの好きな言葉だそうだ。
フランス語のセラヴィーにも似た意味。
アキラメの響きがある。
タイの人が言うと、やるせなさが伝わる。

日本語ではなんと言うか。

「ベツニー」あたりか!?


答えのない幸福論 (99/12/31)
1937年生まれの私が、1900年代を振り返ると、戦争が不幸を地球上に撒き散らしたように思える。NHKの「映像の世紀」シリーズを見て、あらためて、この考えを実感することになった。

戦争は植民地獲得競争、経済紛争、世界観の対立、宗教紛争、民族対立,、地域紛争と、形を変えて、つぎつぎと人類に不幸をもたらしてきた。

なぜ、戦うのか?

追い詰められて、やむなく立ち上がったのか。被害妄想の果てなのか。差別の果てなのか。

不平等の是正が戦いをもたらすのか。

それとも、戦うのは動物の本能か。

果てしない欲望が争いを生むのか。

真理はひとつしかないと、妥協せず、他者を認めぬことが争いの原因か。

暴力は、戦いの手段なのか。

不自由は、戦いの結果なのか。

貧富の差、分配の不平等である経済的不平等は自由競争の結果なのか。

自由競争を是とするから、不平等は競争の結果でもある。勝者は敗者を救済しなくてなならないと。

抑圧は、競争に勝つための手段になる。

日本の社会には、国際大競争時代に備えて、規制緩和が必要だという。
自由競争是認の考えは、自由主義社会の根源的な思想として、認知されている。
だが、規制緩和をどんな理念で、達成して行くか、既成政党の公約には、描かれていない。

答えのない幸福論は続くが、今の私には、この自由競争を是認する社会に疑問を持ち始めている。
正月休みにじっくり「自由」と「競争」の意味を考えてみたい。

「生存競争」、「成功への競争」、「競争」のための「自由」について考えてみたい。


スペイン風景 (99/11/1)
旅行グループの内、3組がマドリッドで強盗にあった。

日本人が狙われているということは、お金を持っているということ。

ということは、この強盗事件は、貧富の差がもたらしたものと言いきって良い。

マドリッド市を離れて直ぐ、スラムが見えた。電気もない、電話もない、多分、ガス、水道もないことだろう。
日本のホームレスの掘立て小屋よりひどい。
ジプシーたちの集落とのこと。都市の富みに依存しながら、その周辺でしか、生きられなくなっているようだ。
グラナダでも、穴居スラムを見た。アルハンブラ宮殿の近所。

完全に社会が分断されている。
日本はその点表面的になんとか繕われているが、いずれそうなるかもしれない。

富めるものと貧しいものが共生することの限界が来ているようだ。
南北問題、テロ問題、人種差別、国家差別、問題は山積している。

21世紀になれば、更に情報を持つものと持たざるもの格差が顕著に広がり、貧富問題を鮮明に浮き上がらせて来るに違いいない。サイバー差別と呼ぶような新しい差別、格差の形態が現れるだろう。

今日読んだNY Timesの記事「One Internet, Two Nations:By HENRY LOUIS GATES JR.
[The New York Times on the Web] October 31, 1999」が警告を鳴らしている。

一人でも多くの人がこのことに気がついてほしい。
貧富戦争が始まっているのだ。

どちらの側に立って、闘うのか。
解決への展望はあるのか。

ある!。
NGO活動に積極的に参加しよう。
貧困と闘うのではなく、富者と戦うNGOがあなたの周辺にあるはず。
インターネットで、必ず見つかる。

国連は富者の機関である。それに代わるNGOのネットワークが世界中に広がり出している。

ミニマムに生きることをあらためて心に誓った。


肥満対策 (99/07/31)
このところ太ってしまって、困っている。

減量に励もうと決心してみたが、成果はまだない。

人から、食が細いとよく言われるが、
湯河原で、仕事をするようになって以来、
3−4キロも増えてしまった。

周辺の道は、どこも坂道なので、運動にはもってこい。
日が落ちた頃を見計らって、小1時間ほどの散歩をしている。

加えて、2週間ほど前から、朝の体操も試みている。
自分流のストレッチ運動のようなもの。
10分ほどの軽いメニュー。

食生活にも、少々、気を使って、量を減らし気味。
ビールは偶にとしているが、散歩後のシャワーを終わると、ついほしくなる。

昼寝の習慣がすっかりついているが、これは、体重に関係なさそうだから続けたい。

特に、体重を増やすことをやっているとは思えないが、
アメリカ留学中は、運動量が今と比べて、圧倒的に、多かった。
歩く、泳ぐ、自転車に乗る、ローラーブレードで遊ぶ、乗馬をする、などなど。

秋になって、牛肥ゆるまでには、せめて68キロまで、減量したい。

もちろん、内奥の贅肉は、ミニマリストとして、削ぎ落とすことは言うまでもない。


生活の拠点探し(99/5/23)
四季のうち、夏と冬を海外でという考えを持っている。

夏の避暑はカナダのヴァンクーバーと決め込んでいるが、
冬の避寒地に付いては未だ探している。

というわけで、近々、オーストラリアのケアンズに行ってみる。
娘夫婦がそこに住んでいる友人のお薦めによる。

物価の安いことが第一の理由。
時差が無いこと、気候が温暖であることが第二、第三の理由。

行ってみて調べることに、インターネット接続環境、とくにプロバイダーの状況がある。

なにぶん、わずかではあるが楽しい仕事を持っているので、休むわけには行かない。

日刊「海外リンク」のために、毎朝、インターネットに接続し、世界のメディアサイトや、シンクタンク、NPO、国際機関などを訪れている。

6月8日から5日間の旅だが、ノートコンピュータを持参する予定。


落書き(99/3/13)
イタリーを初めて訪れた。ローマ、フィレンツェ、ミラノの3都市。

ミラノは聞いていたとおり、ビジネスシティ。ミラノのホテルではインターネットTVが使えた。パンフレット、広告にもURLがかなり入っている。
ローマ、フィレンツェでは、ノートパソコンを接続する環境もなかった。もっとも、高級ホテルに泊まれば別の話かもしれない。

ミラノの街は落書きだらけ。壁、電車、バスなど、公共物のところかまわず。ただし、歴史的建築物とか、私有物はちゃんと避けている。
イタリー人のガイドさんに聞いたら、問題になっているが、誰が、どうして、やるのか分からないと言う。

かって、ニューヨークでも、芸術的(?)グラフティを鑑賞することが出来た。それが、インターネットの登場以来、すっかり、減ってしまったと言う。もちろん、市当局の防止努力があるとのことだが。
私の考えでは、インターネットで情報発信ができるようになったことが、落書きが減ったことにつながっているように思える。ホームページでは、より豊かな表現が出来るし、視聴者は全世界にいる。捕まる危険を犯しての落書きから、シフトしたに違いない。

ミラノはどうなるだろうか。インターネットが市民に普及しているとは、到底思えない。Yahoo Italyで検索しても、個人カテゴリーのヒットは少ない。インターネットカフェなど、見当たらない。
従って、ミラノでは、当分、落書きが減らないとみるがどうだろうか。。


乾いた大地(98/12/7)
カリフォルニア州、アリゾナ州、ニューメキシコ州は、殆ど砂漠といってよい。大地は乾ききっている。

アリゾナ州フィーニックスの近くにPleasant湖と呼ばれるダムで出来た人造湖がある。
そこからの水路があるので、多分、水利用目的の湖だろう。
名前が面白いではないか。朝早くから、ボート遊びの人たちに出会ったし、RV車が何台か逗留しているのも見えた。

アメリカ南西部では潅漑によって農地をつくっている。カリフォルニアの水路は月からも見えると言う。水利の成功は、豊かな農業地域として人々を集め、失敗はゴーストタウンとして、さびしく砂漠のなかに忘れられてゆく。

砂漠をコントロールして人が暮らしている。このような状況では、そこに住む人たちの自然観も「自然」に対峙し、それを征服するものだと考えるのが素直な見方だろうが、山間の強風地帯に林立する発電のための風車をみると、かれらが「自然」に、ただひとつのマニュアルを持っているのではなく、柔軟な対応をしていることが分かる。
ネイティヴアメリカンの自然観の影響があるのだろうか。「自然」との共存である。

旅の2日目から、ドライスキンになってしまった。痒くてたまらない。
日本の湿潤の気候がやはり肌に合う。


アメリカ南西部ドライブ旅行記(98/11/23)
雪のため、コース変更し、行程は若干伸びて、4600kmになった。

経過地は、ロサンジェルス ― サン ディエゴ ― カレヒコ (メキシカリ) ― ユマ ― フィーニックス ― ギャラップ ― アルバカーキ ― サンタ フェ ― タオス ―ソコロ ― エルパソ (シウダッド ホアレス) ― ラス クルーセス ― デミング ― ツーソン ― フィーニックス ― インディオ ― ロス。

感想@車がピカピカ
新車のピックアップに何台も会う。トラクターヘッドがピカピカ。景気がよさそう。

感想ARV車に良く出会う
ニューメキシコ州、アリゾナ州は、冬の間、避寒地として、引退した人たちが訪れるところ。RVパークがいたるところに出来て、しかも活況。RV車の展示場も数多くみた。定年退職者が豊かなのだろう。401Kのお陰か。RV車を運転しているのは老人だけ。若者はいない。

感想B国境の町は貧しい人たちがあふれていた。
NAFTA(自由貿易協定)はアメリカの利益が優先している。メキシコの利益はあとから。国境を超えて、働く人たちを、かって、シンガポールとマレーシアの国境の橋で見た。来年のヨーロッパ統合はどうなるだろうか。次の旅は、イタリーかポルトガルにしよう。

感想Cタオスプエブロは依然貧しかった。
他のネイティヴの村も貧しそう。カジノだけが増えている。

感想Dロスのダウンタウン、リトルトーキョウ、オルベラ街、ユニオン駅がすっかりきれいになっていた。
一方、韓国人街での空家が目立つ。

結論
アメリカのような、貧富の差が当たり前になっている社会には住みたくない。


旅の結論 98/11/23
貧富の差を感じなくなる社会には住みたくない。それが今度の旅の結論。

ロスからニューメキシコのタオスまでの、4600kmの旅だった。

タオスプエブロで出会ったネイティヴ−山に登る鷲(Mountain Climbing Eagle)という名前−が10年毎に登るWheelerピークで何を祈るのだろうか。
彼から木片をもらった。
何を作るか。

川の流れに落ち葉を流して、無心に遊ぶ少女が美しい。
タオスプエブロの手作りパンを買って、その魂を食べる。

ホイラー ピークが輝いていた。


旅の支度 98/11/01
期限が近づいた無料航空券があるので、アメリカ南西部の旅に出かけることにした。

ロスからニューメキシコのタオスまでの、車の旅。

好況のアメリカ経済が南西部に何をもたらしているかを見に行く。

旅の支度として、仕事の前倒しをする必要がある。インターネットコラムを3本出発までに片付けなくては。

2本目が終わった。あと1本。何とかなりそう。


秋 98/10/17
窓からの景色が日ごとに変わっている。まだ、紅葉は、はっきりとは始まっていない。

わずかな仕事と木工と読書の毎日である。

仕事は定例のもの。週1回が2本と月2回が1本。インターネットのサイト批評他である。

木工の第1作品として、フォトスタンドを作った。上出来。

読書は司馬遼太郎の「オランダ紀行」と寺島実郎の「国家の論理と企業の論理」。


生命のよろこび 98/10/07
友人の怪我から、2ヶ月が過ぎた。リハビリが始まっている。

ご本人は、回復の遅さを嘆いているが、側から見ると少しづつできることがふえている。指の動きは、目立った改善は見えないが、腕全体の、あるいは手首そのものの動きは、かなり良くなっている。

そこで、仕事の手伝いを少々復活することにした。パソコンを使うことがリハビリになると信じてのこと。

数日たつと、本人も、出来ないことが出来るようになったという。うれしさを語っていた。

ミニマリストにとって、日日の生活によろこびを見出すことは大切なこと。エンターテイメントとして、よろこびを購入することは趣旨にもとる。無料で獲得できるよろこびこそ、ホンモノ。

最近の感想だが、生命のよろこびとは、出来ないことが出来るようになる自己変革のことのように思う。


仕事 98/09/18
わたしの仕事場はSOHOである。加えて、インターネットを利用したテレワークでもある。取材もインターネットを徹底的に使う。出かけて行くことはない。

インターネットコラムニストとして、サイト紹介とか、サイト批評とか、エッセイをホームページ所有者に提供している。

従って、ライターということになる。従って、日々の生活が書くことのネタになる。といっても、日常の食べて寝るだけの生活では何も出てこない。そこで、なにかと遊ぶことが多くなる。山を降りて町に行くことではない。最近始めた木工のアイディアを考えたり、近所の坂道を散歩したり、インターネットサーフで多様なサイトを訪れたり、遊ぶネタは事欠かない。

どうやら、遊ぶことが仕事ともいえる。


炊事 98/09/14
炊事、洗濯など、アメリカ留学以来の家事労働を楽しんでいる。

乾物を使った煮物と味噌汁が得意技。和食風野菜料理が主だが、洋モノのレパートリーも増やしている。ビーフシチュウもやってみた。
この間は、イカをおろしたし、昨日は、鯵のたたきに挑戦した。

洗い場を整理しながら、作らないと、狭い調理台はめちゃめちゃになる。
生ゴミを極力出さないことも心がけている。

冷蔵庫の整理は毎日やっていないと、あっという間に満杯となる。
山を降りての買物も、かなり慣れてきたと思う。

ミニマリストの実践教室はまだ続く。


木工98/09/07
インターネットのプレゼントに当選して、神沢鉄工より工具をいただいた。
それを機会に、デスクトップの小物を木工作することにした。

近所の川から流木を拾ってきて、削り始めている。

何ができるかまだ見えない。


風の道 98/06/14
南展望の右から左へと風が吹く。南西展望の右端に十国峠(日金山)がある。東南展望の左端には真鶴半島と海が見える。
その十国峠からの山おろしが海へと吹き抜ける。この谷間は、風の通り道。
仕事場から、そこを通り抜ける風が、木々を揺らして、風を見ることが出来る。

風を見ることは、野鳥を見ることと同じくらい楽しいウォッチングの一つ。


梅雨の中休み 98/06/20
中休みが何事にも必要と痛感している。梅雨が教えてくれたこと。
今日は仕事も休みにしよう。

小鳥たちが、カワラヒワだろう、飛び回ってエサをさがしている。昨日までひもじい思いをしていたことだろう。
裏の窓からはホタルブクロがみえる。日を浴びて、ゆっくり揺れている。
近所でホタルがみられる。真っ暗な沢を飛び交う光の点在が、胎児体験をよみがえさせる。
今夜もいってみよう。