ハニスポの記事


2011年12月29日
2011年最後の更新

今年全く更新していなかったけど
どう考えたって
今年は例年以上に
人死に杉だろ・・・。

↓の表まとめていて
ウツになりそうだったわ
マジで・・・。

日付 氏名(敬称略) 職業 享年 死因 功績・代表作、等
5月12日未明 上原美優
(本名:藤崎睦美)
タレント 24歳 首吊り自殺 「大家族貧乏アイドル」として、テレビのバラエティ番組等に多数出演。
5月16日正午頃 児玉清
(本名:北川清)
俳優・司会者 77歳 胃癌 「パネルクイズ アタック25」司会(1975年〜)
5月21日 長門裕之
(本名:加藤晃夫)
俳優 77歳 肺炎による合併症 多数の映画、TVドラマ等に出演。
俳優・津川雅彦を弟に持つ等、芸能一家に生まれ、1961年に結婚した女優の故・南田洋子との“おしどり夫婦”としても知られていた。
6月10日夕方 川上とも子
(本名:倫子)
声優 41歳 卵巣癌 TVアニメ「少女革命ウテナ」、「ヒカルの碁」等、幾多のアニメーション作品に出演。
6月23日 ピーター・フォーク 俳優
(米国)
83歳 不明 TVドラマ「刑事コロンボ」の主人公・コロンボ刑事役で有名。
6月28日 小林修 声優 享年 膵臓癌 海外TVドラマの吹き替え等で活躍。
7月5日午前 和田慎二
(本名:岩本良文)
漫画家 61歳 虚血性心不全 代表作:「スケバン刑事」、「ピグマリオ」、等
7月12日午後 宮尾すすむ
(本名:山口進)
タレント 77歳 肺炎 テレビ朝日のワイドショー内の「宮尾すすむのああ日本の社長」コーナーで有名に。
7月17日午前 森孝慈 元・サッカー選手 67歳 左腎盂癌 1968年メキシコ五輪男子サッカー銅メダル
1981年日本代表監督に就任
以後、Jリーグの浦和、福岡の監督等を歴任
2006年日本サッカー殿堂入り
7月19日午前 原田芳雄 俳優 71歳 肺炎 壮年期〜中年期中盤には精悍な容貌を生かして、はぐれ者やアウトロー的な役柄で魅力を発揮し、数々の問題作や話題作に出演して、個性派俳優としての地位を確立。
中年期中盤〜晩年には貫録と落ち着きを持った父親役や老人役を演じて、演技の幅を広げた。
7月19日夜 ラモス初音 主婦 52歳 転移性肝癌 ラモス瑠偉・元サッカー日本代表選手の妻
7月23日 芦田豊雄 アニメーション監督 67歳 病死 キャラクターデザイン:
 「魔法のプリンセスミンキーモモ」
 「銀河漂流バイファム」
 「魔神英雄伝ワタル」、等
監督:
 「北斗の拳」、等
2007年日本アニメーター・演出協会設立、初代代表に就任
7月26日夕方 小松左京
(本名:実)
作家 80歳 肺炎 代表作(主にSF小説):「日本沈没」、「さよならジュピター」、「首都消失」、等
日本万国博覧会(大阪万博、1970年)、国際科学技術博覧会(つくば博、1985年)、「国際花と緑の博覧会」(1990年)プロデューサー
7月27日判明 伊良部秀輝 元・プロ野球投手 42歳 首吊り自殺 香川・尽誠学園高校−NPBオリオンズ・マリーンズ(1988年ドラフト1位指名)−MLBヤンキース(1997年)−MLBエクスポズ(現ナショナルズ)−MLBレンジャーズ−NPBタイガース(2003年)−現役引退(2004年)
通算成績:NPB72勝69敗11セーブ、MLB34勝35敗16セーブ
2009年に米独立リーグ、日本独立リーグでプレーしたものの、2010年1月に再度現役引退。
1994年パ・リーグ最多勝、1994、95年パ・リーグ最多奪三振
1993年球速158km/hを記録(当時の日本最速記録)
「伊良部クラゲ」の異名も。
8月3日 ババ・スミス 元・プロアメフト選手
(米国)
66歳 不明 元・NFLのスター選手
引退後は俳優に転身し、コメディー映画「ポリスアカデミー」シリーズのハイタワー役で人気を博す
8月4日昼 松田直樹 プロサッカー選手 34歳 急性心筋梗塞
(8月2日発症)
群馬・前橋育英高校−J1横浜F・マリノス(1995〜2010)−JFL松本山雅FC(2011)
元・サッカー日本代表通算40試合出場
8月5日午前 前田武彦 タレント 82歳 肺炎 「巨泉×前武ゲバゲバ90分! 」「夜のヒットスタジオ」等、司会者として活躍
8月9日夜 平光清 元・プロ野球審判員 73歳 肺癌 元NPBセ・リーグ審判部副部長
8月15日朝方 正力亨 元・読売新聞グループ本社社主 92歳 敗血症 元・読売新聞社社主正力松太郎氏の長男
1942年慶応大経済学部卒業後、読売新聞社取締役社主、日本テレビ放送網取締役、NPBジャイアンツオーナー等を歴任
8月21日午後 竹脇無我 俳優 67歳 小脳出血 時代劇「江戸を斬る」第1部で主演、時代劇「大岡越前」シリーズでは加藤剛演じる大岡越前を助ける友人の医師役で人気を博した正統派二枚目俳優
うつ病治療のため、一時活動休止するも復帰を果たした
8月29日朝方 滝口順平 声優
ナレーター
80歳 胃癌 声優業:テレビアニメ「ヤッターマン」のドクロベエ役、等
ナレーター:日本テレビ系「ぶらり途中下車の旅」(今年7月までに計958回)
9月2日午前 吉国一郎 元・内閣法制局長官
元・NPBコミッショナー
95歳 肺炎 1989年に第9代NPBコミッショナーに就任(歴代最多の3期9年間)
FA制度、逆指名ドラフト、プロ・アマ関係改善、日本人選手のMLB進出に伴う日米選手契約協定の見直しに尽力
1999年に特別表彰で野球殿堂入り
9月6日? 真田雅則 元・プロサッカー選手
サッカー指導者
43歳 不明 Jリーグ初期から、J1清水エスパルスの正ゴールキーパーとして活躍し、2004年の現役引退まで清水一筋でリーグ戦243試合出場
今季から清水のGKコーチを務めていた
9月9日 久万俊二郎 元・阪神電気鉄道会長 90歳 老衰 東京帝国大学(現・東京大学)卒業後、阪神電気鉄道会長およびNPBタイガースオーナーを歴任
NPBタイガースオーナーとして、1985年の球団史上初の日本一、1980年代後半〜2000年代初めの低迷期、2003年の勃興に立ち会った名物オーナーとして名を残した
9月21日夜 杉浦直樹 俳優 79歳 肺腺癌 「俺は待ってるぜ」で映画デビューし、映画「錆びたナイフ」等やTVドラマ「あ・うん」、「岸辺のアルバム」等で好演
2002年、舞台「あ・うん」で菊田一夫演劇賞受賞
10月5日発表 スティーブ・ジョブズ 前・アップルコンピュータ社最高経営責任者
(米国)
56歳 病死
(膵臓癌によるもの?)
アップルコンピュータ社(以下、アップル)創業(1976年)
史上初の「マウスを使用して、GUIを操作する」家庭用パソコン「マッキントッシュ」発表
アップル退職後、ピクサー・アニメーション・スタジオ設立
映画「トイストーリー」が大ヒット
1997年にアップルに復帰
2000年代に、携帯音楽プレーヤー「iPod」、多機能携帯電話「iPhone」、多機能端末「iPad」と、大ヒット商品を世に送り出した
10月20日判明 ムアンマル・アル=カッザーフィー
(呼称:カダフィ大佐)
国家元首
(リビア)
69歳 射殺 1969年リビア革命によって政権を獲得
長期にわたり政権維持するも、2011年春のアラブ・北アフリカ諸国での反政府運動を煽りを受けて勃発した内戦により政権崩壊
11月20日深夜 成田豊 元・電通会長 82歳 肺炎 電通の社長、会長を歴任し、電通を世界的な広告代理店に押し上げた
功績・代表作、等
11月23日判明 立川談志
(本名:松岡克由)
落語家 75歳 病死 1963年に「真打」に昇格し、5代目「立川談志」を襲名
社会的発言を好み、46年には参議院選挙に出馬して当選し、1期6年の議員活動も
歯に衣着せぬ毒舌で問題発言が多かった「落語界の異端児」
11月25日夜 西本幸雄 元・プロ野球監督 91歳 心不全 立教大学−星野組−オリオンズ(1905年、現・マリーンズ)−現役引退(1955年)−オリオンズ一軍監督(1960年)−ブレーブス一軍監督(1963〜73年、現・バファローズ)−バファローズ一軍監督(1974〜81年、現・イーグルス)
監督通算1384勝(歴代6位)1163敗118分け
リーグ優勝8回(オリオンズ1回、ブレーブス5回、バファローズ2回)も、日本シリーズ優勝0回故、「悲運の闘将」と呼ばれた
それでも、当時「リーグのお荷物球団」だったブレーブス、バファローズの両球団を「リーグの強豪球団」へと押し上げた手腕を持つ、NPB史上最高の「育成型監督」だった
12月1日朝 内山まもる 漫画家 62歳 病死 代表作:「ザ・ウルトラマン」、「リトル巨人くん」
12月4日 ソクラテス
(本名:ソクラテス・ブラジレイロ・サンパイオ・ジ・ソウザ・ビエイラ・ジ・オリベイラ)
元・プロサッカー選手
(ブラジル)
57歳 腸内感染症による敗血症 サッカーブラジル代表として、1982、86年のワールドカップに出場
1982年大会ではジーコ、ファルカン、トニーニョ・セレーゾとともに華麗な中盤を形成し、「黄金のカルテット」と呼ばれた
医師の資格も持つ事でも有名だった
12月9日 松園直已 元・ヤクルト本社副会長 89歳 心不全 双子の弟・尚巳(元・ヤクルト社長、1994年没)とともにヤクルトの経営に従事し、NPBスワローズのオーナー職にも従事(1998年〜2003年)
12月10日朝方 市川森一 脚本家 70歳 肺癌 1966年に「快獣ブースカ」で脚本家デビュー
「ウルトラマン」シリーズをはじめ、数々の人気TVドラマや映画の脚本を手掛けた
日本放送作家協会で理事長や会長を歴任
1988年「異人たちとの夏」で日本アカデミー賞最優秀脚本賞
2003年に紫綬褒章
2011年に旭日小綬章
12月17日朝 金正日 朝鮮労働党総書記
(北朝鮮)
69歳 心筋梗塞 1994年の父・金日成主席(当時)死去後、約17年間北朝鮮の最高指導者の座に君臨
12月20日夜 森田芳光 映画監督 61歳 急性肝不全 代表作:「家族ゲーム」、「メイン・テーマ」、「そろばんずく」、「キッチン」、「失楽園」、「阿修羅のごとく」、等多数
1983年「家族ゲーム」でブルーリボン賞やキネマ旬報賞、等
日付 上田馬之助
(本名:裕司)
元・プロレスラー 71歳 食物を喉に詰まらせての呼吸不全 大相撲から1960年にプロレス入り
長髪をまだらに染めていた事から「まだら狼」や「金狼」などと呼ばれ、悪役レスラーとして人気を博した
日付 杉原輝雄 プロゴルファー 享年 前立腺癌 1998年には前立腺癌になるも、闘病しながら生涯現役を貫いた
2006年の「つるやオープンゴルフトーナメント」で68歳10ヶ月7日の史上最年長予選通過記録を樹立
「中日クラウンズ」には10年まで51回連続出場(これも世界記録)
長男・敏一もプロゴルファー
通称「まむし」(しぶとい戦いぶりから)、「プロゴルフ界のドン」(全国のプロを束ねた事から)
 さて、今年のプロ野球は、今シーズン導入された低反発の「統一球」により、打者達の打撃成績が軒並み低下した「投高打低」のシーズンとなった。
 パリーグでは、そんな「統一球」をも物ともしない圧倒的なチーム力でのゴリ押し野球でパ・リーグ連覇(2年連続17度目)を果たし、実施以降8年間泣かされ続けたクライマックスシリーズをも、その圧倒的なチーム力で押し切って、悲願のクライマックスシリーズ制覇&日本シリーズ進出を果たした。
 一方セ・リーグでは、「統一球」に合致した緻密な野球でスワローズが首位をひた走ったのだが、9月中頃に故障者続出により勢いを失い始め、同じく「統一球」に合致した投手力を前面に押し出したドラゴンズが徐々に追い上げ、首位攻防4連戦の初戦当日に発表された落合博満監督の退任発表にも物ともせず、ドラゴンズがスワローズを追い抜いて、球団史上初のセ・リーグ連覇(2年連続9回目)を達成し、クライマックスシリーズも勝ち進んだ。
 日本シリーズでは、6戦まで両チームとも本拠地で勝てないという異例な展開となったが、最後はホークスが圧倒的なチーム力を以て7戦目をものにし、悲願の日本一を達成した。
 その一方で、「名将」落合監督を以てしても、

日本シリーズを前に
監督辞任を表明したチームは
日本一になれない
というジンクスを打破できなかった。

 ただ困った事に、その後開催されたアジアシリーズの決勝戦で、ホークスが韓国プロ野球王者・ライオンズに敗れ、日本のチームで初めて優勝を逃してしまった。

 その後、日本プロ野球の各種表彰選手が発表され、江藤慎一(ドラゴンズ・オリオンズ)以来40年ぶり2人目となる「両リーグでの首位打者獲得」を果たした内川聖一外野手(ホークス)がパ・リーグMVPを受賞し、セ・リーグ新人王には沢村拓一(ジャイアンツ)が選ばれて、ジャイアンツが4年連続新人王選出というNPB史上初の記録を達成した。
タイトル選手名
(セ・リーグ)
選手名
(パ・リーグ)
最優秀殊勲選手賞浅尾拓也
(ドラゴンズ)
内川聖一
(ホークス)
最優秀新人賞沢村拓一
(ジャイアンツ)
牧田和久
(ライオンズ)
ベストナイン
ポジション選手名
(セ・リーグ)
選手名
(パ・リーグ)
投手吉見一起
(ドラゴンズ)
田中将大
(イーグルス)
捕手阿部慎之助
(ジャイアンツ)
細川亨
(ホークス)
一塁手栗原健太
(カープ)
小久保裕紀
(ホークス)
二塁手平野恵一
(タイガース)
本多雄一
(ホークス)
三塁手宮本慎也
(スワローズ)
中村剛也
(ライオンズ)
遊撃手鳥谷敬
(タイガース)
中島裕之
(ライオンズ)
外野手長野久義
(ジャイアンツ)
糸井嘉男
(ファイターズ)
マートン
(タイガース)
内川聖一
(ホークス)
青木宣親
(スワローズ)
栗山巧
(ライオンズ)
指名打者フェルナンデス
(ライオンズ)
タイトル選手名
成績
(セ・リーグ)
選手名
成績
(パ・リーグ)
最多勝吉見一起(ドラゴンズ)
内海哲也(ジャイアンツ)
18勝
田中将大(イーグルス)
ホールトン(ホークス)
19勝
最優秀防御率吉見一起(ドラゴンズ)
1.65
田中将大(イーグルス)
1.27
最優秀救援藤川球児(タイガース)
41セーブ
武田久(ファイターズ)
37セーブ
最多奪三振前田健太(カープ)
192個
ダルビッシュ有(ファイターズ)
276個
最優秀勝率吉見一起(ドラゴンズ)
0.857
田中将大(イーグルス)
0.782
首位打者長野久義(ジャイアンツ)
0.316
内川聖一(ホークス)
0.338
本塁打王バレンティン(スワローズ)
31本
中村剛也(ライオンズ)
48本
打点王新井貴浩(タイガース)
93打点
中村剛也(ライオンズ)
116打点
最多安打マートン(タイガース)
180本
坂口智隆(バファローズ)
175本
盗塁王藤村大介(ジャイアンツ)
28個
本多雄一(ホークス)
60個
これにて2011年の記事の更新を終了します。
本当に来年こそは良い年になりますように。



2011年5月11日
東京埴輪スポーツ
ちょっと?
休業のお知らせ

<訃報>
 1966年に萩本欽一氏とお笑いコンビ「コント55号」を結成して、「飛びます、飛びます」と飛び回って一時代を築き、1970年台に入ってからは俳優としても活躍をし始め、お茶の間の人気者となった坂上二郎氏が、3月10日午前に脳梗塞のため、栃木県内の病院で死去した(享年76歳)。
 2003年に脳梗塞の発作を起こし、リハビリで萩本氏と共演するまで回復したものの、悲しいかな、病を飛び越えられなかった。

 日本テレビの社長および会長を歴任し、1996年から2003年まで日本民間放送連盟会長を務め、番組を審査する第三者機関「放送倫理・番組向上機構(BPO)」の設立に貢献。地上デジタル放送への移行にも尽力する等、放送業界に強い影響力を持っていた氏家斉一郎氏が、3月28日朝方に多臓器不全のため、東京都内の病院で死去した(享年84歳)。
 ちなみにナベツネ(渡邉恒雄氏)とは高校・大学と通じて先輩−後輩の間柄であり、盟友でもあった。

 4代社長・省一氏の長女であり、1987年に夫である5代目社長・惟道氏が急死したのに伴って6代目社長に就任し、以降24年間在任して、今年4月中旬に長男で副社長の省伸氏に社長職を譲る形で退任予定だった現・講談社社長の野間佐和子女史が、3月30日午前に心不全のため、東京都内の病院で死去した(享年67歳)。

 テレビアニメの草創期から制作に携わり、1970年に「あしたのジョー」で監督デビューを果たし、「エースをねらえ!」、「ガンバの冒険」、「ベルサイユのばら」等も手掛け、独自の演出スタイルで知られたアニメーション監督・出崎統氏が、4月17日深夜に肺癌のため、東京都内の病院で死去した(享年67歳)。

 伊藤蘭女史、藤村美樹女史とともに「キャンディーズ」を結成し、日本の歌謡曲の歴史に残るヒット曲を連発し、1978年の後楽園球場でのラストコンサートにて「私達、普通の女の子に戻ります。」という名言を残して解散した後、主に女優としてテレビ・映画で活躍(1989年の映画「黒い雨」で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞)を続けていた、”スーちゃん”こと田中(本名:小達)好子女史が、4月21日に東京都内の病院で死去した(享年55歳)。
 死去直後の記者会見において、結婚翌年の1992年(平成4年)に乳癌が見つかり、治療を続けながら芸能活動を続けていた事が明らかになり、昨年(2010年)に乳癌が再発し、その後各所で癌が転移したのが今回の死因となった。

 スポーツ界からも・・・
 東京・修徳高から1965年にオリオンズ(現・マリーンズ)に入団すると、4年目の1968年から3年連続20勝以上をマークした上、1969年8月16日のブレーブス(現・バファローズ)戦(西宮球場)で球団初のノーヒットノーランを達成し、1970年には25勝(8敗)で最多勝のタイトルを獲得してチームのリーグ優勝に貢献する等、オリオンズのエースかつリーグを代表する投手に君臨して、1980年にファイターズに移籍した後、1982年に現役引退(プロ17年間、通算534試合登板、175勝129敗8セーブ、1657奪三振、防御率3.20、最多勝2回、投手ながら通算15本塁打、オールスターに1966年から8年連続出場)した成田文男氏が、4月21日夕方に肝不全のため、岐阜市内の病院で死去した(享年64歳)。

 男子ゴルフでメジャー大会5勝(全英オープン3度(1979、1984、1988年)、マスターズトーナメント2度(1980、1983年))を含む通算87勝を挙げ、1999年世界ゴルフ殿堂入りする等、1970年代半ばから80年代にかけて一時代を築いたセベ・バレステロス氏が、現地時間5月7日深夜に出身地スペイン・ペドレーニャの自宅で死去した(享年54歳)。

 あと、この訃報は個人的に信じたくはなかったけれど・・・
 1990年のNHKの連続テレビ小説「凛凛と」で主演を務める等、幾多のドラマや映画で活躍していた俳優の田中実氏が、4月25日午後に自宅で首を吊っている所を発見され、病院に搬送されたものの、約1時間後に死亡が確認された(享年44歳)。
 所属事務所によると、仕事で悩んでいた様子はなかったとの事だが、同氏のブログの死亡前日の記事には意味深な文章が記載されていた。
 個人的には、若い時に刑事ドラマのレギュラーで活躍していた時を知っていて、徐々に貫録がつき始めて、2006年に放映された「ウルトラマンメビウス」では、防衛チームの隊長役を務め、そのキャラクターも「いつもは飄々としていて、かなり謎めいたものがありながらも、見ている所は見ていて、その時々に最適なフォローをする。」という、歴代ウルトラシリーズの防衛チームの隊長の中でも屈指の好キャラクターと思っていただけに、本当にあり得ない訃報だった。



 前日にジローさんが亡くなり、夕方あたりのテレビが追悼特番で埋め尽くされるんだろうなと思いつつ仕事を進めていた3月11日14時46分に、あんな事が起こるとはね・・・。
 しかも、起こってはならないそんな事が起こってしまい、今でも収拾できずに続いてしまっているし・・・。
 加えて、自粛ブームも節電ブームもあったよな・・・。
 プロスポーツでも、本拠地が被災したり、電力問題があったりして、日本プロ野球の開幕は延期(3月25日→4月12日)、既に開幕していたJリーグは4月23日にようやく再開・・・。


 当初、東京埴輪スポーツは日本プロ野球の開幕カード終了後あたり(3月28日あたり)に更新するつもりだったけど、 こんな状況ではとてもじゃないけど更新する気になれず、そんな気分のままズルズルと月日が経って、 あんな事が起こってから2カ月経ってしまいました。



てなわけで
東京埴輪スポーツは
再びやる気が出るまで
休業しちゃいます





 でも、その前に・・・

 残りたった11本なのに、17試合もかかってしまったけれど、

小笠原”GUTS”道大
プロ15年目
出場1736試合
(歴代4位の速さ)
での
プロ通算2000本安打
(NPB史上38人目)
達成

オメ!!





2011年3月7日
2011年最初の更新

って
今頃かいっ!!

<訃報>
 2011年の年始から、テレビアニメで育てられた自分にとって馴染み深い方々が亡くなられた。

 1980年代以降、「オレたちひょうきん族」や「笑っていいとも! 」等のバラエティー番組を手掛け、ビートたけし、明石家さんま、タモリの”ビッグ3”を始めとする多くの漫才師達やお笑い芸人達が世に知られるきっかけを作り、漫才人気やお笑いブームの仕掛け人として知られた元フジテレビプロデューサー・横沢彪(よこざわ・たけし)氏が、1月8日に肺炎のため死去した(享年73歳)。

 主にクールな二枚目役で知られ、それをベースに冷徹な悪役からユーモアあふれる三枚目までこなせて、数々の舞台やドラマ、映画で活躍した俳優・細川俊之氏が、1月12日に都内の自宅で点灯した際に頭部を強打し、意識がない状態で病院に救急搬送され、14日明け方に急性硬膜下血腫のため死去した(享年70歳)。

そして

元NHKディレクター

演出家

「ガハハおじさん」
「ベンちゃん」
こと
和田勉氏

1月14日
食道上皮癌のため
死去
(享年80歳)

 また、日本プロ野球関係者からも御1方・・・。

米ハワイ州マウイ島出身
日系2世

マイナーリーグを経て
1951年シーズン途中
ジャイアンツに入団

日本プロ野球
戦後初の外国人選手

外野手として
巧みな打撃と
米国仕込みの果敢な走塁で
ファンを魅了し
1952年から6年連続
打率3割以上
1954、56、57年には
首位打者
1957年には
最優秀選手(MVP)にも

川上哲治監督就任時に
戦力外とされ
1961年
ドラゴンズへ移籍
翌1962年
現役引退

通算成績
1219試合
打率.311
1337安打 82本塁打 482打点
163盗塁

現役引退後
9年間のコーチ職を経て
1972年
ドラゴンズ1軍監督

1974年
川上哲治監督率いる
ジャイアンツの
10年連続日本一
を阻止
かつ
ドラゴンズ
20年ぶりのリーグ優勝
を果たした

1977年の
ドラゴンズ1軍監督退任後も
4球団でコーチ職を歴任

1951〜88年

38年間連続
日本で
ユニフォームを着続けた

1994年
野球殿堂入り

  ”ウォーリー”
与那嶺要氏
(本名:Wallace Kaname Yonamine)

現地時間
2月28日真夜中
前立腺癌のため
米ハワイ州ホノルルにて
死去
享年85歳





 こうして更新をサボり続けている間にも、福島県民が何の所縁もない目黒区民を殺害し、ニュージーランドでの大地震で日本人留学生が巻き込まれたり、大学入試で携帯電話を使ったカンニング騒動等、日本は相当な有様であった。
 また、中東・北アフリカ諸国で市民デモが頻発し、体制崩壊や内紛につながる激震もあった。

 ただ、1月中旬には、サッカー日本代表がアジアカップ優勝を果たし、2月下旬の東京マラソンでは市民ランナーが3位入賞(日本人最高記録)して世界陸上の男子マラソン代表に選ばれる、という良いニュースもあった。

 2月1日に全12球団がキャンプインした日本プロ野球も、”ハンカチ王子”が話題を独占しつつも、各球団ともシーズンに向けての準備が進み、2月末にはオープン戦がスタートして、3月25日のシーズン開幕を待つばかり。


ハニスポの記事(10年7−12月)