![]() | 埼玉県 太田部古墳群その2(吉田町) |
群馬県と境を接する町北端の集落・太田部にある古墳群です。 この古墳群がある塚山を目指して出かけたのですが、初回は迷走。季節は晩冬でした。 |
![]() | 少し登った所から見た太田部の集落。年々過疎化が進み、現在は小学校分校も休校中だと言う。 |
途中にこのような古墳群の道標(らしきもの)があるのだが文字が消滅していて読めない。こんな山中に古墳の標識があること自体すごいことなのであるが。 | ![]() |
![]() | 沢のような道をさらに登る。途中倒木に阻まれることもたびたびあった。 |
また古墳群の道標があった。「古墳まで800m」の文字がほとんど消えかけている。ここまで来れば道は一筋だけなので迷うことはないが、実際には800m以上あったような気がする。 | ![]() |
![]() | 杉・檜の林の中をひたすら登る。林の中で上を見上げると、意外にわずかな風でも木々が音も無く大きく揺れているのがわかる。 |
古墳群のある小規模な高原に近づくとやや傾斜も緩む。地形図を見るとよくわかるが、付近はそこだけ等高線の間隔が広がって白っぽい。何か人工物を作りたくなるのも無理の無い場所である。 | ![]() |
![]() | ようやく古墳群入口の道標に行き着いたがあたりには残雪がちらほら。所々に野犬やイノシシやシカとおぼしき足跡も見られる。 |
さらに進むと残雪はますます増え、今回はここで探索を断念。 | ![]() |
![]() | 帰路、太田部集落と神流湖。太田部は万葉集巻二十の防人歌(4414)、「於保伎美乃(おほきみの=天皇の) 美己等可之古美(みことかしこみ=命令を謹んで受け賜り) 宇都久之気(うつくしけ=愛しい) 麻古我氏波奈禮(まこがてはなり=妻のもとを離れ) 之麻豆多比由久(しまづたひゆく=島づたいに旅をしている)」の作者、大伴部少歳(おほともべのをとせ)の出身地とも言われている。 |
太田部橋近くから山を振り返る。登りに比べて下りはあっという間だった。雪解け後の再訪を誓い、バス停へ。 | ![]() |