HR終了後、仕事場である整備員詰め所に辿り着くと早鐘を
打つ心臓に胸を押さえた。震える手に何度も首を左右に振ると
入口付近に人の気配を感じる。
「もえちゃん、どうしたの?」
「気分でも悪いのか?」
感じていた気配は東原さんと芝村さん。心配そうに眉を寄せているわ。
他人にも分かってしまう程、私は今…おかしいのかしら?
「…そうじゃ…ないの。」
「?」
二人に向って左右に首を振ると芝村さんが眉を顰める。東原さんは大きな
瞳を何度か瞬かせた後にっこりと笑った。
「あ、そうだよね。えへへ、ドキドキだよね。」
「何だ、それは。」
東原さんの言葉に驚いてじっと見てしまう。芝村さんは彼女が何を言っているのか
分からないのかしら。しきりに首を傾げると眉を顰めてるわ。
「あのね、とってもあたたかいことばをもらったから、こころが
ぽかぽかしてるのよ。うれしくて、くすぐったくてドキドキなのよ。」
まるで東原さんがそんな気持ちなのかというくらい嬉しそうに笑ってる。
そんな彼女の気持ちも言葉も理解できないのか、また芝村さんは眉を顰めた。
近くで接するようになってから彼女の感情の起伏がよくわかるように
なった気がする。東原さんと芝村さんって見ていると面白いわ。
「抽象的だな。」
「ちゅうしょうてきでもいいのよ。『にゅあんす』や『ふぃーりんぐ』で
つかむの。あたまでわかろうとしてはだめなのよ。」
時々、東原さんは大人びている事を言う気がする。人間の心を理解するのに
必要なのはきっと言葉ではなくて、肌で感じるという事。その本質に
触れたかったら、言葉に縛られず感じるままを信じればいい…そう
言われている気がしたの。
「言葉が具体的でなければ、両者ともに分かりにくいであろう。そうで
なければ、会話は何の為にある。人類が言葉を持ったのは何の為だ。」
芝村さんの言うことは正論だけれど、それが絶対的な解答ではない気がする。
寧ろ…。
「こころのうごきすべてをことばにするのはむずかしいのよ。」
「だが、自らを理解して欲しくば言葉にせねばならん。言葉もなく理解せよとは
暴力的な発想だ。人は超人ではない。故に言葉を持ち、互いに意志疎通を図る。
自然の摂理であろう?」
「…人は人だから…互いを想う心がある。…互いを想い、互いの身になって
考えれば…言葉を越える何かに、きっと辿り着ける…。」
突然の私の言葉に芝村さんが振り返る。驚いた表情の芝村さんと嬉しそうに微笑む
東原さんが妙に対照的で、私の言葉が何処かおかしかったのかと身を縮こまらせた。
だけれど、次の瞬間芝村さんが笑う声が聞こえてくる。…芝村さんがこんな風に
声をあげて笑うのは初めて見るわ。
「すまん。そなたの言葉、しっかり届いた。ふむ、確かにそうなのかもしれんな。」
「まいちゃん、うれしそうね。」
「そうだな。胸のつかえていた物がなくなった様にすっきりした。礼を言う。」
芝村さんの言葉に静かに頭を左右に振る。自分が口にした言葉だけれど、とても
不思議な感じがするわ。口にして初めて自分の中に溶け込んだ…そんな感じ。
貴方が言ったあの言葉がどんな意味を持っているか、
私には分からないけれど…。でも私は願いたい。
私に向けたあの言葉は貴方の優しさ故の言葉だと。
暖かいこの気持ちは…貴方を想っているから。
優しい貴方のあの言葉は…私を幸せにしてくれた。
例えあの時だけの優しさだとしても、
貴方の心に私が居なくても…。
あの瞬間、貴方は私を気にしてくれたでしょう?
それだけで…嬉しいわ。
でも…でも…貴方の笑顔を側で見たいと想いは強くなるばかり。
いつか、私も勇気を出せるかしら。
…貴方が好きなの…。
そう言ったら貴方は何て答えてくれる?
…困ってしまうかしら?今のように少しだけでも
貴方に気にして貰えるだけでも嬉しいけれど…。
でも、いつか貴方に…。
「石津いる?」
突然の声に驚いて入口付近を見ると…彼だった。驚いたような顔を
したまま、彼はそこから動かない。
「我らは帰ろう。またな、石津。」
「もえちゃん、またね。ようちゃん、がんばってね。」
「?…おう、じゃあな。」
芝村さんと東原さんが出ていってしまって、部屋に私と滝川くんだけが残される。
目線を合わせることが出来なくて床に視線を落とすと、膝の擦り傷が
目に飛び込んできた。
「…怪我…したの…?」
「ああ、うん。」
いつもの事だけれど、滝川くんと話す時、声が震えてしまうの。心臓が
早鐘を打っている所為かもしれない。でも今日の滝川くんは変だわ。
どこかぼーっとした感じ。何か考え事でもしているのかしら?
そんな事を考えながら救急箱を取り出し、消毒液と脱脂綿を手にする。
「あのさ、石津!」
「…滝川…くん…?」
消毒していた手を止めて、顔を上げるといつもと違う…頬を染めた彼が
そこに居た。首を傾げると目の前で頷いている彼を恐る恐る見る。
「俺、お前に聞いて欲しいことがあるんだ。…聞いてくれるか?」
その彼の言葉に私は頷く事しか出来なかった。
何故か高鳴る胸を押さえながら…。
<あとがき>
萌ちゃんサイドを書き終わりましたよ〜。これで残りは…アレです。
そう『告白』ですよ。元々この連載は軽い恋愛物を目標としているので
シリアス場面は殆どないのですが…今回前半部分に入っていましたね。
あの部分、抜けなかったのですよ。萌ちゃんに言ってもらいたい
部分だったのです。彼女があの言葉を会得(ちょっと違うかな?
まぁ、ニュアンスで(苦笑))する事によって最後のお話に
活きてくるのです…ってこんな事書いて自分で自分の首を
絞めているような…。
と、とにかく、次回はラストです。