ご訪問者の方の御意見U

98/10/22 01:45:01


「文法アンケート」と一緒に掲載しています!

 

たくさんの方々よりお寄せ頂いたアドバイス・ご示唆は謙虚に受け止め、今後の教育活動に生かしていく所存です。大変ありがとうございます。


たくさんのメールありがとうございます!

下記はFormによって送信された内容です。

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ADDRESS=**
NAME=****
_accept_html=anketoaccept.htm
generation:20=on
grammar-atukai-reason=現在必要な能力は英語でコミュニケーションをとることができるという能力だと思っています。その点で文法はそれほど重要性は持たないと考えます。だからといってまったく無視してしまうのも又問題であると思います。簡単な文法知識はやはり必要であると思います。ただ、教師が一方的に指導するのではなく、生徒自身に法則をできるだけ発見させることが大切なのではと思います。最後に教師がまとめるとよいのではと思います。
grammar-need-comment=文法といってもいろいろあると思います。高度な文法指導は必要ないとは思いますが、ある程度の知識は生徒にとって英語を理解する役に立つと思うので。
grammar-need-yes=on
job:student=on
kiso-4skills=on
kiso-taidokanshin=on
kisogakuryoku-comment=現在、中学1年生の家庭教師をしているのですが、教えていて思うのは最近の中学校での英語の授業はどうもコミュニケーションを重視しているためか、書く力、単語を読む力が乏しいように思います。その生徒自身に問題があるのも事実ですが、やはり、総合的な偏りのない指導が大切なのではないでしょうか。
tukaunakakara-housoku=on
woman=on
--------------------------------------------------------------------

Need:reading=on
Need:speaking=on
Need:writing=on
Sentence:ESP=英語をある程度知っている、使っている身としてはその有用性を否定できませんので「必要としている」、と答えるしかないでしょう。ただ、英語を「外国語」として訓練し、何とか使えるようになるまでに費やした労力が、本当に「日本人」に必要か、となるとこれはなんともいえません。生活上の必要性がまだまだ希薄な国において、その英語習得に費やす労力を別の分野に振り向けたほうがいいかもしれないとも思います。日本人が日本に居る限り、英語を使えるようになるかどうかというのは、ピアノを弾くのと同じではないでしょうか。誰でも鍵盤を押さえれば音は出ます、誰でも片言は話せるようになります。しかし曲を弾きこなすにはそれなりの訓練がひつようで、しかも訓練しても万人が弾けるようになるわけではありません。乱文失礼しました。
Sentence:Englishskill=おっしゃる通り読む力の向上だと思います。読み込んでいくと話す力はいつのまにかついているような気がします。また、このようにinternet上で文章による情報の取得に大きく役に立つと思います。

Sentence:Internet=一人に一台という状況が許すなら、すべての生徒というわけには行かないでしょうが、英語を理解したいというモーティベーションの一つにはなるのではないでしょうか。
_accept_html=anketoaccept.htm
comment=がんばってください。
generation:30=on
job:kigyo=on
man=on
request for JTE=細かい文法の間違いや、発音の違いには目をつぶって、英語らしい言いまわし、英語以外を母国語とする人の話す英語を体験的に教えてやってほしい。
NAME=*******
_accept_html=anketoaccept.htm
generation:40=on grammar-atukai-reason=文法は、効率よく英語を学習する上で重要。ただし、
昔ならった、あるいは書店で売られている日本の学校教育用の文法書にはやや幻滅する。
grammar-need-comment=
grammar-need-yes=on
job:kigyo=on
kiso-4skills=on
kiso-communication=on
kiso-grammar=on
kiso-kokusairikai=on
kiso-listeningandspeaking=on
kiso-others=on
kiso-readingandwriting=on
kiso-taidokanshin=on
kiso-wordsandphrases=on kisogakuryoku-comment=基礎学力とは、たとえばTOEIC400点以上というように、客観的でかつGlobalに通用するメジャーで議論すべきだと思う。その具体的なゴールを達成するために何をどのように学習していくかの方法を考えるべき。抽象的な議論
は時間の無駄。
kisogakuryoku-sonota-text=TOEIC等での評価
maijikanyaru=on
man=on
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NaME=*****
_accept_html=anketoaccept.htm
atukai-others=on
generation:30=on
grammar-atukai-reason=

grammar-need-Idontknow=on
grammar-need-comment=国勢です
**************USA
job:others=on
kiso-wordsandphrases=on
kisogakuryoku-comment=
man=on
----------------------------------------------------------------------------
NAME=***
_accept_html=anketoaccept.htm
generation:30=on
grammar-atukai-reason=中学生だった頃があまりに過去なので思い出せませんが、他の外国語を旅行などの目的で覚えようとした場合、英語は文の作り方を基本的に知っているということの有難さを感じます。grammar-need-comment=会話、文章の読み書きの補足として必要。
grammar-need-yes=on
job:others=on
kiso-communication=on
kisogakuryoku-comment=やはり、英語に限らず、学習すること、新しい情報に対してオープンな気持ちになることを「きらいにさせない」ことが重要なのではないでしょうか。
tukaunakakara-housoku=on
woman=on

日本人の頭の中には、どうも「お手本」が存在するようです。いつでもどこでも何でも、その「お手本」に忠実に従うことが、日本人の行動様式の特徴ではないでしょうか。
学校では、先生が生徒のお手本となり、会社では、上司が部下のお手本となり、家庭では、親が子供のお手本となる、つまり、日本のどこにも、自己をあるがままに明らかにすることは不必要なのです。日本人はあるがままの自己を明らかにすることに恐怖感を抱くようです。あるがままとは、日本人にとって、勝手でわがままな印象を受けてしまうからでしょうね。しかし、人間があるがままに存在することを受け入れられないのは、これこそ勝手でわがままなことではないでしょうか。一個の他とは異なる人格を持った人間として、相手を認めないのは、同時に自分自身もあるがままに存在することを認めないことでもありますね。それを認めてしまうと、子供の頃から植え付けられてきた「お手本」を捨てなければなりません。が、捨ててしまうほどに、日本人には、精神が成熟しておらず、また、主体性も確立されていないのですから。もっと言えば、個人主義に立脚した生き方ができないから、いつまでも「お手本」を大事に抱え込み、崇め奉るのでしょうね。個人主義とは、自己の全責任を引き受け、現実をあるがままに受け止め、そこに矛盾や葛藤が存在しようと、それらを現実的に解決していく姿勢ですね。つまり、一人の人間として世界に自己をあるがままに明らかにしていくこととも言えます。この「あるがままに」という表現で指し示す実体は、そのままではバラバラなものを強い主体の意思により統合していくという、実に危なっかしい行為のことです。そこには、リスクがありますが、それを恐れては、自由は得られませんね。絶えず、落ちるかもしれないという恐怖感と孤独感と戦いながら、一歩一歩ロープの上を歩く綱渡りの曲芸師のごとく、自己という個人をあるがままに明らかにすることは大変なことなのです。その大変さから逃げて、お手本にただ従うだけの生き方を選んだ日本人には、多分、個人主義は理解できないかもしれませんね。
お手本を捨てるか、それとも、一生、お手本にすがりついて自己の本来味わうべき自由を捨てるのか、いづれにせよ、主体的な判断を下さなければなりませんが、この主体的な判断自体が、個人主義からしか生まれないことを考えれば、結局、世間の常識というお手本に従って判断するしかないでしょうね。自分の理性で考え、自己の経験に裏打ちされた検証を行うことなど、どこの日本の学校でもトレーニングしませんからね。国語の時間に教えられることは、正しい文章の書き方、正しい文章の読み取り方等、どこにも自己の思想を表現できる場は一つもないことも事実です。作文しか書けない日本人には、自己の思想を体系化すること等不可能でしょうね。たとえ、できたとしても、その体系はお手本を元に作られたものかもせいしれないからです。知的探索を経験したことのない日本人は、知は力なり、と言ったベーコンの言いたかったことは理解できないでしょうね。知とは、現実との戦いを推進する原動力だということには、決して気付けないはずです。なぜなら、日本人にとって、知とは、単なる暗記する対象でしか存在しないからです
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>松本 光正wrote:

>松本です
>下記のようなご回答ありがとうございました
>私は中学英語に
>題材、トピック中心の
>情意面向上を目指した
>指導法を研究中です

>継続は力なりではないですが、
>1、 2回ならできてもなかなか
>今時の中学生、
>一遍とおりではうまくいきません

>しかし、継続的でかつ生徒が飽きずに
>英語の世界に親しむ方法がありそうです

>現在はGlobal Educationのコンセプトを
>活用すべく研究しています

>よろしければいろいろ情報交換しましょう

>このたびはありがとうございました

ネットスケープで日本語が読めたり書けたりするようになったのが嬉しくて、毎日日本のウェブをあっちこっち覗いています。アンケートは答えるのが嬉しいので書いてしまいました。特別意見を言うほどのものではないのですが、お返事が来たのが嬉しいので、またメールしてしまいます。
私はシカゴに住んでいるので、一応アメリカ人と普通の会話をすることにさほど不自由はありませんが、日本で英語の勉強など特別していないので、「使えるけど解らない」戦争花嫁軍団に近いと思います。戦争花嫁英語というのは、「アイ・メイキー・ライス、ユー・ガリー・ワラー(I make "it" rice, you got "it" waterで、なんでそこに"it"が入っちゃうの?という英語)」の世界ですね。日本で大学受験をした人は、ボキャブラリーがスゴいですね。それと、日本語で何と言うか、よく知っていて、うーん、なるほど!と思うことが多々あります。一度、国賓クラスの方の通訳などもやるという英文学の先生と知り合う機会があって、一緒に博物館に行った時は、展示してある解説文を、そのまま日本語にどんどん訳していかれるので、やっぱり本物のプロはスゴい(スゴいという形容詞ばかりで、日本語のボキャブラリーの少なさが露見していますが...)と感動しました。
私自身は、中学卒業までは勉強一般が好きだったので、特に中学の英語が難しかったとは思いませんが、特別面白くもなかったですね。英語は数学に似ていて、百点を取りやすい教科だったので、歴史とか国語の長文読解などが好きだった私にとっては、好きな教科でもなかったです。私が英語を勉強しようと思ったのは、社会に出てから、ある日突然「なんで私はデビッド・ボウイ(ファンなんです)の言っていることが理解できないんだ?」と思ったからで、それで「よし、イギリスに行ってしまおう!」という無謀な方向へ走ったのですが、やはり英語圏の何かに興味があるということが、一番なのではないでしょうか。それまでは外国のことより日本のことの方がずっと興味があったので、英語なんかわからなくて良かったし、わかりたいという気持ちも全くありませんでした。今は、映画でも、音楽でも、英語圏の情報がいくらでもあるし、そういうものに興味を持っている人は、やはり英語にも興味を持ちやすいだろうと思います。
聞いたり話したりは、結局慣れが一番ものを言うと思います。4年日本で英語を勉強するより、半年英語でしか生活できない状況にいる方が、英語を使うことはできるようになると思います。外国語を使うという点で、一番に障害になるのは、hesitateすることだと思うのですよ。それしか使えない状況にいれば、使うより他ないですから。それに、人間が通常使う言葉というのは、それほどたくさんないですからね。若ければ、若いほど、慣れるのが早いのはよく言われる通りです。でも、それも人それぞれで、そういう環境に無理に入れられた場合、例えば親に強制的に留学させられたりした人などは、むしろ何もかも拒否する性格になってしまうこともあるようなので、善し悪しかも知れませんが...。
やはり、言葉は道具ですから、使えればいいという考え方と、正しく使えなければ意味がないという考え方と、二通りあると思います。ノコギリをひける方がいいのか、きちんと手入れが出来て、ノコギリというものについて理解している方がいいのか、ということですね。日本人はともすると、「xx道」(茶道とか、華道とか)方向に行きやすいので、文法第一、ボキャブラリー優先というのは、どちらかというと、英語道なのではないかという気がします。実際に、こっちの英語道の方向に行かないと、試験に受からない傾向にあるようですし。多分、私なんかは英検とか、そういうのをやると受からないように思います。いまだにaとtheの使い方は解らないですし...。でも話すのには不自由がないのは、つまり、解らなかったところを聞き直せたり、他の言い方で知らない言葉を補うことができるからだと思います。例えば、インターセクションという言葉を知らなくても、こっちから来る道と、こっちから来る道が会うところ、と身振りを交えて言うことができたり、「待て、待て、もう一回言ってくれ」みたいなことがすぐ言えるので、話しは通じるわけですよね。実際には、個人として付き合っていく場合には、取り敢えず話が続いていることの方が、正しく文を作れることよりも有効な気がします。ビシネスでフォーマルな手紙を書くとか、そういう場合には適切な単語を知っていて、正しい文法を使うということが第一条件だと思いますが、そういうことは普通のアメリカ人なり、イギリス人にも難しいことなので、勿論できるにこしたことはないですが、そこに標準を当てる必要はないように思います。それよりも、ノコギリで木を切って、取り敢えず本棚が作ってしまえる、その本棚が歪んでいても取り敢えず使ってしまえることの方が、私は大切な気がします。
日本人と付き合う機会のあるアメリカ人と話すと、日本人には、英語は完璧だけど、話していて少しも面白くない人が結構いる、とよく言われます。そういう人より、英語は滅茶苦茶でも、XXっていう映画を見たと言った時に、あー、知ってる、知ってる、ここが面白かった、あの場面がきれいだったと答えてくれる人の方がずっと話していて楽しいよねぇ...と。英語を(外国語として)完璧に話せるような日本人は、きっと他のことに興味を持つ時間がなかったんじゃないか、と解釈するようですが、それじゃ折角名刀を持っていても、人斬り以蔵に斬られてしまう幕吏のようなものではないでしょうかね。人間として面白い人の方が、立派な道具を持っているだけの人よりも、私は好きですけど...。でも、やはり、人間的に面白い人が立派な道具を持って、初めて坂本竜馬になれるということでもあるわけですが...。話はズレてしまいますが、明治維新が面白いのは、坂本竜馬も桂小五郎も近藤勇も、剣士として免許皆伝だったというところにもありますよね。だから、道具の方を磨くことも大切だとは思うのです。でも、使わないつもりで磨いているものになんか興味を持てない、そういう人の方に人間的には面白味のある人が多いような気がします。
私が中学でやっていた英語が別に面白いとも思わなかったのは、教科書に書いてあることが、基本的に面白くないからだったと思います。英語はどちらかというと数学と似ていて、100点を取りやすい教科ではあったけれども、国語とか社会のように、面白いことが書いてなかったですから。「ベンはジョンより背が高い」なんてことは、ちっとも面白くないですよね。なんで、「長嶋は王より派手」とか、「馬場の足は猪木の足より大きい」とか、そういう、とりあえず目にして嬉しい名前を盛り込んでおくとか、「馬場は猪木より年が上だが、猪木の方が年収は高い」とか、「19xx年の成績では、王と長嶋と、どちらが三振が多かったですか?」とか、知って嬉しいことをやってほしかったと、今にして思います。今はインターネットもあるし、ずっと面白く英語を勉強できるような気がしますね。例えば、私はNBA(バスケットボールです。ご存じかも知れませんが)の大ファンなので、それ関連のサイトに明るいので例にしますが、「マイケル・ジョーダンのお父さんの仕事は何だ。答えはこのサイトにあるぞ!」と言って、英語で答えさせるとか、X−Fileのように日米同時放映(殆ど同時のようです)の番組を見て、そのファンの掲示板に出ているものなどから、その人はこの番組の最終回がどうなると予想しているかをレポートさせるとか、自分の予想を英語で書かせるとか、その選手なり、番組なりに興味を持っている生徒には苦にならないし、面白いだろうと思うのです。宇宙に興味のある子供ならNASAのサイトなんか、面白いに違いないし、車が好きな子なら、モーターショーのレポ―トなんか、私なんかよりずっと理解できたりすると思うんですよ。実際にその掲示板に書いた人とメールを交換したりして、展開があった場合はエクストラ・クレジットをあげるとか、見たことも聞いたこともないベンとジョンの話を覚え込まされるよりは、実際に自分の英語が通じた!という体験をする方が、ずっと本人も楽しいし、力がつくのではないでしょうか。例えば、アメリカなりイギリスなりにメール友達を持たせて、最上級の使い方を勉強した後で「今一番ヒットしている歌は何か聞きなさい」とか課題を与えて、どういう文章でそれを尋ねるか、帰ってきた返事で何がわからなかったかというようなことを検討するとか。インターネットだと、本当に文を送ったか、返事は来たかなどチェックできるし、その場その場で教科書の通りではない順序で英語を勉強していけるのではないでしょうか。実際に英語を使う状況になった時は、教科書の順番で新しい文型が出て来る訳ではないですから、そういう状態の時は、どうするといいのか(辞書を引くのがいいのか、基本が説明してある参考書を見るのがいいのか、英語を書いた相手にこれはこういう意味かと尋ねるのがいいのか、というようなこと)ということも勉強できれば、勉強するというのはどういうことなのか、ということも実感としてわかるし、いかに教科書というものがHelpfulであるかということもわかると思うのです。自分にとって興味のある題材が英語圏には情報としてない、というのは、かなり限られると思うんですよ。日本刀のことを説明している日本文化オタクなんて大勢いますし、ビートたけしなんかは公認サイトが日英バイリンガルですし...。これからは、やはりコンピューターやインターネット、情報一般を、どうやって利用していくのかということは、絶対必要な知識ですものね。

作家の椎名誠さんが、「中学時代が明るくて、楽しかった人なんかいるんだろうか」というようなことを何かに書いていましたけど、名言だなぁと思います。あのくらいの年の頃は、傷ついたり、落胆したりすることが異常に多くて、居心地の悪い時期だったと思います。もう、それほどのことでは傷つけなくなってしまっている大人には、本当に扱いにくいでしょうね。でも、先生って素晴しい職業だと思います。他人の人生に、先生くらい深く関われる職業ってないんじゃないでしょうか。そういうのは、あんまり好まれないのかも知れないですけど、私はやっぱり金八先生のファンですし、素晴しい先生にも巡り会っているので、そう思います。
どうでもいいことをたくさん書いてしまいましたけど、取り敢えず英語圏に住んでいるので、何か役に立つことがあればまたお便りを下さい。これからは少しずつお節介になって生きていこうと思っているので...。私は「取り敢えず」という言葉が好きです。先に結果を予測してしまわないで、興味のあることは、「取り敢えずやってみる」姿勢でいたいと思っています。
乱筆乱文失礼しました。では、また。
From the US
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Need:communication=on
Need:crosscultureUnderstanding=on
Need:selfexpression=on
Sentence:ESP=何度も言いますが、日本人という人はいないわけです。そのように十把一絡げにしてしまうことは、考え方として間違っていると思います。必要としているのは個人であり、そうした個人が多いか少ないかと言うことだと思います。
Sentence:Englishskill=社会の要請によってこれこれの英語能力が必要、という考え方は(これはなにも英語に限らないわけですが)もう終わりにしませんか。
先生方は、ビジネスのプロではなく、教科教授のプロなのですから、まずそのことに専心されてはいかがでしょう。英語が好きになる子どもが増えてくれば、英語ができる子どもばかりでなく、それを窓口にしてコミュニケーションに興味を持つ子どもや、言語そのものに興味を持つ子ども、異文化について興味を持つ子どもなどが増えてくるかもしれません。
好きにさせるための道具として、コンピュータは有効な道具の一つだと思います。
Sentence:Internet=自分の興味のあるサイトを見に行って、そこにかかれている英語を読みとろうとすることだけでも十分意味のあることだと思います。
たとえば、バスケットの好きな子であればNBAのサイトを、サッカーの好きな子であれば、イギリスのスポーツ情報を見に行くというように。
私自身、学生時代にアメリカンフットボールの知識を得たいがために、嫌いな英語を勉強しました。
E-MAILは、生徒個人個人がそれぞれアドレスを持たないのであれば、あまり意味がないように思うのですが、いかがでしょう。
Sentence:beginningage=日本の英語教育の悪いところは、英文をまず翻訳して理解するという作業を強いているところにあると思います。英語を英語として理解することが、英語上達への近道だと私は思っているのですが、それにはある程度小さいときから「慣れて」おくことが必要だと思います。
しかし、興味のないところに無理強いしても逆効果ですので、興味のもてる楽しい教材ができるのであれば、幼稚園くらいからでもいいと思います。_accept_html=anketoaccept.htm comment=「社会的に必要な」英語力というのはないと思います。あるのはあくまで個人です。
generation:30=on
job:kigyo=on
man=on
request for JTE=私は教科としての英語が嫌いでした。それは先生が嫌いだったからです。
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generation:30=on
grammar-atukai-reason=これは、私が塾で英語を教えていた時に、利用した方法です。
この方法だと、生徒の好奇心を刺激し、法則を発見する喜びを
与えることができると思います。
grammar-need-Idontknow=on
grammar-need-comment=どの程度の文法なのかによります。基本的な文法だけなら、必要ですが、それ以上の文法なら、必要ないですね。
job:kigyo=on
kiso-others=on
kisogakuryoku-comment=言語を自由に使うためには、まず、自分自身をよく知らねばなりません。そのためには、たくさん本も読んでほしいし、運動もしてほしいし、社会奉仕もしてほしいし、道徳も学んでほしいし、それらによって、始めて、自分の足に立脚した一人の人間に育つと思います。
kisogakuryoku-sonota-text=言語を使用するための土台となる精神の確立です。これには、道徳や日本社会における独自の価値観の育成をも含みます。
man=on
tukaunakakara-housoku=on
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Need:bodylanguage=on
Need:communication=on
Need:crosscultureUnderstanding=on
Need:listening=on
Need:manner=on
Need:others=on
Need:reading=on
Sentence:ESP=特に、「英語」とは思いません。他の言語でも構わないでしょう。ただ、英語は、ベーシックイングリッシュもあるので、言語構造的には、他の言語に比べて、基本構造を理解しやすいという利点がありますね。Sentence:Englishskill=英語という言語の基本的な運用力を身につけることです。
中学生という段階では、まだ、自我が確立されていないので、それ以上は、望めません。ただし、自我の確立は、日本文化に対応する自我と異文化に対応する自我とを分裂させるのではなく、それらを統合した自我の確立を意味します。でなければ、二重規範ということになり、二枚舌を使うことになってしまいます。どんな時でも、統合化された自我からの言動でないと、社会での一貫した対応はできないはずです。
Sentence:Internet=異文化に暮らす人達の生き方を知ること、人生哲学を知ること、思想を知ることに価値があるような気がします。Sentence:beginningage=音声重視の教育なら、歓迎です。これなら、早ければ、早い方がいいと思います。
_accept_html=anketoaccept.htm
generation:30=on
job:kigyo=on
man=on
-------------------------------
Need:communication=on
Need:listening=on
Sentence:ESP=日本人の先に挙げた欠陥が継承される原因は、一つには、言語が単一であることです。だから、英語とは限らず、他の言語も含めて、第二外国語は習得した方がいいと思いますが、外国語を習得したからといって、必ずしも、日本人の欠陥が治るという保証はどこにもありません。
Sentence:Englishskill=前にもお話ししましたが、言語を自由に運用するためには、それを使いこなす人に主体性が備わっていなければ、何を教えても無駄だと思います。
主体性とは、自我が統合化された段階で、初めて十分に機能する働きです。どんな力を備えているか、というと、創造力、想像力、思考力、判断力等ですね。また、自己と他者との心的分離が達成されることにより、思いやる心、共感、理解力等も発揮されることになります。
こうした段階に到達するように、生徒達に必要な環境を与えることが学校に役目ではないでしょうか。つまり、主体性を生き生きと発揮することのできる環境ですね。ところが、これを求めようとすると、日本における教育現場では、それが不可能なことに気がつくはずです。というのも、日本の国民性とはまったく相反するからです。
主体性は、個人主義的な生き方の上に成り立ちます。しかし、日本では全体主義が根深く浸透してしまっているため、主体的な判断、思考、観察等が育まれないのです。もし、それらを身に付けた生徒が突然転入してきた時、何が起きるか、わかりますか。帰国子女達が遭遇しなければならない「いじめ」が発生することになります。つまり、他と異なった個性、価値観を持った人間を認めない、また、排除するという恐ろしい現象を引き起こすのです。このような環境の中で、あなた方はどうやって自主性が育つような教育が可能だと考えるのでしょうか。伝統的に、日本人の人間関係には、根本的に欠陥が存在します。それは、相手に対して、規範の押し付け、決め付けをしすぎています。また、そうされることが、まるで当然のごとく受け入れてしまうことにも大きな問題があります。お互いに、相手の望んでいることを察し合い、それを絶対的な要求であるかのように受け取り、無意識にそれに従って行動してしまう日本人は、まるで自動人形のようでなりせん。あなたがたは、そうした自動人形を育てていることに気が付いているのでしょうか。もし、気が付いていないのなら、それはあなたがたが、もう自動人形になってしまった証拠ではないでしょうか。
Sentence:Internet=自己の主体性による自己判断が養われ、また、表現力、思考力も
養うことが可能です。でも、日本人の属性である依存性から解放されない
限り、インターネット依存症的な甘えた活用の仕方、あるいは、二重規範
から生み出される自我に立脚していない、本人も気が付かないうちに相手に
合わせてしまう発言等が絶え間なく生産される結果になるはずです。
また、日本人お得意の勝手な解釈から(これは言語理解に欠陥がある)、
おかしな文化理解が行われ、でも、それは日本国外から観察しなければ、
それが「おかしい」とは気が付かないまま、あたかもそのおかしな文化理解が
正しいものとして流布されていくという図式が想定できます。

Sentence:beginningage=音声重視のトレーニングならば、早ければ早い方がいいはずです。
_accept_html=anketoaccept.htm
comment=教育という言葉から、短絡的に「教えれば、わかる」とか「教えれば、身に付く」等といった固定観念に縛られている教師達には、心の観察などできるはずがありません。
generation:30=on
request for JTE=もっと心理学、あるいは、精神分析の理論について勉強してほしいと思います。あまりにも人間の精神的成長に対して、無知でありすぎるからです。それで、よく人間を教育できますね。
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atukai-others=on
communication-ishikishiteyaru=on
generation:40=on
grammar-atukai-reason=
文法指導とコミュニケーション能力の育成は表裏一体である
grammar-need-comment=コミュニケーションに必要だから

grammar-need-yes=on
job:politician=on
job:schoolrelative=on
kiso-4skills=on
kiso-communication=on
kiso-grammar=on
kiso-kokusairikai=on
kiso-listeningandspeaking=on
kiso-readingandwriting=on
kiso-taidokanshin=on
kiso-wordsandphrases=on
kisogakuryoku-comment=基礎学力は相対的なものである。文法の指導のみが基礎学力の育成であるとは限らないと考える。コミュニケーション活動においても基礎学力は育成されるし文法能力も育成される。言語活動をとおしての学習活動という観点もこれからは必要となる
man=on
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communication-ishikishiteyaru=on generation:10=on grammar-atukai-reason=6年間も英語を習ったけど、結局話せるようにならなかったから。
grammar-need-comment=いくら文法が分かっても、話せなければ意味がないと思う。
grammar-need-no=on
job:student=on
kiso-grammar=on
kiso-wordsandphrases=on
kisogakuryoku-comment=

shizenni-grammar-iranai=on
woman=on

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communication-ishikishiteyaru=on
generation:30=on
grammar-atukai-reason=一番多感な時期にこそ、英語をコミニケーションに媒介する事を生徒に体感させて、実際に使えるようにするべき。文法指導は、高等学校からでも遅くはない。あなたは、日本語を喋るようになるのが早かったですか?、日本語の文法を習うのが早かったですか? 英語だから、文法を学んでからというのは非常に不自然とおもえるのですが。
grammar-need-comment=本来、英語教育或いは、外国語教育というのは、その国の人とコミニケーションを取る手段であるべき。中学校に於いて、難解な文法をその指導の中に組み込むというのは、歴史の教育の中に例のXX慰安婦問題を出すのとかわりない。海外赴任して、妻が英語をはなせないまま赴任を終えるのに、子どもは私などよりネイティブな英語をすらすら喋ってしまう。この事実を、教師の諸君も考察して頂きたい。
教育は生き物でしょう、過去の負の遺産を何時までも後生大事に持ってるときではありません。
特に、昨今はアジア諸国の勃興が激しく、中国、台湾、韓国、インドネシア、マレーシア、シンガポール、どの国でも、日本でいう中等教育を終わる時点で、100%とは言わないがかなりの高い割合で英語でのコミニケーションを生徒が図れる様になっている。
この点を日本に当てはめると、何人の生徒が英語を
他国人とのコミニケーションに使えるのか!

grammar-need-no=on
job:kigyo=on
kiso-listeningandspeaking=on
kiso-readingandwriting=on
kisogakuryoku-comment=中等教育は、義務教育です。
生徒の100%に聞く・話す・読む・書くこの4つの教育を行い、100%出来るようにするのが勤めと思います。
現在の文部省の施策は、あまりにも多くのカリキュラムを
あげすぎています。
しかし、それを全ての生徒に理解させる事が出来ていますか。義務教育とは、全てを理解させて、使えるようにする事です。それが、出来なければ詐欺ではありませんか。
金を払ったのに、そのサービスが完全でないというのは
世の中では、詐欺罪が適用されて当たり前ですよ。
そのような事を踏まえて、出来ることを「基礎学力」とするべきと思うのですが。文部省の木っ端役人が、机の上だけで考えた様には世の中は進んでいません。21世紀を担う子供たちに、日本は外国語教育も行っていないのかと他国人に言われてはなりません。

man=on
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_accept_html=anketoaccept.htm
communication-ishikishiteyaru=on
grammar-atukai-reason
grammar-need-comment英文を読むには、当然文法は必要だと思います。
grammar-need-yes=on
kiso-4skills=on
kisogakuryoku-comment

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_accept_html=anketoaccept.htm
communication-ishikishiteyaru=on
generation:30=on
grammar-atukai-reason= 言語について深く勉強した覚えはありませんが、そもそも言語は意志疎通のために発達してきたものと(文学については意志疎通の後)考えます。しかるに語学勉強の第一目的は意志疎通のためであり、また、単語を覚えるだけでなく文法についても指導するべきだと思います。
grammar-need-yes=on
job:kigyo=on
kiso-communication=on
kiso-listeningandspeaking=on
man=on

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NAME=***********
_accept_html=anketoaccept.htm
communication-ishikishiteyaru=on
generation:40=on
grammar-atukai-reason=通じればよい
grammar-need-comment=必要最小限
grammar-need-yes=on
job:kigyo=on
kiso-listeningandspeaking=on
kisogakuryoku-comment=

man=on

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generation:30=on
grammar-atukai-reason=これ以外の方法でも英語が身に付くとは思う。
しかし、
生徒側は自分で考え習得していくほどの能力が無い。
先生側は決められた教材以外で指導できるほど能力が無いし、英語に詳しく無い。結局何も身につかない授業になってしまう。
grammar-need-yes=on
job:kigyo=on
kiso-grammar=on
kiso-readingandwriting=on
kiso-wordsandphrases=on
kisogakuryoku-comment=基礎学力としては、チェックした3項目をあげることができる。
l 聞く・話す能力(4技能の総合力)は必要だが、残念ながら指導できる能力のある先生がいない。
l コミュニケーション能力は、基礎学力が身についたあとの能力であり、これこそ指導できる先生はいないであろう。
l 関心・意欲・態度は、学力ではない。
l グローバルな視野にたった世界の言語や文化に関する知識、理解力は、英語の授業で学ぶべきことではないし、生徒もまじめに学ばないであろう。
現在の中学では、英語を全く話せない先生が英語を教えている。日本における英語の権威が考えた一番良いと思われる学習指導要領に従って英語を教える以外方法はなく、結局それが、一番能率的で、早い方法だと考えられる。
maijikanyaru=on
man=on
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communication-ishikishiteyaru=on
generation:10=on
grammar-atukai-reason=上にも書いたように文法は会話ができてこそです。英語を話せないようでは勉強したって無駄。
grammar-need-Idontknow=on grammar-need-comment=文法教育は会話の次にくるべきものだとおもいますしかし、今の日本ではそういった教育は出来ないとおもいます。
job:student=on
kiso-grammar=on
kiso-readingandwriting=on
kiso-taidokanshin=on
kiso-wordsandphrases=on
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NAME=********
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Sentence:ESP=特に、「英語」とは思いません。他の言語でも構わないでしょう。ただ、英語は、ベーシックイングリッシュもあるので、言語構造的には、他の言語に比べて、基本構造を理解しやすいという利点がありますね。Sentence:Englishskill=英語という言語の基本的な運用力を身につけることです。
中学生という段階では、まだ、自我が確立されていないので、それ以上は、望めません。ただし、自我の確立は、日本文化に対応する自我と異文化に対応する自我とを分裂させるのではなく、それらを統合した自我の確立を意味します。でなければ、二重規範ということになり、二枚舌を使うことになってしまいます。どんな時でも、統合化された自我からの言動でないと、社会での一貫した対応はできないはずです。
Sentence:Internet=異文化に暮らす人達の生き方を知ること、人生哲学を知ること、思想を知ることに価値があるような気がします。Sentence:beginningage=音声重視の教育なら、歓迎です。これなら、早ければ、早い方がいいと思います。
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NAME=********
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grammar-atukai-reason=これは、私が塾で英語を教えていた時に、利用した方法です。
この方法だと、生徒の好奇心を刺激し、法則を発見する喜びを
与えることができると思います。
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grammar-need-comment=どの程度の文法なのかによります。基本的な文法だけなら、必要ですが、それ以上の文法なら、必要ないですね。
job:kigyo=on
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kisogakuryoku-comment=言語を自由に使うためには、まず、自分自身をよく知らねばなりません。そのためには、たくさん本も読んでほしいし、運動もしてほしいし、社会奉仕もしてほしいし、道徳も学んでほしいし、それらによって、始めて、自分の足に立脚した一人の人間に育つと思います。

 

 

 

NAME=
_accept_html=anketoaccept.htm generation:10=on grammar-need-comment=文法等基礎的なことを知らなかったら結局かたことの英語しか話せなくなると思う。
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tukaunakakara-housoku=on
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grammar-atukai-reason=文法指導というものの定義があいまいなのでどの項目も選びようがない。上から2番目が比較的近いが、コミュニケーションを意識した文法はいわゆるオーソドックスな文法指導とはことなってくると思う。したがってアンケート項目の中の「文法も一応やるが」というときの、一応やる文法の中身が問題。
grammar-need-Idontknow=on
grammar-need-comment=現在の学校で教えられる英文法は、さる高名な大学教授がある論争の中で、先生方に「あなたは関係代名詞を『関係代名詞』ということばを用いずに教えることができますか」と英語の先生がたに問いかけて、伝統的な英語教育を擁護したことからもうかがえるように、教える側には都合がいいが、学ぶ側にとってみれば、分かりづらく、矛盾点が多く、場合によっては英語の脱落者を生み出す原因となりうる。だから、現在の英文法をそのまま教えることには賛成できない。中学生に英語ということばの性質を分かりやすいことばで説明する、英語の学習を促進する上で有効であると思う。
job:others=on
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kisogakuryoku-comment=「コミュニケーションのための英語」などということが日本の英語教育界で問題にならない日が一日も早くきてほしい。外国語はコミュニケーションのための道具として学ぶというのは、世界のどこでも決まり切ったことである。教養や試験でいい点数をとることなどは、いずれもことばとしての英語力がついていくときの副作用だと思う。
man=on


NAME=
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generation:40=on
grammar-atukai-reason=帰納的に文法を教えることも大事だが、日本語と構造の違う英語においては、文法知識を先に出してしまった方が、理解が速い場合も多い。その際、文法用語を教えるのではなく、このようなことを表現するにはこの言い方が必要だ、というふうに教えたい。
grammar-need-comment=全く日本語と語順の違う言語ですから、たくさんの英文にふれて
なれたころに、英語の語順をしっかり教えるのが大切ではないでしょうか。話したり、聴いたり、また書いたり読んだりにも必要な知識だと思います。でも、こむつかしい文法ではなく、あくまでも語順を重視した文法指導でよいと思います。
grammar-need-yes=on
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kisogakuryoku-comment= コミュニケーションという言葉が声高に叫ばれれば叫ばれるほど、学校の英語教育は浮き足だってきたのではないか、という懸念を感じます。「話すこと」や活発に生徒が活動する授業がもてはやされる一方で、コミュニケーションを「ただ楽しく英語を発すること」のようにとらえる風潮があるのではないでしょうか。将来的に自己表現を確実なものにするためにも地道な文法力、語彙力、読解力が必要だと思います。
私自身、アメリカの大学で勉強し、教員になった頃は「コミュニケーション第一!」と勢い込んでやってきましたが、時がたつにつれ益々地道な学習が第一だと思うようになっています。
woman=on

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ADDRESS=富山県
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generation:30=on
grammar-atukai-reason

grammar-need-comment
grammar-need-yes=on
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kisogakuryoku-comment

kisogakuryoku-sonota-text=日本語自体の操作能力及び理解力
tukaunakakara-housoku=on
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ADDRESS=

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Sentence:ESP=日本というEFL環境で一般の学生のESPを特定するのはたいへんむずかしいです。しかし、だからといって英語教育を否定するのも早計のような気がします。

この話を煮詰めていくと渡部・平泉論争に発展しそうですね。

結論からいうと、たとえ、はっきりしたESPがなくても英語教育は中学生、できれは、小学生にも必要だというのが私の考えです。近視眼的にいまの日本国内での英語の必要性にだけ目を向けるのは危険です。

今日の英語の国際共通語としての勢いをみると、近い将来、日本人(一般の人)も英語を日本語同様に、コミュニケーションの道具としてあやつらなければならないような時代が来るような気がしてなりません。具体的には、日本もフィリピンやシンガポールに近いバイリンガル国家に近づいていくということです。もちろん制度上のもんだいがありますから、完全なバイリンガル化は無理ですが。

ESPがはっきりしているにこしたことはありませんが、それが無い場合は、やはり教師の動機づけで、なんとか子供たちの学習を来るべき時まで持ちこたえさせなければならないと思います

でも本当に日本の英語教育はむずかしいです。

 

参考までに

needs analysis をしたり、具体的な到達目標を設定したりして、カリキュラムを作成します。これは大学だけでなく、初等教育でも同じです。もちろん周りが英語だらけですから、環境にたすけられることも多いのですが、ESLでの勉強が一番役に立つことは確かです。

本当に理想的な話になりますが、日本の英語教育もこのESLのような機能を若干でも果たすことができればいいと思います。つまり私たちが教えている生徒が英語圏の学校に転校したとき早く周りの生徒に追いつけるような英語の力をつけてやることを目標にするということです。ですからやはり英語教育は早めに開始し、簡単な事柄を簡単な英語で学ぶことから、スタートするのがベストだとおもいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

Sentence:Englishskill=

中学生にかぎらず、高校生も、大学生も、社会人も、コミュニケーションの出発は聞くことから始まります。この技能が身についていないと、悲しいことになります

Sentence:Internet=

インターネットを自分の勉強の道具としてまずは使ってみるとよいでしょう。

Sentence:beginningage=大変良いことだと思いますが、それをどう中学、高校につないでいくかを論じるべきでしょう。いくら小学校で聞く、話す教育に力をいれても、中、高校の英語教育あるいは大学入試制度が現状のままでしたら、何にもならないと思います。

_accept_html=anketoaccept.htm

comment=日本。とてもおもしろいアンケートです。私は中学校の英語教師で現在アメリカの大学院でTESLを専攻しています。みなさまと意見交換をしたいです。

generation:40=on

job:teacher=on

woman=on

 

ADDRESS=

NAME=

Need:listening=on

Need:reading=on

Sentence:ESP=

Sentence:Englishskill=

中学生にかぎらず、高校生も、大学生も、社会人も、コミュニケーションの出発は聞くことから始まるので。

Sentence:Internet=

インターネットを自分の勉強の道具としてまずは使ってみるとよいでしょう。

Sentence:beginningage=

_accept_html=anketoaccept.htm

comment=日本。とてもおもしろいアンケートです。私は中学校の英語教師ですが現在の日本の英語教育には

generation:40=on

job:teacher=on

woman=on

 

ADDRESS=

NAME=

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communication-ishikishiteyaru=on

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grammar-atukai-reason=英語教師も英語文法しか分からないのに、自然に英語を身につけるには今は無理だと思う。

grammar-need-comment=文法を全く無視はできないと思う。

grammar-need-yes=on

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woman=on

 

 

 

 

 

 

ADDRESS=.ac.jp

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communication-ishikishiteyaru=on

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grammar-need-comment=日本人のようにほとんど英語圏の人と自然に接する機会のない場合、文法を学んだほうが脳への定着がよいのではないでしょうか。問題なのは、教師にもよりますが、全体的な傾向として、文法に偏っているということであって、文法の指導自体は欠かせないと思います。

grammar-need-yes=on

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kisogakuryoku-comment=英語をlearnしたというのは、どの状態を言うのかということについて文献を読んだのですが、まず英語を聞いた時に、その文章が頭で映像化できる能力、そして、自分の頭にstockされているものを使って、自分の意思を表すために文を組み立てる力、応用力があることと書いてあったと思います。

tukaunakakara-housoku=on

woman=on

 

ADDRESS=.co.jp

NAME=

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communication-ishikishiteyaru=on

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grammar-need-comment=ただ文法通りでないと英語は通じないと思いかませるような教育は良くない。英語はあくまで言語で意志の疎通が出来ることを優先すべき

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man=on

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grammar-atukai-reason=文法を数学の公式のように教えて記憶させることのみに終始しているが、理屈を把握させることを優先するべきである。

kisogakuryoku-comment=特に日本語は論理的に文体を説明できないので、その調子で外国語も習得させようとする傾向が多い。
英語は論理的に教えることを第一とし、本来日本語に一対一対応しない単語を無理に英和辞典で覚えさせることはしないで、英英辞典の形式で日本語で意味を説明する授業が望ましいと考える。
しかし、英文和訳を本旨とする学校教育では、英語圏の物の考え方のようなものは理解させる必要がないのかもしれない。つまり、英語を架空の言語と見做し、日本語化することが正しいとする
今の学校教育からは聞く・話す・読む・書く能力の向上など望む方がおかしいのかもしれない。
例えば、未だに兄、弟を無理に日本的な思考で結び付ける教育(諸外国ではナンセンスとされる)をしている限り、日本の外国語習得の将来は暗いだろう。

man=on


grammar-atukai-reason=日本語を我々がどうやって話せるようになったかを考えれば、この回答はごくゥ然な発想であることがわかるとvいます。
grammar-need-comment=まず、話せるようになってから文嘯笊カ法を教えて下さい。中学では、英語をタ技系のu付けテストもやめて、まず英語でゥ分について語れるというようなことを目標としたらどうかとvいます。
grammar-need-no=on
kiso-communication=on
kiso-kokusairikai=on
kiso-others=on
kisogakuryoku-comment=基礎学力としてまず必要なのは、ゥ分の感情と言葉が日本語を介さないで結びつくことだとvいます。例えば、「うれしい」や「悲しい」という感情をすなおに英語で口から出せることがもっとも基本だとvいます。рフ長男が今年中1になります。英語のGネルギーをgわされるかとvうと心が痛みます。皆さん、熱心な先生方だとvいますので、英語のv、どうぞ頑張ってください。
kisogakuryoku-sonota-text=英語の言葉ひとつひとつをゥ分の感覚で捉えること。
man=on
ob:kigyo=on
shizenni-grammar-iranai=on

grammar-atukai-reason=文法を数学の公式のように教えて記憶させることのみに終始しているが、理屈を把握させることを優先するべきである。
kisogakuryoku-comment=特に日本語は論理的に文体を説明できないので、その調子で外国語も習得させようとする傾向が多い。
英語は論理的に教えることを第一とし、本来日本語に一対一対応しない単語を無理に英和辞典で覚えさせることはしないで、英英辞典の形式で日本語で意味を説明する授業が望ましいと考える。
しかし、英文和訳を本旨とする学校教育では、英語圏の物の考え方のようなものは理解させる必要がないのかもしれない。つまり、英語を架空の言語と見做し、日本語化することが正しいとする
今の学校教育からは聞く・話す・読む・書く能力の向上など望む方がおかしいのかもしれない。
例えば、未だに兄、弟を無理に日本的な思考で結び付ける教育(諸外国ではナンセンスとされる)をしている限り、日本の外国語習得の将来は暗いだろう。

grammar-atukai-reason=語学は,後に知識が必要になるけれど,あくまで相手がいるものだと いうことを意識させたいから.伝えよう,分かろうとする姿勢を教え る方が,知識を与えるより必要でしょう.

grammar-need-comment=最低限のもの.話したりする機会が増えれば,分からないときに 自分で調べようという気も怒るでしょう.

grammar-need-yes=on job:student=on kiso-grammar=on kiso-others=on kiso-wordsandphrases=on kisogakuryoku-comment=最低限の単語や文法は知らないと話せないのでチェックしましたが,あと は話そう,聞こうという心の部分です.中学生の時点で,日本文化などに 深い理解があるとも思えません.ところでコミュニケーションとは,話し たり聞いたりする能力を含まない選択肢としておいてあるのですか?ボデ ィーランゲージか何か?

kisogakuryoku-sonota-text=語学は相手がある生きたものだという認識.(それがあれば,話さなきゃ,聞かなきゃと思うと思うので.)



grammar-atukai-reason=偏るのはよくないが、文法ができなければ正しい英語を身につけることができないからだ。

grammar-need-comment=二三年になったら必要であると思います。文法はルールであり、数学でいう公式の様なものです。抽象的概念を操作できる年齢であれば、文法を教えることは有用であると思う。

grammar-need-comment=これは、最低限必要でしょう。現在の学校教育のように、『文法だけ』(というか、過度に文法に 重点を置く)のは問題だと思いますけれど、全くなくなってしまったら、それも問題です。 外国に住んで、肌で英語を覚えるわけではないのですから、文法を一切やらないで、 自然に英語を覚えるのは不可能だと思います。



Sentence:ESP=その人の生き方にも因りますが、少なくともその人の 可能性や生き方の選択肢を広げる、という意味では非常に 重要であると思います。

‘英語が出来たらこれもできるしあれもできるし・・’と いうことは非常に多いと思います。 Sentence:Englishskill=基本的ですが・・ 中学→まず英語を好きになる。 積極的にネイティブに話しかけられる能力 そのために必要なある程度の文法力 最終的に →読む・話す・聞く 能力の総合力

これからのビジネス社会では、英語は必須となりましょう。 インターネットの普及で平易に全世界から情報を得ることが可能となりましたが、 それはまず全て公用語である英語です。このインターネットを一例に、今後の 情報化社会を鑑みると、益々‘英語を手段として使いこなす’必要性が 増してくるように思えます。

次に、語学取得という観点から見ると、まず触れることが大切です。 言語取得は、若いほど良いと言われています。よって、英語を始める初期 段階で英語に対して能動的に‘取得したい!’というインセンティブを与えるこ とが重要ではないかと思います。好きであれば、英語を取得するのはそんな に難しいとは思えませんので。

Sentence:Internet=海外の学校と交流を持つまでに発展させられれば、 利用価値があると思います。 インターネットは学習の手段であり、目的ではない、 ときちんと認識しないと、単なる‘インターネットを 覚える’ことのみに終始してしまう危険性もあると 思います。

インターネットはさまざまな情報を得られるもので あるだけに、逆に使い方を誤るとさまざまなリスク も考えられるのではないでしょうか? Sentence:beginningage=早ければ早いほど良いと思います。 日本語をある程度取得した小学校2年生位からでしょうか?

理由;言語学上、言語取得は早いほど上達も早いし取得能力 も優れていると言われています。


grammar-atukai-reason=規則の羅列、それも経験的な手応えをつかむことが出来ないような規則を覚えさせられることは、生徒にとっておもしろくないので、英語の授業に対して失望感を与えてしまうから。

grammar-need-Idontknow=on

grammar-need-comment=既成の伝統文法にのっとった物は必要ないと思います。

 これから特に仕事などで必要に迫られることは少ないと思いますが、 外国から見た日本人のスタンダードというのは世界共通言語としての 英語を話せる人が少ないと言うことだけで、低く見られているところ があるように感じます。私も実際に「日本人は何であんなにも英語が 苦手なのか」と言う質問を外国人にされたことがあります。ビジネス という点から見ても、通訳という手段を取るよりは本人が英語を話せ る方が遥かに信頼性があります。また外国人との一対一のコミュニケ ーションとなると、英語は不可 欠です。

Sentence:Englishskill=オーラルでのコミュニケーション  私自身新宿の某英会話学校で英語を教えていたことがありますが、 英文科の学生でさえ知識はあるもののほとんど話すことができない、 また英語が聞き取れない人が少なくありませんでした。 Sentence:Internet=E-mailで国際交流ができたらとても良いことだと思います。 とくに日本人は警戒心が強く外国人とのコミュニケーションが苦手です。 しかしこう言った国際交流を中学校の時から経験しておけば、他国の人々 への理解も深まり、コミュニケーションとしての英語に、関心度が高まる と思います。また、インターネットには色々な英語があふれています。そ れを利用しない手はないのではないでしょうか。(アメリカの幼児向けの サイトなど、、、)

Sentence:beginningage=三歳〜小学校三年生位が最適だと思います。  言語能力というのは生まれてから十二歳までの間に確立されるとい うことを聞いたことがあります。私自身小学校にあがる前の数年間、 母親と一緒に英語の勉強を絵本や音楽をとおして学びました。その結 果、中学校に入学し、英語の授業が始まったとき、小学校の間は英語 にふれることがなかったにもかかわらず、発音とヒヤリングに関して は他のクラスメイトと比べても、かなり優れていて、英語が一番の得 意科目になりました。



Sentence:ESP=普通はいらないでしょう… 日本人も、フランスの人のように安易に他の国の言葉を使わないようにしていればよいのです。 (日本語にほこりを持ちましょう) Sentence:Englishskill=語彙とよばれる、英語←→日本語の言葉の力ではなく、英語で考えることが可能になる考え方。 いっそのこと、英和辞典/和英辞典を使用禁止にして、英英と国語辞典で英語の本を読んだ方が勉強になります。

Sentence:Internet=E-mailは、相手がいないことにはどうしようもありません。 非常に豊富なWWWの情報を検索するためだけでも,「基本的な」英語として大切でしょう。

Sentence:beginningage=やはり中学生。 小学校は、はやいでしょうねぇ。ことばを少し、勉強してからの方がよいとおもいます。 実際、日本語の文法なんて中学生からでしょう(活用などのはなし)?



Sentence:ESP=英語を学ぶことはいろいろな意味での発見がある。 1。言語の順序が違う。 2。英語圏の発想が違う。(家庭を大切に。数を数える時の指の折形。お金の返金の仕方など。) 3。最大の必要性は現在の国際社会において国際語であるということだ。

Sentence:Englishskill=英語を使って何をするのかを教えていく必要がある。 英語は道具であり、その道具を使って良くも悪くもできる。 人を苦しめるために英語を使うのか、それとも悩める人、苦しんでいる人を助けるために使うのか。 英語を話せる、それ自体がどうということはない。 言語は誰でも話せるようになる。その良い例が中学二年生を教えているが、全員が日本語の達人である。たとえ走るのが遅い生徒であっても、体育が苦手な生徒であっても そういった言語というものを根底的に教えてやるべきである。

Sentence:Internet=財政的に難しい。 さらにまだ始まったばかりでよくわからない。

Sentence:beginningage=小学校から英語教育が入ることに関しては、外国人にたいして違和感を持たなくなるという意味では良いと思うがそれ以上は望まない。 また外国人の導入は英語を話す東南アジア系、黒人の人たち、などをもっと増やすべきである。 まだまだ我々の心にはなじまない面があり、克服するという意味では小学校から導入に賛成だ。

comment=ALT(AET)の活用は難しい。生徒の外国人にたいする恥ずかしいという意識を変えなければならない。 generation:40=on job:teacher=on man=on request for

JTE=常に自己研鑽が必要。できれば日本人の英語の先生の間では英語を使って日常的に話してはどうか。



Sentence:ESP=現在の社会状況から考えて、「英語ができ て有利な時代は終わり、英語ができない と不利な時代」になったと思う。教師に なる前、民間企業にいたが、たとえ国内 営業でも英語が必要になる場面はいくつ かあったし、TOEIC受験を義務づけていた。 ただし、これは大卒対象であった。日本人 全体から考えれば、真の必要性はそれほど ないと思うし、英語は知識科目でなく実技科目なので 音・美・書の横に純粋な選択科目として英語が あればよいし、大学入試からもはずれれば英語教育 がもっとよくなるような気がする。

Sentence:ESP=難しい質問ですね。

英語が流暢であることによって、新しい可能性が拡がること は間違いありませんが、それは、他の(例えば日本語・日本 文化・日本歴史教育)学ぶべき事を犠牲にしてまで学習する 価値のあることとは思えません。

私自身は、今でも日本文化や歴史をもっと勉強する必要が あるなと感じる場面が、外国人と接する機会が増えるにつれ、 増えてきています。

しかし、結局は学生個人あるいは親の考え方や価値観に よるのかも知れませんね。

Sentence:Englishskill=私は米国企業の日本支社で勤務しており、昨年末まで約1年半程 の間は、ジョージア州にある本社で仕事をしました。

本社勤務の前後を通じて本社の米国人社員と一緒に仕事をする 機会が私には多く、結果として、日本社の日本人社員との間の 橋渡し的なことを求められる場面も多々あります。 そういった時にいつも感じることがあります。

それは、よく言葉の違いと言うけれど、実は言葉の違いより 重要で致命的なのは文化の違いなのだということです。 例えば、私は会議で通訳をすることもあるのですが、言葉を 訳す ことはできても、なぜそういう議論を今する必要があるのか とか、今の言葉の背景にはどういう考えがあるのか、といった 部分での一般的日本人と一般的米国人の差を埋めるのは非常に 難しいです。

実際はいろいろな人がいますから、一般論でひとくくりにして 言うのは危険なのですが、日本人の一般的傾向として、言葉の 応酬による議論が苦手で、すぐ感情的になってしまうという ことも感じます。それが対話による相互理解を深める原因に なっている場合もあります。

英語そのものの力は必要に応じて、そして本人の努力に応じて 後からつ いてくるように思います。 中学生の段階で知っておいてもらいたいのは、世の中には 違う考え方、違う物の見方をする人達あるいは集団がいるんだよ、 そして、そういう人達と相互理解を深めていくためには 議論をする能力、つまり相手の言ったことを良く理解し、 かつ自分の考えていることを適切に表現する能力が重要なんだよ ということです。

英語の先生に対して英語より他の事を教えて欲しいというような 書き方になってしまい、ごめんなさい。 誤解しないで頂きたいのですが、私は現在の英語教育を 否定しているわけではありません。

道ばたで日本語をしゃべらない人から英語で何かを訪ねられた ときに受け答えが何とかできる程度の力は今でも結構多くの人 が持っているのではないでしょうか。 これは、ひとえに先生方の努力の成果だと思っています。

この文章では、それを更に一歩進めて、日本以外の領域でも 生活や仕事が自由にできるような人を育てるためには、 どんな教育を中学校でしたら良いかという視点で書きました。

Sentence:Internet=言葉はもともと人とコミュニケーションするためのものですから 使ってみないと、その便利さはわからないでしょう。 英語が自由に操れることによって、その人の前にどれだけ 大きな新しい可能性とチャンスが拡がるかを体験させるために、 インターネットは便利な手段だと思います。

Sentence:beginningage=3歳以前から他国語話者として育てる環境を整備し得ない のであれば、小学校で英語を学習することが良いのか疑問 です。その理由は、前に書いた通り、英語より先に学んで 欲しいことがたくさんあるからです。

comment= generation:30=on job:kigyo=on man=on

request for JTE=日本語を母国語としている学生に対しては、正しくわかりやすい日本語を使えることの重要性を教えてあげて下さい。母国語を流暢に操れない人には、外国語の習得にも限界があると思います。



Sentence:ESP=「日本人」なんてひとくくりにしてしまえないと思います。 不親切な回答かも知れませんが、必要な人もいるし、そうでない人もいる としか答えようがないのではないでしょうか。

推察するに、この質問の趣旨は「義務教育」に英語が必要かどうか、という ことではないでしょうか。 そうであれば、答えは「YES、しかし選択できるようにする。」です。

英語が必要かどうかを疑い出すと、それでは数学はどうかとか、物理や化学は どうかいうことも疑いたくなります。 しかし、少なくとも義務教育では、将来のあらゆる可能性に対 応できるだけの 素地を養うべきだと思いますので、その意味で英語教育は必要だと考えます。

Sentence:Englishskill=聞く力。英語の音・リズムを感覚としてつかむこと。

Sentence:Internet=

1)英語教育に関する情報収集・交換

2)E−mailで文通

3)教材の提供 案外くだらない例しか思いつきませんが...

利用価値は創り出されるもので、客観的にあるかないかという判断が できるものではないと思います。 例えば、皆さんがこのようなページを開設して、広く社会に働きかけて いること自体、利用価値が生まれつつあると考えていいのではない でしょうか。

Sentence:beginningage=日本語能力が、ほぼ完全に身についてから。 それがどのくらいの年令なのか知りませんが。

comment=記述式なので結構疲れます。 generation:30=on job:kigyo=on man=on

request for JTE=生徒を萎縮させないこと。生徒が進んで自己表現できるような環境を提供すること。英語だけではないと思いますが、生徒に「恥ずかしい」という気持ちを抱かせないことではないでしょうか。



Sentence:Englishskill=生活する上での最低限のコミュニケーション能力

理由: 海外でひとぼっちになったときなど、基本が出来ている だけでとにかく「生きていける」からです!。 私の場合、20代になって始めて仕事で海外(イギリス)にいき ましたが、通訳の都合で2週間1人にされてしまいました。 私は最初、「英語は出来ない」と思い込んでいましたが、 最後の方は、結構べらべらでした。向こうの会社の人にも、 Oh,you are good speaker !! Why do you speak English ? みたいなことを言われました。 ですから、基本プラスいつも、 ある程度英語に接していることは 大事です。あとはきっかけと、度胸さえあれば日本人の英語は なんとかなるでしょう(笑)。

Sentence:Internet=あると思います。海外を手に取るようにとまではいきませんが それに近い感触はあります。現に、つい最近のことですが、 ある、アメリカのVRMLを扱ったサイトを見ていると、あふれる 英文の中に一つだけ日本語のロゴがありました。しかし、書体が 英文は、丸いゴシック体なのに、日本語は明朝体でちょっとかっこ 悪かったのです。そこで、私の方で、ロゴの書体を英文にあわせて つくって、E-mailで送ってあげました。そうしたら、翌日、感激した むねのメールがきて、そこのサイトの日本語のロゴがさし替わって いました。メ ールの送り主は、サイトを運営している会社の社長さん だったのです。その方とは毎週メールのやり取りをしています。 結構おもしろいです。URLはhttp://www.aereal.com かな? きっと、学生さんたちも、積極的に動いたら面白いですよ。

Sentence:beginningage=私は小学校5年生から2年間ちょっとだけ (中学2年レベルまで)やっていました。 でも、これも、気をつけなければいけません。 学校教育としてやらないと、塾で習っちゃうと 中学に行ってから、簡単すぎて馬鹿にしちゃう んですよ。それで、授業聞かなくなっちゃって、 知らない間においていかれているって感じですか(笑)。 でも、教えるのなら6歳からでもいいと思います。

comment=受験がなければねえ(笑) generation:30=on job:kigyo=on man=on

request for JTE=日本人教師には、出来るだけ海外で研修して外国自身(文化や言葉)を肌で教えて欲しい。



Sentence:ESP=もちろんです。 それは、 日本人が日本国内で日本語を必要とするくらい、 日本人が地球の上で英語を必要としているからだと思います。。

Sentence:Englishskill= ?

Sentence:Internet=道具としての英語をインターネットで ためしに使ってみることができます。

日本国外の世界をかいまみることができます。 自分の意見を外国語で表現し(もちろん中学生なりに)、 それに対する議論を戦わせる手段ができると思います。

Sentence:beginningage=道具としての英語を教えるのであれば、おそらく4歳ぐらい からと思います。理由は、素直に入ってゆけるからだと思います。 すなわち、抽象思考を要する学問とは異なり、 直感的に用いる表現の手段だからだと思います。

すでに中国本土の一部では、小学校で英語を教えています。 また、ここピッツバーグの一部では小学校(5歳−)より 日本語、フランス語を教えております。

comment= generation:40=on job:teacher=on man=on request for JTE=外国語教育の必要性をご自身が認識してほしいと思います。



Sentence:ESP=現在私は造船関連の設計をしております。社内には特別外人は いないし英語を知らなくても社内生活は全く不自由しません。 が、船舶関連の規則改正等をより早く知ろうと思えば、国際条 約に目を通すことが必要になってきます。 これは私に限らずどんな人にも何らかの形で当てはまるのでは ないでしょうか。 これだけ英語が反乱している世の中でたとえば江戸時代の人間 がいたとしたならば、絶対に生きていけないと思うのです。 ずばりお答えすれば、英語はこれからの日本人にとって一番必 要とされるものの中の1つです。(私はそ のうち中国語もそうなる のでは?と考えています

Sentence:Englishskill=中学生くらいになると、どうしても外人にコンプレックスを持ち、 敬遠しがちです。何を言っているのか解らない、何を言ったらい いのか解らない、ということが最大の原因だと思います。 普段はいい加減な日本語を使っているのに、英語に限っては上手 に話さないとだめだと思い込む中学生は多いのではないでしょう か?この中学生の段階において身につけるべきものは英語の力で はなく『英語をなめてかかること』(表現が乱暴ですがゥァ砲世隼笋マ 思います。しいて挙げるとしたら、話す聞く力だと思います。

Sentence:Internet=文通などはいいと思います。(顔もみれるし)

Sentence:beginningage=母国語がじぶんなりにしっかり身につく高学年位が適当だと 思います。

comment=先生方も大変ですね generation:30=on job:kigyo=on man=on

request for JTE=海外に行けば英語に関する色々なエピソードがあります。こういったエピソードを「失敗」と思わず、笑って言えるような英語、型式にとらわれない“自由に使える英語”というものにこだわって頂きたいと思います。



Sentence:ESP=国際ビジネスをする人には必要。そうでない人にはなくてもかまわない。

Sentence:Englishskill=ディクテイションときちんとした発音。 単語は数をつめこまなくてもいいから、単語が聞き取れるようにする。 正しく聞けなければ、正しい発音を自分ができない。 子供は耳で言語を覚えるのだから、外国語も耳で覚えた方がよい。 しゃべれるようになってから読み書きができるようにすればよい。

Sentence:Internet=あまり感じないが、E-mailで実際のやりとりをすると、生徒も楽しくて、英語が好きになることはあると思う。 アメリカでは、インターネットは中学生のおもちゃになっているから、相手には困らない。ただし、色ぼけした 子供が多いので、相手の選択には注意を要する。 いい相手がみつかれば、日本の英語教師から習うより、よほどいい生きた英語の勉強にはなる。

Sentence:beginningage=幼稚園からでもよい。 小さいうちに慣れた方が覚えが早い。 comment= generation:30=on job:kigyo=on man=on

request for JTE=穴埋め問題はナンセンス。知っていても一生使わない単語は教えなくていい。先生の発音が下手。



HP楽しく読ませていただきました。私は企業派遣でカリフォルニア大学に来て います。来年卒業と同時に 帰国することを希望していますので、5歳になる子供の教育問題に不安を感じは じめています。

娘はアメリカ生まれのアメリカ育ちなので、日本の教育制度になじめるかどう か。せっかく覚えた英語を どのように維持するかなどが問題です。

私自身子供の頃から海外生活が長いのですが、日本の英語教育には不満がありま した。先生たちの言っている英語はほとんど理解に苦しみました。知っていても 一生使わないような単語を覚えさせたり、古臭い言い回しをしていたりで、受験 にはもちろん役立ちますが、実用には耐えられないものが多かったように記憶し ています。現に、日本では「英語ができる」とされている、海外で活躍する邦人 ビジネスマンの英語たるや、目を覆いたくなるものがあります。これは、日本の 英語教育に起因するものだと思います。もし、日本の 英語教育が、実用のためのものであるならば、それは、カリキュラムそのものが 全く機能していないと言わざるを得ません。私自身の経験から、学校での英語教 育で子供が英語力を維持することができるとは全く期待していません。

日本人に英語が必要かどうかという点については、私は、大部分の人には不要だ と考えています。 もともと、学校を卒業してから、「結局英語ができない」と言う人が多いと思い ますし、今や、世界の情報は秒単位で日本語に翻訳されているのですから、英 語、あるいは外国語を日本人がみんなできる必要性は 低いと感じます。

一方、国際感覚を養う必要はあると思います。わたしは、言語そのものと国際感 覚は全く別のものと考えます。国際理解のために、ある程度のレベルの外国語の 習得は必須ではあるでしょうけれど。 とはいえ、現状の学校教育のフレームワークでは、英語の授業のなかで国際教育 をするのはやむをえないことでしょう。しかし、国際感覚を育成することと、語 学を習得することを混同していては、英語バカを作るだけです。

アンケートの内容とあまり関係ないかもしれませんが、ふっと気がついた事実をひとつ。 私はカナダでプータロウの時期と大学院含めて約4年間カナダで暮らし、その後タイ で3年間暮らしていますが、カナダでは英語の流暢な日本人にはほとんど会いません でした。しかし、タイにはネイテイブのようにタイ語のうまい日本人がたくさんいま す。同じ時間と労力を費やすのなら文化的、言語的に近い言葉を習得する方がいいの では(例えば中国語)と思えてきます。



grammar-atukai-reason=Yahari kaiwa dekiru koto ga daiiti dearu to omoimasu.

grammar-need-comment=Yappari bunpou no kihonteki natisiki ha iruto omoimasu. Tada, bunpou wo narauyori sakini motto eibo no tanoshisa wo siraseru jyugyou wo okonatte hosii.

grammar-need-yes=on job:student=on kiso-wordsandphrases=on

kisogakuryoku-comment=Tango suu ha aruteido shitteoku hituyou ga aruto omotte sentaku shimashita. Desuga, tango wo kikitoreru tikara mo kanete .... to omotteimasu.

 

現在は海外留学研修のため米国ロサンゼルス
に在住しております.
英語は昔から好きな科目でしたし,塾教師や家庭教師の経験もあったため,英語
教育についてはそれなりの考え方を持っているつもりです.ネット上でひょんな
ことから松本さんのHPをみつけたので,返信してみました.

> 「日本は好きではない」にチェック頂いたかと思います
> 確かに、住みにくく批判の多いのは 私も同感です。
> でも何とか好きになるように努力している次第です
> よろしければその理由もお暇な折りにお教え下さい

正確に言えば,「日本という風土・文化は好きだが日本社会および日本人は好き
ではない」ということになります.では日本社会や日本人のどこが嫌いなのかと
言いますと,まず第一に,日本社会(東アジア諸国も程度の差こそあれ同じかも
知れませんが)は共同体的なつながりが強すぎて閉鎖的で息苦しいことです.互
いに監視し合って,出る杭は打つし,出ていく者の脚は引っ張ります.逆に言え
ば,西欧的な個人主義がまったく育たないような土壌となってしまっています.
(別に私は,何でもかんでも西欧の真似をすべきという立場ではありません.念
のため.)日本という社会はあまりにも「個」を尊重しないことに,日頃憤りを
感じており,その思いは昨年9月より米国に住むようになってからますます強ま
るばかりです.
第二に,日本人は国際社会において恐ろしいくらいみっともない田舎者であると
いうことです.これもロスに住むようになってからますます痛切に感じるように
なりましたが,例えば日本人観光客は赤面させられるほど惨めです.英語が話せ
ないことは仕方ないにしても,米国社会のマナーをまったく知らないでわがもの
顔に行動したり,土産物店では口を開けば決まって"How much?"だけしか言いま
せん.このような無様さは何も観光客だけに限ったことではありません.ご存知
の通り,ロスにはたくさんの日本人が住んでいますが,特に「語学留学」と称し
て来ている日本人学生の中にとんでもないのがよくいます. また, 企業から派
遣されている留学生にはゴルフしかしていない人がいたり,政治家の中にも国際
感覚がまったく欠けていてお恥ずかしい限りというのもいます.私自身が日本人
だからこれほど目につくのかもしれませんが,例えば中国人・台湾人・韓国人と
比較しても目に余ります.日本語とは違って、例えば、動詞がなくても通じるなんてことは あまりありませんから、基本の文法は必要です。 ある程度きちんとした文章を使えないと失礼ですし、それよりも なによりも、ある程度きちんとした文章を使えないということは 恥ずかしいでしょう。それなりの知能しかないと思われてしまいます。

 


たくさんの御意見有り難うございます!

その一つ一つが誠に貴重な内容で当方の勉強になっております、これらは全てデータとして

保存し(氏名・住所等は消去しますのでご安心下さい)学会・研究会で活用させて頂きます。

アンケート集計はプレゼンテーション用に作成してあり、研究会で活用できるようになっています。

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