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小仙波古墳群(川越市)その2
喜多院の境内など、蔵造りの市街地に近い所にも古墳があります。
ほとんどは原形をとどめていませんが、三変稲荷神社古墳は特に貴重です。



三変稲荷神社古墳


生えてる樹木のたたずまいもなかなか喜多院にほど近い、県立川越総合高校(元川越農業高校)の東の住宅地内にある。周堀を中心とした調査により、25m級の方墳とされるが、現状では墳丘はかなり縮小している。鳥居と祠がミニサイズのため写真では大きく見えるが、実際に見るとかなり低く小さい。次の写真で人間の大きさと比較すれば良くわかる。

埼玉の古墳についての本で、この古墳に触れていなければモグリだと言われてもしかたない。なぜなら、ここから出土した碧玉製石釧・白銅製四神四獣鏡・底部穿孔土器(埴輪壷)などから4世紀代の県内最古級の古墳と推定されたからである。この北側では4世紀代の方形周溝墓群が見つかっており、それらの発展形がこの古墳であるとも言われる。墳丘じたいはほんのちょっとした盛り上がりでしかありません

祠のあかい色の褪せぐあいが…祠は古びているが、信仰は失われていない。真新しい鈴と幕とお札に注目。「三変」とは、喜多院の尊海僧正がこの稲荷を訪れた時に現れた、天竺・中国・日本の三世界に各千年ずつ生きたという白狐の伝説に由来する。妙な復元をされるよりもこのまま大切にされることを願う。


慈眼堂古墳


喜多院の寺域はけっこう広いのです今やすっかり観光地と化した城下町川越の大きな目玉の一つ喜多院にも古墳がある。と言うより、川越城や喜多院は古墳地帯をこわして作られたという疑いが強い。7世紀初めの前方後円墳だが、原形はとどめていない。墳頂の慈眼堂は国重要文化財。

側面より。この他喜多院周辺には近くの日枝神社にも古墳の一部が残っている。手前のはただの盛り土です


富士見櫓跡


古墳を流用した構造物、っていうのもけっこうあるからねえ…県立川越高校の南東にある。三層の櫓が建てられていたという。現在は御嶽神社となっていて、川越城跡碑もここにある。見た目は円墳が神社化されて残っているのと変わらない。本当に川越城築城時に新たに作られた塚であるのか興味のある所だ。

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