![]() | 民家の脇から畑にかけて竹薮となっている所がそれらしいのだが、接近できず、形状を見ることができなかった。竹薮は冬でも変化せず、古墳観察者の天敵である。 |
左寄りの竹薮が古墳。すぐ向こうに野通川(やどおりがわ)が流れている。現在ではまったく平坦な、というか、付近に河川や水路が集まっているむしろ低い場所である。いかなる状況でこのような場所に古墳が築造されるのだろうか。 | ![]() |
![]() | 西側より。古墳のすぐ北東には、見沼代用水が流れている。その上流2km少しの騎西町上種足の騎西養護学校にも40m級の前方後円墳跡がある。 |
西側の温室わきより接近。ただの藪に見える。前方後円墳ということだが、前方部がはっきりしない。菖蒲町の古墳はいずれも調査の手があまり入っていないらしく、その性格などの情報が乏しい。 | ![]() |
![]() | さらに近付いて見ると、明らかに高まりがわかる。これが後円部らしいが、草木が深く形状の判別は困難である。高さはそれなりにあるようだ。なぜ「物見塚」なのか名称の由来は不明。古墳名は、現代の学者が付けたりしているものもあるから、これが必ずしも古来から地元での呼称であるとは限らない。 |
わざわざ田んぼの面積を減らしてまで残されているので、尋常な藪でなく、多少の敬意をもって残されているものであることがわかる。この左手が見沼代用水。 | ![]() |