![]() | 埼玉県 奥の山古墳・中の山古墳・戸場口山古墳(行田市) |
瓦塚古墳より南の方にも、古墳群は広がっています。 中の山・奥の山は、そのさらに南東側の戸場口山(とばくちやま)古墳と合わせて三つでセット(?)だったようです。 それにしても、近畿でもこのような形で大量に前方後円墳が見られる所はあまり無いのではないでしょうか。 |
![]() | この奥の山は「ミニ将軍山」なのだとか。堀を巡らせた、姿のきれいな古墳である。それほど人が訪れないので、ここの堀にはカモの大群が遊んでいる。これは南西からの眺め。 |
南側にまわってみたところ。小さいわりに墳丘が高く、こんもりとしているのがわかるだろうか。 | ![]() |
![]() | 夏の姿。「中」とは言え、公園の入口からはいちばん奥なので、少し邪険にされて草取りが後回しになっているのか、いちばん草深くて形がろくに見えない。後円部が大きくくびれが少ないという特徴があるという。 |
見た目は地味だが、変形六角形の2重周堀を持つという珍古墳。小見真観寺古墳との形態が似ていることも指摘されている。また、くびれ部付近の周堀からは全国的にも唯一という、「須恵器質埴輪壷」、すなわち須恵器を焼く技法で埴輪として作られた壷が出土して、前方後円墳としては群中で最も新しい7世紀前葉頃の築造の可能性が出て来た。 | ![]() |
![]() | 冬に西から見た様子。こちらが前方部である。後円部との高低差があまり無い。かなたに見えるのは前玉神社の森。この右手が戸場口山古墳の跡地である。 |
同じく冬季の北から見た全景。確かにくびれが弱い。ちょっと見にはどっちが前方部で後部かわかりにくいが、左が後円部である。 | ![]() |
![]() | 地中に痕跡が残っているという意味での「一部残存」の戸場口山跡地付近。中の山のすぐ南側にあたる。群のいちばん南寄りであることから、「とばくち=最初」と呼ばれたらしい。40mの県内有数の方墳であるが、トレンチ調査の結果、一部中の山古墳の周堀を切って2重の周堀がめぐり、全体では1辺75m規模の、古墳時代末期の典型的な方形墳であったことがわかった。もし残っていれば前方後円墳から方墳への移行を示す例としてさきたま古墳群のラインナップを完成してくれていたはずである。 |