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帯刀古墳群その2(上里町)
関越道・上里サービスエリアのすぐ近くにある古墳群。
真ん中を横切る上越新幹線を隔てて、南側にある古墳を紹介します。



帯刀の古墳 No.015


これはきわどい! なんとか残そうとは思ってるんだけどこんなになっちゃいました…というような雰囲気稲荷塚古墳(帯刀1号墳)とは新幹線を挟んで真西にある12mの円墳だが、周囲を削られてカステラのようになっている。横穴式石室があったらしい。
 

菅原神社古墳


神社の境内に残っている古墳です1号墳とは新幹線を挟んで南の菅原神社境内にある。14mの円墳で、埴輪が出ている。
 
神社境内の古墳にしては珍しく、墳頂に何も載せられていない。かつてはなにか載ってたのかも知れませんが…
 

帯刀の古墳(福昌寺周辺)


墓地の中にすんなりとけ込んでいる古墳。こういうのもよく見るパターンですね菅原神社の200m西の福昌寺墓地にある。「分布調査報告書」No.022墳と思われる。23mの円墳だが、墓地化により変形している。墳丘上に立つと周囲の見晴らしが良い。この時はちょうど近くの桐の木が花を咲かせていた。福昌寺は寛正5年(1464)年、源義賢の菩提を弔うために創建されたと伝えられる。
 
福昌寺境内の北の奥にある、No.024墳と思われるもの。12mの円墳だが、このように墓地造成かと思われる工事が進行中で、その後消滅した可能性がある。削られてる最中だったみたいですが…
 
古墳時代の墳墓が近世に転用されるというパターンも、そうまれではないみたいですこの地で没した木曽義仲の父、源義賢の墓と伝えられる4.8mの小さな円墳で、小さな五輪塔が載っている。「帯刀」の地名も義賢が近衛天皇の東宮時代の警護隊長「帯刀先生(せんじょう)」だったことに由来すると言う。境内には他にもっと大きい古墳もあるのになぜこの小さな古墳が選ばれたのだろうか。もっとも、義賢の墓と伝えられるものは嵐山町大蔵館跡にもあり、そちらは埼玉最古級の五輪塔である。
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