利家ゆかりの地を訪れる―荒子城跡―

荒子観音を出て、犬千代ルートに従って歩いて行くと、まず目につくのが
こちらの日露戦争で亡くなられた方たちの戦没碑です。
(観音との関係はよくわかりませんが)

そして、の案内に従い細い道を進んでいくと荒子城跡こと、富士大権現天満天神宮に到着。
この際、近くの家の表札を見ると奥村という名字が結構います。

荒子城は前田家の拠点で、利家が前田家を相続する際に、「利久の許可がなければ譲らない」と主張した奥村助右衛門との
やりとりで、その名が知られています(花の慶次では記述はないものの、史実ではこの際に助右衛門は前田家を出奔しました)。
そして、1581年に、前田利長が北陸に行ったことで廃城になりました。

荒子城の説明はこちら


富士大権現天満天神宮は、が正面から見た所です。

説明書きはこちら

そして、賽銭箱にはと前田家の家紋が。
左は、剣梅鉢(加賀梅鉢)というもので、梅鉢紋自体が天神信仰に由来したもののため、
天神そのものの紋である可能性もあります。

右は五七桐紋といいまして、こちらは豊臣家から拝領した紋であるとのこと。
(ただし、前田家はこの紋をほとんど使用していないらしい)

←これが前田利家が誕生したことを記す碑です。

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