一途








少女は心地よい風から守るように花を生けた花瓶を持ったまま長い廊下を歩いていた。
王宮の渡り廊下から風が吹き込んでいる所為でこんな廊下の奥までも風が入り込んでいる。
花びらが散ってしまわぬように自らの小さな体で懸命に大きな花と花瓶を運ぶ。目の前の
見事な大輪に感心したように頷き、真剣な瞳の中に嬉しさを混ぜながらゆっくりと
足を進めていった。花を採ってきてくれた者の話によると陽気な天気のお陰で
良い香りが辺り一面に広がっていたとか。そんな花畑を想像しては嬉しそうに
笑顔を浮かべていた。
。」
凛とした女官長の声に振り返る。女官長の隣には孫権の姿もあり、急ぎ礼に服した。
「尚香は今日もそなたに花を習っているか?」
「は、はい。」
「…ならばよい。」
周りの者にも分からぬくらい小さく微笑む孫権にが再び慌てたように礼に服する。
そんなの様子に女官長が苦笑した。
、そのように緊張しなくとも宜しい。…貴女はもう少し落ち着きを
身に付けねばなりませんね。」
「…申し訳ございません。」
「女官長、良いぞ。とて新しき所で慣れぬのだろう。手厳しくするな。」
「まぁ、孫権様ともあろう御方が珍しい。」
孫権にとって女官長はもう一人の母と言っても良い存在であった。そのため女官長の
言葉にだけは勝てない孫権である。言葉に詰まった孫権に女官長はあくまで涼しげに
微笑んで見せていた。
「…普段の私はどうだというのだ。」
「女官の教育に対して、私に何度も厳しくあるようにとお言葉を頂いておりますが?」
「…はまだ年端も行かぬ。厳しくするだけでは育たぬだろう。」
「ほほほ、そうですわね。」
女官長の言葉にまたも孫権が詰まる。女官長も楽しそうに笑うとに仕事に戻るようにと
合図をした。
「…孫権様、御前失礼いたします。」
「…う、うむ。」
、足元に気を配りなさい。」
「はい。」
その場から離れると一度だけ後ろを振り返る。長い廊下の奥に孫権の後ろ姿を見、
小さく頭を下げた。


尚香の部屋に戻ると花瓶を中央の卓にそっと置く。
?」
「はい、ただいま!」
尚香の声に奥の部屋へと足を踏み入れる。するとそこに自分の伯父である黄蓋が
尚香と談話をしていた。
「ふふ、驚いた?私が呼んだのよ。だって、貴女ずっと黄蓋と会ってないでしょう?
寂しいだろうしね。…ついでに私の話し相手になって貰えるし。一石二鳥よね。」
「尚香様のお心遣い感謝します。私も、この子がどうしておるか気にしておりまして…。
どうだ、尚香様に誠意をもってお仕えしているか?」
温かい主人の言葉と伯父の言葉に嬉しそうに頷く。
「はい、尚香様には良くしていただいています。精一杯これからもお仕えしたく
思っておりますわ。」
「うむ、そうか。」
「ふふ、私はちょっと席を外そうかな。二人で話してていいわ。策兄様の所に行く
だけだからすぐ戻るし。」
尚香の気遣いに黄蓋と共々頭を深々と下げる。


二人だけになると黄蓋も普段より優しげにを見つめた。その瞳にはまるで本物の
父のようなそんな優しげな雰囲気が漂っている。
、本当に良かったのか?」
「はい。は尚香様のような方にお仕えできて幸せです。」
「お前一人くらい養うことは容易だ。何も遠慮することは無いのだぞ?」
「伯父様には今も良くしていただいています。これ以上の何を望みましょうか。」
が黄蓋に引き取られることになった時、彼女自身が女官になることを望んだのだ。
黄蓋としては一族に連なる娘をわざわざ女官として宮廷に上げることを考えては
居なかったのだが、どうしてもと引き下がらない彼女の意思を尊重し、今に至っている。
「…お前がそう言うのであれば、良いが…。くれぐれも無理はするでないぞ。」
「はい、伯父様。」
の謙虚な考えを黄蓋はすでに分かっていた。いくら一族に連なる者とはいえ、
分家の娘であるには黄蓋に対し遠慮が働くのであろう。
本家の当主、まして呉主孫堅に仕える身。遠くから見ていたとはいえ、この
国に住む者として国家の柱である黄蓋に遠慮を感じない訳がなかった。
だが、それでもは黄蓋のことを本当の父親のように尊敬している。それを感じるから
こそ、黄蓋も彼女を気にかけているのだ。
「宮廷には様々な目がある。お前がいつ誰の元に嫁いでもいいように準備しておかねばな。」
黄蓋の言葉にが大きく瞳を開く。そんな彼女の様子を見て、いつものように豪快に
笑うと頷いた。
「宮中にいるとはそういう事なのだ。御主は黄一族に連なる者。そこらの馬の骨に
やるつもりはないぞ。安心せい。今は尚香様にお仕えし、礼儀作法を学ぶのだ。
そして目を養うことだ。くだらぬ男なんぞにそなたをやる気は毛頭無いからな。」
が何も言えず目を瞬いていると小さな子供にするように頭をなぜてやる。そして
飲み残した茶を一気に飲み干すと席を立った。
「また様子を見に来る。宮中におるのだからたまには儂の所にも顔を見せるのだぞ。」
「…は、はいっ!」
黄蓋が部屋を出ていくのを見送るとなぜられた頭に手を当て、嬉しそうに微笑んだ…。



が宮中に上がってから、すでに半年という時間が流れていた。平和な何もない
毎日を幸せに過ごしていた…そう、昨日までは。

大都督の部屋に何人かの将が集まっていた。しばらくすると大都督周瑜が部屋を
出ていき、孫堅に目通りを願い出ると言い、奥の宮殿に上がっていく。そして部屋から
出てきた将たちはいずれも厳しい顔をしており、緊迫した事態が起きたのだと
下々の者でも理解出来た。


────合肥方面に魏軍が進軍中


細作がもたらした報は宮中を揺るがせた。直ちに孫堅の元、大都督周瑜を初めとした
諸将が集められる。緊迫した雰囲気が宮中全体を覆い、誰もの心が不安に揺れた。

もまた初めての雰囲気に戸惑い、不安を隠せないでいたのである。
それもその筈、彼女の仕える主もまた出陣するのだ。自身は武に秀でておらず、
護衛兵として共に出陣しないが、主を見送る側として準備に追われていた。
そして彼女の伯父、黄蓋は孫堅と共に第二陣として出陣する。彼女が普段頼りにしている者は
皆この宮中を出、戦へと足を向けていくのである。唯一、孫堅の次男孫権を除いては…。




<あとがき>
孫権ドリームの続きですね。今回はヒロイン視点です。実はそんなにシリアスな
お話にするつもりは無かったのですが、少しシリアス路線に入りかかってます。
しかも考えていた当初より話が少し長くなるかもしれません(汗)
後、一作でまとまるか…ちょっと怪しいのですよ。

ドリームであるのに、甘さが少ないですね。私にしては珍しいことです。
多分最後にどっと……た、多分…(汗)