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飯野坂古墳群(名取市)その3 薬師堂古墳・山囲古墳跡
名取駅の南方1.5kmほど、名取ニュータウンのある丘陵地の古墳群。
前方後方墳5基、方墳2基が現存します。これは一番東にあり、最も規模の大きいものです。



薬師堂古墳


ニュータウンのはずれから奥州街道の方を見下ろすと、こんな風に見えるんです西から。群中最も東にあり、かつ最大の66mの前方後方墳で、築造順は第3位と推定されている。

群の他の古墳は良くても標柱があるのみだが、なぜかここだけ立派な説明板があり、このようにくわしい測量図まで示されていた。北東側がかなり削り取られている。前方部は本来端までほぼ平行な形状だったらしい。どうもこの古墳群は個々の扱いがばらばらです。何か事情があるのかも

階段などを改築したばかりのようで、狛犬や燈篭も新しいものが据えられてました後方部東側。段築は無く、葺石も検出されていない。薬師堂は比較的小ぶりなもの。

北東側くびれ部付近。削られた状態なので本来はもっとこちら側に向かってボリュームがあったはずである。お堂を造ったりする際に削れてしまったんですかね

墳頂には小さな祠が載ってるだけで、広々としてます前方部から後方部。結構広々している。高低差はおよそ3mである。

後方部から前方部。前方部端の東側は登り道のため谷状にえぐれている。隣接する宅地造成時の簡易調査で西側(写真右)くびれ部の裾から壷形埴輪らしき破片が発見されている。今度は後方部の上から。樹木があるのでわかりにくいのですが、なかなかの眺望


山囲古墳跡付近


現況は畑でした。ちなみにこの丘のほとんどは住宅街で、畑はこちら側だけみたい北から。薬師堂古墳の南近くにあった後期の古墳。群を成さずに単独で存在していた。1949(昭和24)年に調査後消滅した。当時すでに墳形も不明だったが、横穴式石室が確認され、柄頭を金銅で覆った頭椎大刀他、豊富な遺物が出土している。
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