朝起きて外を見ると曇っていて天気が悪そうだ。予想では夕方から雨ということだったが、どうも雨はもう少し早くに降りだしそうな感じだ。早めに出発することにする。
テントを片付け、7時前に出発、しばらく走って須佐町のホルンフェルス大断層を見物する。
黒と灰色の美しい縞模様の絶壁が並んでいるこの海岸線の景観は、人の手では絶対に作り出せない、自然の営みのすごさと神秘が感じられた。 |
その後県道343号で海岸線を進み、再び国道191号に出た。美しい日本海を横目に見ながら海岸線をひたすら飛ばす。
萩には9時過ぎに着いた。国道を走っていたら古い学校があったので何気なく看板を見たら明倫館跡と書いてあったので、あわててバイクを停めて見物する。
今は明倫小学校になっているが、校内には今でも当時の施設が残っており、木造の校舎の古びた雰囲気がいかにも萩の学校という感じがした。
|
その後駐車場にバイクを停めて町中を散策する。
さほど広くもない今では静かな町だが、高杉晋作や青木周弼、木戸孝允など日本の歴史をつくり上げたといってもいい人々の旧宅が建ち並んでいて、その町並みがそのまま残っているのが、萩の町のすごいところだろう。江戸時代の面影の残る碁盤の目のように区画された町並みに、人力車が走っていた。
しばらく散策した後、駐車場に隣接する売店で名物の夏みかんのジュースを飲んだ。甘くてそのくせしつこくなくて美味しかった。
|
その後バイクで移動して萩城跡に向かう。所々に敵の侵入を防ぐために設けられた、鍵曲と呼ばれる直角に折れ曲がった道が残っている。
萩城は日本海に突き出た指月山の麓に設けられた城で、今は石垣が残るだけだが、その石垣と程よく盛り上った新緑の指月山とのコンストラストが美しい城で、その景観は日本各地にある城跡のうち、一二を争う美しい城だと思う。
|
雨が降り出してきたが、とりあえずそのままバイクに乗り、松陰神社に向かう。
松陰神社は吉田松陰をまつって建てられた神社で、観光客が多く、駐車場にも観光バスがたくさん止まっていた。 雨が本降りになったので、レインウェアーを着込む。
境内には松下村塾や吉田松陰幽囚旧宅などがあり、また薩長土連合密議の地の石碑などもあり、歴史的に重要なものがたくさんあって、見所の多い神社だった。
|
その後国道191号を西に向かう。雨はますます強くなって、視界が利かないほどだ。慎重に走る。
日本海沿いをしばらく走って、本州最西端の毘沙の鼻に向かう。景色はそれなりにきれいだが、すぐとなりが産業廃棄物の処理場になっていて少し興ざめた感じがした。 |
下関には1時ごろ着いた。相変わらず強い雨が降り続いていて、とりあえず駅前のスーパーに入って買い物かたがた服を乾かす。
1時間くらいすると雨も少し小降りになったので再度バイクに乗り、赤間神宮に行く。
赤間神宮は壇の浦の合戦後、8歳で入水した安徳天皇を祭った神社で、幼帝にちなんで朱塗りの竜宮城を思わせる建物が印象的な神宮だ。
境内には壇ノ浦の合戦で敗れて滅んだ平家の七盛塚や耳なし芳一の木像があった。 |
赤間神宮のとなりに、日清戦争の講和会議が行われた旅館の春帆楼があった。敷地内の日清講和記念館には、会議に使われたテーブルなど調度品を当時の姿で展示されている。またこの旅館の裏の路地には当時の清の外相、李鴻章の名のついた通りもあって、その当時をしのぶことができる。
雨は相変わらず降り続いていて、もう少し下関の街を見て回りたかったがあきらめて、関門トンネルを通って九州に渡ることにする。
対岸の門司に着き、国道199号で関門海峡沿いを走る。こちらの側から見ると、海峡が良く見える。あらためてこの海峡の狭さを知る。水煙のかなたに有名な巌流島も見える。
|
小倉城を見物する。しばらく時間をつぶして駐車場に戻ると、雨はすっかり止んで空も明るくなっていた。レインウェアーを脱いで出発する。
小倉南インターより九州自動車道に乗り、福岡市を目指す。
30分ほどで福岡インターに着いた。市内に入り少し走ってホテルを探していたら、天神のはずれに新築のビジネスホテルを見つけたのでそこにチェックインする。
部屋でシャワーを浴びてから、有名な親不孝通りまで行って食事をした後、ホテルに帰るまでの道沿いにあった博多ラーメンの店でラーメンを食べる。こしのある細めんが美味しかった。
その後ホテルに帰って地図を見て、次の日予定を考えてから寝た。 |