![]() | 福島県 亀ヶ森古墳 その1(河沼郡会津坂下町) |
会津坂下町北部、青津にある亀ヶ森古墳。 福島県で最も大きな前方後円墳で、東北地方でも第二位の規模を誇ります。 |
![]() | 南から見た青津地区。道路突き当たりを境に右側の木立が亀ヶ森、左側が鎮守森である。北側には阿賀川と濁川の合流点がある。付近は江戸時代慶長年間に阿賀川が地震による土砂崩れで堰き止められて水没した。その時取り残された古墳が亀の甲羅のようだったということから亀ヶ森と呼ばれるようになったと伝えられる。 |
地区内に設置されている案内板。他にもいくつか案内標識などがあるし、いずれも大きく目立つ古墳なので迷いようが無いのだが、これらが古墳と公認されたのはごく最近のことである。 | ![]() |
![]() 南南西から。右が後円部。墳長127mで同168mの宮城県名取市の雷神山古墳(国史跡)に次いで東北地方第2位の規模を持つ。すでにこの写真でもうかがえるが、前方部は大部分が墓地化している。 |
![]() | 後円部登り口近くの説明板。鎮守森にも全く同じものが設けられている。2古墳の主軸方向がほぼ同じであることがわかる。内容が少々事務的で暫定的な感じ。ただし墳丘上にはもう少し詳しいものが設置されている。 |
後円部南東側の登り口。このように樹木が密生し、外側からはもちろん、墳丘上からも形状の把握が困難である。 | ![]() |
![]() | 後円部南側くびれ部寄りには稲荷神社がある。かつて中世館として利用されたということでいくぶん削られているのか墳頂径は50mほどと広大で、神社は全体の面積の4分の1ほどを占めているに過ぎない。 |
墳丘中央には径20m近いまるで独立した小円墳のような部分がありその裾に説明板が立っている。3段築成の3段目ということになるのだろうか。 | ![]() |
![]() | 後円部墳頂より。高さは10mほど。主体部がこの突出した後円部頂に残っているか、あるいは既にかなり攪乱・破壊を受けているのか。 |