![]() | 埼玉県 中宿遺跡(中宿歴史公園・岡部町) |
岡部町北端を走る国道17号バイパスに「道の駅おかべ」ができ、隣接地に史跡公園が設けられました。 同地には歴史資料館の建設も予定されているということです。 |
![]() | 遺跡に隣接する道の駅おかべ。食堂、物産店などがあり、岡部町名産の漬物や地元農家のブロッコリーをはじめとした野菜などが販売されている。物産店奥に岡部町の遺跡や文化財の展示室があり、出土遺物などの展示もある。窓から倉庫群が見えるはずだったが、最近増築された建物に遮られて見えなくなってしまった。 |
道の駅おかべから見た中宿遺跡。7世紀後半から9世紀にかけての倉庫群で、律令国家の郡衙(ぐんが=郡役所)の正倉と推定されている。左側電柱の陰が2号建物跡を板倉造で復元したもの。右の大きい方が1号建物跡を校倉造で復元したもの。 | ![]() |
![]() | 東から。手前の2つの方形の土盛りは方形周溝墓跡らしいのだが展示室の解説文、説明板、パンフレット類などに一切何の説明も無い。町の看板遺跡なので「墓」は忌避されているのだろうか。 |
埋め戻した建物跡の柱穴の位置にコンクリート柱を設置してある部分もある。これらの建物は外側の柱同士の間にも柱を置く「総柱式」と呼ばれる形式なのだが、ここでは中の柱は省略されているようだ。平成3〜9年にかけて5次にわたる調査の結果、計20棟の建物跡が発見されている。遺物の出土は少なかったらしい。 | ![]() |
![]() | 校倉造で復元された1号建物。変形6角形断面の材木を用いている。残念ながら中には入れない。昔、東大寺正倉院の校倉造りは冬は縮んで空気を通し、夏は膨張して湿気を防ぐ、と習ったものであるが、実際はそんなに伸縮しないということで最近否定されてしまった。 |
板倉造で復元された2号建物。これらの倉庫内には脱穀済みの米の籾粒をばら積みしていたと推定されている。 | ![]() |
![]() | 復元の説明板。2号建物は約53平方m、1号建物は約57平方mである。1号建物の高さは9.2mもある。復元には青森県産のヒバ材・国産スギ材が用いられ、総工費およそ1億5千万円であった。 |
説明板に示された航空写真。左下が1・2号建物跡付近。遺跡付近は現在も一級河川福川の起点となっているが、倉庫群の北側からは人工的に掘削された部分のある河川跡も発見されている。遺跡公園の整備工事は現在も継続しており、将来は正式な歴史民俗資料館の建設も予定されている。 | ![]() |